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夢の話をしよう。ケシの実の味のする果実だよ。
『杯』に注ぐは毒?血と蜜?甘い甘い甘露?いや、全て。
けれどもその『杯』には穴が開いていた。穴から抜け出すのは全て、記憶。
夢の話をしよう。夢が幻覚になってしまう前に―――



私には父の親友を名乗る槐という男の言葉が信じられなかった。父と母が死んだのにどうして私には連絡がないのにこの人は知っているのか?
それだけでも十分に疑う要素になり得た。もしくは悪質な嫌がらせとも考えられる。そんな男に私は食って掛かるかのように吐き捨てる。

 「デタラメを言わないで!お父様とお母様が死んだなんて嘘よ!私には何の連絡もなかったわ!!」

嘘じゃない!と薔薇水晶が声を荒げて私を威嚇した。その直後に雪華綺晶が彼女をたしなめるように頭を撫でて怒りを鎮めようとしている。

 「お父様の話を聞いて下さいお姉さま。そのために私たちはあなたとお父様を会わせたのですから。」

そして槐は再び口を開いてまるで何も知らない子供に何かを教えるかのようにゆっくりと慎重に話し始めた。

 「君は昔のことを何か一つでも確かに覚えていることはあるか?」
 「確かに覚えていること…」

考えてみれば何もなかった。私の知っている自分の過去や今の自分の周りにいる人との関係は全て他人からの情報によって作られたものだった。
いわば私が自分から作り出した世界などなく、私の世界は私ではない人によって作られたメッキの世界でしかなかった。
私が覚えていることなど、私の過去など最初からなかった。

 「君が交通事故にあって大手術の後に奇跡的に命をとりとめて病院で入院していることは知っているかい?」
 「ええ…」
 「交通事故の内容は君のお父さんの運転する車に君とお母さんが乗っていて逆走して来たトラックとの正面衝突だった。」

槐に言われて私の頭の中でセピア色の記憶が逆再生されていた。そこには確かに父と母の二人と一緒に車に乗っている私がいる。
どういうことなのだろう?私はそんなこと覚えていない、記憶にない、思い出したくない!これ以上喋らないで!!

 「そのときに運転席と助手席にいた君のご両親は即死…君も腹部に穴が開くという大怪我を負ったんだ。」

封じていた記憶がフラッシュバックする。母と談笑中にふと目の前に現れたトラックに全てを奪いつくされてしまった記憶。私の忌憶。
私は頭が完全に混乱してしまっていた。父と母がずっと前から死んでいた?どうして私はこんな重要なことを覚えていない?お葬式はいつやったのだろうか?

 「君の家を訪ねたときに言おうと思っていたのだけれども…君は僕を見るなり泣き出して話をする状況じゃなかったからね。
  それで失礼ながら君の家を見たのだけれどもご両親の仏壇もなかったからもしやとは思っていたけれども…」

私は自分のことを心の底から憎んだ。どうしてこんな大事なことを忘れていたのだろう。そして滑稽に思えた。つまりは何時まで待っても帰って来ない二人の帰りを真剣に待ち続けていた自分が道化のようだった。

 「そして先日、君の親権を持っていた君の叔父夫婦もまた事故死してしまった。天涯孤独の身となった君を僕が養子に引き取ろうと思って訪ねて来たんだ。」
 「孤独………私が?」

気がつけば確かにそうだった。私には祖父母などがいない。唯一の血族だった叔父夫婦もいなくなってしまっては私は本当に一人ぼっちだった。
混乱と孤独への恐怖が同時に私の体を蝕む。世界が歪んだ気がした。いや違う、視界が歪んで私の意識は闇へと飲み込まれたのだった。



目が覚めると私は布団に寝かせられていた。部屋の中は電気が点いていて明るかったのだが窓の外は今の私のようにすっかり闇が空から降りてきていた。
今宵は新月らしく月の明かりもない、星の光もない真っ暗で空虚な闇が空を覆っている。私の心の空もまた太陽も月も星も砕かれ何もない。
父と母がいない私にとって全ての支えはいつか二人が帰ってくることだった。そのためには叔父夫婦に冷たくされても、暗い家で一人で眠りに就くことも平気だった。
でも父も母も帰って来ない、もう昔に私の目の前で死んだのだから。それなのに私は二人の死すらも忘れていた、なんてバカなんだろう私は!
部屋の周囲を見回すけれどもこの部屋には何もない、窓を見るとここが二階であることを思い出す。
二階だったら頭から落ちたらいいのだろうか。私はゆっくりと窓の方へ近づく。すると扉をノックする音が聞こえた。

 「水銀燈さん、もう目が覚めましたか?」

私は返事もしないで窓の方へ走って開け放った。夜風の冷たさが今まで暖かい布団の中で眠っていた私には辛かった。
それと同時に突然サイレンの音が周囲に鳴り響く、とてもけたたましい音なので私は思わず身を強張らせていると異変に気づき部屋の中へ入ってきた雪華綺晶に捕まってしまった。

 「止めないでよ!」
 「それは無理な注文です。お父様のお話はまだ終わっていません、あなたはまだ重要なことを知っていないのですわ。」

雪華綺晶は私が再び飛び降り自殺をさせないために私の体を力強く抱き締めていた。少し痛いけど彼女の気持ちは十分に伝わる。
自殺をするなら話を聞いた後、独りに戻ってからこっそりやろう。自殺の方法なんて独りになれば幾らでもやれる。



雪華綺晶に案内されて私は隣の部屋に入る。そこには槐と彼の膝を枕にして静かに寝息を立てている薔薇水晶がいた。
こうしてみると二人は親子なんだと、その絆を見せ付けられたような気分になった。私に気づいた槐は薔薇水晶を優しく起こす。

 「それで私にまだ話したいことがあるんでしょう?」
 「ああ、今度は君が記憶を失っている理由だ。」

槐の言葉に私は身を震わせた。私が記憶を失っている理由がこの男にわかるというのだろうか。

 「君のそれは逆行性健忘症に酷似しているところがあるけれども少し違う。君は全ての過去の記憶をなくしたわけではなくご両親がなくなった前後の記憶が欠如している。
  というよりも記憶としてとどめておくことの機能を果たしていなかったのだろう。そしてそれはきっと君の心が拒否しているからだ。」

つまるところを言うと私は父と母の死を受け入れることが出来ないでいるから成長するにつれてその部分からその前のことと後のことが徐々に記憶がなくなっているらしい。

 「そして僕は仮説を持っているのだが君の記憶が完全になくならないのには何か訳があるんだろうと思う。
  何か大切な人との思い出だとかそういうのは君は記憶していると思うのだが…」

確かにそうだった。幼馴染の真紅やあの事故の直後のめぐとの出会いを私はちゃんと覚えている。
とくにめぐとの出来事は殆どのことを覚えていた。初めて出会ったときの彼女の言動、唄ってくれた歌もどんな季節だったかも全部覚えている。

 「そしてその大切な人との思い出が君の記憶の核になっているんだと思う。その人との思い出を忘れてしまったら君の記憶はどうなるのかわからない。
  ひょっとしたら記憶がごちゃまぜになって崩壊するかもしれないし綺麗にリセットしてしまうかもしれない。
  だからその人とはなるべく一緒にいたほうが僕は最善だと考えるのだけれど…」

そうなのかもしれない。けれども私は槐という男の素性に興味を持ち始めていた。

 「それよりもあなたは一体何者なの?お父様の友人だというけれども証拠は…」

槐は黙って自分の鞄の中から若い頃のお父様と一緒に写っている写真を取り出した。それを見るかぎり二人は本当に親しい仲だったことは明白だ。


 「僕はカウンセラーだ。君の父の友人としてずっと君のことを気にかけていたのだけれども叔父夫婦がね…。
  君の父は遺産を残していたのだけれどもあの叔父夫婦はそれを横領していたんだ。そのために親権を手放そうとしなくてね。」

それには薄々私も気づいていた。叔父夫婦は私に何をしてくれるわけでもなく昔の家に私を一人で住ませて必要最低限の生活費を振り込んでくれるだけだった。
そこまで厄介に思っているのなら施設にでも送ればいいと思っていたので槐の話を聞いてやっと得心がいった。

 「それでもしも良ければ僕が君を引き取りたい。このまま施設行きは君だって嫌だろう?」
 「確かにそうだけれどもあなたにはもう血の繋がった娘が二人もいるでしょう?」
 「ああ、娘は二人いる…けれども二人とも僕とは血は繋がっていないけれどもね。」
 「え…」
 「本当ですわ、それどころか私と薔薇しぃちゃんも血は繋がっていません。」

雪華綺晶の言葉に私は耳を疑った。この二人ですら血が繋がっていないだなんて、一体何を家族の絆としているのかわからない。

 「どうして?」
 「血の繋がりも僕は大切だとは思うけれども人はそんなもので引き付けあうものではないと僕は考えている。
  そうでなければ友人や恋人の間柄の説明がつかなくなってしまうからね。」

そう言えばそうなのかもしれない。本当のところ人と人とを繋ぐ信頼や絆とかいうものは決して血筋だとか物理的な説明がところではないのだろう。
世の中には女のために実の親を追い出してしまうという非常な男がいるのだから。
ふと時計を見ると針が5時半の時刻を刻んでいた。私ははっとして出かける準備をする。

 「ど、どうしたんだい?」
 「ごめんなさい、ちょっと今から行く場所があるの。絶対にここにちゃんと帰って来るから!」

私は槐たちの制止も聞かずにアパートを飛び出した。先の通り外は空から飛来した暗闇で覆い被されている。
早くしないと病院の面会時間が過ぎてしまう。そうなってしまってはめぐに会うことができない。
私は暗闇の中を切り拓くように走り続ける。走っていれば要らない思考は停止して病院に辿り着くことが出来るから。
街灯の光と家宅の光だけが闇を照らしている。こういうときぐらい空には星とかが光って走っている私を勇気付けるぐらいしてくれてもいいと思うのに。
暗闇の中で白い病棟だけがボウッと幽霊のように立ち尽くしている姿が見える。あそこにめぐがいる。あそこで全てが始まり終わる。
面会の終わった家族の人たちが帰る途中だった。その表情は暗いものや明るいもの、幼い者や老いた者など様々だった。私は一体どんな顔でここを出て行くのだろう。
いつもの階段を上る。走ってはいけないのではや歩きで渡る廊下。それらが鬱陶しくももどかしくもありながら私はいつもの病室に辿り着く。
そこにめぐはいつも通りでいた。あんな危篤状態になったというのに何食わぬ顔で私の前でいてあの歌を唄っている。そして私に気づいて微笑んだ。

 「来てくれたのね、水銀燈。」
 「ええ」

私が真剣な表情をしているので彼女の微笑みは崩れて同じく真剣な面持ちになる。

 「ねぇ、聞いて欲しい話があるの。」
 「何?」
 「私とめぐにとって大事な話……正直言うとね、ここに来るのって面倒なのよねぇ。
  ほら、この辺は遊ぶところだって何にもないしこの薬品臭い場所もうんざり、何よりもあなたみたいな病人の相手をするのも楽じゃないのよ。」
 「そう」
 「だからもうあなたなんかと会わないからとっととアメリカにでも何処へなりとも行けばいいじゃないの。
  それで…元気になって私のことなんて忘れなさい。」
 「そう、わかったわ。」

私は自分の感情を堪えるのに必死だった。今にも泣き出しそうなのを我慢しているのにめぐは微笑んでいる。
私が酷い言葉を投げかけているというのにめぐは微笑みでもって返してくれた。いっそのことめぐと絶好したほうが未練がなくなると思っているのにこれじゃあ余計に未練になってしまう。

 「どうして…何も反論してくれないの?」
 「私はあなたのこと理解してるつもりなのよ。下手な悪口に合わせてあげているだけなんだから…」

やっぱりめぐには全部バレていたらしい。これでは空疎な言葉を吐いた自分が馬鹿みたいではないか。

 「あなたは本当に優しい人ね。だからあなたは私にとって天使だわ。とても美しい私だけのためにここに舞い降りる天使。」
 「天使…ね。私が本当に天使だったらあなたがどこに行ってもすぐに会いにいけるのに。」

私はめぐの座っているベッドに上半身だけうつ伏せになるように体を沈める。ふと視線に羽毛の枕が入り私に羽根があったら、などと考えてしまう。
めぐのシルクのように白くて優しい手が私の髪を撫でてくれた。

 「めぐ、私の将来の夢は決まったわ。いつかあなたを迎えに行く。だからあなたもそれまで絶対に生きていてね。」
 「ふふ、わかったわ。けれどなるべく早く迎えに来てね?私もその頃には………」

 「すみません、そろそろ面会の終わりの時間なんですけど…」

看護師が入って来て話しの腰を折る。もう少し待ってくれてもいいじゃないかと私は心の中で悪態をつきながらはいと答えてしまった。
めぐは苦笑して隣にあるテレビの下にある引き出しからCDプレイヤーを取り出して私に手渡した。

 「再会するときのための約束、ちゃんとこれを持ってきて迎えに来てね。」
 「ええ、必ず行くわ。あなたがどこに行ったとしても、ね。」

私とめぐは本当に名残惜しむかのようにお互いの顔を見ていた。私は涙を見せまいとぐっと堪えてまたね、と言って病室を出て行く。
めぐから預かったCDプレイヤーを起動して中に入っているめぐとの思い出の曲を聴きながら私は白い病棟を後にした。
病院の敷地内から出た私はすぐに泣き出してしまった。涙のせいで夜道もあまり見えない。蒙昧な闇の中を私は1時間以上もさまよい続けてアパートに戻った。
アパートに戻るやいなや槐に本当に心配していたという愚痴を聞かされる。

 「それで答えは出してくれたかい?」
 「ええ、私はあなたたちと一緒に暮らすわ。それでこの心の病気を治すわ。」
 「心の病気…か。わかった、それじゃあこれからよろしく。」
 「こちらこそ…宜しくね。」



こうして私は槐たちと一緒に暮らすことになった。暗かった私の家ではなく真紅のアパートに一緒に暮らすことになりとても賑やかだ。
あの暗く永遠とも感じられた夜の闇はもう一人じゃない、もう怖くない。新しい父親に妹たちに囲まれて私はとても幸せだった。
けれども一つだけ引っ掛かる何かを私は持っている。とても大切なCDプレイヤー…

 「ねぇ水銀燈お姉さま。そのCDプレイヤーはもともとお姉さまのものだったのですか?」
 「いいえ、これは貰ったものよぉ…大切な人から貰ったとても大切なもの。」
 「銀ちゃんは…このCDのタイトルを知っている?」
 「確か『Farewell』ねぇ、どういう意味かは私も知らないけれどもぉ。」

私の幸せな生活の中で唯一引っ掛かっているもの。それはこのCDプレイヤーを渡してくれた人。
今は思い出すことのできないとても大切な私の友人。その人がどんな人だったのかどうしても思い出せない。
女だったのか男だったのか、髪は黒かったのか短かったのか、どこで知り合ったのかそれすらも忘れてしまった。
言葉に表すことはできないのだがそれが無性に悲しく思える。不思議な私の思い出…



夢の話をしよう。幻覚の味のする果実だよ。
夢とは必ず終わりが訪れるもの、どれだけ長い夢を見ても目が覚めない夢など訪れない。
その終わりは忍び寄る強奪者の如く突然やって来ては人を現実へと引き戻す。
そして人は見ていた夢を忘れてしまう。眠っていたものであれ、理想を見ていたのであれ。
ただ夢を忘れたり叶わなかったからといって無駄だと思わないで欲しい。
夢を追いかけてきた時間こそがかけがえのない宝であり死ぬまでの暇つぶしでしかない人生で誇れるものだから。

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