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夢の話をしよう。血のように咽る味のする果実だよ。
人の夢は様々だけど決して叶うことのない夢を見る人がいる。
叶わない夢を追い続けることを愚かと嗤うなら…最初から夢なんてなければいい?
夢の話をしよう。自分が壊れてしまう前に―――



ジュンの告白から数日が経った。私は未だにジュンの好意をキッパリと突き放すことができないでいる。
彼の言う通り、私にも心変わりというものが起きるかもしれない。けれども私はジュンには真紅と付き合って欲しいと思っている。
真紅は真紅で私には普通に接してくれるのだが心の奥底ではジュンのことが気になって仕方ないのだろう。
ジュンと真紅のためにもこのままの関係ではいけないのは明白だった。けれども文化祭の準備という大掛かりな仕事の所為で全く進展することが出来ない。
せめて文化祭が終わってからにしようとずっと引きずって来た。そして明日はいよいよ文化祭初日である。

 「みんな、明日は文化祭初日だ!三年生になったみんなにとっては最後の文化祭ということになる。だから悔いが残らないように頑張って欲しい!」

担任の梅岡のいつもの話が始まる。私達が運良く文化祭で最優秀賞を取れば梅岡にとっては他の教諭たちに自慢ができる。
コイツの言っていることの殆どは自分の保身や体面を良くすることに繋がっていることは2年の頃からわかっている。
まぁ、私にとっては心底どうでもいいことだった。どうせ文化祭は出るつもりなんてないんだし…。
梅岡の話も終わってようやく帰れるようになった。かと思えば飾りつけを今日ある程度しておいて朝には軽い微調整ぐらいで済ませることとなった。
ああ、まためぐの所へ行く時間が遅れるかと思えば憂鬱になってしまう。どうせ明日は来ないのだから今日ぐらいは手伝ってやろう。

 「あ、誰か用務員室からトンカチ借りて来てくれないか?」
 「うぃー、ヒナが行って来るのー。」

元気一杯に雛苺が名乗りを上げる。丁度いい、雛苺には気になっていることがあったので私も一緒に行くことにした。

 「じゃあ私も行くわぁ。」
 「言っておくけど水銀燈、そんなこと言っておいて帰ったら承知しないわよ。」

真紅が釘を刺す。そんなこと言われなくってもこっちには気になることがあるんだから帰る筈がない。
私と雛苺は教室を出て隣の棟にある用務員室へと向かった。やっぱり、近くで見ると遠くから見ているよりも分かり易い、明らかに足を庇って雛苺は歩いている。
それでも彼女の表情は朗らかでこの表情は何処かで見たことがある気がした…。

 「水銀燈がヒナと一緒にいるのって珍しいのね。」
 「ふん、貴女だけを置いて帰ろうと思っていたからよ…それよりも、その足はどうしたの?」
 「何でもないのよ。ちょっと階段から落ちて打ち身になっちゃっただけなの。」
 「………そう。巴にはそう言ってるの?」
 「うん、水銀燈は巴と同じで心配性なのねー。」

嘘なのはすぐに分かった。階段から落ちただなんてありきたりな嘘の理由にしかならない。けれども親友である筈の巴にすら秘密にしているのだ。私に言う筈がない。
結局、雛苺からはちゃんとした理由を聞けずに用務員室からトンカチを借りて教室へと戻ってしまった。

 「気になるの?」

教室に帰るなり真紅にそう言われてしまう。やっぱり『腐れ縁』の所為か私の考えていることはお見通しのようだった。

 「そうね、本人は上手く隠しているけれども私の目までは誤魔化せないわぁ。」
 「貴女は人の観察が昔から得意だったからね。それで何か聞けたの?」
 「なぁんにも。言いたくない事情があるみたいねぇ。」

私は雛苺を見る。巴と談笑をしながら教室の飾りつけを手伝っていた。こうして傍から見れば本当に楽しそうだった。
巴と話をしているときの雛苺の笑顔は普段見せているものよりもとても輝いているように見える。きっと巴とは素で付き合えているのだろう。
本当に階段から落ちただけだったのだろうか…。いっそのこと彼女の言った嘘が本当になればいいとも思ってしまう。



帰りの途中で私はあのヴァイオリンの音色が聞こえる。こんなたった一人でも私の耳に残る演奏をするのはあの子ぐらいしかいない。
自然と足はあのヴァイオリンの音色の元へ向かっていた。緑色の巻き毛にその異様な身長の低さが特徴の…。

 「どうもぉ、頑張ってるみたいじゃないのぉ。金糸雀。」
 「うぉわ!?行き成り後ろから話しかけないで欲しいかしら!?」

彼女の名前は金糸雀、こんなお子様な見た目をしているけれども私とタメだ。この子は文化祭二日目の中庭コンサートに向けてヴァイオリンの練習をしている。
金糸雀の願い、それは最後に舞台でヴァイオリンを演奏して止めることだ。
少し前までは中庭コンサートに立つことすら躊躇っていたようだが練習をしているところを見る限り吹っ切れたのだろう。
そのヴァイオリンの音色は初めて聞いたときの孤独なものとは違い明るいものだった。

 「中庭コンサートはやるのねぇ。」
 「うん、みっちゃんともうやるって約束したかしら。だから頑張れるの。」

金糸雀の言うみっちゃんという人を私は知らないけれども金糸雀の彼女の名前を呼ぶときの表情を見るといい人なのだろう。
私は暫し金糸雀の演奏を聴いて行くことにした。金糸雀のヴァイオリンの音色に聞き入っているとすぐ外の中庭で二人組みの女子を見かける。
栗毛にオッドアイでまさしく鏡に映したかのようなそっくりな顔…校内でも有名なあの仲良し双子の姉妹だろう。
確か名前は…

 「あら、あれは翠星石と蒼星石かしら。」
 「知ってるのぉ?」
 「あったりまえの前田さんかしら。なんたってカナと同じクラスなんだし。」
 「へぇ…あの双子も3年生だったのねぇ。」

中庭にある植木の花に水をやったり雑草を取り除いたりして世話をしているという変わった姉妹だということで周囲は認識している。
今日も例に漏れずにお花の世話をしているのだろう。こうして遠くから眺めていてもわかるのだが本当に二人はそっくりだった。
髪の毛の長いほう、金糸雀から教えて貰ったが姉の翠星石はとても楽しそうな表情をしていた。
けれども髪が短い男の子のような外見を持つ妹の蒼星石は複雑な表情をしている。翠星石が話しかけるとその複雑な表情から作り笑いをしていた。
何か悩みでもあるんだろうか…と言っても多感なお年頃の高校生、それも3年生となれば色々な悩みぐらいあるだろう。
二人とも一通りの手入れも終わったのか中庭を後にして下校して行った。明日は文化祭だと言うのにちゃんと手入れを怠らないところは感心する。

 「ふぅ、カナもそろそろ帰るかしら。もう暗くなりかけているし…」
 「し、しまった!早くめぐの所へ行かないと!」
 「あ、あら?水銀燈ー!?」

最近はいつも暗くなりかけてからしかめぐに会いに行けていないので早く文化祭が終わればいいと思っていた。
そして明日はその文化祭当日、もうすぐで普段通りめぐと会える。そうしたら今まで余り話せなかった分、色々なことを話そう。
もちろん、めぐと彼女のお父様のことについても何か力になってあげたいとも思っている。けれども、そうなることは無かった―――



白い病室の中でめぐは眠っていた。どうやら今は薬が効いて眠っているらしい。めぐがおきる頃にはすっかり暗くなってしまっているだろうから私は帰ることにした。
めぐとお話ができないのはとても残念だとは思えたけれども明日は文化祭をサボるんだし色々とお喋りする機会はこれからずっとあるだろう。
私が来なかったと思って寂しさを感じさせないために私は前に買っためぐがよく歌う歌のCDを彼女の枕元に置いて病院を去った。
自宅前までやっと辿り着く。今日も今日とて両親は帰って来ない。昔、私を置いて何処か遠いところへ行ってしまったのだ。
真っ暗な家の中はまるで孤独な心を映し出したように染みのようなものを浮き彫りにさせる。2階にある自室の電気をつけて夕食も食べずに眠ろうとする。
浅い眠りの中で私は夢を見ていた。それがどんな夢なのかはわからない。夢を理解する前に電話が鳴って起こされたからだ。
電話のある1階のリビングへと向かう。暗闇の中、手探りで探し出した電話のその向こうには真紅がいた。

 「もしもし、真紅だけれども水銀燈いるの?」
 「ええ、いるわよぉ…こんな時間に何の用かしら?」
 「………良かったら今日は家に泊まりに来ない?」
 「珍しいのね…貴女からそんなお誘いがあるだなんて。」
 「来るのか来ないのかどっちなの?一応、貴女の分の夕食もお母様が作っているのだけれども。」
 「分かったわよ。じゃあ荷物を纏め次第そっちに伺わせて貰うわ。お母様に宜しく言っておいてね。」
 「ええ、待っているのだわ。」

正直、真紅の誘いはとても助かった。このまま暗闇の家の中に居たら気が可笑しくなりそうだった。
いつもそうなのだが私はこの家が嫌いだった。肉体的にも精神的にも私はこの家を強く拒絶している。
帰っても誰も待っていてくれない、待っていても誰も帰って来てくれない家…最初から無ければいいと何度思ったことか。
私はまた暗闇の中、手探りで自分の荷物をまとめて真紅の家へ行く。



真紅の両親はアパートの管理人をやっており彼女の自宅もアパートの一階の一室で私はインターホンを鳴らし迎え入れられる。
彼女の家は相変わらず賑やかだった。理想の家族というのはこういうものなのだろう。一緒に夕飯を食べさせてもらえるときは楽しさもあれば逆に辛いときもある。
自分が此処の家の娘だったら良かったとさえ考えてしまうから。

 「水銀燈ちゃん、おかわりは?」
 「い、頂くわぁ…今日は本当にありがとう。」
 「いいのよ、明日はえっと…冥土喫茶だっけ?頑張って貰わなくっちゃ。」

お母様…冥土じゃなくてメイドです…。などと心の中でツッコミを入れつつよそって貰ったご飯のおかわりを受け取る。
ん?そう言えば今日真紅の家に泊まるということは明日は必然的に学校へ行かなければならないじゃないか。

 「まさか真紅…貴女謀ったわねぇ!?」
 「何のことだかさっぱりね…。お母様、先にお風呂に入るわ。」

したり顔で真紅は悠然とリビングを後にした。逃げられたか…。仕方がない、一食一泊の恩返しが明日、文化祭で働くことで済むのなら安いものだ。
真紅が出た後、私も入浴してから宛がわれた部屋、つまり真紅の部屋へ来る。相変わらず少女趣味な部屋だった。
真紅はベッド、私は床に敷いた布団で寝ることにした。

 「明日は早いのだからもう寝ましょう。」
 「そうねぇ…って私もやっぱり早朝登校になるのぉ?」
 「当然でしょう。此処は私の家なのだから私の命令には従いなさい。」

やっぱり泊まりに来るんじゃなかったと思った。私は低血圧なので朝はどちらかというと弱い。
電気を消して二人とも布団の中へと入った。同じ暗闇の筈なのに自分の家のそれと真紅の家のそれとでは全く違っていた。
私の家の暗闇は冷たくて心の中にあるしこりを浮き彫りにするかの様な恐ろしい闇、真紅の家の暗闇は暖かい色々なものを包み込むような優しい闇だった。
これがきっと家族がいることの安心感の現われなのだろう。

 「ねぇ、もう眠っちゃったぁ?」
 「…起きているわ。」
 「貴女…いい家族を持ってるわよねぇ。」
 「そうね…私は両親のこと尊敬している。こうして私を此処まで育ててくれたのだから。」
 「私の両親なんてずっと遠くに行ったまま帰って来ないのだから見習わせたいものよ。」

暫くの間、今の季節にしか聞こえない鈴虫の鳴き声だけが響いていた。そうか、もうこんな季節だったのか。一人で過ごす夜では聞く余裕すらなかった。
誰かが居る家というのはこんなにもあったかいものなのか…。

 「貴女は哀れだわ。自分は孤独だと決め付けて一人の夜をずっと過ごしてる。

  だからせめて日が昇っている間はもっと誰かと時間を共有なさい。楽しい思い出があればきっと夜の闇にだって勝てる筈だわ。」
 「そうかしらね…。」
 「そうよ、だって貴女は私が唯一認めた子なのだから。」
 「何の理屈よぉそれ…」

久し振りに夜が楽しく思えた。今日、此処に招いてくれた真紅に感謝ぐらいはしてやろう。それと明日ぐらい真面目に働いてみるのもいいかもしれない。



翌朝、私は真紅に起こされてやっと目が覚めた。低血圧なので朝は本当に駄目で頭に上手く血が回らない。
久し振りにまともな朝食を食べて私と真紅は彼女の家を出て学校へ行く。どうやら私が寝坊した所為で予定の時間よりも遅れているらしい。

 「全く、朝もまともに起きれないなんて!」
 「五月蠅いわねぇ…だからこうして走ってやってんでしょお。」

何とかギリギリの時間で間に合った私達はちょうど汗だくになった制服を着替えてあの衣装に着替える。

 「や、やっぱり恥ずかしいわぁ…」
 「仕方ないでしょう。今はこれ以外に着るものがないのだから。」

そう、例のメイド服しかない。まさか開会式が始まる前からこんな格好をするハメになるとは思わなかった。
私と真紅はそのままの格好で教室の飾りつけを手伝って更に開会式に出ることになってしまう。流石にこれには真紅も難色を示していた。

 「ほ、本気でそう言ってるのね?」
 「ああ、真紅と水銀燈は見た目がいいし絶対に宣伝になると思うんだ。だから開会式の出し物の紹介のときに舞台に立ってくれ!」
 「じょ、冗談じゃないわよぉ!私達に見世物になれってのぉ?」
 「なぁ、桜田もその方がいいよな?」

おもむろに男子がさっきからこの会話に入って来ないジュンに同意を求める。行き成り話を振られたジュンは慌てて付け足すように言う。

 「あ、ああ…いいんじゃないか?二人とも凄く似合ってるし…」
 「そ、そんなこと言われたって私達は…」
 「やるのだわ!私と水銀燈で出し物紹介の舞台に立つのだわ!」
 「えぇ!?あ、アンタ何言って…」
 「やりましょう、水銀燈!それでジュ…じゃなくってみんなのためにも盛り上げるのよ!」

恋は盲目というがこれは重症な気がする。もう暴走したこの子を止めることは私にもできない。済し崩し的に私も舞台へと連れて行かれるのだろう。



 「はぁ…疲れたわぁ…」
 「お疲れ様だな水銀燈…。」
 「全くよぉ…何が『ご奉仕するにゃん』よ。誰があんな台詞考えたのかしら…絶対にただじゃ済まさないんだからぁ…。」

開会式も終わってついに文化祭も始まった。あの後私と真紅はこの格好のままで全校生徒の前に出され『ご奉仕するにゃん』などということを言わされたのだ。
なんで人って羞恥心では死ねないのか不思議でたまらない。もしも死ねるのなら先ほどのあれで即死だっただろう。
今はシフトで私は休憩の時間で暇なので厨房で休んでいたところジュンがやって来てこうして雑談をしているという訳だ。

 「けど可愛かったぞ。お前は気付いてないかもしれないけど男子の間じゃあ評判はいいんだからさ。」
 「そ、そうなの?まぁ、見る目のある奴もいるってことねぇ。あ、そろそろ交代の時間ね…。」

交代の時間が来たので更衣室へ向かう。向かって気付いたのだが私は既にメイド服を着ているので着替える必要はなかったのだがジュンと二人っきりで居るのが後ろめたかったのだ。
其処には既に着替えた巴とまだ着替えていない雛苺がいた。どうやらこの二人も同じ時間帯らしい。

 「雛苺ってばまだ着替えてないのぉ?」
 「うー、ちゃんと着替えるもん…」

雛苺が上着を脱ぐ。その露になった彼女の素肌の上にある青い痣に私と巴は驚きを隠せなかった。

 「ひ、雛苺…どうしたの?その痣…」
 「何でもないのよ。ただ階段から転んで…」
 「そんな訳ないでしょう!?いい加減に本当のことを言いなさいよ!」
 「止めて、水銀燈!雛苺をそんな責めるように問いたださないで!」
 「でも…」
 「も、もういいのよ。二人とも…ヒナのことで喧嘩しないで欲しいの。これはヒナが我慢すればいいことなんだから…」

虚ろな目をして雛苺は笑っていた。自分を押し殺したその笑いに今までどうして気付かなかったのか。
きっと私が彼女の異変に気付くずぅっと前から彼女の小さな体には青い痣が絶えなかったのだろう。
なかなかやって来ない私達を不審に思って他の女子たちまでもがやって来る。そして雛苺の痣を見ては驚きを隠せずにいる。
結局、雛苺はシフトに入ることはなく保健室へ巴に付き添われて行ってしまった。
みんな雛苺のことを気にしつつ仕事をこなしていく。客足は結構多くて忙しく働いている間は雛苺のことは頭から飛んでいた。
暫くすると巴が血相を変えて営業中(とでも言えばいいのだろうか)の教室へと入って来た。

 「巴、一体どうしたの?」

いち早くただ事ではないことを察した真紅が問い質す。巴は抑揚の無い声で言った。

 「雛苺が…保健室から居なくなったの!こっちに来てない!?」
 「何ですって…探しに行かなければ!」

私と真紅はそのままの格好で教室を飛び出していた。途中で何かあったのかと奇異の目で見られたがそんなこと気にしてられない。
手分けして探すことになって真紅は教室のあるこの棟とその外の周辺、私は保健室や多目的室、音楽室などもある別の棟と中庭を探すことにした。
どうしてあの子は怪我のことを隠して更には保健室から逃げ出してしまったのだろう?それ以前にどうして彼女はあんなに痣を作っているの?
ひょっとしたら雛苺はその理由を知られたくないのかもしれない。だとしたらあの痣の原因は絞られて来る。
多分だけど…あれは家族の誰かに付けられたものなのだろう。雛苺の家庭など知っているわけもないのだが…
親に傷付けられる恐怖というものはそれをされたことのない人には想像することすらできないものだ。
それを誰かに言うことなんて出来ない、世界中の誰もが自分の敵のように思えてしまう。だからきっと誰にも知られたくないのだろう。

 (保健室から逃げ出してしまうぐらいだ…絶対に人目につかないような場所にいる筈…ということは校舎裏か体育館裏?)

私は別棟から出て校舎裏と体育館裏を探してみる。すると子供のように小さく座り込んだ雛苺の姿が其処にあった。
保健室で脱いだのか普段は彼女の足の痣や怪我を隠している靴下などがなくその痛々しい痣と傷は露見されていた。
私は彼女を刺激しないようにゆっくりと近付く、私が歩を進めるたびに雛苺の小さな体はビクリと震える。

 「雛苺…」
 「あの、ごめんなさいなの。勝手に…逃げ出しちゃったりして…」
 「貴女…その痣は…」
 「き、気にしちゃめっなの。みんな心配してるかもだから早く水銀燈は戻って?」

私と会話をしていても決して彼女は面を上げようとはせず三角座りをしていて突き出ている膝小僧に顔を突っ伏している。
今ではもう、あの無邪気な笑顔ですら見られないというのか…。

 「保健室に行きま…」
 「それは嫌なの!」

突然、雛苺が大声を上げるので思わず私は驚いてしまった。普段の彼女の陽気で朗らかな声とは違い鬼気迫るものがあった。

 「ヒナの…こんな姿、誰にも見られたくないの……昔は、みんながヒナのこの傷跡を見て怖がって…ひとりぼっちになっちゃったから…。
  こんな傷だらけの姿を見たら、みんな…ヒナから離れてっちゃう。ひとりになるのはいやなの…怖いの!」

震える声…彼女が泣いているのが容易に想像できた。きっとこの子は家でもひとりぼっちなんだろう。だからみんなのいる学校では明るく人を惹き付けようと必死で…
そんな彼女に私は自分を重ねていた。誰も帰って来ない家での夜はとても怖い、暗闇の中で開いたドアの隙間が怖い。
けれども私は学校ではあまり他人と干渉せずに一人でも大丈夫と虚勢を張って自分を保っていた。この子は私とは違う道を選んだ子だったんだ。
何も言わずに私は雛苺に近付く。

 「き、来ちゃ駄目なの!ヒナを…見ちゃいやぁ!!」

私は雛苺の言葉を無視して彼女の元へと進みそうした方がいいと何故か思って彼女を優しく抱き締めた。
突然の出来事だったので雛苺も驚いたのか私に抵抗する。けれども私は決して離さなかった。

 「五月蠅いわねぇ…。こうしてたら貴女の痣や傷跡だって見えないでしょう?」
 「あ…ぅ……」
 「人肌って結構温かいものでしょう?誰かが言ってたけど人の体温は心地のいいものなんだってぇ。」
 「うん………すっごく温かいよぉ…っ」

雛苺は抵抗をやめ私にしがみ付いて啜り泣き始めた。今まで溜めていたものを全て吐き出して泣き喚いた。
何を言っているのかは分からなかったけれども私はただ相槌を打っているだけだった。暫くして雛苺は眠ってしまう。無邪気な仮面も被っていない無防備な彼女の寝顔は(めぐじゃないが)天使のようだった。
しかし実際、彼女の寝顔を観察している場合ではなかった。起こしては悪いのでこの体勢では身動きが取れない。まぁ、メイド喫茶なんて面倒だからサボるには格好の口実だ。
一応、真紅に連絡してついでに巴にも連絡して貰おう。私は携帯で真紅と連絡を取った。

 「じゃあ、雛苺はちゃんと貴女と一緒にいるのね?」
 「ええ、大丈夫よぉ。さっきも言ったとおり私は動ける状態じゃないから巴に連絡よろしくねぇ~。」
 「わかったわ。けれども水銀燈サボれる口実になったと喜んでるんじゃないでしょうね?」

完全に此方の考えを読まれていた。図星な私は沈黙という肯定をする。

 「ハァ…まぁいいわ。それじゃあ雛苺をよろしくね。ちゃんと帰って来るのよ?」
 「わかってるわよ。そんな迷子みたいに言わないでちょうだい。」

電話を切りとくにすることもないので校舎と塀に挟まれて狭く遠くなった空を見上げる。そろそろ日が傾き始める頃だろうか。
校舎裏である此処は徐々に暗くなっていく、完全に暗くなる前に雛苺の痣のある箇所を調べてみた。
痣は彼女の体の様々な部分にあったのだがちゃんと隠れる場所に止めてある。先ほども考えたがとなるとこれは転んだとか喧嘩によるものではない。
イジメか虐待…この二つの原因が私の頭の中に浮かび上がった。イジメならばまだそれをやっている相手をとっちめればいいだけなのだが虐待となると性質が悪い。
当然、私のような第三者だけで解決できる問題ではないので今度こそどうしようもない。いつも悩みを聞いては適切なことを出来ないでいて無力感を感じていたが今回は尚更酷い。
今は静かに眠る彼女の柔らかい髪を撫でる。学校ではあんなに笑顔を振り撒く彼女がこんな体中に痣を作るほど痛めつけられていたかと思うとチクリと針で刺されたように胸が痛んだ。

 「う~…ヒナ寝ちゃったの。」
 「そうね、結構な時間寝てたわ。ずっとベッド代わりになってたこっちの身も考えて欲しいわぁ。」
 「えへへ、ごめんなさいなの。」
 「ねぇ、貴女のその痣の理由…まだ話せないかしら?」
 「………それは出来れば巴にも話したいから教室に帰ってからでもいい?」
 「仕様が無いわね。じゃあ帰りましょうか。」

そして教室に戻った雛苺は巴と真紅と私を連れて女子の更衣室で本当のことを話し始めた。

 「この怪我はねお義父様がつけたものなの。ヒナは元々は孤児だったんだけど子供がいなかった夫婦に拾われたの。
  最初は可愛がって貰えてたんだけど二人に子供が出来ちゃって…それで段々相手にされなくなっちゃった。
  それはまだ良かったんだけど…折角生まれた子供とお義母様が事故で亡くなっちゃってお義父様は酷く悲しんだの。
  多分…空いちゃった心の穴を埋めたかったんだと思う、ヒナのことよく殴ったりするようになって……。」

雛苺が話してくれた家庭の事情は想像を絶するものだった。真紅も巴もショックを受けている様子だった。
まさか彼女にこんな辛い過去があっただなんて…。でも雛苺はきっとその義理の父親を憎んでいないだろう。
ただ彼女は義父親からの愛情が欲しいだけ、けれどもこれはどうしても叶う夢ではない。

 「雛苺…ゴメンね。私そんなことも気付けなくって……」
 「巴は何も悪くないのよ。だから謝らないで…ヒナが隠してたことなんだからヒナが謝らないと…。」
 「謝罪はいいとして雛苺、貴女は一体どうしたいの?このまま甘んじて虐待を受け続けるというの?」

冷静さを取り戻した真紅がいつもの口調で言う。私も雛苺の意志に任せる方がいいと思った。
雛苺は暫く黙って思案している様子だった。永遠とも思えた沈黙の時間………やがて雛苺はその重たげな口を開いた。

 「ヒナは…もうこんな生活は嫌なの。お義父様から離れたい。でもお義父様の家から出て行ったらヒナには行く場所が…
  それに虐待されていたことはみんなには知られたくないのよ…。」

つまりは雛苺は義理の父親から離れる意志はあるのだが虐待されていたことを告発するつもりはないらしい。
なら…一体どうすればいいのだろう?虐待の告発もせず父親から離れれば雛苺は路頭に迷うことになってしまう。

 「それならば良い案があるのだわ。私の両親が経営しているアパートに住みなさい。私の友人だと言えばきっとお父様もお母様も考えてくれる筈よ。」
 「で、でも…ヒナにはお金がないし…。」
 「それだったら…私が雛苺と同居するわ。それで家賃は私が半分出すから。」

今度は巴が重い口を開いた。巴の申し出に雛苺は驚いて拒否する。

 「そんな…ヒナのために巴を家族を引き離すなんて出来ないの!」
 「いいのよ雛苺。あれから私は剣道を止めたから父とは不仲になってね。家に居ても私のことなんて居ないように振舞ってるから出て行くと言っても何も言わないわ。
  それで私と雛苺がバイトをして家賃を払えば…」
 「巴………」

私は巴の申し出を聞いて驚いていた。前までは大人の言いなりになるしかなかった彼女が自分から大人に立ち向かって行こうとしている。
自分から自分の選んだ道を貫こうとしている。精神的に強くなったと私は実感した。

 「なら話は決まりね。今日は二人とも家に来なさい。一応事情の説明をしないといけないから…」

こうして雛苺は義理の父親との決別の道を選ぶこととなった………。



雛苺と巴が保健室へと戻った後、私と真紅は暫くの間、更衣室で休憩をしていた。喫茶店の労働と雛苺を探すために奔走していたのでとても疲れていたのだ。
意識が汚泥に沈むように遠のいて行く、まどろんでいて気がつかなかったのだが真紅が私の名前を呼んでいたらしい。椅子に座り込んでいる私の前に回って話しかけて来た。

 「水銀燈…もしも貴女も良かったら………」

真紅の言わんとしていることはわかっていた。なので私は彼女の前に人差し指を立てて彼女の言葉の続きを遮る。

 「素敵なお誘いだとは私も思うけどねぇ。どれだけ放っておかれていても私はお父様とお母様から決別することは出来ないわ。」

私は雛苺のように決断することが出来ない。やはり血の繋がった親子なので、あの家で二人の帰りを待っていたい。例え何時帰って来るかわからないとしても。
それでも二人が帰って来たときにちゃんとこういってあげたいのだ。『おかえりなさい』と………。



一日目の文化祭も終わり帳も下りた真夜中で二人の少女が歩いていた。
少女の容貌はそれぞれ片目ずつを眼帯で隠し一人はピンクと白の混じったようなミルク色でもう一人は薄い青と紫の中間の色をした長髪の持ち主だった。
そして貌だけは二人とも驚くほどにそっくりだった。恐らく姉妹か何かなのだろう。秋になってやや寒くなった夜の街路を二人は歩く。
何か探し物をしているかのような足取りだったのだが見付からなかったらしくホテルの中へと入って行く。
借りた一室に入り二人はある男に報告をする。男は長身で若い容貌をしており金色の髪を後ろで束ねているという出で立ちだ。

 「今日は見付かりませんでした。お父様…」
 「そうか、ご苦労だったね二人とも…今日はお休み?」
 「はい、明日には必ず見つけてみせます…彼女を。」
 「ああ、明日は僕も探してみよう。彼女は僕等と一緒に居るべきなんだからね。」

男の声は優しく囁くかのような声だった。愛する娘二人がベッドに潜り込む様を見て自身はソファーに座り込む。
テーブルに置いてあった冷たい水を飲み懐から一枚の写真を取り出す。其処に写っていたのは銀色の髪に赤色の瞳をした少女だった。

 「もうすぐ、迎えに行くからね。水銀燈………」



夢の話をしよう。後悔の味のする果実だよ。
叶わない夢なんて最初から見なければいい、自分に不釣合いな夢を望んでしまうほど惨めなものはないから。
それでも何故人は夢を見続けるのだろう。夢を追うのが人の性なら―――
夢の話をしよう。望んだ夢が叶わぬと知る前に―――

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