私はずっと走っていた。最初は誰に強制されるでもなく、ただ走っていた。
私が頑張るとみんなが私のことを褒めてくれるのが嬉しくて走っていた。
でも、年をヴェールのように着重ねるうちにそれは私の背中に乗りかかってきた。
『期待』という重責が私を押し潰そうとしている。『運命』が重さに耐えて奔っている私を見て嗤っている。

ねぇ、私は此処にいるよ。

誰にも届かない声―――


パンパンと何かが破裂したような音を鳴らす場所がある。此処はとある高校の中にある武道場で破裂したような音の正体は竹刀がぶつかり合う音だった。
その中に私はいる。私の名前は柏葉 巴。一応はこの剣道部の次期部長ということになっている。
幼少の頃から厳格な父によって剣道を教え込まれているのでこの学校での実力は男子を含めてトップクラスに入っている。
学校のクラスでも学級委員長をやっており教師たちからも希望の眼差しで見られている。
大会も近いので毎日頑張って練習に励んでいるのだけれど………最近はなんだか体がダルくて頭がボーっとしている。
目の前に竹刀が振り下ろされている。気付いた私は反射的に自分の竹刀で軽く半円を描くようにして相手の竹刀をいなしそのまま自然と出来た軌道で籠手を取る。

 「柏葉、今日はもう上がっていいぞ。」
 「え?」
 「今日のお前にはいつものキレがない。疲れていたら休むことも必要なんだからな?」
 「いいえ、やります。」
 「しかし…」
 「やりたいんです。」
 「わ、わかった………。」

私は深呼吸をして再び相手と向き合う。竹刀を上段に構え私は足を運ぶ。相手は私と全く同じ足捌きをして全く同じ攻めをしてくるので鍔迫り合いに何度もなってしまう。
何度も鍔迫り合いをしているので此方の体力が持たない。確かに今日は体調が優れない。まるで鉛でも背負ったかのように体がどんどん重くなる。
相手の面を覗き込むと其処にあったのは…自分の顔。敵は…私………?


気付いたら私は道場の隅で寝ていた。どうやら練習の途中で倒れてしまっていたらしい。流石に倒れてしまっては練習には残れない。私は帰らされることになった。
家になんて帰りたくない。厳格過ぎる父親は私が部活の途中で帰って来たと知ったら激怒するだろう。もうすぐ大会も近いのに…。
部活が終わる時間まで私は時間を潰そうと普段は行かない裏門から出るとすぐ其処にある町に出かけることにする。
よく見るとうちの学校の生徒が何人もその町にいた。みんな友達と一緒に色んなお店を回ってとても楽しそうだった。私はそれを見るのが嫌で何度も店を出ては別の店へ入る。
けれども何処へ行ってもみんながいる。私はみんなから監視されているような気分になっていた。何処へ行っても…私は自由になれない。
いつも私に付き纏うのは『優等生』という名の虚飾だった。こんな飾り、私の本質を表すに至らないのに…みんな勝手な私の理想を抱いている。
それがとても嫌だった。特に知らない人から勝手なイメージを抱かれてそれでそのイメージと食い違っていたら失望の目で見られる。
どうして私はこうなの?どうして私には私を理解してくれる人がいないの?いつも私を見ている両親も、学校の先生も誰も私を理解していない。してくれない。
気付けば私はCDショップにいた。周りをそれとなく確認をして誰も私を見ていないのを確かめる。そして、私の手はCDに伸びてそれを鞄にしまった。
心臓が早鐘を打つように鼓動が早くなる。まるで心臓が爆発するかのようなぐらいに大きく揺れる。
私はお店から出た。やってしまった…出口に出る瞬間に警報が鳴り私は走り出す。街中を走って走って走り続けた。けれども結局は男の店員に捕まってしまった。
ついに、私は『優等生』という名の虚飾を捨て去ってしまったのだ。


お店の責任者と思われる人が出て来た。叱られはしたけれど優しい人だった。商品も戻ってきたので警察沙汰にはしないという。けれども保護者が迎えに来ないと帰せないと言った。
私はずっと心の中で祈っていた。お願いだから、お願いだから父親にだけは黙っていて!父親にだけは迎えに来て欲しくない!!
ドアが開くと其処に居たのは父親の姿だった。父親の表情は怒りで赤くなっており今にもその怒りは爆発するほどのものだった。

 「この馬鹿者が!!柏葉の名を汚しおって!!」
 「あの…ごめんなさい。お父さん………。」
 「こんなことをして…お前はせっかく自分が築き上げたものを全て壊すつもりなのかぁ!!」

その後も父親に怒鳴り続けられ帰ってもずっと怒鳴られ続けていた。そしてその夜ずっと考える。私が築き上げたものって一体何?
私が築けたものなんて何もないのに―――


翌日、学校に行くと父親が連絡したのだろう。学校の教師陣にもこのことがバレていた。特に梅岡先生はカンカンに怒っているという。
自分のクラスから出そうになっていた、それも自分が強く推していた模範生候補がこんな問題を起こしたのだ。怒るのも頷けるかもしれない。
でもそんなことどうでも良かった。全部、みんなが勝手に私に押し付けた理想像なのだから。それに応えるのも裏切るのも私の勝手じゃないのか?
生徒指導室で梅岡先生もまた怒鳴り続ける。どうして私がこんな目にあっているのだろう?どうして私は自分のしたいことも出来ずにしたくないことをして怒鳴られなければいけないの?
その時、突然指導室のドアが開いたと思ったら彼女が入って来た。私と同じクラスメイトで不良と評判の水銀燈という女子生徒だった。
梅岡先生はまた怒鳴った、それでも彼女は怯まない。そして信じられない言葉を耳にした。『私が柏葉をけしかけた』そんなこと言われた覚えはない。
私は否定しようとしたけれども彼女の赤い目に睨まれて何も言えなくなってしまった。水銀燈は暫く梅岡と口論すると指導室を出て行ってしまった。

 「本当なのか、柏葉?やっぱりお前がそんなことする筈ないもんな。ご両親には俺から言っておくからもう何も心配することはないぞ。
  もう、水銀燈みたいな奴とは付き合うな?お前は模範生になるんだからな。」
 「勝手なこと、言わないで!!」
 「あ、おい…柏葉!?」

私は止める梅岡を無視して水銀燈を追いかけて行った。彼女は何時も通り裏門から学校を出て行こうとしている。私は大声で呼び止めた。

 「ま、待って!」

銀色の髪をなびかせて彼女は此方を振り返った。色素欠乏症と聞いていたけれどもそれを思わせないような美しさが彼女にはあった。


どうして私の邪魔をしたのかを問いただすと彼女ははぐらかすようなことばかりを言っている。そんなことばっかり言うから私も思わず怒鳴ってしまう。

 「私は完璧な人間なんかじゃない、皆から優等生だとか言われるけれど私だって皆のように遊びたいし仲良くだってしたい!
  でも…優等生なままじゃそんなことできない。それに優等生じゃない私なんて存在しちゃいけない!!私……どうしたら。」

何故か私の本音が出てしまう。自分の気持ちを此処まで吐き出したのは初めてな気がする。でもどうしてこの子の前だと出てしまうんだろう…。

 「そんなの知らなぁい、貴女の生き方なのだから貴女が見つけなさいよ。」

それでも彼女は行ってしまおうとする。私は追いかけようとするのだが彼女はヤクルトを投げそれは私の胸辺りに当たる。
何が起こったのか理解するのに時間のかかる私は無様にもその場で呆けてしまっていた。

 「乳酸菌でも入れてゆっくり考えなさい。貴女はどういう生き方をするのかを…。」

そして彼女はそのまま学校を去ってしまい停学処分を食らって4日は自宅謹慎となってしまった。
その後は何事もなかったかのように私はまた『優等生』という名の虚飾を纏っている。私は…折角やり直せるチャンスを貰ったのに何もできないでいる。
大人たちは私に理想を見出してそれを演じさせ続けている。これでは私の意志など関係ない。私はただの人形でしかない。


放課後、学級委員長である私は会議があるというので部活を抜け出しそれに出席しに行く途中だった。会議が始まるまでに少し時間があるので誰もいないであろう教室へと寄って忘れ物を取りに行こう。
茜色に染まりつつある教室に誰もいないはずだった。けれども其処に彼女はいた。大きなピンクのリボンが目印のうちのクラスのマスコット(本人は自覚していない)と呼ばれている…確か雛苺という子だった。

 「うゅ…巴なのー!巴も忘れ物したの?」

彼女の人気の秘密はその明るく無邪気なところと人懐っこい性格の賜物なのだろう。それと下の名前で呼ぶのは彼女のいつもの癖だ。
私は愛想笑いをして『うん、そうだよ』と応える。私は偶に彼女を羨ましいと思うことがある。あの子は自分にとても素直だ。それはまさしく子供のように純粋で…。
私とは大違いだった。私は己を殺してずっと大人の理想を演じ続けている。


 「ねぇねぇ、巴は何を忘れたの?ヒナはね、うにゅーを忘れちゃったのよ。」
 「私は会議に必要なプリントかな。」
 「会議?学級委員長は大変なのねー。」
 「そうだね…学級委員長だけじゃなくって優等生というのも大変…かな。」

どうしてだろう。水銀燈という子に本音を言ってからは何故か自分の本音が声に出やすくなっている。とくに同世代には何となく愚痴を言うことが多くなっている気がする。

 「大変だったらどうしてそんなことしてるの?」
 「え?」
 「大変だったら止めちゃえばいいの。巴がしたくないことをしなくちゃいけない必要なんてないのよ!」
 「雛苺さん………。」
 「巴、笑ってみてなの!どんなときでも笑っていたらきっと楽しいのよ!」

この子は私を純粋に励ましてくれている。私がしたくないことをしなくちゃいけない必要はないの?私は…大人の理想を演じる必要はないの?

 「ありがとうね…雛苺さん。でも私もう少しだけ頑張ってみるね。」
 「うん、それとね。さん付けしなくていいのよ!雛苺と巴はもう友達なのよ!」
 「わかった、じゃあまた明日ね。雛苺。」
 「うん、また明日なの!」

会議室へ行く途中で私はひっそりと泣いていた。雛苺の言う通りだった。私がしたくないことをする必要なんて何処にもない。そんな簡単なことにも気付けなかったなんて…。
私はもう来年は学級委員長はしない、梅岡先生の言う模範生にもならない。でも、責任を捨てることはいけないので私は任期が切れるまで今していることを精一杯やり遂げよう。
それが今まで理想を演じていたもう一人の自分へのせめてもの餞なのだから。



翌日、私は謹慎が解けて学校にやって来た水銀燈のところへ行く。彼女は前の授業からずっと寝ており休憩時間の今でも机に突っ伏して眠っていた。
私は少々悪い気がしたのだが是非とも彼女に伝えておきたいことがあるので彼女を起こした。

 「ねぇ水銀燈さん。」
 「ん~?何よぉ…人が気持ちよく寝てるのにぃ……。」
 「貴女にどうしても伝えたいことがあって…。」

クラスの皆は私と水銀燈という異色の組み合わせに何故か釘付けだった。けれどもすぐに各々のお喋りに戻る。

 「私、来年は学級委員長やらないわ。模範生にだってならない。私がそう決めたんだから。私がそうしたくないから。」

自分でも言っていることは滅茶苦茶だとは思った。それでも水銀燈には通じたらしく彼女は学校では滅多に見せない微笑を見せた。
あの日に貰ったお返しに私はヤクルトを彼女に手渡し雛苺のところへ行って帰りに不死屋に寄る約束など取りとめもない話をする。
二人ともありがとう。ありのままの私を思い出せてくれて…もう、私は大丈夫だからね。


私は自分に嘘をついてずっとずっと重荷を背負い続けていた。
休む間もなく走っていた私は走ることを止めた私は存在しちゃいけないと思っていた。
でも、私を、ありのままの私を認めてくれる人が居てくれると分かったから私は走ることをやめるね。でも止まったりしない。ゆっくりでいいから前へ進もうと思う。

ねぇ、私は此処にいるよ。此処で歩いているよ。

今は届く、私の声―――

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最終更新:2006年09月06日 14:18