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 スケッチブックには、様々な絵が描かれていたけれど。見た限り、これでおしまい。
あの娘が描きたかったもの。それは、遠い景色。あまりにも遠すぎて、追えば追う程に届
かなくなる。描けば描くほど、彼女の求めるものからは遠ざかる。

 私はスケッチブックを、部屋の収納棚の奥にある箱へ、戻しておいた。彼女が自分から、
これを取り出すことはもうないのかもしれない。

 ――と、部屋がノックされる音が響く。

「どうぞ」
「お邪魔しまぁす」
「あら、水銀燈。まだ制服を着てるだなんて、今ご帰宅なのかしら?」
「ちょっと用事でねぇ。……ジュンとお話してたのよぉ」
「そう」
「随分素っ気ないわねぇ」
「そんなことは無いのだわ。どう? 彼は元気なの?」
「元気……と言えばねぇ。いつも通りよぉ。明日あたり保健室にひょっこり来ると思うん
 だけどぉ」

 彼女のことだから、気を遣ってジュンと話してくれたに違いない……あの娘にとっても、
それは有難いことなのだと思う。

「雛苺の、留学の話も一応伝えたわよぉ」
「そう」

 遅かれ早かれ、知られることだから、別に構わない。

「けど、……また、発作を起こしてたわぁ」
「……」

 彼の場合の発作は、所謂拒否反応のようなもの。反射とまでは言わないが、大分条件付
けされてしまっていることに違いは無い。
 だからこそ、私はどうすることも出来ない。……そもそも、私が彼をどうこうしようだ
なんて、……おこがましいことではないだろうか……?

 息を吸い込み、静かに私は口を開く。

「――ねぇ、水銀燈。ひととひととの繋がりなんて、きっと脆いものだって思わない?」
「ん……まあねぇ。強い繋がりもあるけど、壊れる時は儚いものかもねぇ」

「硝子細工みたいなものよ。ちょっとした亀裂で壊れて……まあ、そんな儚いものだから、
 壊れる前はきっとうつくしい姿をしているんだろうけど。曖昧でうつくしい、硝子で出
 来た繋がり」
「……」
「私達。そう、私"達"の繋がりは、きっと一度壊れてしまった。けれど壊れた硝子は、ひ
 とつの形を成していた時より――全体の形が、わからなくても。ひとつひとつの欠片は、
 より確かなものになる。
 彼は、その破片で指を切りながら、もがいているのね。

 私"達"は、歩み寄ろうとしてる。私はあの娘には否定されているのかもしれないけれど、
 ――最近は、少しずつ近づいているような気もしているのよ。
 あと必要な欠片は、彼。彼の、記憶。
 
 けどね。本当に彼が、思い出すべきなのかは。その応えは、今でも出すことが出来ない
 のだわ。発作と言っても、多分命を奪われることもないだろうし」

「でも、それじゃあ……『貴女』は、どうなるのぉ……?」

 少し俯いた感じで、彼女が言葉を返してくる。本当、彼女はひとの心を良く察すること
が出来る人物だ。
 彼女は私"達"に関する事情を知る数少ない人物だからこそ、こんな話も出来る訳だけど。
それにしても……

「その台詞は、そっくりそのままお返ししたいわね。私は勿論、あの娘の応援に廻る訳だ
 けど。貴女が自分の気持ちを殺してまで、それに乗る必要はないのよ?」
「そうねぇ。確かに、そうなのよねぇ」

 はあ、と。小さくひとつ溜息をつく彼女だった。

「けど、真紅。……貴女は、知っていたんでしょう? 雛苺が、留学するつもりだってい
 うこと。だから、ジュンの前に姿を顕した。……違う?」
「さあ? どうかしらね。さ、明日も学校なんだし、そろそろ寝ましょう。どうやら久し
 ぶりに、ジュンの淹れる紅茶も飲めるみたいだし」
「……ま、いいわぁ。それじゃ、お邪魔したわねぇ」

 静かに彼女が退室していく。
 私は部屋の明かりを消し、ベッドへと横になった。
 そして、独り呟く。あの娘に届いていればいいなと想いながら。

 ねえ。貴女は本当に、私のことを――忘れてしまいたかったの?

「……」

 返事はない。私は"前面"に出ていない時も、彼女の声を聞いている。だから彼女も、私
の声が聞こえていてもおかしくはないのに。

 わかっているのだ。仮に彼女が覚えていたとするならば、私はまさに"偽者"以外の何者
でもない。壊れてしまった、硝子の欠片だ。

 その、欠片を。
 泣きながら。
 手を切りながら。
 また元の曖昧なかたちに戻そうとしているのは、――"私"なのでは、ないだろうか?
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