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夢が終わる音が聞こえる。海の細波のように優しく崩れて行く…。
そしてあの声が聞こえる。恐怖を刻む暗く響く魔の声が目覚めろと言う。
堕落した女神は清らな微笑を浮かべ言う。

 『一緒に、夢の中で果てましょう―――』

暗く、響く魔の声―――



止まってしまった風景の中で僕と突然大きくなった兎のぬいぐるみは対峙する。そして道化じみた大仰な口調で吐き捨てた。

 「おやおや、永久の安息に眠り続ける者とそれを呼び覚まそうとするものですか。」
 「お、お前は誰だ!?」
 「私ですか?私は………貴方だ。この世界を創り出した貴方の暗い御座に居座る貴方自身。」

兎の言っていることに耳を疑った。僕が…この世界を創り出した?

 「い、一体何のことだ…それよりも雪華綺晶を、雪華綺晶を助けてくれ!!」
 「貴方はどちらが眠りについているのかがわかってないようですね。
  はたして、眠っているのは、助けが必要なのはどちらなのでしょうねぇ?」
 「な、何が………言いたいんだ?」
 「此処は夢の世界、誰もが一度は夢見る理想の世界………人の言葉で言うならば『妄想』というものです。

  すなわち此処は貴方の理想が叶った妄想の産物、ということなのですよ。」
「この世界が………夢、だって?」

兎のぬいぐるみに突きつけられた事実に僕の頭は更に混乱する。時計を見る、針は止まりそして風景は溶ける蝋のように消えてしまい暗黒の世界に僕と兎だけが残っていた。
さっきまで倒れていた雪華綺晶ですら消えてしまっていた。この兎が言ったことは本当なのか?だとしたら雪華綺晶は生きている?

 「これは夢なんだな?じゃあ雪華綺晶は…」
 「ご名答、これは夢…つまりこの世界は貴方の願望そのもの。フロイト曰く無意識のうちにある抑圧された願望、すなわち無意識の一部。
  貴方は心の何処かで彼女の死を望んでいたのです。」

僕が彼女の死を望んでいた?そんなバカなことが………。

 「何を言ってるんだ…僕は雪華綺晶を愛してる。それなのにどうして彼女の死を望まなければならないんだ!?」

そうだ、あの告白が夢の出来事であったとしても…この気持ちに嘘偽りはないはずだ。冷や汗は止まず、呼吸は苦しくなるばかりだった。
こうして口論することすら苦痛に思えて来る。白い兎は首を横に振りまるで何もわかっていない子供に何かを諭させようとしている者のような素振りをする。
僕は耐え切れずにその場に座り込んでしまい頭を抱える。頭がとても痛い、体の節々が強烈な打撃を受けたように、崩れるように痛い。

 「わかっておりませんね。その者を愛しているのは所詮、表層での話のこと、貴方の更に奥深いところ…無意識の中では彼女を受け入れることを拒んでいたのです。
  何故だかは………自分でもわかるでしょう?先日も同じようなことをしたのですから。」

『お前が邪魔なんだ』僕の頭の中でその言葉が金槌のように振り下ろされ衝撃を与える。そうだった、僕は…あの時、彼女を殺そうとしていた。
あれから深く考えるのを止めていたけれどもあの心理状態は普通じゃない。つまり僕はずっと薔薇水晶の亡霊に付き纏われる運命なのだ。
雪華綺晶が薔薇水晶に似ていようがいまいがきっと僕の心の奥底では拒否反応を起こすだろう。それほど僕の中に居座る薔薇水晶の亡霊は大きいのだ。
たとえ夢の中のように告白され、恋人同士になってもいつかは………破滅を迎える。僕が破滅をもたらしてしまう。
もう、僕には誰かを愛することはできないのか?もう、僕にはこの心に空いた隙間を埋めてくれる人を見つけることすら許されないのか?
兎を見ると僕を見て嘲笑っている。冷や汗の量が更に多くなり呼吸はさらに乱れてもう言葉を口にすることすらできない。反論すらできない。兎は嗤い続ける。
笑えよ、過去を大事にする余りに未来へと進めずに過去へと戻ることも現在に留まることすらもできない僕を、この世界の何処にも居場所がない僕を。
声が聞こえる、それは夢の終わりを告げる魔の声………けれども甘く、優しい光に満ちた草原の涼やかな風のように囁く声…。

 『お兄ちゃん………』

薔薇水晶…?そうか、夢だから君の声も聞こえるんだね。やっと…夢の中で会えたね。

 『目を覚まして、お兄ちゃん。このまま眠っていたら駄目だよ………』

優しい声はすすり泣いていた。それはすぐ傍で薔薇水晶が僕の手を握ってそれに縋りついているかのような感覚だった。
眠っていたら駄目…?もう僕にはこの悪夢で壊れていくしかない。このまま目覚めても僕は雪華綺晶のことを…。

 『眠っていたら駄目………眠っていても何も変わらない、終わらない。
  起きて…明日を生きて、ボロボロに傷付いても生きて、私のために………お願いだから。』

ボロボロに傷付いても…生きる?
考えたこともなかった。生きている中で傷を負うということを………そう言えば誰かが言っていた気がする。生きることは闘いだ、と。
なら…僕のこの葛藤はその闘いの中に含まれるのだろうか?雪華綺晶と共に生きることは闘いの中にその身を投じるということなのか。
僕が此処で壊れて行くのは闘うことに疲れて無様に逃げ出していることと同じじゃないか!!
僕は痛む体をゆっくりと立たせて未だに僕を嗤っている兎を見据える。兎も僕の眼を見て嘲笑を止めて鋭い目つきになる。

 「このまま………彼女と共に歩む道を選ぶのですね?」
 「ああ。」
 「不毛なことであると知りつつも貴方はわざわざ傷付けあう世界を望むのですね?」
 「それは違う、僕は…闘うんだ。雪華綺晶のためにも、何よりも自分のためにも。だからもう彼女の『死』なんて望まない。
  死なせて終わらせて…僕の中で綺麗な永遠の存在にさせるつもりなんてない!ただ、一緒に生きるんだ…。
  夢は………決して終わらせない。たとえお前が僕の半身であったとしてもだ!!」

薔薇水晶が望んでくれた。僕がこれから生きることを、彼女と生きる道を。過去にも現在にも未来にも居場所がないのは当たり前だ、僕が作らなかったのだから。
誰しも最初から過去にも現在にも未来にも居場所なんてものはない、其処に居たいと望んだその時、居場所が見つかると知ったから。
僕の半身のお前なら………もう分かったよね?

 「いいでしょう…精々堕落の女神と生き、そして果てると良いでしょう。それではご機嫌よう………。」

まるで幕が閉じたかのように暗澹としたその世界には僕も兎もいなくなりそして暗い深淵の闇の奥底から一つの光が生まれた。
その光の中から声がする。夢の終わりを告げる魔の声が、しかしそれは薔薇水晶のような甘い優しい声ではなくあの恐怖を刻み付ける暗く響く声だった。
僕はその光が眩しすぎるので目を逸らしてしまう。そして体もなくて逃げれないはずなのに何故か僕は走った。
走って奔って辿り着いた場所はあの事件の場所だった。一人、赤く染まったモノに縋って泣いている僕が其処にいた。
ああ、そうか…僕はあの頃から此処に縛られて何処にも行けなかったんだな。僕は泣いている僕の手を取る。
泣いていた僕は戸惑いの表情をしたが僕は笑いかけた。大丈夫、僕はもう大丈夫だから君はもう泣かないで―――



目が覚めるともう昼に近い時間だった。僕は時計を見て青褪める。既に雪華綺晶と約束した時間を大幅にオーバーしているからだ。
着替えて顔を洗った僕はすっ飛ぶように家を飛び出して待ち合わせの商店街へと向かう。其処に白い君は少々むくれ顔で待っていてくれた。

 「もう、遅いですわよ。」
 「ゴメン…悪い夢を見ててさ…。」
 「悪い夢…ですか?」

僕は先刻見ていた夢のことを正直に全て彼女に言った。僕が彼女の死を望んでしまっていたことなども包み隠さずに。
彼女は穏やかに黙って聞いていてくれていた。笑うこともなく不愉快に感じた顔をすることもなくただ静かに…。
そして話終えた僕は雪華綺晶に言う。

 「雪華綺晶…こんな僕だけどもしもお前がいいって言うんだったら…付き合ってくれないか?」
 「そうですわね………初めて口説いたあの言葉をもう一度言って下さるならいいですわよ?」
 「じゃあ…言うぞ。もう、失いたくない。だからこれからずっとお前のこと守ってやる。」

僕は顔を真っ赤にしてこんな恥ずかしい台詞を言う。正直言ってあの夢の内容を話したときでも恥ずかしかった。
けれども僕は心を込めて言った。今、此処に僕の居場所が出来上がった…。
断られてもいい、僕は今、僕の中に巣食う薔薇水晶の姿をした呪縛から解き放たれ素直な目で彼女を見れる。

 「絶対ですか?」
 「絶対だ。」
 「何があっても私の傍に居てくれると誓ってくれますか?」
 「ああ、誓うさ。」

暫しの間、沈黙が流れた。………やっぱり駄目なのだろうか?

 「じゃあ、お願いしますわね。」

不意に僕の頬に軽くキスをした雪華綺晶は悪戯っぽく笑う。無垢なその微笑はやはり何時見ても美しい。

 「ジュン…」

僕の手を取り歩き出した雪華綺晶は一度こちらを振り返りまた微笑んで言う。

 「夢は終わりませんわ。」



とある病院の病室で彼は眠っていた。もう眠ってから1年は経っている。

 「ああ、貴女今日も来ていたのね。」
 「うん………だって目が覚めたときに一人だったらきっと不安だろうから。」

もうずっと目覚めない彼をずっと虚ろな目で見続けていた。よく見ると目が赤く腫れているのでさっきまで泣いていたのだろう。
看護士はその場を後にして同僚と話し込む。目覚めるとわからないその人をずっと待っている少女は再び語りかける。

 「お願い、目を覚まして…私のためにも、お兄ちゃんのためにも生きて………。」

 「気の毒な話よねぇ…お兄さんと競争中にトラックにお兄さんが轢かれてずっと意識が不明だなんて。」
 「ええ、あの子…学校が終わってから毎日此処に来てお兄さんに語りかけているらしいわよ?」

左目に眼帯をした青紫色の長く美しい髪を持つ少女の目にはまた、涙が溜まっていた。



夢と現…どっちがどっちなのかそれを判断できる要素は本当にあるのだろうか?悪夢から覚めたその世界が現とは限らない。
けれども少年にとってはどうでもいいことだった。叶わぬ理想がある現よりも叶える理想がある夢の方が大事だった。
少年は果てる、己が創り出した妄想(ゆめ)の世界で堕落の女神と。
そして堕落の女神は穢れなき微笑を浮かべ言う

 『夢は終わらない、終わらせない―――』

甘く、優しい声―――

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