この世で最初に愛したたった一人だけの大切な妹。
本当にそれだけですか?
失くしたものは………自分の存在理由、アイツが僕の横で笑ってくれない。それだけでこの世界に意味などはない。
僕はただの壊れてしまった人形(ギニョル)…あの日、僕も一緒に死んだ。
それは夏のある日、僕は高校2年生の頃だった。僕には薔薇水晶という妹がいた。片目を病気で失明してしまいそれから僕は妹である彼女をあらゆる災厄から守ると誓った。
そんな妹も健康に育ち片目を失明していることを除けば普通の女の子と一緒でこのままでいればこの先もずっと生きるはずだった。
あの時、僕があんなことをしなければ………。
薔薇「お兄ちゃん…待ってよー!」
僕と薔薇水晶は自転車で買い物に行く途中だった。その時に僕は競争を提案し彼女を置いてスイスイと先を走る。
僕の前方を車の渋滞が遮っていたのだがかなりの渋滞で車も動かなかったために僕はバスの陰を通り過ぎて道路を横断する。
向こう側の道路は渋滞しておらず普通に空いていたのでこれも何の問題はなかった。しかし、薔薇水晶が僕を追ってバスの陰から飛び出して来たときにその反対側の道路から結構なスピードを出したトラックが迫っていた。
僕は叫んだ。危ない、と。けれども彼女は止まらなくて、トラックも止まらなくて………次の瞬間には僕の最愛の妹は宙を舞いその辺の路傍へ吐き捨てられていた。
その時、確かに僕の時は止まり、僕も共に死んだ…。
あれから数ヶ月が経つ、夏には生い茂っていた緑の葉もすっかりと紅葉しあるいは落葉していた。それが何だか世界が死んだ薔薇水晶とあの日の悲しみと悔しさを引きずった僕を取り残して明日へと塗り潰すようで不愉快だった。
いつしか気付けば僕は世界そのものに憎悪を抱いていたのだ。あれから僕は笑っていない。上辺だけの冷たい笑みを浮かべることはあってもそれはただの仮面でしかない。
その仮面の下では僕の大切な妹が死んだというのに何も感じないで楽しく過ごしている奴等への憎しみでいっぱいだったのだ。
外出することも珍しくなったぐらいで学校へ行くときと偶に親に買い物を頼まれる以外で外へ出ることはない。
今日は買い物の途中だった。近道をしようと少し人通りの少ない川沿いのコンクリートの壁のある小道を走る。もともと、あの事件から僕は人を避けるようになっていたというのもあるのだが。
けれどもそれがいけなかった、前方には明らかにガラの悪い男達が屯っており誰かを囲んでいるようだった。
巻き込まれないように僕はそれを見ないようにしていた。恐らくは恐喝か何かだろうと思っていた。
しかしその横を通り過ぎる途中で有り得ないものを僕は見てしまった。其処にいるのは妹の薔薇水晶だった。
どうして妹の薔薇水晶が此処にいるんだ!?混乱した思考の中で僕は自転車を止めてその集団へと歩き出す。
「なぁ、ちょっとぐらいいいじゃん。一緒に飲みに行こうぜぇ?」
「あの…困りますわ。私これでも未成年ですからお酒も飲めませんし法律でも………」
「大丈夫だってぇ、こう見えても俺達ってば紳士だから優しくしてやるって。」
「紳士だったらこんなところで女の子を脅かしているなよ!」
薔薇水晶の肩を掴んでいた奴の手を叩いて突き飛ばして僕は思わず大声を出す。どう考えてもこのままだとボコボコにされるのは目に見えているのに助けずにはいられなかった。
「んだよテメェ!!」
男が殴りかかって来る。僕はそれを避けようとしたが後ろから別の男が僕を羽交い絞めにして避けることを許さなかった。
(痛い………)
最初の一撃の当たり所が悪かったのか僕の頭の中は揺れており視界も定まらなかった。けれども体へと刻まれる痛みだけは確かに感じる。
(痛い…)
腹部に鋭い一撃が入った。男が僕の腹部を蹴ったのだろう。男達の嘲笑が聞こえ、女の子の悲鳴が聞こえる。
(悲鳴………)
あの子の悲鳴が、大切な妹の悲鳴が………薔薇水晶の悲鳴が聞こえる。
(痛い……けど、守るんだ………もう、薔薇水晶を…)
一通り僕を殴り倒した男達がまた薔薇水晶に絡んでいるところが見える。もう、大切な人を………
「失いたくなんて…ないんだぁ!!」
頭から血を流している僕は猛然と男の一人へと突進する。突然の予期せぬ反撃に男の体制は崩れ、コンクリートの壁に頭を打ち付けて気絶していた。
まぐれ当たりだったのだがそれがちょうとコイツ等のリーダー格だったらしく一番強い奴を失った雑兵はのびている大将を連れて退散していた。
散々殴られたせいで僕の体も限界を感じており再び視界が定まらなくなっていた。意識が段々と暗渠へと落ちて行く…。
「あ、あの………」
恐る恐る彼女が僕に話しかけて来る。僕は何かを言ったのだがそれは覚えておらず僕の意識は暗澹とした。
次に目が覚めるとき、其処に大切な人の笑顔があることを信じて………。
気が付けば其処は白い世界だった。壁も天井も白色で周りをよくみると其処は病院だった。雑然とした記憶を整理するとチンピラに殴られていたことを思い出す。そして大切なことを思い出した。
「薔薇水晶!?」
起き上がると同時に鈍い痛みが体を襲う。まだ殴られたところが痛い…。起き上がると彼女と母親が横にいた。
「薔薇水晶…よかった…。大丈夫だったか?」
「あ、あの………」
「もう心配ないからな。変な奴等は兄ちゃんが追い払ってやったから…。」
そう言うと彼女は暗い顔をして俯いてしまった。それから母さんが申し訳なさそうに言う。
「ジュン…その子は薔薇水晶じゃないわ。」
「え………じゃあ…君は…」
「ごめんなさい…私は雪華綺晶と言います。残念ながら貴方の妹さんとは全くの別人ということになりますわね…。」
また僕を痛みが襲う。この痛みは殴られた痛みではなく、埋められた心の隙間を再び抉られたような更なる苦痛…。僕の中で芽生えた希望は再び踏み躙られた。
「そんな………だってこんなにそっくりだなんて………目だって…」
「よく見なさいジュン、薔薇水晶は左目だけどこの子は右目…なのよ。」
「あ………」
よく見れば顔や髪型、体型はそっくりだったのだがところどころが違っていた。雪華綺晶と名乗った彼女の純白の髪は青紫色の髪、左目の眼帯は右目にされているべきだった。
「あの…ありがとうございます。危ないところを助けて頂いて…よろしければ何かお礼を…」
「帰ってくれ。」
「あ、えっと………」
「帰れ!僕の薔薇水晶じゃないなら…アンタなんていらない!!」
「ジュン!なんてことを言うのアンタは!!ごめんなさいね、雪華綺晶さん…」
「いいえ、いいんです………あの、もしよろしければ此処に住所と電話番号を書いてくれませんか?お礼を送りたいですし…。」
母さんが雪華綺晶の手帳に住所と電話番号を書き終えると彼女はまたお礼を言って出て行ってしまった。
それから僕は母さんからこっぴどく怒られたのだがそんなことはどうでもいい。僕の胸には再び抉られた傷から胸焼けのするような苦いものが溢れていた。
翌日、学校へ行く。虚無をかかえた僕の足取りは重く教室へ着いてからぐったりと机に突っ伏して自分だけの世界に耽っていた。
朝に楽しげに登校して来る奴、笑い合いながら喋りあっている奴を見るとどうしても許せない。どうしてこんなどうでもいい奴等が生きていて薔薇水晶は僕の隣に居ないんだ?
暫くして担任の梅岡が教室に入って来て朝のホームルームを始める。
其処で僕は度肝を抜かれた、其処にいるのは…
「今日から皆と同じクラスになる雪華綺晶さんだ。皆仲良くしろよー。」
男子生徒からの喝采という名の歓迎が彼女に降り注ぐ。その中で彼女と目が合ってしまい思わずお互いに逸らしてしまう。
次に男子生徒の関心は彼女が何処に座るかに向けられていた。空いてもいないのにスペースを作ろうと自分の机を移動させる往生際の悪い奴までいた。
「そうだな…席は桜田の隣が空いているな?じゃあ其処に座ってくれ。」
「はぁ?マジかよ先生!?桜田みたいな根暗の隣にしたら雪華綺晶ちゃんも可哀想じゃんかよぉー。」
僕だってこんな薔薇水晶の姿をした別人と隣になんてなりたくもない。譲れるものならお前にだって譲ってやるよ。
「いえ、私は構いませんわ。よろしくお願いしますわね。桜田君。」
「………ああ。」
出来るだけ無愛想に僕は答える。それが不満だったようで男子達から睨まれたのだがそんなことはどうでもいい。
こうして僕の過去への決別の物語は始まった…。