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「てっ……転院――――っ?!」


私の告白を聞いて、彼女は素っ頓狂な声を上げた。言うなれば、青天の霹靂。
忙しなく動く琥珀色の瞳が、彼女の動揺を如実に表している。

「めぐちゃん。それ……いつもの悪い冗談じゃあ……ないよね?」
「うん、本当のコトよ。私、明後日には別の病院に移ることになったの」
「どうして、そんな急に……。
 まさか、そのぉ…………厄介払いされた、とか?」

僅かに俯き、胸の前で掌を組んだ彼女は、上目遣いに、私の様子を窺った。
おどおどした仕種が、まるで小動物みたいで、とても可愛いと思う。
だから、私は――

「はんっ、馬っ鹿みたい! そんなワケないでしょっ!」

彼女の困る顔が見たくて、つい、底意地の悪い言葉をぶつけてしまう。
そして、彼女はいつも、私の思惑通りにビクリと身体を震わせてくれた。

何故、こうもビクついているのかしら? 
そもそも、どうして……いつまでも、私のお見舞いに来てくれるの?
他の人たちは、こんな私を腫れ物に触るかの如く扱い、遠ざかって行くのに。

世話好きなのかな。でも、正直、子供扱いされてるみたいで鬱陶しい。
とは思いながらも、心の何処かで、ずっと一緒に……居て欲しいと願っている。
つくづく、ひねくれた性格してるなぁ、私って。

「ねえ……薔薇水晶」

私は医療用ベッドに寝転がったまま、窓の外に広がる夕焼けに黄昏つつ、彼女に話しかけた。
窓際の椅子に腰を降ろしていた彼女は、私の声を耳にして、更に身を強張らせた。
次に、どんな罵声を浴びせられるか、怖れ戦いているのかしら。
そんな彼女の様子を見て、思わず、私は頬を緩ませていた。

「明日は晴れるのかな? 天気予報とか、知ってる?」

他愛ない問いかけに、彼女は緊張しきって、引き攣りそうな表情を和らげた。
重い雰囲気によって胸に押し込められていた息を、はぅ……と、長く吐き出してから、
徐に語り始める。

「んっとね……明日は、雨の予報だったよ」
「そうなんだ? あ~ぁ、しとしとジメジメして、気分が悪いわね」
「梅雨だもん、仕方ないよ。雨降りの日も、私はお見舞いに来るから、心配しないで」

彼女は、そう言って、にこやかに笑う。
ささくれ立って荒んだ私の心を、しっとりと包み込んで、角を丸めてくれる笑顔。
左目を眼帯で隠しているから、ちょっと強面だけど、私は彼女の笑顔が大好きだった。

思えば、彼女に出会った時から、ずっと――私は、いつでも微笑みを求め続けてきた。
渇ききった感情を潤して、傷付いた心を癒してくれる、天使の様な微笑みを。
あの時――
春の陽気に誘われて、この病院に隣接する、崩れかけた礼拝堂を訪れていなかったら、
決して得られなかった笑顔。人の縁って、つくづく不思議なものね。

(あれから、もう1年と3ヶ月かぁ)


何気なく立ち寄った、廃墟同然の礼拝堂内で、私は薔薇水晶に出会った。
ステンドグラスを透過してきた色とりどりの光彩を全身に纏って、
十字架の前に佇んでいた薔薇水晶の姿は、本当に神々しかった。

「……天……使?」

彼女に翼は無かったけれど、私は無意識の内に、そんな戯言を呟いていた。
私の声を聞き付けて、薔薇水晶は即座に振り返ったっけ。
あの時の、驚愕に満ちた彼女の表情は、今も瞼の裏に焼き付いている。

それから数日後に、私は原因不明の病気に倒れてしまったのよね。
まさか、この病院に長期入院することになるなんて、思ってもみなかった。
日に日に悪化する病状……いつ起きるとも知れない発作に、戦々恐々とする毎日。
これからも、ずっと苦しい思いをするくらいなら、いっそ死んでしまいたい。
張り詰めた糸を、ぷっつりと断ち切るように――


いつしか、とっぷりと日が暮れて、窓の外は夜闇に占められようとしていた。
もう、お別れの時間なのね。薔薇水晶は、通学用の鞄を掴んで、立ち上がった。

「それじゃあ、めぐちゃん。私、もう帰るね」
「……うん。また……来てくれる?」
「モチロンっ! さっきも言ったでしょ。雨が降っても、きっと来るよ」
「ありがと、薔薇水晶。明後日までなら、私は此処に居るから、必ず来てよね」
「うん。約束。なんだったら、お土産を持ってきてあげる。何か欲しい物、ある?」

薔薇水晶は隻眼を細めて、人懐っこい笑み浮かべながら、私に問い掛けてきた。
お土産、何が欲しいって言われても……咄嗟には、思い付かない。
強いて挙げるなら、薔薇水晶の笑顔かなぁ。
彼女の微笑みを、私だけのモノにしたい。それが私の、偽らざる本音。

でも、そんなコト言えない。気持ち悪い娘だなんて、思われたくない。
薔薇水晶にだけは、嫌われたくなかった。何があっても、絶対に――




翌日は、天気予報が大当たり。夜明け前から、しとしとと雨が降り続いていた。
鬱陶しい雨。梅雨なんて、さっさと明けてしまえばいいのに。

そぼ降る雨の中、薔薇水晶は普段どおり、下校途中に病室を訪れてくれた。
彼女にだって都合や用事が有るだろうに――私が入院してから、一日とて欠かさない。
今やすっかり、見舞いに来るのが、日常生活の一部になっていた。

「めぐちゃん。昨日の約束……お土産、持って来たよ」

言って、薔薇水晶が差し出したのは、真っ青な紫陽花の小枝だった。
蛍光灯の光に、キラキラと輝く雫を纏った、梅雨の紫陽花。
かぐや姫が、持って来た者を夫にすると条件を出した『蓬莱の玉の枝』って、
こんな感じなのかな? なんて、思ってみたりする。

薔薇水晶は、紫陽花に見惚れている私に、いつもの屈託ない笑顔で訊ねてきた。

「めぐちゃんって、花言葉には詳しい?」
「あんまり詳しくないわ。そう言う薔薇水晶は、どうなの?」
「ちょっとだけなら知ってるよ? 例えば、紫陽花の花言葉は乙女の真心……とか」
「それ……間違ってる。紫陽花は『移り気・高慢・無情』って意味だったハズよ」

他にも、幾つか意味があった気がするけど、忘れちゃったわ。
大して興味なかったし、花に想いを託すなんて消極的な恋なら、しようとも思わないから。
私は、枕元の花瓶に紫陽花の枝を放り込んで、薔薇水晶にお礼を言った。

「取り敢えず、ありがと。でもね、ホント言うと、食べ物の方が嬉しかったなぁ」

だって、花は醜く萎れて、枯れていく様を見なければならないから。
その点、食べ物だったら、その場で食べてしまえるじゃない?
私の勝手な言い分を受けて、薔薇水晶の表情が翳った。

「……ご、ごめん。めぐちゃんて、花より団子? 知らなかったぁ」
「あのねぇ、食い意地張ってるみたいな言い方しないでよ。誤解されるわ」
「だいじょぶ。把握したから」
「本当にぃ~?」
「明日のお土産は、紫陽花とカタツムリにするね。
 れっつ、生えすかるご躍り食い…………って、あれ? めぐちゃん?」
「……ごめん。なんか猛烈に頭が痛くなってきたわ。今日は、もう帰ってよ」

額に手を当てて、大きな溜息を吐くと、薔薇水晶は忽ち、目に涙を浮かべて謝りだした。
時々、この娘の思考が解らなくなるのよね。
そこが魅力と言えば、まあ……可愛いんだけどさ――

「そんなに謝らなくても良いわよ、薔薇水晶。本気で怒ってやしないから」
「…………ホント?」
「私が本気で怒ったら、とっくに花瓶を投げ付けてるわよ」

我ながら、物騒な事を言ったものだと感心しつつ、上目遣いの薔薇水晶に笑顔を向けた。
私の微笑みを見て、彼女の肩から、すぅ……っと力が抜けていくのが解った。

しかし、薔薇水晶の照れ笑いは、俄に曇ってしまった。
今度は一体、何だというのかしらん?
私は、彼女が話を切り出すまで、辛抱強く待ち続けていた。

「……あのね、めぐちゃん。ちょっと言い難いんだけど――」
「? なぁに? そこで言い淀まれると、却って気になっちゃうわ」

私が軽い調子で続きを促した事で力を得たのか、薔薇水晶は決然と言い放った。

「私……心配だったから、めぐちゃんの転院先を、インターネットで調べてみたの。
 そしたら、なんて出たと思う?」
「私を蝕んでる病気の治療に関する、世界的権威の医者の紹介が出たんでしょ?」
「確かに、それも検索リストの中に入ってたよ。
 でもね、圧倒的に……心霊スポットとしての知名度の方が高かったの」
「し、心霊スポットぉ?」
「幽霊を見た患者さんは、枯れ枝みたいに窶れて死んじゃうんだってよ?」

馬鹿馬鹿しい。心から、そう思った。
いわゆる、病院にまつわる怪談話の殆どが、信憑性に乏しいガセネタだ。
実際、一年以上も入院しているのに、私は幽霊らしきモノなんか一度として目にしていない。
病院と死は、切っても切れない関係だから、こういう噂が独り歩きするのよね。
単に偶然が重なっただけで、呪いだ災いだと騒ぎ出すなんて、実に愚かしいわ。

「ふぅん? 胡散臭いわね。まあ、出ようが出まいが、どうでもいいわ。
 この病院に居たって、私の病気の完治は、儚い願いだもの。
 仮に、幽霊の噂が本当だったとしても、私は転院するわよ」

薔薇水晶と別れるのは辛い。
だけど、少しでも治る可能性が残されているなら、それに賭けたかった。
私だって、本当は死にたくないもの。これでも、明日を夢見る年頃なんだから。

「めぐちゃんが転院しちゃったら、暫くは、会えなくなっちゃうね」
「辛気くさい顔しないでよ。私、そういう顔を見ると虫酸が走るの」

伏し目がちに、ぽつりと呟いた薔薇水晶に、私は素っ気なく応じた。
それが、私に出来る、精一杯の強がりだった。




更に一夜開けて、いよいよ私の転院の日。

――――今日も、雨。


私は暗い空を見上げて、憂鬱な吐息を、虚空に解き放った。
よりによって、転院の日が雨天だなんて、涙雨っぽくて嫌な気分だわ。

「こういう時こそ、あの娘の明るい笑顔が見たかったなぁ」

微笑む薔薇水晶を思い浮かべながら、ふと、我が侭を言ってみる。
今日は平日。彼女は今、学校で授業を受けている筈だ。
私なんかの為に、学校を休む訳がない。
そもそも、湿っぽい門出を嫌って、彼女に出発時間を教えなかったのは、私なのに。

またひとつ、溜息。

こんな想いをするのも、私が誰より1番、寂しがりだから。
本当は、独りにされるのが恐ろしい。孤独が怖くて仕方ないから、構ってもらいたくて、
無理難題を言ったり、拗ねて見せたり、駄々を捏ねてみたり……。
結果、みんなが遠ざかっていくと承知していながら、素直になれなかった。

「せめて、別れの挨拶ぐらいは……」

昨日の内に、ちゃんとしておけば良かった。軽く、自己嫌悪。
今になって未練がましいと思うけれど、やっぱり、後ろ髪を引かれてしまう。
私は枕元の花瓶に目を止めて、紫陽花の枝に、細長く折り畳んだ手紙を結んだ。

(薔薇水晶に届けたい、この思い――)



一時間後、私は付き添いの看護士、佐原さんと共に、救急車で転院先に向かった。
途中、発作が起きやしないかヒヤヒヤしていたけど、幸いにも無事だったわ。

車窓から眺める空模様は、いつしか明るさを取り戻していた。
雲の切れ間から射し込んでくる陽光は、強い。日一日と、季節は夏へ……移ろっていくのね。
今年の夏は、私――海に行けるのかなぁ。
どうせなら、グレートバリアリーフとか、小笠原諸島とか、綺麗な海に行きたいわね。


 ~♪~~♪
July comes agein Oh・・・It's my happy seasons
 (また、七月が来るんだね 懐かしい季節が)
I had a sweet life with you That summer color lives in my memoly
 (君と過ごした甘い思い出と 夏の色をは忘れない)
Hey my girl Here we go!
 (恋人よ さあ行こうか!)
We go toward the other side of the blue sky
 (僕らが目指すのは 蒼い空の向こう側)
In the past・・・
 (かつて――)
It is said that lovers paradise was existed in the other side of the world
 (世界の果てに在ったという 恋人たちの楽園)
Let's go to the lost ground
 (失われた大地へ 旅立とうよ)
Together forever we are all alone
 (いつまでも一緒に 二人っきりで居たいから)
That's all right.We can find our way to a place
 (大丈夫。二人なら 辿り着けるさ)
To the appointed space・・・ ~♪
 (約束の場所へ――)


真夏の海に想いを馳せながら――
私は自然と、薔薇水晶に教えてもらった英語の歌を口ずさんでいた。
向かいに座っていた佐原さんも、珍妙な視線を、私に向けている。

「珍しいわね。めぐちゃんが英語で歌うなんて」
「そう? 私だって、毎度毎度『からたちの花』ばっかりは歌ってないわよ」
「あの子のお陰……なのかしら?」

佐原さんの言う『あの子』とは、薔薇水晶のこと。
病院関係者で、彼女の事を知らない者など居なかった。
そりゃあ、そうよね。毎日、私のお見舞いに来てくれてたんだもの。



小一時間ほど、車に揺られて、私は新たな入院先に到着した。
山裾に抱かれて、ひっそりと佇む建物を見るなり、私は思わず息を呑んだ。
歴史を感じさせる風格……と言えば聞こえは良いけど、
率直に言えば、潰れかけたオンボロ病院よ。窓という窓に、鉄格子が填め込まれている。
薄汚れて黄色がかった外壁には、蔦が不気味に絡み付いていたわ。

佐原さんの手を借りて、救急車を降りると、足元から立ち上ってくる熱気を感じた。
雨上がりで、強い日射しが戻ってきたから、水分が蒸発しているのね。
見れば、至る所で、かげろうのように靄が発生していた。

「こんな事をいうのは失礼だけど……なんだか、薄気味悪い雰囲気ねえ」
「同感。佐原さんと意見が合ったのは、初めてなんじゃない?」

軽く相槌を打ちながら、私は病院を見上げて、心の中で呟いていた。

(確かに、ナニか出そうだわ。もしかして、乙女のピンチ……かしらん?)


入院の事務的な手続きを済ませると、佐原さんは別れ際に私を気遣い、帰って行った。
私が案内された病室は二階の、北に面した個室。
窓の外は、すぐに鬱蒼とした山林になっていて、周囲に民家は無かった。
黄ばんだ蛍光灯の光は、部屋の隅々まで届いていない。昼間でも、夕刻のように薄暗い。
そのせいか、病室内に漂う空気まで、重苦しく感じられた。
入院患者も老人が大多数で、線香臭いと言うか、老人臭いと言うか、独特の臭いが鼻を突く。

ところが、病院の古臭さと打って変わって、看護婦さんは押しなべて若かった。
白衣の天使。或いは、麗しき乙女たち……か。
こんな、経験の浅そうな人達を使ってて、医療ミスとか起こさないでしょうね?
どうしても、そんな心配をしてしまった。



私は、独りきりのベッドで、時を浪費していた。
ついさっきまで、精密検査を行っていて、今は夕食の時間だ。
でも、病院食なんて、何処に行っても同じ味。一口で、もう沢山だった。

「どうして、私を個室にしたのかなぁ。たまたま、この部屋しか開いてなかったのか。
 それとも……時々、暴れるから、その配慮なのかしらね?」

理由はさておき、個室なら気兼ねがなくて良いわ。
ただ寝転がっているのも退屈なので、私は赤っ茶けた鉄格子の填った窓を開けてみた。
途端、吹き込んでくる、冷たい風。今は本当に6月なのかと、思わず疑いたくなる肌寒さだった。


――何かが――

風に舞って、私の視界に侵入してきた。何気なく伸ばした手に、ふわりと落ちる黒い羽。
うら寂しい山林の中で、げあぁ……げあぁ……と、カラスの啼く声がした。

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