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 雨の日が憂鬱の象徴になるのは、どうしてなのだろう。空気が何となく重いからか、それとも単に陽のひかりが当たらないからか。
 いつまで経っても晴れ間を見せること無い空が、零し続ける雨。僕は傘をさしつつも、ふとそんなことを考えながら歩いていた。
 とある場所。ちっとも流行っている感じのしない喫茶店へと。久しぶりに、本当に久しぶりに、僕は足を運ぶ。


【ある夢の中の、あるひとつの物語】


 今、とあるカフェにて。僕はひとり紅茶を飲んでいる。普段は自分で淹れた方が美味しいのだけれど、ここだけは別格だから。
 外は生憎の雨模様で。しとしとと降り続ける雨が、何処か陰鬱な雰囲気を助長させる。予想通りというか、このカフェにはやはり今
日も僕以外に客は居ない。
 ここの空間は、本当に静かだ。店内には、僕が昔ここでバイトしていたのと変わらないBGMが流れている。本当に、聴こえるか聴
こえないか位までボリュームが絞られた旋律が店内に響いていた。通常、カフェ・ミュージックと言えばボサノバやジャズが流れてい
るものなのかもしれないけれど……今流れているのは、――ガスター・デル・ソルの……レヴェッカ・シルヴェスタ。もう何度聴いた
かわからないので、この曲名まで覚えてしまった。時が経っていても、メロディーそのものというのはいつまでも耳に残り続けている
ものだ。

 古今東西探してみても、こんな曲がかかっているのはここぐらいだなあと思う。流石にアルバム単体で全ての曲をかけることは、相
変わらずしていないようだったけど。アコースティックギターの静かな音が店内を満たし、時折不穏な音を奏でるのだけど……それは、
ボリュームの低さがフォローしてくれていた。

「久しぶりですね、桜田君。一年ぶりですか?」
「そうですね。もう……その位、経ちますか」

 この店のマスターである白崎さんは、一年前と同じように飄々としていた。
 このひとはよく店を閉めて『休憩』をとりたがるから。タイミングを誤ると、店に入ることすらままならない。もっとも、そうい
う場合は。マスターが休んでいる公園に出向けば、無理矢理にでも店に引き戻すことが出来る。

「ここは相変わらずですよ。まったりやらせて頂いております」


 白崎さんはそうやって、他愛の無い会話を僕に投げかける。どうやら昼間はこうやって客とよく話をするらしいのだが、夜にここが
バーの顔になったときは……あまり自分からは語らないのだとか。何でも、それが白崎さん自身のポリシーらしい。
 ギターの音が響き続けている。外の降り続ける雨の音に混じって、余計静けさが際立つ空間の中で。白崎さんは、また口を開いた。

「水銀燈さんは、たまにここへ顔を出しますよ。まあ、もっぱら独り酒ですが。……未成年な筈なんですけどねぇ。妙にお酒に強いで
 すね、彼女は」
「そう……ですか」

 白崎さんはなんというか、妙なところで鋭いところがある。僕が今日ここへやってきた理由も、この分ならなんとなく察しているのかもしれない。

 水銀燈は、高校時代の……僕のひとつ年上の先輩で。以前は、恋人同士と呼べる間柄だった。そう、『以前』。丁度、一年程前までの話である。
 付き合おうと言い出したのは、彼女の方からで。僕がこのカフェでバイトをしていて、丁度彼女が客としてやってきたのが始めの出逢いだった。

 言うならば、『素敵な偶然』だったのだろう。僕らはそれから、お互いが同じ高校であることを認識しあって……学校でも、よく話すようになった。

 彼女と話をするという行為自体がごく自然なものだった。ただ、たったひとつの年の差をあまりに僕が意識していたせいか、僕の彼女に対する
言葉遣いは、もっぱら敬語。彼女は『気にしなくていい』と言ってくれたけど、結局直らなかった。
 ただ、そんな関係はあまりに居心地が良くて。彼女の方から告白されるまで……恋愛感情というものを、自分から意識出来なかった位に。
まあ、その辺りについては。僕があまりにも鈍すぎたのだと、たまに彼女につつかれる理由にされたりもしていたのけれど。

 今思い返してみると、彼女と過ごした日々は色々なことがあった。
 楽しかったこと。
 哀しかったこと。
 少しだけ、怒ったりしたこと。
 そして何よりも、彼女と居るときは。何よりも、喜びに溢れていたと思う。
 僕はそんな日々に埋もれながら、彼女の『気持ちを考えることを』……忘れてしまったのだろうか。
 丁度一年前、彼女の卒業の日が近づいていた頃。今思えば、彼女の表情には何か不安の色が混ざっていたような気もする。

「桜田君、紅茶のおかわりは如何ですか」
「ああ、……お願いします」

 白崎さんの申し出を、僕は素直に受け取る。考え事をしている最中、いつの間にかBGMは次の曲へと切り変わっていた。
 今、店の音楽がごく自然に移り変わっていたように。僕と彼女の関係も、まさしく自然に。何事もなく続いていくに違いないと信じていた。
 今だって、注意深く耳をすましていれば……ひとつの曲の終わりなんて、簡単に気付くことが出来る。勿論、そんなことを日常から意識
することなんて多分無い。だってそれは、特に自分にとって必要のないことだから。
 しかし、少なくとも一年前の僕には――そんな注意力が、必要だったのかもしれない。それが無かったから、僕は何も疑わなかったのだ。
 彼女の卒業式のあと。その日も普通に逢って、そして別れて……たとえ彼女が高校を去ってしまったとしても。特に何も変わらない日々が
続いていくのだろう、と。

『もう、別れましょう?』

 帰宅後、携帯に受信していたメール。告白の言葉が彼女のものだったならば、別れの切り出しも、また彼女からだった。

『私はもう、貴方の傍にいられないわぁ……ジュンって結構、モテるしねぇ。私も大学生になるんだし……お互い、新しい出逢いを探
 しましょう。多分、それがいいわぁ』

 なんて勝手な理屈なのだと、勢いこんで電話しようと思ったけど……僕は、結局それをすることが出来なかったのだ。文面上はそれ
らしい言葉だったけれど。もし、彼女の『気持ちそのもの』が。もう僕を離れていたのだとしたら――どうしようもないのかもしれな
いと、思ってしまったから。
 情けない、話。だけどそれが一年前の僕であって、それは消すことの出来ない事実。結局僕は電話を返すことも出来ず、そのメールも
返信出来ないままに……今に至る。

「お待たせ致しました」
「あ、ありがとうございます」

 白崎さんから紅茶を受け取り、カップに口をつける。……茶葉の香りが、少しだけ心を落ち着かせた。

「桜田君は……今、付き合っている彼女さんなどはいらっしゃるのですかね?」
「そんな。モテるって訳でもないですし……いる筈ないじゃないですか」

「そうですかね。まあ……君がそう言うのならば、ここは"そういう世界"なのでしょう」
「え、――どういう、意味ですか?」

 なんだか、よくわからないことを言い出す白崎さん。"そういう世界"、だって?

「桜田君、僕はよく思うんですよ。僕らが生きているこの世界は、本当に沢山ある――夢の中の、ひとつのようなものではないかと」
「夢……ですか」

「そう、夢です。それは僕達が、知らない領域。僕達の知らない所で、"僕達足り得る"、"僕達ではない誰か"が。似たような事実を紡
 いでいるかもしれないということです」
「どういうことですか」

「そうですね。今はっきり言えば――この世界で、君と水銀燈さんは、一年前に別れてしまった。だけど、別な世界では……ひょっと
 したら、君は別な人物と付き合っていたかもしれない。また、あるいは。水銀燈さんという人物に、出会うこともなかったのかも。
 今君が体験しているこの世界は、この世界だからこそ話が通じるものではないのでしょうかね」
「そんなパラレルな話をされても、納得出来ませんよ」

「まあ……戯言として聞いていただければいいですよ。これは単なる雑談じゃないですか、桜田君。言いたいことは……もしこれが、
 僕達の見ている"長い夢"なのだとしたら。出来るなら、それは幸せなものである方がいいでしょう?」
「まあ、そうですね」

「長い長い夢なんです、桜田君。どうせ見るなら、きっとモノクロの夢よりも――色付いた、鮮やかなものを見ていたいというのは、
 至極当然のこと。
 『物語』が溢れていると思うんですよ。僕達の、与り知らないところで、それこそ無数に。それはひょっとしたら、
 僕達が選べなかった未来なのではないのでしょうかね。勿論、それらが必ずしも幸せな結末であるとは限りませんよ? ――けれど。

 『あの日あの時、ああしていれば』。そんな仮定を言い出せば、それこそ僕達の未来なんて測りきれるものではないと……そんなことも、
 思うのです。それが、僕達が生きながら紡ぐ、『物語』の本質ではないでしょうかね。そんな『物語』は、いつしか思い出となって
 積もり行くのでしょう」
 「……」

 白崎さんの言に対し、最後の方はうまく言葉を返すことが出来ない。というか、このひとは僕が水銀燈と別れたことを知ってるんだな……
僕が言った訳ではないから、彼女から聞いたということなのだろうか?

「さて。じゃあ僕は、そろそろ休憩に入ろうと思いますので――桜田君には、少し働いて頂きましょうか。制服は奥のスタッフルームに、
 ちゃーんと洗濯したものを置いてありますから。店番お願いしますね。ご心配なく、給料は計算しときます」
「ちょっ! それはないんじゃないで」

「それじゃ、お願いしますね。ああ、あと――水銀燈さんは、『大学に入ってから、いい男が居ない』って嘆いてましたよ」

 僕の抗議の声を聞き届ける前に、白崎さんは店を出て行ってしまった。くそう……本当にやる気あるのか? あのひとは。
 とりもあえず、本当に用意されていた制服に着替えてから、店内にひとり。しょうがないと言えばしょうがないのだけれど……これ
はあんまりではないだろうか?

 客は相変わらずやってくる気配はないので、僕はさっき白崎さんが話していた言葉に思いを巡らせる。可能性、の話をすれば――そ
れは勿論、僕と彼女が別れない結末も、あったのかもしれないだろう。ただ、それを考慮しても。白崎さんの言葉をまた借りるならば、
少なくとも"僕が居るこの世界で"、僕と彼女は別れてしまった。もしあのまま付き合い続けていれば体験していたかもしれない『物語』
を、僕は知らない。

 そして僕は今――その埋められなかった空白の時間を埋めようとして、ここへやってきた。
 意気地の無い自分だから、また電話をすることは出来なかったんだ。
 一年というこの時間の中で、彼女が携帯を変えていないという保障も無かった。


『明日の午後、あのカフェで待っているから』

 勿論、携帯を変えるよりもメールアドレスを変えている可能性の方が高かったのだけれど。僕が昨夜送ったものは『送信先が不明です』
という塩梅で返ってくることがなかったので。多分、彼女のもとに送られているのではないかと期待している。

 無数の可能性の中、僕が今居る世界は既に決定してしまった。だけど僕は、それに抗いたいから――それこそ一年ぶりに、彼女にメール
した。

 更に曲は切り替わり、今度は――サム・クレコップのザ・カンパニーが流れ始める。少しだけ軽快になったリズムが響いているのだけれ
ど……これもやっぱり、何処の喫茶店に行っても流れていることはないだろう。

 独りだけで居るこの店の空間が、静けさを増していく。この静けさも、僕が見ている夢だとするならば――この夢は、どうすれば"色"
を持つことが出来るだろう?
 僕は彼女に別れを切り出されてから。それこそ、色の無い景色を体験し続けていたのだから。

 そうして、不意に。カラン、コロンと――ドアベルの音が響く。
 其処に現れた人物は、まさに僕の期待していたひとであって。

 僕はまず、何を言えばいいかと、少しだけ迷う。
 やっと受験が終わって、今はその合格発表を待っているのだということ。
 今までずっと、彼女の居ることがなかったのだということ。
 大学に合格したら、またこの店で働きたいと思っていること。
 そしてまだ――眼の前に居るひとが、好きだということ。

 ただ、今のこの状況を落ち着いた頭で考えてみると。実は結構、僕は直接電話をかけることなんかよりも。もっと大胆な選択をしてしまった
のではないかと、ちょっとだけ思った。そして、実際にお互い眼を合わせてみて――やはり僕は彼女のことを、あの一年前と同じ呼び方で
呼んでしまいたくなるのだ。
 僕が彼女を好きにならない世界、というものがあったのかもしれない。だけど僕は、そんな別な世界の住人ではないから。

「ジュン、――」

 少しだけ、驚いたような感じの表情を浮かべる彼女。
 僕が彼女と同じ大学を受けたんだと知ったら、どんな顔をするだろう?

 もし、あの時電話をしていたならば。きっと言っていただろう言葉を伝えたいと思いながらも――このカウンターに立ってしまうと、
やっぱり第一声は決まっているのだった。

「いらっしゃいませ。――お酒は作れませんけど、とっておきの紅茶は用意出来ますよ、先輩」

 僕らが付き合っていた頃に。僕が彼女を"先輩"と呼ぶと、

「"先輩"よりも、名前で呼んで貰ったほうが……嬉しいものよぉ? ジュン」

 随分気恥ずかしそうな顔で、訂正を求めてきたっけ。

「色々と――変わってませんね」
「ふふっ……貴方もねぇ」

 これから、色付いた『物語』が紡げれば――それは、素敵なことだ。それがいつか思い出になったとしても、
 初めから何も無いよりは、ずっといいに違いない。だからまずは、話をしよう。
 出来れば、これがあの時彼女が言っていた『新しい出逢い』になればいいなと、願いながら。

 他に客がやってくる気配のない店の中で、ふたり。
 いつの間にか、外の雨の音は聴こえなくなっていて――降り続ける雨も、たまにやむことがあるのだと。
 そんな単純で当たり前のことを思ったりしつつ、僕は紅茶を淹れる準備をする。

 ちょっとカフェには相応しくないBGMは。やはり気まぐれにその曲を変えながら、静かに響き続けている。
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