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「ふぅ……」


 思ったよりも、早く目覚めてしまった。まだ今は、陽が出始めて間もない時間らしい。
一番かどうかもわからない鶏の鳴き声が響いている。


 カーテンと窓を開け放って、外を覗き込んだ。流石にこの方角では朝日を確認すること
は出来なかったが、何となく空全体が白み始めているのはわかる。


 今日は期末考査の最終日。徹夜して勉強するということも無く、昨日は早々に眠ってし
まった。まあ、ネットサーフィンに興じることがなかっただけ良いのではないかと、勝手
に自分で思ったりする。


 これが終われば夏休みが近い。とは言っても、特に予定は無いわけだが。久しぶりに実
家に帰ってみてもいいかもしれないな……姉は元気にやっているだろうか? 両親は、相
変わらず海外の仕事から帰ってくることはないだろうけど。


 両親、というと……雛苺は、どうするのかな。彼女の両親は、僕らが中学の時に既に他
界している。……確か、交通事故だった筈で。それ以来、彼女は叔父と叔母の所に引き取
られて生活していた。随分いいひとだということは聞いていて、彼女自身もよく懐いてい
るらしい。


 引き取られた後の雛苺の引越し先は、そう遠くなかったから。遊びに行こうと思えば行
けたのだろうけど。流石に中学の時点でそれをするつもりにはなれなかった。
 結局、彼女の"新居"に僕は全く足を踏み入れていない。


「……!」


 ……駄目だ。この頃になって気付くようになってきたのだが、どうも昔のことを思い返
そうとすると胸が苦しくなる。これが単に気分の問題で済むなら大したことはないのだが、
僕の場合これから呼吸の統制がとれなくなってしまうから困る。


 先生によれば、この状態なら薬も飲んでほしいということだったのだが……それは何と
なく、遠慮しておいた。まあ、自分の中でちょっと抵抗があったのだ。


『桜田君の場合は、ちょっと特殊だからね。様子は見るけど、とりあえず"薬を飲む"こと
 自体に罪悪感みたいなものは全く必要ないよ』


 とは言われている。多分その通りだとは思うのだけれど……


 浅めに息を吸うようにして、気持ちを落ち着ける。
 二度寝も悪くないと思ったが、試験が一日中あるという訳でもないし、このまま起きて
いることにしよう。


 備え付けの小さい冷蔵庫から、牛乳を取り出した。……残り少ないな。シリアルにかけ
る分はとっておかないと。あとで売店で買っておこう。


 ここで教科書を開く気に全くならないというのは、いささか余裕にすぎるだろうかと。
そんなことをちょっと考えたりした。



――――――――



「やっと……終わった……」


 試験終了の合図とともに、とりもあえずは大きく伸びを。


「解答用紙を前の方に流してくれー」


 教師に言われずとも、後ろ側に座っている生徒は既にそれを実行に移している。科目は
政治経済だったが、いかに『覚えているか』が試される場合において、試験終了ぎりぎり
まで粘っているような生徒はこのクラスには居ない。問題が渡った瞬間に、即アウトプッ
トを始める。
 開始三十分も経たない内に解答欄はすべて埋まり(僕の場合はわからないものでも適当に
埋める)、残りの三十分はなんともいえない気だるい雰囲気に包まれていたのだった。


 これで期末考査の全日程を終了。あとは採点結果が返されて、適当に順位が発表されて、
……一応は、夏休みに突入することになっている。
 手ごたえは、いつものようにまあまあだ。恐らく可もなく不可もない。決して手を抜い
たつもりはないので、これで前回よりも大きく順位が下がったりしなければ、御の字だろ
う。


 ホームルームが終わって、果たして僕はすることがなくなってしまった。今日は午後の
授業はなく、部活がある連中はそれに向かう。僕は無論そういった活動に属していないの
ので、あとは寮に戻るくらいしか思いつかない。


 どうしたものかと考えているところで、雛苺が僕の席の方へやってくる。


「ジュン、今日はこれからどうするのー?」


「特に予定無し。多分このまま帰ると思うけど」


「お昼、用意してないでしょ? ヒナこれから美術室でご飯食べるから、一緒に食べよ?」


 ほら、という言葉と共に僕に差し出された弁当らしき包みは、ふたつ。試験期間ですら
こんなものを作る余裕があるとは、なかなか侮れないものがある。
 折角の好意なので、甘えておくことにしよう。どうせ今日は、学食で済まそうと思って
いたのだし。


「わかった。じゃあ、行くか。ありがとな、雛苺」


 言いながら、彼女の頭を軽くかいぐる。雛苺は少しくすぐったそうに、目を細めた。



――――



 美術室に入るなんて、どのくらいぶりだろうか。この学校では美術の授業がないから、
それこそ美術部員でもなければここへ来る用事なんてない。入った瞬間に、美術室独特
の画材らしき匂いが鼻をついた。


 様々な絵が飾られている。部員が描いたものだろうか。こっちは石膏のデッサン画、
こっちは……油絵だろうか? カンバスの表面がくすみがかった色で塗られ、けばだち
を見せている。


「はいジュン、これー」


「お、サンキュ」


 渡された包みを開く。ふむ、玉子焼きにたこの形があしらわれたウィンナー。その他こ
まごまとしたおかずとご飯が詰められている。見た目、至極まともだ。もし苺大福が全力
で詰められていたらどうしようかと思っていたが、どうやら杞憂のようである。……勿論
それは、彼女には言わない。 
 どれ、まずは一口。


「お……うまい」


 朝はシリアルしか食べておらず、空腹だったのも手伝ってか、箸が進む。雛苺が自分の
分を半分も食べ終わらないうちに、僕の弁当箱は空になってしまった。


「ごちそうさま」


「お粗末さまでした、なのー」


「でも……こんなん毎日作ってるのか? 今日はわざわざ僕の分まで。ほんとありがとな」


「一人分作るのも二人分作るのも、あんまり手間は変わらないのよー」


 弁当をつつきながら答える彼女。この分なら、将来いいお嫁さんになるんだろうな……


 そんなことを考えると、一抹の寂しさのようなものを感じなくもない。かつて僕が手を
引き、それについてきていた彼女。僕に妹は居ないけれど、もし居たとしたら……こんな
感じなのだろうか。


「ごちそうさまでした……さて、これから頑張らなくっちゃ」


 言いながら雛苺は腕まくりをして、壁のハンガーにかけてあったエプロンを身に着ける。
可愛らしい花のアップリケがあしらわれているところなんかが何とも彼女らしく、絵の具
を扱って汚れているような辺りが『美術部員』という雰囲気を殊更強調している。


「はい、これ」


「……なんだよ」


「ヒナが絵を描いてる間、ジュン暇でしょ? 折角だから、ジュンも何か描くといいの」


 手渡されたのは、一枚の画板と画用紙、そして4Bの鉛筆。


「そんなこと言ったって、僕は何も描くことなんかないぞ」


「何でもいいのよ。ちょっとした暇つぶしくらいにはなると思うから」


 既に自分用らしいカンバスと睨めっこしながら、彼女は言った。
 暇つぶし、ね。僕は風景画なんて描けないし、かといって眼の前の石膏をデッサンする
っていう柄でもない。描くと言ったら……やはり、服のデザインだろうか。


 適当に、手をつけてみる。この間、押入れにしまっていた古いスケッチブックのことを
思い出していた。今、これを描こうとすることに抵抗感はない。それは自分でも、とても
不思議なことだった。


 人形用の服のデザインばかりしていたから、どうしてもドレス調のものになってしまう。
今回は、人形ではなくて……ひとが着るならばどうだろう、ということを考えてみた。


「―――――」


 『ひとが着るための服のデザイン』だって? それを意識した瞬間に、また胸が何処か
締め付けられる感覚がする。
 僕は鉛筆を走らせ、そのデザインをかたちにしていった。ドレスのスカートは……、そ
う、こんな感じで。肩のラインは出した方が……透明感のあるレースをかけるようにしよ
うか。


 まるで、初めて描くとは思えないようにかたちは出来上がっていった。ただ、頭からか
ぶせるレースの透明感を上手く表現することが難しい。


 恐らく時間にして二十分も経っていないところで、一旦の区切りをつける。とりもあえ
ず椅子から立ち上がり、雛苺の絵を見てみようと思って覗き込んでみた。


「花……」


 カンバスには、一面の花が広がっていた。其処に、ひとりの少女らしき後姿が描かれて
いる。ただその右隣に、何も色が塗られていない空白がぽつんとあった。


「ここに何か追加で描き込むのか?」


「ん……描こうかどうか、迷ってるの。あとは、全体も本当は、何色にするかどうかも
 決まってないのよ」


 僕の言葉に、何だか力ない様子で返す彼女。言動から察するに、その空白を埋めるものは
もう決まっているということ。迷うといのは、何か構成上の問題なのだろうか。
 それにしても、素人目から見るときちんとした評価は出来ないものの。昔僕が見ていた彼
女の"お絵かき"とは、やはり違うということは確か。何処か幻想的な印象を抱かせる、この
世界ではない何処かの風景をモチーフにしていると言われても、素直に信じることが出来る。


 彼女の立っているすぐ脇の机に、スケッチブックが置いてあった。


「これ、デッサン用のやつか?」


「そうなの。模写も結構大事なのよー」


 僕はそのスケッチブックを手にとって、中身を見てみた。へえ、これは其処に置いてある
石膏で、こっちは……


「うお、これはすごいな」


 思わず眼に留まったもの。それは、ある不思議なかたちをした硝子容器のようなものを模
写したものだった。
 普段僕は、遠目からみたらどうかはわからないが……硝子の透明というものを、視覚的に
捉えることが出来ることを知っている。だが、その透明を、"透明"として描くことが、こう
まで出来るものなのだろうか。今眼の前にあるのはただの絵であるというのに、その透明感
を認識することが出来る。


 僕がそれを見ていると、不意に雛苺が口を開いた。


「透明なものも……そこにあるの。だから、見たままを描けばいいのよ」


「そんなものか? 確かに言われてみればそうだけど……」


「それが透明なら、必ず後ろが透き通るの。だけど、そこに"その透明がある限り"、背景は
 "何もない状態"で映っている筈はないでしょ?」


「まあ、そうだよな。屈折なり何なりするから」


「そう。歪んでいるなら、それをそのまま描けばいいの」


 言ってくれる。この辺りは、経験の差とでも言えばいいのだろうか?
 ま、透明感のあるレースを描こうとするのとはまた微妙に違うものかもしれないと。勝
手に自分の中で納得させておきながら、新たな質問を彼女に投げかける。


 
「雛苺の今描いてる絵のテーマみたいなもんはあるのか」


 だが、それに対する彼女の答えは、少しばかり意外なものだった。


「……わからないの」


「え?」


「ヒナも、わからないの。だけど、ずっと昔から描きたい描きたいと思ってる絵があって、
 ……その為に、ヒナは描き続けてるの。色々かたちにしてみても、どれもそれに届いて
 る感じがするし、どれも違うような気もするの……


 それは、何処か。遠い遠いところにある景色なのよ? とっても、とっても綺麗なの……


 この、描いてないところもね。本当にこれを埋めてしまってもいいのかわからない。
 描いたらきっと完成するけど、きっとまた、違う絵になっちゃう気がするの」


「……」


 彼女の言葉を、僕は黙って聞いた。彼女の求めている景色。それを僕は知らないから。
ただひとつわかることと言えば、『それ』を描く為に、彼女はずっと絵を描き続けて……
それこそ、自身が画家を目指すほど、真剣に。
 今僕の前で、絵と向き合う彼女は、僕の知っている彼女とは何処か違う。そんな感覚さ
えする。


 雛苺は筆を置いて、僕の描いたデッサンが置いてある椅子へ近づいていく。
 それを手にとって、しげしげと眺め始めた。


「ウェディングドレス?」


「ん? ああ……なんかデザイン的には、それに近いかもしれないな」


「ジュンは昔、やっぱりウェディングドレスを描いたことがあるのよ」


「えっ……?」


「けれど、ジュンはそれを語ることが出来ない。その物語は、終わってしまったから」


「もの、がたり……?」


「そう、物語。世界はね、様々な物語で出来上がっているものなのよ。物語は、その中に
 更なる物語を包み込んでいる。だからそれは無数にある」


 雛苺は、淡々と語る。真っ直ぐに、僕の眼を見据えて。そこから眼を、逸らすことが出
来ない。
 僕達ふたりしか居ない美術室の空気が、ぴぃんと張り詰められていくような気がする。
今、この部屋の空気を振るわせるのは、彼女の声だけだ。


 無意識の内に、僕は右手を自分の胸に添えていた。……さっき僕は彼女に対し、『僕の
知っている彼女とは何処か違う』という印象を漠然と抱いていた。だけどそれは、紛れも
なく雛苺という存在だった筈。それは、疑いようもなく。


 今僕に語りかける"彼女"は。それともまた、何処か異なる。……何処が、異なる? 


「無数にある物語は……儚く消える泡沫のようなものよ、ジュン。ひとつ現れたら、また
 ひとつ何処かで消えていく。そんなひとつが、もう見つからないのなら、


 ……貴方はは私を、"物語り切ることが出来ない"」


「……お前は、誰、だ?」


 その問いに彼女は答えず、更に続ける。


「本当は。終わってしまった物語を、語るべきではないのかも。
 貴方は、今新しい物語を紡いでいるのだから。そうね、前も言ったけど……貴方が、先
 生に何処かしら好意を抱いていることも、私にはわかる。


 だけど―――粉々になった物語のかけらも。集めれば、少なくとも―――そのかたちだ
 けは、捉えることが出来るのかしら? ―――」


 その、瞳。其処には僕が映っている筈なのだけれど、何処か遠い所を見つめていて。


「―――おいっ!?」


 そして彼女は、その場へ倒れてしまった。それに急いで駆け寄る。


「雛苺、大丈夫か!」


 背中に手を廻し、抱きかかえるかたちになる。


「うょ……」


「……雛苺……?」


「あ、ジュン……ヒナ、……」


 一筋の涙が、彼女の頬を伝っていた。雛苺は涙を拭きながら身を起こし、また自分のカ
ンバスへ向かう。


「ごめんね、ジュン……少し、ひとりになりたいの。……先に、帰っててくれる?」


「いや、でも……」


「本当に、ごめんなの」


 少しだけ、語気が強くなった。急に倒れる位だから、かなり心配なのだが……それに、
さっきの様子も。
 だけどここは、彼女の言に従うことにする。一度言い出したら聞かない性格であること
は僕も認識していて。今の場合は、それとはまた違う、何か意志のようなものを感じたか
らだった。


「……わかった。無理、するなよ」


「……」


 僕の言葉に、彼女は何も返さなかった。後ろめたさを感じながらも、僕は美術室を後に
する。
 胸が、苦しい。……そうだ、先生はまだ居るだろうか。


『貴方が、先生に何処かしら好意を抱いていることも―――』


 何を、馬鹿な。そう思いたいにもかかわらず、切って捨てることが出来ない自分が居る。


 それは、置いておくことにしよう。とりあえず、さっきあったことを相談したい。そう
いえば、雛苺も保健室によく行っているらしいじゃないか。


 それにしても。僕と雛苺の付き合いは、結構長い。彼女の様子から察するに、ひょっと
したら……これはただごとでは無いのかもしれない。少なくとも、彼女自身は何かを知っ
ていて、かつそれに悩んでいるのではないか。


 何が『妹のような存在』だ。そんなに身近な存在として意識しているなら、何故彼女の
異変に気付くことが出来なかった? 僕は、本当にどうしようもない馬鹿だ。


 『他人を大切に思うことが出来ない』―――と普段考えていて。だけどこれは、そうい
う問題では無い。
 今、また胸は苦しくなっているけれど。この位、瑣末なこと。


 先生なら、何か知っているかもしれない。……そんなことを考えながら、僕は保健室に
向かう足を早めた。



―――――――――



 扉は……開いた。先生が不在の時は鍵がかかっているから、どうやらまだ帰ってはいな
いらしい。


「あ、桜田君。試験お疲れ様。どうだった?」


「あらぁ、ジュンじゃなあい」


 ん……水銀燈が居るのか。となると、雛苺のことを相談するのは、今はやめておいた方
がいいだろうか……?


「試験はまあまあです、先生。水銀燈はどうだった?」


「私もいつも通りよぉ。中間の時のようにいくかどうかは、わからないけどねぇ」


 中間考査、か? ……其処で僕は、教室前の廊下に張り出されていた前の試験の結果に
思いを巡らせる。


「あ……そうだよ。お前、中間一位だったじゃないか」


 そう。別に上位層に興味はなかったのだが、トップの人物だけは何となく気になって見
ていたんだった。其処にあったのは、確か水銀燈の名前だ。『いつも通り』ということは、
それだけ自信があるということなのだろう。


「まぁ……テストの話はいいじゃなぁい。もう終わったんだしね。それよりもね、ジュン。
 夏休みに入ったら、街で花火大会があるでしょぉ? 今、めぐと一緒に行こうっていう
 話をしてたんだけど」


「花火大会、か。そういえば、そんなのもあったな」


「そう。良かったら、……ジュンも、行かない? 雛苺も誘って。たまには皆で遊ぶのも
 楽しいかなって思うんだけどぉ」


 何でか、気恥ずかしそうな様子で話す水銀燈。それに先生が言葉を続けた。


「車は私が出せるから。桜田君も、いい気分転換になるんじゃないかな」


「……」


 正直今、何処かへ遊びに行こうという気分ではなかった。……雛苺のこともあるし。
 だが、この場でこの誘いを無下に断るのも、何となく躊躇われる。そうだな、雛苺も誘
って良いというのなら――絵を描くことばかり根詰めているらしい彼女にとっても、良い
ことなのかもしれない。


「そうですね……まあ、たまには」


 僕のその言葉を聞くや否や、『やったぁ』と声を上げて、満面の笑顔を浮かべる水銀燈。
そんな様子を、苦笑気味な感じで先生が見ている。
 必要以上に明るい空気に包まれてしまっている保健室の中で、僕の胸の締め付けはいつ
の間にか収まっていた。


「今日は、……ちょっと、この辺で失礼します。また明日、来ます」


「うん。じゃあまたね、桜田君」


「ジュン、約束よぉ? 雛苺には、私から言っておくわぁ」


『あぁ』という返事を返しておいて、僕は保健室を出る。


 相談しようと思っていたことは出来なかったが……いや逆に、時間がかからなくて良か
ったと思うべきか。僕が美術室を出てから、三十分も経っていない。
 さっきは雛苺の雰囲気に圧されて引き下がったが、やはり心配だ。もう一度、あそこへ
戻ってみよう。



――――――



 流石にまだ寮に戻ってはいないだろうという僕の期待は、ものの見事に裏切られた。美
術室の扉は、堅く閉ざされている。


「……」


 あの後、早々に片付けをして、帰ってしまったということか。女子寮は男子禁制だった
筈なので、押しかける訳にもいかないし……
 水銀燈に、何か言付けをしておけば良かっただろうか。それを今になって考え付いて、
自らの手際の悪さに思わず舌打ちをする。


 僕は開かない扉を前に、暫くその場へ立ち尽くしていた。


 明日また、学校で逢ったときに。彼女は、何事もなかったように僕に接してくれるよう
な気がする。それは確信ではないけれど、何故かそう思えた。


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