目の前で大好きな人が血を流して倒れている。
一体何が起こったのか理解できない。どうして?どうして姉ちゃんが殺されなくちゃいけないんだ?
どうして僕はこんなにも無力なんだ…ッ!!
「あぁぁぁぁぁぁぁぁあああああああッ!!」
気が付けば僕は暴漢二人に襲い掛かっていた、しかし所詮は男と言っても子供の僕の力で大人二人の相手を満足に出来るはずもなかった。
男の拳が容赦なく僕の頭に浴びせられる。それでも僕は横になった状態でも男の足を蹴って男を転倒させる。
逆上した男はその辺にあったコンクリートブロックを頭上に持ち上げた。
「おいおい、子供相手に容赦ないな…」
冗談まじりのおどけた男の声がしたと思ったら頭の中で鈍い音がして生温かい血の感触が髪の毛を伝って顔に滴る。
一発だけでは済まず男は何度もコンクリートブロックを僕の頭に打ちつけ続けていた。そして僕の意識は遠のく。
もうすぐ姉ちゃんの許に逝けるかと思うと死ぬことなんて全然怖くはなかった。
頭の継続的な痛みだけがずっと残っていた。死んでも痛みというのはあるのだろうか?
しかし体中の感覚が何故か残っていたどうしてなのか全く分からず今気付いたのだが恐る恐る閉じていた目を開ける。
薄暗いレンガ造りのまるで牢獄のようなところだった。よく見てみると体中を拘束具で拘束されていた。
無駄だと分かっているが一応足掻いてみる。やはりガッチリと固定されておりどうやっても自力で脱出することは不可能に思えた。
もがいている内に鉄製の扉が開くと一人の男が入って来た。
「お、お前は誰だ。」
「我が名はローゼン、稀代の錬金術師にしてマエストロだ。」
「ろ、ローゼン…?どうして僕は…」
「生きているか、か?私が治したからだ。私の実験のためにな。」
ローゼンと名乗った男は自分のローブの懐から禍々しい赤い光を宿した珠を取り出す。僕はそれを本能のレベルで危険なものと察知した。
拘束されている僕に対して優位を示すかのようにローゼンはゆっくりと僕に近付いて来る。そして僕の心臓付近にそれを押し付けた。
珠から根のようなものが僕の体中に張り巡らされ体の中を貪られる激痛が襲う。やがて珠は僕の体の中に入り込んで何か探すかのように体の中を移動し続ける。
それが数時間続いた、そして珠は徐々に頭の方に近付いて来る。その様子をローゼンと名乗った男は興味深い表情で魅入っていた。
激痛にのた打ち回っているうちに珠は僕の右目の中に入る。右目がとても熱い………とても苦しい。
死んでいたはずなのに、姉ちゃんのところに逝けたはずなのに…どうして僕は此処にいるんだ?
僕は…もう人じゃなくなったのか…?
「ふむ…私のローザミスティカは完成したようだな。魔物に使えば魔物の力を増強し人に使えば人と魔物の狭間の新たな存在へとなる…か。」
ローゼンはぶつぶつと自分の研究成果に酔いしれている。僕はこの人を人とも思わない冷徹な男に対して激しい嫌悪と憎悪が生まれた。
そして僕は拘束具を外そうと再び足掻く、すると魔物の力を得たお陰かまるで紙のように簡単に破れた。
僕はそのままローゼンに襲い掛かる、油断していたローゼンは驚いた表情をしてそのまま首を圧し折られて確かに絶命していた。
痛みと傷みと悼みを胸に僕はローゼンの研究施設を出て行く。曇った空に昇った月は赤く何か災いが起こるかのようだった。
それから僕は魔物として『魔眼の大盗賊』の異名をとるようになり現在にいたる…。
「はぁー…はぁー…」
「へぇーそれが君の過去か…なかなか面白いものじゃないか。」
過去の見られたくない記憶を蒸し返され頭の中を覗かれたダメージのために僕は地面に倒れ臥している。
それを白崎という男が見下ろしていた。酷く冷たい顔で…。
「それでどんな気分だったかな?人から魔物へと落ちぶれる瞬間ってのはさ…」
「お前ぇぇぇぇええええええええ!!」
魔眼に力を込めて白崎の時間に干渉する。確かにその時は奴のスピードを殺いだはずだった。
しかしあの男はその時間に干渉する能力を無効化したかのようにさっきと変わらない速度で僕の右肩と左足の脛に鉛球を撃ち込む。
足をやられた僕はその場に蹲ってしまう。このままじゃあ殺られる。
「暴れないで欲しいなぁ…君が力を使ったら僕が止めるしかないじゃないか。」
「く………」
「ちょっと!何をしているの白崎!!」
不意に銃口を僕の眉間に突きつけていた白崎の名前を呼ぶ声がする。それは真紅の声だった。
発砲騒ぎを聞きつけて店から出て来たらしい。その青い瞳はキッと白崎の赤い瞳を睨みつけていた。
「やぁ、真紅…こうして顔を合わせるのは久し振りだね。」
「前口上はいいわ、いますぐジュンを放しなさい。」
「別にいいけれども…君にとってこの男は其処まで価値のある存在だとは思えないな。」
「黙りなさい、それは私が決めることであって貴方が決める権利なんてないのだわ。」
「全く、君には敵わないな……けれどもそれでこそ僕の愛しい人形だよ。」
とても愛おしいものを見るように白崎の瞳は狂ったように輝いていた。この表情に白崎の真紅へ対する異常な愛情が見え隠れしている。
やがて僕の眉間から銃口を放して白崎は歩き出す。
「どうも楽しかったよ盗賊さん、君とはまたゆっくりと話をしてみたいものだね。」
「誰が……話すことなんて何もない…ッ」
「嫌われたものだねぇ…それじゃあご機嫌ようお二人さん。」
僕の見間違いでなければ白崎の姿はまるで次元魔法でも使ったかのように歪んで消えてしまった。
残された僕は疲れ果てて眠ってしまった。意識を失う寸前に真紅が心配そうな顔で僕に駆け寄る姿が見えた気がした。
再び目を開けると其処にあったのはレンガ造りの牢屋ではなく木造のいつもの真紅の家だった。
傷みは全くないのだが頭が冴えない、恐らく記憶を覗かれたことに起因するのだろう。起きたくもないので僕は寝ているフリを続けることにした。
2時間ぐらい経った頃だろうか、真紅が部屋に入って来た。それでも僕は寝ているフリを続けたのだが真紅は独り言のように言った。
「ジュン、貴方がどんな過去を歩んだか、どんな存在でも構わない。貴方は貴方なのだから…。
自分を証明するのは生まれでも種族でも過去でもない、今生きている自分の行動、選択が自分を証明するものなのだわ。」
それだけを言って真紅は僕の傷口に触れることもなくそれを癒して部屋を出て行った。僕はただ一人で泣いていた。
初めてだった、姉ちゃん以外に此処まで自分のことを認めてくれる人は…。
そして傷だらけの休日は終わりを告げまた新しい日が昇る。
「ふーん、なるほどね。それで彼は魔物になっていたということか。」
「恐らく君が仕掛けたドライアドからローザミスティカを回収したのも彼だろうね。その後の消息までは掴めなかったけれどもさ。」
「いや、それは気にしないよ。もともと僕の依頼は彼の過去を調べて来て欲しいということだったからね。やっぱり君は凄腕の情報屋だよ、白崎。」
「光栄の極み…それではまたいずれ会うこともあるでしょう。それまで御機嫌よう。」
通信機を切って白崎の報告を聞いていた者は溜息をつく。
まさか自分以外にもローザミスティカの存在を知るものがいるとは予想もしていなかったことだったからだ。
ジュンの元は人間だったという話を聞いてもしかしたらとは思ったのだがまさか本当にローザミスティカから魔物になった存在だったとは…。
自分の計画と正体がバレる前に消さなければならない。そのためには並大抵の魔物では逆に倒されてしまうだろう。
その時ふと頭にとある石が思い浮かんだ。もしもあの妖怪の封印を解くことができ、ローザミスティカを植え付ければ…。
自分の思いついた策略に心酔してほくそ笑みその禍々しい宝珠を眺める。赤い血のような輝きを放ったそれはジュンの過去で見た赤い月のようだった。