※上記の広告は60日以上更新のないWIKIに表示されています。更新することで広告が下部へ移動します。

『その力を使うのは、僕が傍についているときだけにした方がいい』

  彼と組んで闘うようになってからすぐ、私が言われた言葉。一人で居るときは使わない、
またそれでなくても、みだりに回数を重ねて発揮するものではないと。
  多分彼は、私の力の本質を。彼と組む以前に私が能力を使っている様子を見たときから、
看破していたのかもしれない。
  その証拠に、と言うか。私と組もうと申し出てきたのは、彼の方からであった。
  それはまだ、私が……組織に所属して間もない頃の話。


「全く酷いなあ、白崎君は」

  私はそんな文句をぶつぶつ言いつつも。ある場所を目指して歩きながら、当時のことを
少しだけ思い出していた。

『めぐ、今回はちょっと昔の相方と行ってくるよ。少しだけ待っていて欲しい』

  待っていて、と言われてもなあ。多分彼には彼なりの考え方があって、その故の指示だっ
たのだろうけど。

「……ここかあ」

  眼の前にあるは、見事な薔薇が栽培されている通称『薔薇屋敷』。その門は、敷地に入る
ことを拒むかのように堅く閉ざされている。
  鉄の格子の隙間から、中を覗くことは出来る。何の変化も無く、そこには庭が佇んでいる
だけ。……あくまで普通のひとが、見ればである。

  私はその門に手をかざしてみた。途端に『パチッ』と、静電気が走ったかのような痛みが
指先に走る。

  結界。それも、相当強力な。まあ、ここに一般人が訪れることはまず無いのだろうし、中
の様子がわからないのもある種僥倖と言える。だが、もう大分結界に限界も来ているように
見受けられるし……これが破られてしまったら、大変なことになりそうだ。
  この中では、恐らく死闘が繰り広げられていて。私はそれに、戦闘要員として参加するこ
とが出来ない。

  多分今回は、既に私の代わりと成り得る護り手がいるのだろうと考える。私も組織でも結
構上位にくる程度の使い手にはなっているけど。後継者というものはこれから必要になるも
の。けど、白崎君の講義はあれで結構、手厳しいからなあ……大丈夫だろうか?

  兎に角。今日は仕事上滅多に無い休暇であることにかこつけ、長い坂を登りここまでやって
きたのだが……さて、どうしたものか。

  結界は張られているけど、中の空間は相当な圧力になっているようだし……虚ろな"世界"
の空気に塗り潰されると、それだけで闘うのは不利になる。
  それに、結界そのものも大分限界が近い様子。所々補強されてはいるものの、これが破ら
れてしまったらちょっと洒落にならない。

  今、道に他のひとが通りすがらないかどうかを確認。昔から独り言が多いと言われてたか
ら、こういうので電波電波言われるんだろうなあ……そんなつもりは無いのに。

  すぅ、と息を吸って。控えめに、"宣言"を始める。



『"白き天使"が宣言する―――――虚ろが空気に支配されし空間、そこに入り込む確かなる

  闘いの意志を……我は救わんとする。我が命の灯火、その端を以て……空間は、白き羽根の加護を受けん』

『――――――犠牲。"折れた翼"』



  屋敷全体に、天より降り注ぐ白い羽根。白崎君は、私が一人で居るときは……決して"折
れた翼"を使ってはいけない、と言った。この分じゃあ、怒られてしまうんだろうなあ。

「っ……」

  鼓動が早まり始める。流石に範囲が広すぎて、少しばかりきつい。
  奇跡を起こすには、それなりの代償が要る。私の場合はその代償がわかりやすく、それだけに
強力だった。何も原典が無いところから、神秘を実現させるということ。その為に差し出すのが、
私の場合は……自分の命の一部だった、それだけの話。
  ただ、ひたすらに。自己の犠牲を元に、他を助ける者。それが柿崎の家系。

  私は、天使などでは無い。だからそもそも、"天使"の名を語ることすら、自分にはおこが
ましいこと。
  だけど中に居る仲間だって、命懸けで闘っている。私が命を賭けないのは、少し道理に敵わ
ないではないか……!

  そんなことを考えながら、力を使い続けていると……


『……本当に、お馬鹿さぁん。どうして揃いも揃って、自分のことを省みないひとばっかり
  なのかしらぁ』


  ……何処からか、声が聴こえたのだ。


『でも、"だからこそ"なのかしらねぇ……いい人間に恵まれてるわね、ジュンも。
  貴女のその力……きっと無駄では無いわぁ。折角だから、手伝ってあげる』


  その声が聴こえてから、私の込める力の負担が軽くなった。……暖かい。まるで私自身も、
護られているかのように――

  屋敷全体が、光に包まれて。それが段々と収束していく。

「……大丈夫、かな。あとはこれで……」

  私はポケットから、布に包んだ枳殻(からたち)の枝を取り出す。今張られている結界の元
のイメージが茨だから、多分相性はいいだろう。
  それを思い切り、屋敷に向かって投げ込んだ。パァッ、と。少しだけ結界が光を放って、
少し静寂が訪れる。

  直後。茨の棘で包まれていた結界を覆うようにして、さらに太い枳殻の棘が、屋敷を包む。
  結界の、上塗り……これで暫くは保つだろう。
  近いイメージがあれば、そこから観念を展開した方がいい。その方が効率がいいし、何より
『意味付け』の具合によっては、相当強力なイメージを作り出すことが出来るから。
  そういうのは、現実の空間ならば"策士"の得意分野な筈。

  ゼロから何かを生みだすのは、相当大変な作業だけれど……私は不器用だから、"折れた翼"
のような手法をとってしまう他が無い場合がある。白崎君の場合はちょっと規格外で、私はそ
のお陰で彼と一緒に闘うときは……命を削る必要が無いのだろうと、薄々感じている。

  ふと、空から。ひらりと一枚、黒い羽根が落ちてきた。

「……」

  私はその羽根を拾い上げ、しげしげとそれを見つめる。黒い羽根は、不吉の象徴とされる
けれども――きっと悪い存在ではない筈と、不思議とそう思えた。


「――名前はわからないけど、……お礼を言うわね、天使さん」


  私は壁に寄りかかって、その場に腰を下ろした。……さあ、非常事態があればまたやるこ
とはあるし、暫くここで待っていることにしよう。

  もし、天使の加護が受けられたなら。中に居る彼等も――きっと無事で居られるに違いな
いだなんて……そんなことを考えながら。

  黒い羽根を、ポケットに大事にしまっておいた。





【ゆめまぼろし】第十一話 旋律(二)





「さて……これは大層な"異なるもの"ですね」

「……呼び出されてみたら、こういう用事な訳か。僕も暇ではないんだけどな、白崎」

「お前はすぐそういうことを言う。前に桜田君の"人形"を作ったときは、イメージを
  借りるだけで済ませておいただろう。今回位は働け。……それに結構、お前も乗り
  気だったろうに」

「……ちょっとした気まぐれだ」

  私の眼の前で、飄々と会話をする二人。すぐそこには大蛇のようなかたちを模した
虚像が控えているというのに、全く意に介している様子が無い。

「白崎さん……どうして、ここに」

「部下の危機に駆けつけるのは上司の役目ですよ、翠星石さん。指輪の観念が僕達を
  運ぶ"兎の穴"を通じさせるのを拒否していたので、少し遅れましたが」

  私は、白崎さんの力がただ『圧倒的』であるという噂を聞いているだけで、実際に
戦闘をしている姿を見た訳では無い。私の修行時代は、随分としごかれたものだが。
  ……それにしても……

「白崎さんのペアは、めぐさんだって聞いてたですが」

「彼女は今回は自宅待機してもらってますよ。護り手は、貴女が居るじゃないですか……
  それに昔は元々、僕は彼と組んで闘っていたのです。久しぶりに
  コンビ復活というところですかね? なあ、槐」

「――うだうだしてる暇は無さそうだぞ、白崎。そんなに話したいなら先に雑魚を
  片付けてからがいい」

  そういうと、槐さんは眼を瞑り。静かに精神を集中させ始める。



『"人形師"が宣言する……我が観念の作りし人形は……この虚ろなる空間に潜む、

  "異なるもの"どもを滅する意志を貫かん……その手にかかり、悉く滅べ』

『一つの究極に、近づきし人形。――――"八番目の少女"』



  そして。槐さんを庇うように現れた、一体の少女人形。……何処かで、見たことのあるよう
な形なのだが……

「薔薇……水晶……?」

「どうやら槐のお気に入りらしいですよ、イメージ的には。その辺に居る虚ろな観念ども
  なら、一溜まりもないでしょうねえ」

「……」

  "八番目の少女"が、掌を上にするようにして腕を上げた。……そして、その手を――握る。


『――――――――――――!』


  一瞬の、出来事。地鳴りがしたと思った瞬間……鋭く先端の尖った紫水晶が、幾本も幾本も
地中から現れ……虚像を、串刺しにする。

『……』


  何度も、何度も。その人形は、攻撃の手を緩めない。
  "八番目の少女"は、何も語らない。ただ、ひたすらに。眼の前に居る存在を圧壊していく――


『――――――――――……!』


  夢を見せられているような――いや、ここは実際夢の中だけれど――そんな気分にさせられる。

「御覧なさい、翠星石さん。これがまず一つ、圧倒的に存在する『一』の力です」

「『一』の力……?」

「そう。相手が数で対抗してきた場合……私達が対抗する手段は何だと思われますか?」

「……数、ですか……だったらこっちも、数を揃えて対抗するですぅ」

「そうですね。それも答えのひとつ。ですがね……相手の数を覆すほどの圧倒的な『一』の
  存在があれば、全く問題は無い。……例えば、彼のような」

  私は槐さんの方を見やる。彼はただ、"八番目の少女"が敵を圧倒するのを見守っていた。
これだけ強力な観念を"世界"の中に現しておきながら、息切れ一つしていないとは……

「……実力が、違いすぎるですね……」

  流石に、落ち込む。自分の力の無さを、まざまざと示された気分だったから……

「勘違いをしてもらっては困るな、翠星石」

「――槐さん?」

「……君の作り出した"蒼の茨"――虚像の展開していた"世界"の空気も、相当なものだった
  筈。今僕が力を存分に振るえて居るのは、君が"世界"を『塗り潰し返した』お陰だ。
  普段ならここまで強力な観念を作り出すことは難しい」

  ま、それでも負ける気はしないがね、と。最後に彼は付け足した。


「その通りです、翠星石さん。貴女には貴女の仕事がある。だから、攻撃はパートナーに
  任せておけば良いのですし……不甲斐なさを感じるならば、もっと強くなれば良いでしょう」

  そう言って白崎さんは、にこりと微笑んだ。

「さて、講義はまだ終わりません。……槐、どうだ?」

「周りに居た小さい奴らは大したこと無いが……問題は"あいつ"だろう」

「そうですねえ、それにしても―――――!」

「きゃあっ!?」

  彼が言いかけた瞬間。白崎さんは私を。槐さんは倒れている蒼星石を抱きかかえ、
すぐさまその場を飛びのき離脱する。

  土埃でよく見えないその先から、こちらに向かって何か飛ばしてきたらしい。
私達が立っていた場所には、また紫色の霧が立ち込めている――――

「ふむ……毒、ですか」

「毒……! それで蒼星石も、さっきやられたですか……!」

「即死の概念を引っ張ってくるなんて、随分な"異なるもの"ですねえ。まあ、あの姿を
  見ればそれも頷けますが―――なんせかつては、神をも殺した息吹でしょうからね。
  蒼星石さんは、まともにあれを受けたのでしょう? 
  貴女の展開していた"茨"が無ければ、どうなっていたことやら。

  流石、キリストの頭上に乗せられたと伝えられる"茨の冠"……神秘が付与したイメージは、
  伊達ではなさそうですね」

「……『世界の終末』を暗示させるとは、中々笑えないジョークじゃないか。指輪の
  "存在の終わり"も、随分と洒落がわかっていない。……さて、蒼星石。そろそろ自分の足で立てるな?」

  抱きかかえていた蒼星石を、ゆっくりと地面に下ろす。

「はい……すみません」

「蒼星石っ! 大丈夫ですかっ!?」

「ちょっと身体がまだ痺れてるね……でも、足手纏いにはならないようにするよ」

「何を言ってるんですか、蒼星石さん。申し訳ありませんが……貴女にはゆっくり休む
  暇など無いと思ってください。

  丁度いい。お二人とも、しっかりお聞きなさい。先ほどは、数に対するこちらの対抗
  の術を述べました。それでは……もし、相手の方が『圧倒的な一』の力を持っていた
  としたら?」


  土埃がはれてくる。眼の前には……自分の尾を加えていた筈の大蛇が、今はその鎌首
をもたげ……こちらの様子を、じっと見詰めている。水晶に串刺しにされてなお、発し
ているプレッシャーに変わりがなかった。

  大きい……四方を囲んでいる"蒼の茨"の壁を越えて。上方から浴びせられる虚ろな
空気……

「あ……あ、……!」


  ――――――『お前等など、すぐに喰い殺せる』――――――――


  大蛇の眼が、そう言っている。私達など、全く問題では無いのだと。
  そう、言っている――――――!


「――――――!」

  振り下ろされる、大蛇の首。全員がその場を飛びのく。『ドゴォ!』という激しい音が、
あとからついてきた。―――そして立っていた場所には、地面にくらいくらい大きな穴
がひとつ――――――


「ふむ。尾から己の口を離しましたか……さて、時間がありませんね。いきましょうか」

「いくっていったって、そんな……どうするです!」

  私は最早、殆ど正常な思考が出来ていない。

「先程の講義の答えです。『圧倒的な一』の力には、こちらも『圧倒的な一』で対抗する。
  それが答えの一つ目。この場合は、雷神の鉄槌でもあればいいんですかね……
  まあそれはいいです。

  あとは―――――数など問題にならない、無限をもって圧倒すれば良い……」

  白崎さんが、上方を見据えた。その眼が――――血走ったかのように、紅く、染まる……


「久しぶりだな、その姿。"知り得る者"など、生温い異名に改名なんぞして……
  そうだろう、"ラプラスの魔"」

「……ま、めぐには黙っておいてくれ。"天使"に"悪魔"じゃあ、なんとも柄が悪いだろう」

  バァッ、と。私達の周りの空気が、また変わる――――この観念の波、何処か虚像の放つ
それと似ている――――――?



『我は、"ラプラスの魔"――――この"世界"、観念の場に現れし古き神話の虚像よ。

  かつて神々に滅ぼされしその観念は……時を越えて、今まさに―――全てを見通す、"悪魔"がそれを呑み込まん』

『……漂流。"無意識の海"』



  "悪魔"の言葉……と呼ぶのが、まさに相応しい。その力は、本当に悪魔的であったから。
  大蛇の身体を、呑み込むように……巨大な水柱が、囲んでいる。これが――"無意識の海"。


『――――――――――――――――!!!』


  その水流は、とどまることを知らな勢いを見せる。"世界"の見果てぬ空の上まで……高く
高く、昇っていく。
  "八番目の少女"が、その水の中へ紫水晶を機関銃の如く打ち込んだ。
  大蛇はのたうち回り、水流を激しく巡る紫水晶に串刺しにされていく。
  その姿は段々と千切れ、小さくなっていって――――


「さて、蒼星石さん。出番ですよ」

「えっ……?」

「"無意識の海"は、無限に近い力。ですがこのままですと、ただ相手を大海に漂流させるだけです。
  この虚像の観念もほぼ神格化しているようですから、この程度では消えないでしょう。
  とどめは貴女が刺すのが良い」

「……でも……」

  物怖じする蒼星石。……それはそうだろう。これだけ圧倒的な力を見せ付けられては……
私も実際、今も肌で感じていること―――――だけど。

「やるです、蒼星石!」

「翠星石……」

「おめーは私の自慢の妹です! だから私は信じるです、蒼星石の力を……
  その鋏で、虚像だろうが神様だろうが真っ二つです!」

「……」

  私が言葉を発してから、少しだけ逡巡の素振りを見せたあと。蒼星石の眼に、意志の光が
宿る。

「やるよ。……そうでないと、"庭師"の名が廃るからね」


  鋏を構える、妹。先ほど白崎さんが発していた荒ぶる空気は、嘘のように静まり返っていた。
これは蒼星石が……絶対の一撃を放つ前の、静けさ。そして、水柱の方へと近づいていく。



『"庭師"は命じ、そして断ずる……観念の虚像、その姿は古き偶像を模す……

  我は裁くもの。如かして、その存在を許さず……"庭師"が放つ光の下に、裁断されよ』

『―――――――"断罪"!』



  ザアアアア! と―――縦に真っ直ぐ伸びていた水柱が、音を立てる。

  そして。やはり縦に真っ直ぐに――水柱は、真ん中から真っ二つに割れた。
  その――――中に居た、存在もろとも。


「……ふぅ……」

  ふらふらになりながら、こちらへ戻ってくる蒼星石を……抱きとめる。丁度私の
胸の辺りに、顔を埋める形になった。

「よくやったです、蒼星石……!」

  何故だかわからないが、私はぽろぽろと涙を零していた。まだ闘いが終わった訳
では無いのだけれど……今だけは。少しだけ、この感情に身を任せたい。

「――蒼星石さんの"断罪"は、組織の中でもぴかいちの威力ですからねぇ。よく頑張りましたね」

「……ぎりぎり合格ラインは変わらないよ」

「……槐……」

  白崎さんの眼の色が、いつの間にか元に戻っている。そして槐さんと話をしているのを
見て――つくづく、凄いひとの部下になってるんだな、と思ってしまう。

「さて、のんびりもしていられないでしょう。"世界"の中の戦闘は、あとは大したことは
  無さそうなんですが……まあ、外にも救援部隊は向かっていますから。

  今見た感じ、現実の空間も相当な虚像の観念が出ていると見て間違いないので
  しょうねえ。まさに『圧倒的な一』の力は、外にも居ると考えてよいでしょう」

「そんな……やばいじゃないですかっ!」

「外の面子には、僕のような力を持つ人物は居ません。……ですが。
  そこでぐったりしている蒼星石さんに勝るとも劣らない、『圧倒的な一』の力を持つ
  人物を投入しておきました……ま、新人さんですが。それに"鏡の姉妹"も向かってますし」

「おい白崎。……どうやら指輪の暴走が止まるまで、終了は無いらしい」

  槐さんが、すっと指をさした先。そこにはまた、空間の歪みが……
  それに、先程大蛇が地面にあけた巨大な穴からも、"異なるもの"が湧き出してきている。
  ただ、先程のように大物が出てくるような気配は無い。

「さあ、もう一踏ん張りしましょうかね。あとはジュン君が何かしているようですし……
  ほんと、賭けばっかりは嫌なんですがねえ」

『やれやれ』と言いながらも。彼の放つ空気からは、ふざけた様子が感じられない。
私達も身構える。蒼星石もぐったりとした身体に無理をきかせ、前方の歪みを睨み付けた。


  火蓋の切られる、再戦。私達の闘いは、まだ終わらない―――――


――――――――――



「みっちゃんっ、雪華綺晶っ!」

  息切れをしながら庭へ出た私と薔薇水晶。"やつ"は――居る。巨大な狼の姿を模す、
観念の虚像が。

「周りに居る小さな"異なるもの"ならば潰せるのですが……あの狼が素早すぎますし、
  手を焼いております」

「あの図体でねえ。さっきほんと噛み殺されそうになっちゃったよ」

  軽い感じで言っているものの、眼の前に居る存在の圧力は凄まじい。この狼は……
牙を剥き、私達を睨みつける。その眼力に足が竦みそうになってしまうけれど、ここ
で逃げる訳にはいかない―――そもそも、逃げ場など何処にもないのだ。
  少なくとも、相手はこの庭の外に出ようとする気は無いようだ。ただ、眼の前に居
る私達を……喰らおうとしている。

  そもそも、指輪の"存在の終わり"は、虚像どもにとっても都合が悪いような気がし
ないでも無いのだが。そんな理屈を求めて応えてくれるほど、利口なやつらでは無い
ことだけは確か。

「――来る!」

  狼の虚像から噴出してきたのは、紅蓮の炎。庭園の薔薇の一角が、燃える。
  ――――炎を使う、獣だって……!?

「……駄目な狼さん……"庭師"に怒られちゃうよ?」

  ここに来てもマイペースなのは薔薇水晶くらい……ともかく、気を取り直す。
  この図体の大きさといい、普通の狼ではないことぐらい一目瞭然。しかし……

『――――――――――――――!!!』

  ビリビリと震える空気の振動に、私達は思わず耳を塞ぐ。なんて雄叫び……!

「――薔薇水晶。"虚ろなる街"の展開で、奴を閉じ込められないかしら……!?」

  彼女は私の提案に対し、少しだけ逡巡の素振りを見せる。

「……多分、きついかもしれない。"虚ろなる街"は、どっちかって言うと虚ろよりの空気
  だから。あの狼さんにその観念をそのまま背負わせると……危ない気がする。

  あと、あのやたらおっきい口で……"世界"そのものも、呑みこんじゃいそう。
  こんなプレッシャーは初めてだけど……その位の圧力はあるよ」

「……!」

  彼女は極めて冷静に言っているが、私は愕然としていた。観念の終わりを以てして、
止めることが出来ないだって……!? 一体何処の、どれほど大層なイメージなのか……!

  ――――それでも、闘うしかない。一度対峙してしまったのだから。

  ならば。私が、奴の原典を明かす。頭脳をフル回転させて、"策士"が見破ってみせる。
さあ、考えろ金糸雀――――!


  ぐぱあ、と。上下に裂けたかのように見える程、虚像はその口を広げた。

『――――――人間風情が。この私に――――敵うと思うのか――――――』

「っ!!」

  頭に直接響くように、低い唸り声が鳴り響く。
  上等じゃないか。その『人間風情』の力……侮ってもらっては、困る!


  そして胆力を込めなおした、矢先。不意に……空から、何かが舞い落ちてきた。

「……羽根? 白と黒の……」

『――――――――!』『……――――――――』

  狼の虚像を取り巻くようにして存在していた"異なるもの"は、その羽根に
触れただけで悲鳴を上げている。虚像を掻き消す程のイメージが、これらには込められて
いる……? だとしたら、相当有り難いことだ。
  虚ろな空気に満たされていた庭が、少しだけ柔らかいものに変わる。


『――――――小賢しい――――――』


  ダン、と狼は跳躍し。一瞬その姿を消す。……何処へ行った!?

「――――みっちゃんっ!」

「え?」

  私と違わず……いや、この場に居る全員が、目標を見失っていた。

「きゃああああああああっ!!」

  そして、何時の間にかみっちゃんの後ろに回りこんだ巨大な虚像は。
  彼女の右腕に――――勢いよく、噛み付いた。


『――――噛み切ってくれる――――狼の、関節まで――――』


  虚像がそう言うや否や。薔薇水晶が飛び出していた。

「……悪い狼さん……!」

  殆どノータイムで、彼女の紫水晶が虚像の喉元を貫いた。その衝撃で、みっちゃんが
空中に投げ出される。


  私はみっちゃんが地面に叩きつけられる直前、ぎりぎりの所でその身体を受け止めた。

  右腕は……良かった、くっついている。あと一瞬、薔薇水晶の行動が遅れていたら。
あっという間に腕は噛み千切られていただろう。

「みっちゃん! 大丈夫!?」

  眼を開けない。……さっき私が"異なるもの"に貫かれたときと同様なショック状態に
なっているようだ。
  上から舞い降りてくる羽根が、みっちゃんの身体を包んで……吸い込まれるように消え
ていく。

「……ん……」

  少しだけ、呻く。どうやら命が奪われることはないらしい。……羽根そのものに、
生命力が込められているのか。心底助かったと思いながら、私は声をかける。

「みっちゃん、ちょっとだけ待ってて欲しいかしら」

  抱きとめていた身体を地面に横たえ、私はまた体制を整える。


「……ん。なんだか力の具合が調子いいみたい」

  薔薇水晶はそう言うと、掌を虚像に向けてかざし。―――それを強く、握りこむ。


『―――っ!!!』


  ガガガガガガッ! と。銃の乱射の如き音が響いたあと。幾本もの紫水晶が狼の体躯に
突き刺さった。

「……やった、かしら……?」

  これで動きが、止められたなら……と。安堵しかけた矢先。

『―――小娘が……ものの数では無いわ――――――』

  虚像の言葉とともに、突き刺さった水晶はぼろぼろと崩れ始める。……駄目だ、これで
は保たない……!

「……圧力が上がってきてる……! ……多分……一分も止めてられないかも……!」

  薔薇水晶は紫水晶を展開し続ける。しかし、その額には汗が滲み始めていて……呼吸を
するのも辛そうだ。
  この空間は今、恐らく私達にとって有利な状態に『塗り潰されている』。しかし、今の
ままでは……私達が"尽きてしまう"方が、やはり早い。


「私も加勢しないと―――」

  そう思い動きかかった身体が、反射的に止まった。

『"策士"は頭脳労働がお仕事――――――』

  さっき薔薇水晶が、私に言った言葉が……思い出されたから。

  そうだ、私は頭を使わないと。一刻も早く、奴の原典を暴くのだ。
  みっちゃんが噛み付かれてから、半ばパニックになりかけていた頭の中を、急速に冷やす―――

  ……さっき奴は、『狼の関節まで』と言ったのか? 右腕を狙ったのに、何か因果はあったのか?
  あれほどの、圧倒的な観念の塊。……その行動も、原典になぞっているのか?
  ……何処かで聞いたことのある、古き説話……


  炎を吹く獣……噛み千切らんとした右腕……『狼の関節』。
  そして、空間をも呑みこもうとする、巨大な口。
  半端な力では、縛ることすら出来ない存在―――

  コンマ一秒も掛からない内に、思考を纏め上げる。――――奴は!


「雪華綺晶っ! あいつは、神話の産物かしら……フェンリルの、狼!」

  私の言葉に、雪華綺晶は即座に反応を示してくれる。

「――! 承知致しました。ならば金糸雀さん、私がフォローしましょう。
  奴を縛るべきものは、一つ――――」

「……わかってるかしら、でも……!」

  確かに原典はわかった。けれど……今、みっちゃんは"観察"を実行出来る状態ではない。
奴を実像拠りに暴いたところで、それを閉じ込めることが出来ないなら……確実にこの虚
像を縛る観念を実現しなければ、私達はやられてしまうだろう。
  それを見越して、雪華綺晶は『奴を縛るべきもの』と言ったに違いない。彼女の知識も、
相当なもの。私が言葉を打てば、即座に響いてくれる様相を呈していた。

  だが。奴を縛る実像は、まさに神秘そのものということになる。 
  夢の"世界"の観念を背負わない私が。その実像を現すことが……出来るか?

  少しの迷い。やるしかないことは、わかっているのに―――

  唇を噛み締めると、雪華綺晶が手を差し伸べてきた。

「フォローすると言ったでしょう、金糸雀さん? さあ、妹が狼を止めているうちに……
  『私達』が、それを作り上げるのです。大丈夫、私の力も使って下さい……
  貴女の"宣言"の後に、私も続かせて頂きますわ」

「―――ありがとうかしら、雪華綺晶っ!」

  私は、差し伸べられた手を強く握り返した。

  "実眼"を解放、精神を集中――――――


  どんよりとした空気が流れていた空間に。ゴウッ、と強い風が吹き荒れ始める。
  落ちてくる羽根がそれに舞い上げられ、渦を巻いた。

  ……さあ。最も単純で、最も難しいイメージを始めよう。

  何も無い状態から、観念を構成する。今から『私達』が、恐らくは"神に近い"
虚像を縛る。


「……っ」


  まだ。まだ足りない。神秘の片鱗にも満たない……

  ……足枷の材料は?

  かつてそれを作り出す為に、今はこの世から失われてしまった六つの素材、


「……金糸雀……早くして……!」

  "実眼"は、既に最大出力。これ以上ない位に、私の眼は紅く光っているだろう―――
  雪華綺晶からも、かなりの力を―――ほぼ奪い取るような形で借りている、

「うっ……」

  呻きを上げる、薔薇水晶と雪華綺晶、

  何秒経った? 十秒? 二十秒? ――――――

  紡ぎ上げる、……まだだ、まだ足りない!

「う……ああ……!!」


  吹き荒れている筈の風の音が聴こえない、
  苦しい、心臓が口から飛び出て、頭の血管が擦り切れてしまいそうだ、

  『0』から作られる、究極の『1』、
  ―――それは、『其処』に現れる……光を放ち、網の如く、虚像を縛る紐……!

「金糸雀……、もう、保たない……!」「金糸雀さんっ……!」


「ああああああっ!!」


  『言葉』には力が宿り、……神秘を含む実像は今、結ばれる――――――!




『"策士"の名において宣言する!

  我は汝を見破る……古き神話に存在せし観念の虚像、フェンリルの狼!

  汝は悉くその存在を明かし――――虚ろは実なる神秘により、縛られるっ!』



『"鏡の姉妹"が一人が宣言するっ! 汝"策士"が言によりその姿は見え透き……

  汝を縛る観念もまた、明かされた―――それは今まさに、この場に姿を現さん!

  その観念の名は、"貪り喰うもの"……』



  私達の"宣言"とともに、虚像の周りの空気が変わり、歪む……!

  そして私達は手をかざし、叫んだ――――――




『『――――――"グレイプニル"!!――――――』』




  空間に、煌くひかり。豪風が唸りを上げる、
  そして網の如く張られた紐が、かたちを成し、


『―――――――――!!』


「っ!?」

  虚像は、薔薇水晶の展開した水晶の槍を悉く滅ぼし。上へ跳躍していく残像が見えた。
  地面には、光の紐……"グレイプニル"が展開されているというのに。
  奴はそれを見破り、寸でのところで逃れた。


  ……間に合わなかった……!?


  精も根も尽き果てて。狼の姿を追うことも出来ず、その場にへたり込む。
  力が、入らない。解放していた"実眼"の熱が、冷めていくのを実感した。
  私の力の展開が、あと一瞬早ければ……!



  万事、休す。――――どうすれば、いい? ――――



  すると。ぽん、と雪華綺晶は私の肩を叩いて、上を見るよう促す。

「……あ、」


『――――片腹痛いわ、この程度の枷で―――我を縛れると思うたか―――』


「――――思いませんわ、狼。かつて"グレイプニル"により縛られ……
  それが深い谷底に突き落とされるきっかけとなったのですものね。
  きっと逃げ道には、空を選ぶと思いましたわ」


  今、地を這っていた"グレイプニル"――――で『あった筈のもの』に、亀裂が入る。


「これは私が"鏡"で映し出した虚像……偽物でございますの。
  さあ、地面にこれが"映って"いるなら―――『本物』は、何処でしょう?」


  狼の、跳躍した先。虚像が気付こうが、既にもう遅く。
  空一杯に、奴を待ち受けるように広がっていた、魔法の足枷――――――



『―――――――――ッ!!?』


「―――チェック・メイト、ですわ」


  神話の産物、フェンリルの狼の力を以てして。絶対に千切れることの無かったとされ
る"グレイプニル"は―――奴の身体を捉え、がんじがらめにする。
  落ちてきた虚像は、『ドォォン!』という激しい地響きを上げ、したたかその体躯を
地面に叩きつけた。


「虚像が虚像に騙されるだなんて。随分滑稽なことですわね、狼?」

  穏やかな笑みを浮かべながら雪華綺晶は言っているものの、私は背筋を震わせていた。
"グレイプニル"の展開だけで精一杯だった私の意識を超えたところで、彼女はその先を
見据えていたのだ。
  もしそのまま地面に展開を実現していたとしたら、やはりそのまま奴を取り逃してい
ただろう―――

「ありがとうかしら、雪華綺晶……」

  ともかく、感謝の言葉を口にする。

「いえ、金糸雀さんが……しっかりと素材を構成してくれなければ、私の"鏡"も用無し
  でしたわ。貴女の力ですよ」

  ……本当に。この姉妹には、やはり敵わないなあ……
  思わず苦笑を浮かべてしまった。


「痛ったー……! あーもう、あいつの涎でべとべとだよ……」

「みっちゃん! ……平気なのかしら?」

  みっちゃんが目覚めたようだ。見た感じは大丈夫そう。
  なんと言っても。かつてフェンリルは、"グレイプニル"に縛られることを条件として、
神の右腕を噛み千切ってしまったくらいなのだから……
  そう思った、途端。みっちゃんの腕から、

「みっちゃああん! 血! 血がすごい出てるかしらー!」

  だくだくと、血が流れ出した。

「……へ? ――――――~~~~~……」

  きゅう、という擬音が思わず彼女から聴こえてきそうだった。
  眼を廻して倒れようとする身体を、薔薇水晶がはっしと受け止める。

「……牙が鋭すぎたんだね……一本分丸々貫通してるけど、千切れはしないと思う……
  でも、痛そう……」

  いや、『痛そう』の一言で済ますところでは無いと思うんだけど……とりあえず上着の
裾を破り、みっちゃんの腕を縛っておいて……そのまま、彼女は気絶してしまった。


『――――――小娘どもが――――――許さん――――――』

  少しだけ気が逸れていたが。まだ眼の前に居る虚像は。紐に縛られてなお、その脅威は
ひしひしと伝わってくる。

「……これで奴は身動きとれないでしょうけど……このままにしておくのも、危険ですわね」

  落ち着き払った声を出しながら、向かってくる曖昧な"異なるもの"を掻き消す雪華綺晶。
  この姉妹は……揃いも揃って、何でこんなにマイペースで居られるのだろうか。

「確かに……みっちゃんはこの調子じゃ"切り撮る"ことが出来ないだろうし。
  時間としてはまだ保つだろうけど、困ったかしら……」

  眼の前で転がっている、神秘の意味が付加された虚像。簡単な一撃では、消えてくれない
だろう。さて、どうする……?

「……あの娘の出番だね。ちょっと呼んでみよっか……」

「え……誰かしら? 薔薇水晶」

「……大丈夫。呼んでしまえば、あの娘だったら即・参・上……」

  薔薇水晶は、館の二階――――ジュンや真紅が、居るあたりの場所を見て、ぽつりと呟いた。

「……巴……」


  そこから、空白の時間が五秒程。そしていきなり、『ガシャアアアン!』という音が響き渡った。

「ええええ!?」

  ――――二階の窓を、ぶち破り。一人の少女らしき影が宙を舞い……ズダン! と地面に着地。
  そのまま何事も無かったかのように、たったかこちらへ走ってくる。


「呼びましたか? 先輩」

「……うん。お仕事だよ……あと、同い年なんだから"先輩"はどうかと思うな……」

「ごめんなさい」

  淡々と会話する二人を、ちょっと引いたところから見ている私と雪華綺晶。

「相変わらず大胆な娘ですわね、巴」

「恐れ入ります」

「……」

  私はちょっと声をかけることが出来なかったのだが、向こうの方から話しかけてきた。

「"策士"の方ですね? はじめまして。柏葉巴と言います……最近組織に所属しました。
  宜しくお願いしますね」

「え、えーと。宜しくかしらー」

  ……クール……この娘、大物になりそうだと。根拠のない予感がしたのだった。
  それにしても、見た目が随分と大人びている。腰に下げた……日本刀らしき鞘が、
様になっている。

「あいつですか?」

  巴という名前らしい少女が、いまだ"グレイプニル"に縛られもがいている虚像の方を
ちらりと見やる。

「ええ、そうですわ……っ!?」

  雪華綺晶が答えようとして。その場にいた(倒れているみっちゃんを除く)全員が、空気
の異変を感じ取る。

「そんな……足枷が破られる……!?」

  ――――言葉を発して、私は思考を巡らせる。魔法の足枷が破られたのは……俗に『世界
終末の戦争』と呼ばれる闘いが始まった後とされている筈。
  神話をなぞっているのだとしたら。ここじゃない場所でも、それに関連した闘いが行われ
ている……?

  冗談では無い。あの闘いでは、結局神々は魔物に打倒されてしまう運命だったと記憶して
いる。私達がそれに屈するわけにはいかない……!

「巴……相手は神話の偶像かしら。それを掻き消す位の一撃……放つことが、出来る?」

「……道を切り開くのが、私の役目。白崎さんにもそう言われてますから……」

  にこり、と微笑む巴。先ほどから落ち着き払った表情しか見ていなかったが、今の顔を
見るにつけて。笑うと、やはり年相応。もっとも、私とも同じくらいの年な訳だけれど。
  この娘が、虚像を屠る力を持っているというのか……?


  きっ、と。彼女は前方を睨みつけた。その途端、私達の周りに。ひやりとした風が流れる。


「……」

  巴が、眼を瞑る。静かに、静かに……精神を集中させて。傍から見ているだけで、どんどん
その圧力を増していっているのがわかる。

  彼女は、すらりと腰の長刀を抜いて……両足を踏みしめ、腰を落とす体勢になる。
  左手を、掌を下に向けて、身体の下斜め前方に構え。
  刀を握り締めた右手を……刀身が地と平行になるようにして、目一杯後ろへ引いた。
  これは……突きの構え?

『……――――――……~~』

  周りを取り巻いていた"異なるもの"が、その空気に当てられただけで掻き消えていった。

  私は彼女に対する侮りを、心の中で詫びる。この娘は、強い……!


  刹那。その両眼が、見開かれ。高らかに"宣言"は響き渡る――――――!



『"剣士"は宣言し、そして断ずる――――この空間に現れし、観念の虚像。

  汝、どれほどの神秘を含んだものとして……我が一撃の前には、滅びさるのみ。

  貫かれ、その慟哭すら残さず――――果てよ』



  その"宣言"と同時に、巴は飛び出していた。前方に構えた左手は、大きな光に包まれて……
巨大な鍵爪の形を成す。

  一瞬の出来事。その鍵爪は、やはり巨大な狼の体躯を、丸ごと鷲掴みにして、
  ――――狩人の狙いは、一点に定められた。


『意を発し、そして終わる――――――――"瞬(またたき)"』



  ぎりぎりまで引き絞られた右腕が、唸りを上げて―――まるで弓が放たれたように。
  一閃の光と共に、前へ突き出される。

  そして――――恐らく寸分のぶれも無く。狼の心臓を、貫く――――



――――――――――



  ……彼女の言っていた通り。神話の偶像、フェンリルは、雄叫びを上げることもなく消え果てた。

「――終わりました」

「……お疲れ様、ぐっじょぶ巴。……でも……」

  すたすたと歩いてくる巴に向かって薔薇水晶も歩き出し、

「っ!」

  まるでタイミング計ったかのように。膝を崩した巴の身体を、彼女は抱きとめた。

「……力の調節が、まだまだだね。確かに貴女の力は、"庭師"の一人――蒼星石の"断罪"に勝ると
  も劣らない。けど、一撃でこんなに疲れちゃ、連戦は出来ないよ……」

「――――ごめんなさい」

「でも、とりあえずこれで一つの山は乗り越えましたわ。ありがとうございます、巴」

「確かにそうかしら。精神力の調整は、きっとこれからなんとかなるもの」

  そう言いながら、ちょこっとだけ焦る私。ぼやぼやしてると、あっという間に追い抜かれてしまい
そう――――

「……真紅の方は、どう? 躊躇わずにこっちにきたってことは、貴女の判断だっただろうけど……」

「館の主が眠っている場所ですね。……はい。あそこに展開されている結界がかなり強力で、私も応戦
  はしていましたけど、問題は無いと思います」

  そうか……でもまあ、ここに居た大物は何とか片付けることが出来たから。戦力を集中させすぎず、
また分担した方がいいかもしれない――――

  そんなことを考えていると。思い出したかのように、巴がまた口を開いた。

「あの……あそこに結界を張っていた子って、誰ですか?」

「……? どうしたの……?」

「桜田君っていう名前の幽霊が関わっているんですよね。それ以外にも"イレギュラー"が居るんですか?」

「幽霊なのは、ジュンだけかしら」

  ? ……おかしい。何か、話が噛み合っていない。

「私達が来たときには、もうそこには館の主だけだったでしょう。……先輩達がこちらへ向かった後、
 私一人で闘ってると……小さな女の子が、不意に現れたんですが」

「!?」

「最初その子、結界をまた厳重に張り出したんです。けど、途中で様子がおかしくなって……私に
  話しかけてきたんですよ。『一緒に遊ぼう?』って」

  何だ。何の話をしているのだろう。この『薔薇屋敷』に関わる"イレギュラー"は、ジュン一人の筈。

「そのあとで、また直ぐ消えてしまって。その子、笑顔だったんですけど……何だかとても、
  眼の色が寂しそうだった……」

  俯きながら話す巴。
  その直後、彼女は薔薇水晶の呼び声の気配を察知し、庭へやってきたのだという。

「……金糸雀、お姉ちゃん……私、ちょっと行ってくる……!」

  薔薇水晶は、館の方へ走り出していた。

「……」

  私もそれを追いかけようとして、……それは断念した。巴はまだ闘えるものの、もし万一また
大物が出てきたときの為に暫くは身体を休める必要がある。みっちゃんは暫くすれば起きるだろ
うけど、まだ無理はさせられない。
  そうすると、私がこの場を離れたら。まともに戦闘出来るのが、雪華綺晶のみになってしまう。
私はここに残るべきだと、はじき出した思考が告げていた。

  どうしてもわからないのが、巴の言っていた"女の子"の存在。館の主を守るための結界を張っ
たのならば、害は無いどころか、むしろ味方なのでは……?

「まだ、終わりは無いようですね……ここは妹に任せてみましょう。申し訳ありません、先走ら
  せてしまって」

「大丈夫かしら、雪華綺晶。ほら、また……」

  一時その発生を落ち着かせていた"異なるもの"は、わらわらと湧き出してきていて……私達を、
狙っている。


「私達が倒れるのが先か、ジュンが何とかしてくれるのが先か……根競べ、かしら!」

「……そのようですわね!」

「巴はちょっと、休んでて。……だけどまた、すぐに参加してもらうかしらっ!」

  こくん、と頷く彼女。まだ回復しきってはいないものの、早くもその眼には強い意志の
色が現れ始めた。



  私はまた、バイオリンの弦を構えた。雪華綺晶も、すぐに闘える体勢をとる。
  神頼み、という訳にはいかないか。だって此処には、私達しか居ないのだから。

  ただ、一つだけ願ってしまった。

  ジュン、真紅。どうか無事でいて、と――――――
|