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…………僕の日常に、今までの常識からはおよそ懸け離れた時間が追加されてから、はや数日。
僕は実感していた……人間の適応力は凄い。
いやこれは、身体が既に慣れていたからというのも多分にあるのだろうけど。

「―― 隙ありッ!」

硬質化したジュン君の糸、今は棒状になっているそれを、僕の得物で上に弾き飛ばす。
その刃、正しくは鋏を素早く上から下へ向けて―――― 彼の首元に。よし、勝負あった。
刃を展開しない限り、重量で相手を叩く鈍器と同じ使い方になる僕の鋏『レンピカ』――
今のように攻撃の途中で重さの進行方向を変えるのは、普通に考えれば無理で無茶な扱いだろうけど、
薔薇乙女として所持する基礎能力を活用すれば、そんな芸当も可能であると、僕は身を以って知った。

「……参った。少し力を緩めたところにドンピシャで入れられたよ、今の攻撃」
「えへへ……これで七勝目だよね」

計二百四十三戦中だけど。負けた数は聞かないで。引き分けだってそれなりにあるんだから。

「僕としては通算七勝目よりも、蒼星石が連勝した、という点が重要だと思うけどな」
「そういえば、さっきも僕が勝ったんだっけ」
「そうね、蒼星石の覚醒も目覚ましいし……
 ジュン、これからは本気で勝負をしてもいいんじゃないかしら?」

次からは本気かぁ、まだまだ越えるべきハードルは多そうだ…………おいこらちょっと待て。

「……ジュン君、少し前にもこんな話をした記憶があるんだけど、
 今までの君、また全力じゃなかったの……? 今度こそこれが全力だって宣言していた覚えが……」
「全力だったよ、身体の方は。あれ以上の力は引き出せない。本当に僕の限界」
「私達が言っているのは、戦い方、戦法よ」
「戦法? 本気の戦法って、具体的にはどう違うんだい?」
「具体的にか、うんと…………攻撃がいやらしくなる、かな」
のほほんと言われた。……え、いやらしい攻撃って……?

「よし、それじゃ早速始めるか。いくぞ、蒼星石」
「す、ストップ、『いやらしい』の内容について詳しく尋ねたい、僕は仲間である前に一人のお……」
「一度やればすぐに分かるさ……!」

まるで先程の仕返しだとでも言いたそうな笑顔をして、ジュン君は問答無用でこちらに迫って来る。
だ、だからいやらしいって何さ、あの糸で縛られたりとか? その後は? いやら、いやらしい……!?

「さっきの言葉を返すぞ、隙だらけだ……ッ!」
「―― や、やああああああああああああああああああッ!」

手を伸ばせば届く距離までジュン君が近付いてきた所で頭がパンク、服を押さえて絶叫してしまった。
それを至近距離で受けて、え゛、と呟いた状態で固まる彼―――― いいい、今しかない!

「お―――― 女の敵ぃぃぃぃぃッ!」

やらなければやられる、そう思った瞬間、身体は自然と動いていた。
水平に倒した鋏を、真横から斜め上に振り上げる―――― その動きは、正にバッターのそれ。
打ち上げられたジュン君は、星にこそならなかったものの、頭から地面に突き刺さりオブジェと化す。
肺から流れ出る荒い息……怖かった、今まで生きてきて、一度も経験した事のない類の恐怖だった。

「………………」

すると、その一部始終を見守っていた真紅が、動き出した。
まずジュン君の所に行くと、彼の下半身を蹴って掘り起こす。何度空を舞えばいいんだろうか、彼は。
次に僕に向かって手招きする。こちらに来いと命令しているようだ。
ジュン君が近くに居るのに足が竦んだけど、今の真紅はそれ以上に怖かったので急いで近寄る――――

「まず、ジュン。本気になれと言ったのに、いきなりの黒星スタートね」
「……面目次第もありません」
「反省点は理解しているようね。よろしい、その真摯な態度だけは認めましょう、低俗愚劣な我が下僕。
 では蒼星石、幸先の良い一勝、おめでとう」
「あ、ありがとう……」
「だけど、貴女の取った戦法はこの痴れ者にしか通用しないのだわ。
 大声を出せば相手は必ず怯むとでも? まさかそんな事を本気で思ってはいないでしょうね?」

ぎろり。そんな音が聞こえてきそうな真紅の睨み付けに、全身が縮こまる。

「あれは……その……」
「ええ、分かっているのだわ。貴女がどうしてあんな行動を取ったのか。何を勘違いしていたのか。
 そしてそれを十分に理解した上で……貴女は一体何を考えているの……!」
「ん? 真紅、それはどういう意味……」
「貴方は黙っていなさい。そして私が蒼星石に言い終えるまで一切口を開かないで頂戴。
 ……まったく。貴方達二人ときたら、この修練に望む心意気がちっともなっていないのだわ。
 特に蒼星石、幾ら日が浅いとはいえ、まさか貴女がそんな不埒な想像に陥ってしまうだなんて……」

失望した―― その言葉を表情で表現する真紅だった。器用だなぁ。
だけど、不埒な想像は仕方ないと思う。
僕だって女の子、男性にセクハラ宣言をされて平気でいられる筈がない。というか犯罪じゃないのか?

「『いやらしい』というのは戦法についてよ。その前にだって同じ話をしていたじゃない」
「だ、だから、それは突然だったからというか、
 ほら、僕達薔薇乙女は呼んで字の如く、女の子であるのが大前提となっている訳で……」
「もういいのだわ」

そう言うと、真紅は右腕を伸ばし、その延長線上にステッキを取り出して――――

ぱん。乾いた音が自分の右頬から鳴った。真紅の左手が叩いたのだ。

「これで分かったかしら。『いやらしい』というのは、こういう戦い方の事」
「……フェイント?」
「そう。より実戦に近い勝負ね。
 知らなかったのでしょうけど、ジュンは私達に力で劣る分、これで戦力差を補っているのよ。
 つまり、これを用いていなかった今までは、全力ではあっても本気ではなかったという事なの」

……了解しました。もう何も言わないで下さい。一番恥じているのは自分です。
今考えれば、少しでも冷静であったなら気付いて当たり前の間違いじゃないか。
はは、ははは……これで僕の信用はガタ落ちだろう。弁解のべの時も出てこないのがいっそ清々しい。

「……怒られちまったな」
「……そうだね」
「怒られて一つ賢くなったな!」
「…………」

ジュン君、僕のはポーズじゃない、全部本気なんだよ、情けないけど、涙が出そうだけど。

「今日はもういいのだわ。ジュン、一人で継続するなり休むなりしなさい。
 蒼星石、貴女もこの毎日に随分と慣れてきたようだし、前に中断した話の続きをしましょう」

了解、と呟くと、ジュン君は近くの木に糸を巻きつけて、跳躍。
猿のような身軽さでここから消え去った。能力の違いはあれど、あれは真似できそうにないな。

「……それじゃあ、蒼星石、今日は貴女の疑問に答えるのだわ。
 この前の話だけでは見えてこない部分も多いでしょう。私が知る限りの事なら、付き合うわ」

そう言われれば、『nのフィールド』での日々が始まってからというもの、
運動の魔力と呼ぶべきか、毎日ジュン君と規格外の組手を続けていた所為で、
それまで気になっていた筈の疑問を、さっぱり気にしなくなっていた。
……だけど、知りたい事なら沢山ある。この機会に、少しでもその解消をしておこう。

「なら、よろしく頼むよ、真紅。
 ……まず最初に、君達は『生命の実』を手に入れるのが目的だって聞いたけど、
 それがどうして薔薇水晶―― 僕達他の薔薇乙女と戦う事になったんだい?」

今思えば、これは前回の時に是非尋ねておきたかった点である。
彼らに協力する、という選択は、つまり目的を妨害する他の人達、
もしかすれば薔薇水晶の時のように、友人と剣を交えなければいけない、
という事態に遭遇してしまう可能性も十分に考えられる。
決着が着いても薔薇水晶は無事だったし、戦いを挑んで来るのは他の薔薇乙女の方なのも理解しているが、
ならそれで戦いに抵抗が無くなるのか、と問われれば回答は否定だ。ましてその相手が知人なら尚の事。
事情は出来る限り把握しておきたい。それがお互いの戦いを回避する方法にも繋がるかもしれないし。

「……本来、薔薇乙女とは、『世界樹』や『生命の実』とは強固な関係にないものなのだわ。
 薔薇乙女は薔薇乙女で、ある独立した理由から生まれ、ある事を為す為に存在しているの」
「薔薇乙女と『生命の実』は直接的な関係を持っていない……そういう事かい?
 なら、薔薇乙女ってなんなの? ある事を為す為にって、こんな力で一体何をするって……」
「―――― 『アリスゲーム』」

その単語が耳に入った瞬間、背筋が凍りつきそうな感覚に襲われた。
アリス、ゲーム……それは、既に知っているような、だけど思い出してはいけないような、
酷く落ち着かなくなる、寒気すら覚えてしまう、あまり関わりたく無い、そんな気にさせる言葉だった。

「『アリスゲーム』については、私の知識を以ってしても、詳しくは分からないの。
 ただ、薔薇乙女の中から一人の『特別』を産み出す儀式……はっきりしているのはこれだけよ。
 真紅はこれを、何らかの手段によって雌雄を決する、そういったものだと考えているのだわ」
「雌雄を決する……薔薇乙女の中から、特別を産み出す……?」

真紅は神妙な顔で頷いた。
それじゃあ薔薇乙女は、元々敵対するのを前提として存在している……そういう事なのか?
真紅も、薔薇水晶も、僕も―――― 馬鹿な。できるなら冗談だろうと笑い飛ばしたい。
……だけど、僕の心は、その拒絶するべき推測を、すんなりと受け止めてしまっていた。
まるで一足す一は二だという法則を思い出したかのように、それだけ当たり前に納得してしまった。

「それが、僕や薔薇水晶が君達を襲った理由なのかい?」
「いいえ。私とジュンの目的は『アリスゲーム』とは関係が無い、でも、だからこそ狙われているのよ」
「どういう事だい? 『アリスゲーム』と関係が無いから襲われている、というのは」
「最初に言ったでしょう。私達の目的は『生命の実』を手に入れる事よ。
 そしてその為に薔薇乙女の力を利用しているの。『アリスゲーム』なんて目もくれずに。
 それは大前提である『アリスゲーム』、引いては他の薔薇乙女の冒涜とも言える行為なのだわ。
 本来の存在理由から外れた私達を、誰よりも優先すべき敵だと認識したのよ、他の薔薇乙女達はね」
「……反逆者の、粛清か」
「簡単に言えば、そうよ」

役割を違えた駒の抹消……歯車は噛み合った、噛み合ったけど……何かを見落としている気がする。
真紅の説明は正しい答えなんだろうけど、それだけではない、違和感がどうしても消えない。
果たして真紅さえ知らない事なのか、それとも彼女が敢えて黙っているのかも分からないけど、
どれだけ些細で取るに足らないものだとしても、これで全てではない、その一点だけは確信が持てた。
それについては、敵対していた時の僕なら知っていたような……。

「―― 戦いに至った背景は、私の知る範囲ではそんな所ね」

……何にせよ、真紅の言葉が嘘ではないのも事実だと思う。
その事を始めて知ったという感覚が無い。つまり、以前の僕が既に理解していた範疇の事情なのだろう。

「うん、ありがとう。それじゃあ次の質問、いいかな?
 真紅―― 君は自分達を『アリスゲーム』に逆らう異分子だって言っていたけど、
 そもそもどうして『生命の実』を利用しようだなんて思ったの? というか、それ以前に……」
「『どうやって薔薇乙女の宿命に逆らう事が出来たのか』―― 貴女はそれを聞きたいのでしょう?」

大当たり。僕では上手く言葉に出来なかったけど、舌を巻く洞察力である。

「宿命―― うん。この場合は、僕が君達を許せないと思った感覚、
 倒さなくちゃいけないと感じた使命感、の事でいいと思うんだけどさ。
 真紅自身にはああいった衝動は起きなかったの?
 あ、そもそも当事者だから、僕達みたいな誰かを倒せって感覚じゃないのか、うんと……
 薔薇乙女の一人として、こんな道を外れた行為は止めよう、みたいな気持ちとかには……」
「……あったわね。
 薔薇乙女の力に目覚めて、多くの知識を我が物にした時、私は『生命の実』の効能も知った。
 これがあれば巴を救う事が出来る……
 でも、己の欲求だけを追求するのは、薔薇乙女として恥ずべき姿ではないのか。そんな具合にね」
「真紅にも、やっぱりあったんだね」
「あの頃は酷く悩んだものだわ。今思えば、そう面白い話でもないわね。
 それまでは普通の女子学生だったのに、薔薇乙女の力を得た途端、
 私は、私の与り知らない所で決められた宿命に翻弄される破目になったんだから」

ジュン君と戦っていた時に感じていた、湧き上がる使命感、それは真紅も例外では無かったらしい。
しかしそれなら、彼女はどうやってそれを克服し、反逆者という今の立場に立ったのだろうか……。

「克服は克服よ。私の名は誇り高き薔薇乙女第五番が真紅――――
 たとえ相手がその宿命であったとしても、私を好き勝手にする事なんて許せなかった、それだけよ」

…………それはつまり、真紅の自尊心は、使命感如きで操れるものじゃなかったと、そういう事……?
改めて思った、凄いなこの人は。努力と根性さえあれば万事完遂と豪語する人種と同じ匂いがするぞ。

「……あら、蒼星石、もしかして感心しているの?」
「……うん」
「ありがとう。でもね、貴女だって同じようなものじゃない。
 知識の継承は無理だったようだけど、それでも宿命に逆らって、私達に協力をしてくれているのだもの」
「それはジュン君の説得があったからこそだよ。
 散々彼の事を傷付けたのに、あそこまで諦めずに粘ってくれたから、僕はこうやって君達に……」
「いいえ。それは違うわ、蒼星石」

真紅は真正面から僕を見据える。
その瞳は優しい光を湛え、普段の高潔な態度とは違った、心の落ち着く印象を受けた。

「ジュンのした事は所詮きっかけに過ぎないのだわ。
 私も、貴女も、きっと他の薔薇乙女達も、宿命の強制力に勝る何かを、既に持っていたのよ。
 私達はそれを運良く見付ける事が出来ただけ。ジュンの問い掛けは、その手助けだったの。
 ジュンの説得だけがここに居る理由だと思わずに、蒼星石、この道を選んだ自分自身を信じなさい。
 誰かのお蔭で。自分は何もしていない。そう思い続けていたら、自分を信じられなかったら、
 いつかまた貴女は、薔薇乙女の宿命という大きな波に、抵抗できず呑まれてしまうわ」
「………………」
「貴女はその時、またジュンを、自分以外の誰かを頼るの? そんな自分のままで、いいの?」

真紅の言葉が、胸の奥に突き刺さる。
彼女の言う通りだ。僕は、真紅達に協力するという選択を選べた自分が嬉しかった。
それは、自分で決められた事だから。自分がしたい事だから。蒼星石の望んだ事だったから。
なのにいつの間にか忘れていた。あの時生まれた小さな強さを、僕はまた見失っていたのだ。
まったく、情けないにも程がある……でもこれからは、情けないの地点で立ち止まっていては駄目だ。

「そうだね……僕は強くならなくちゃ。今度こそ迷いにつけ込まれないように」
「その意気よ。ふふ……ジュンも偶には良い事を言うでしょう?」
「ジュン君?」
「そうよ。今の私の台詞、ジュンが私に言ってくれた事の引用なんだもの」

……あれ? でも、真紅は自分の力で克服したって……
混乱する僕に真紅は微笑を浮かべる。ああそうか、彼に言わせれば、説得はきっかけに過ぎないんだっけ。

「頼り無くて、不甲斐無くて、文句なら山のように出てくるけど、それでも私の、自慢の下僕よ」

これは薄々感じていた事ではあるけど、真紅とジュン君の間には、途轍もなく強い信頼関係がある。
それが付き合いの長い幼馴染であるからなのか、
同じ目的を持つ者同士、肩を並べて戦ってきた結果として育まれたものなのか、
それとも両方が理由なのか……おそらくは三番目なのだろうが、
その絆の深さを知る度に、僕は少しばかりの不安に襲われる。
言うなれば、彼らへの理解が浅い所為で、足を引っ張ってしまわないか、という気後れである。
この穴ばかりは時間を掛けて埋めるしかないので、悩んでも仕方の無い問題であるとは思うのだが。

「……あのさ、気にはなっていたんだけど、ジュン君って薔薇乙女にどう関わっているの?
 彼自身が薔薇乙女じゃないのは分かっているけど、その、従者ってさ……」
「従者? 従者は従者、それ以上でもそれ以下でも……と、そんな事を聞きたいのではないわね」

真紅はこほんと息を吐くと、すぐ僕の疑問に答えてくれた。

「従者とは、薔薇乙女が各々一人だけ持つ事の出来る、自分のパートナーなのだわ。
 契約の証は左手の薬指に嵌められた指輪。従者はここから、仕える薔薇乙女の為に旋律を綴るのよ。
 他にも、お互いの生命力を共有する事もできるけど……特筆すべきは、その旋律についてね」
「旋律……アーティーファクトか。それがジュン君の糸なのかい?」
「ええそうよ。ただしジュンの紡ぐ旋律は、私の知る知識にも存在していないもの。
 あの驚異的な治癒―― いいえ、再生と言った方が適切な回復術、貴女も見ていたでしょう。
 ジュンは、あの力を自分以外のものにも利用できるの。その様は、旋律を超えて既に奇跡の域……」

奇跡、それは僕がかつてあの力に抱いた感想だ。
そして真紅もまた、そう思った時の僕と同じように、畏怖を込めてその奇跡を語る。

「あのアーティーファクトは……私達の目的の為には、何よりも心強い力であるのは認める。
 だけど真紅個人としては―――― 受け入れ難い能力なのだわ」
「―― ど、どうして……確かに度を弁えない奇跡だとは思うけど、真紅自身は嫌だって……?」
「……薔薇水晶との戦いを覚えてる?」

そう問われて、頷いた。
忘れられる訳が無い、あの壮絶さ、鮮烈さ、この先何年経とうとも、きっと残り続けるだろう記憶だ。

「今思い返しても鳥肌が立つよ。
 特にジュン君の事は……あそこまで傷付けられても無事だなんて、正直今でも信じられない」
「何も無事じゃないわ」

真紅は言った。怒気を込めて。
だけどそれは僕に対してじゃなくて、ここにいない誰か、おそらく彼に向けたものだったのだろう。

「あの糸は、奇跡を紡いだ分だけ、使用者の体力を奪うのよ。
 現にあの夜も、私が無理矢理力を供給しなければ、あの子はとっくの昔に倒れていた。
 私だってジュンの生命力を使わせて貰う事もあるし、私の力をあげる事ついての不満は無いわ。
 だけど……あの子は旋律の力に頼り過ぎている。
 いつだって自分の身体を盾にするのよ。薔薇乙女である私の方がずっと頑強だというのにね」
「それは……でも、僕がジュン君の立場でも、やっぱり自分を盾にすると思うけど……」
「蒼星石。貴女はジュンの不死性を目の当たりにして勘違いをしているのかもしれないけど、
 あの子にはね、立派に痛覚があるのよ。健全な人間と全く同じ、痛覚が存在しているの」
「つ、痛覚……?」
「私達薔薇乙女の身体は、この『nのフィールド』に居る限り、
 その気になればコンクリートに叩きつけられても無傷、鋭い鉄の杭だって通さなくなるわ。
 だけどあの子は、薔薇乙女のおこぼれを受けて、雀の涙程度の強化が出来るだけ。
 薔薇水晶の攻撃も、私は打撲程度で済んでも、ジュンにはあっさりと貫通していたわ。
 従者は本来、後方支援でこそ真価を発揮するのよ。
 でも、そんなセオリーをジュンが守ってくれた事なんて、今の今まで一度だって無いの」

猪同士の喧嘩に、子豚が無理矢理割り込んでいるようなものよ。
そう語る真紅の言葉は残酷で、だけどきっとその例え通りなのだろう。
圧倒的な能力を誇る薔薇乙女を相手に敢然と立ち向かう従者。
そう言い表せれば、ロマンチシズム的な感傷の一つも生まれそうではあるが、
その結果があの拷問同然の光景だと知っている今では、いっそ彼に狂的なものさえ感じてしまう。

「……貴女達と戦う前、私達に初めて戦いを挑んできたのは、金糸雀だったわ」
「金糸雀……」
「あの子はその時、薔薇乙女に目覚めつつあった雛苺の力を封印し、そして私は金糸雀の力を封印した。
 ジュンが薔薇水晶の力を封印した方法と同じやり方でよ。結局説得は通じなかったの」
「そうだったんだ……雛苺も薔薇乙女だったんだね」
「だけど決着が着くまでの間、私達は何度もあの子と対峙し、戦ったのだわ。
 金糸雀の攻撃手段は楽器による音撃の衝撃波で、その破壊力は私でも無傷ではいられなかった。
 そして、ジュンはやっぱり私の盾になって……一体どんな目に遭ったと思う?」
「…………」
「全身の間接が三倍に増えていたのだわ。
 その場に倒れた姿は、まるで陸に揚げられたクラゲみたいだった。
 私は、吐いたわ。無惨なジュンを見ていられなくて、じゃない、ただ単純に気持ち悪くてね」

苦々しそうに告白する真紅に、僕は掛ける言葉が見つからなかった。
ジュン君の過去は、真っ当な人間ならとっくに気が狂っていそうなものだ。
いや……もう既に、彼は何処かが壊れているのかもしれない。
片腕を失った時も、そんな事を全く気にせず、それどころか原因である僕を、ああまで歓迎して見せた。
桜田ジュン。僕ではとても完全な理解には至れそうに無い青年。
彼は一体どんな気持ちでこの戦いに挑んでいるのだろうか……。

「結魂繋契<エンゲージプロミス>は、ジュンの意志と生命力がある限り発動する。
 どれだけの傷を負っても、きっとあの子は死なないわ……
 必ず『生命の実』を手に入れるという決意を、ジュンは自分の時間ごと止めてしまったのだから」

意味深な言葉を呟くと、真紅はここではない何処かを瞳に映して、僕に言う。

「興味があったら、一つの教訓とでも思って観察してみると良いのだわ。
 希望を得る事が、必ずしも幸せに繋がるとは限らない―――― ジュンはその典型的な例よ。きっと」

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