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  私が今まで生きてきて、果たして妹にとって『善き姉』であったかという答えを、自分で出す
ことは出来ないと思う。
  妹は感情的な私よりもどちらかというと理知的で、些細なことで爆発しがちな私を諌めてくれ
る存在だった。そんな妹のことは私は誇りに思っていたし、また自慢だった。

  祖父から伝えられた、私達双子の姉妹の使命。それは"庭師"として、薔薇屋敷の当主を守るこ
と。其処に住んでいた当主は、私に負けない位に結構辛辣な言葉を発する。最初は上手くやって
いけるかどうか少し不安だったが、そんな誤解を解いてくれたのは妹の言葉。

『真紅は――優しいひとだよ。翠星石も、わかるよね?』

  確かにその通りだった。妹の言葉を受けてから、私はもっと積極的に真紅に話しかけるように
なった。そこで私は知るのだ、彼女の細やかな心遣いや、その言葉の裏に潜められている思いや
りを。元来消極的だった私が、自分から話しかける努力をしようと思ったのは初めてのことで
あったかもしれない。

  ただ、妹が『優しい』と評する人物のことを、私がそれをよく知ろうともせずに嫌うのは
全く以て理にかなっていない。そう考えただけ。それほど私にとって、妹は信頼のおける存在なのだ。


  妹と過ごしてきた日々を思い出す。どうしてこんなことを、今になって思い出すのか。
  だけど、頭の中を流れすぎていく光景は止まらない。
  そしてそのまま流れていく先から……それらは色を失い、消えていく。

  妹にとって、私はどうだったのだろう? 
  ねえ、蒼星石?
  ねえ、答えて……


「そうせ、……せき……?」


  今、真紅の夢の"世界"の中。彼女は今、指輪の"存在の終わり"に、まさに巻き込まれようとして
いる最中にある。
  私達"庭師"は、真紅を守らなければならない。それは、当然のこと。そういった使命のようなも
のを抜きにしたって、彼女のことを守りたいと思っている。

  眼の前に対峙している"異なるもの"は、……数自体はかなり減っている。
  その中でも取り分け大きな一体が、私を虚ろな眼で見つめていた。
  そしてまた、新たに"異なるもの"が、この空間に這い出てくるような気配を感じる。

  私の力は、専守防衛。闘いのパートナーである妹を、観念の力で守る。だけど、蒼星石は。
  膝元で倒れ、その眼を開けない。
  ねえ、蒼星石。
  私は……


  貴方を守ることすら、出来なかったの……?


「いやああああああああっ!!」


  這い寄るは、絶望。確かにその足音が、聴こえるような気がした―――







【ゆめまぼろし】第十話 旋律(一)






――――――――



「"庭師"の二人には、今から"世界"に入ってもらうかしら。はっきり言って、どれほどの
  "異なるもの"が居るかどうかわからない。――でも、やるしかないかしら」

「うん、わかったよ金糸雀。最善は尽くすよ」

「最善どころか、多分死力を尽くすことになるですよ、蒼星石」

「……うん、それもそうだね」

「私とみっちゃんはこの空間で戦闘するかしら。……って言っても、もうここも"世界"の中
  の空気と殆ど変わり無くなってる。観念の在り方が、捻じ曲げられてるかしら。
  ……意志を、強く持って。私達の心が折られたら、"存在の終わり"に巻き込まれる。

  あとは……ジュン」

「ああ」

「貴方は……最後の防衛線。この場所で、真紅を守るの。
  ここにやってくる"異なるもの"達を、悉く排除して欲しいかしら」

「わかってるさ。……結界が破られちまうかどうかって所だな。長期戦は望ましくない。
  見つけた先から滅していくしかない」

「……そういうことかしら。さあ―――二人とも、行って!」

  頷きを返し、私と蒼星石は、眼の前にある"世界"への扉に飛び込む。

「……こんなでかい入り口なんぞ、見たことがないですぅ……」

「本当だね……複数人の"世界"が融合したって聞いたけど。確かに"世界"の中そのものは
  全てに通じているっておじいさんも言ってたけど、入り口が大きくなるのは初めてかもしれない」

「……まあそれでも。どんな相手でも、私達なら負けないですぅ。真紅も勿論助けたいですけど、
  まずは蒼星石……私がおめーを、守ってやるですよ」

「ふふっ。頼むよ翠星石」

  そうだ。私達はこの仕事についてから、ずっと二人で闘ってきた。最近ではジュンも加わってるけ
ど……基本的には私が守り、蒼星石が攻める。挫けそうになったこともあったけれど、それを乗り越
えてきた。今だってきっと、乗り越えてみせる――――!


「――――ここは……」

  其処は、"世界"の中である筈の場所だった。けれど、今まで見たような白く曖昧な世界ではない。

「……薔薇屋敷!? どうしてここに戻ってくるです……!?」

  眼の前に在ったのは、薔薇屋敷。私達は今何故か、その庭のど真ん中に立っている。
  しかし……空気がおかしい。

「ここも多分"世界"の中だよ、翠星石。ひとの気配に感じられない。それに、ほら」

  蒼星石が指差した方向を眼で追う。それは、屋敷の外に通じる門の入り口。その先に本来在る筈の
道は、――真っ黒に、塗り潰されていた。

「指輪に纏わるものの意識って、こういうことですか……」

「――そのようだね。となると、これから……ちょっとした、怨霊退治になりそうだ」

  蒼星石の声色が変わる。きっ、と見つめた先の空間が歪み始めて。そこから曖昧なかたちが、
姿を現し始めた。

「来る、ですよ」


  最初は、小さな渦のような歪み。その渦はどんどん増え始めて、見る間に十、二十、……

「……ちょっと、多すぎるですねぇ……!」

  そして小さな渦が輪を描き、その中央に一際大きな歪みが出来上がった。

  ゴウ、と風が吹いて、思わず顔を覆った。視界の脇に咲いていた庭園の薔薇が……見る間に朽ち
果て、枯れていく。胸の辺りが締め付けられて、酷く痛い。呼吸も落ち着かせるのが難しい。

「……はぁっ、はっ……」

  このままでは――――何もせずに終わってしまう。
  "茨の冠"だけでは、……多分無理だ、最初から飛ばしていくしかない。
  私が、守らなければ……!



『"庭師"が命じる! 我は虚ろなる"存在の終わり"に抗うもの―――汝等"異なるもの"の観念、

  決して我の意志を挫くに至らず……この壁を以て、悉く弾かれん!』

『護れ、"茨の冠"―――――――』


  まだだ、ここからもう一つ……!


『――――そして囲め、"蒼の茨"ぁっ!』



  朽ち果てた薔薇を囲むように、蒼色の茨がせりあがる。そして空間全体に茨の壁が出来上がり、
四方を取り囲んだ。私達の身体にも蒼い茨が、宙で輪を描き囲んでいる。

  相手は、この空間の観念自体を捻じ曲げてきている。まずは私達に有利な空間を展開する。
  勝負は、ここからだ――――!

「っ……」

  少しふらつき、倒れそうになってしまう。個人単体を守る結界ならばそれなりに容易く張れるが、
空間そのものを自分のイメージで『塗り潰し返す』のは、精神の負担が大きい。


「……蒼星石……これで存分に闘えるですよ……!」


  私は両足に力を入れて、その場に踏み留まる。ここで私が倒れてしまったら、笑い話にもならない……!

  ふっ、と。穏やかな表情でこちらを見やる蒼星石。

「君が居るから、僕は安心して闘えるんだ」

  そしてまた、歪みの方を見据える。

「フォロー、頼むよっ!」


  蒼星石が、歪みの渦へと物凄い速さで飛び込んでいく――――


「まずは頭数を減らす……大人しく"裁断"されてもらおうか」



『"庭師"は命じ、そして断ずる! まさに今生まれんとする"異なるもの"、虚像の観念……

  その存在を、実像を持てる我が意志が許さず! 我が最速の鋏の光を以て、"裁断"されよ』

『――――――"瞬断"!』



  煌く、ひかり。私は何が起こったのか、眼で追いきることが出来ない。
  だが、数十個の渦の真ん中に入った、一本の亀裂。音も無くそれらは、掻き消えていった。

「全員まともに相手にしてたら保たないよ……それに」

  だが、渦は全て消えた訳では無い。中央にある大きな歪みも……滅し切れなかった。

「全然勝負は、ついてないようだしね。――――さあ、相手になろうか」


  そして歪みから現れた、"異なるもの"。その内数体は、どうやら人間型のよう。
  大きな渦から出てきたのは――――

「……大蛇……!?」

  大きな大きな、蛇。これは流石に、現実世界で拝める代物では無い。
  その冷たい瞳が私達を睨みつけているが、その身体は大きく円を描いている。
  何故自分の尾を、加えているのか……?

「くっ……」

  呑まれるな。意志をしっかり持てと……金糸雀も言っていたじゃないか。
  そう簡単にやられはしない。蒼星石の"断罪"は、"世界"に現れた虚像が相手ならば。
  どんな者が敵になったとて切り裂ける、絶対的な一撃。

  まずは相手の動きを止めて――――


  そんな、僅かな思考。その時だった。

「翠星石、危ないっ!!」

  蒼星石がこちらに真っ直ぐ飛んできて、私を突き飛ばす。

「きゃっ!?」

  思い切り押し飛ばされて、したたか腰を打ってしまって……尻餅をついた体勢で、蒼星石を見た。

  "蒼の茨"は、防御壁にもなる。何か攻撃を受ければ、壁から茨は伸びてくるから――言わば
オートガード。それが蒼星石の身の周りに発動していた。

「蒼星石っ!?」

  見えない。蒼星石は、何らかの衝撃を受けている……!?

「……こっちへきちゃ……駄目だ、翠星石……!」

  でも、……でも! 
  何だ、何が起きているのか。よくよく眼を凝らす――――

  すると蒼星石の身体の周りに……うっすらと、色のついた何かが取り巻いていて……

「紫色の……霧……?」

  近づこうとしても、蒼星石が叫びながらそれを制止する。
  恐らく十秒も経たない内に、その霧のようなものは消えていった。蒼星石が倒れると同時に、
"蒼の茨"が壁に戻っていく。……だが。その部分は殆ど朽ちてしまっていた。

「蒼星石っ!」

  私は慌てて駆け寄った。"茨の冠"はまだ発動していたけど、――蒼星石は、その眼を開けない。



――――――



「そんな……そんな……!」

  何故、思い出が走馬灯のように駆け巡るのか。……死んだ? 妹が、死んでしまったとでも?

「……」

  言葉が、浮かばない。――――静かだ。今は、闘いの真っ只中では無かったか?

「……」

  ゼンマイの切れかけた人形のように、私は顔を上げた。
  すると眼の前には、人間が……立っている。


『何故、館の主を守ろうとする?』

  それは口を開いて、私に話しかけてきた訳では無かった。ただ……その声が。私の頭の中に、
直接響いてくる。


『何故お前が命を賭して、館の主を守る必要がある……?』

『憎い。お前達の血族が憎い。何故お前達は、私のことは守ってくれなかったのか』


  そして、別な種類の声も聴こえてくる。何時の間にか私の前に立っている
"人間"の数が、増えていた。


『そうだ、私達は指輪の呪いに巻き込まれ――』

『不幸の概念に、取り殺された』

『お前達が、私達をちゃんと守らなかったからだ』


  ……そんな。私達の血統は……代々薔薇屋敷の為に、闘ってきて……


『だが、私は死んだ』

              『死にたくなんてなかったのに』

    『これが運命だったと、お前は言うのか』


  ……やめて……


      『憎い、憎い』

    『……お前の大切な妹も、お前のせいで』

      『お前の、せいで』


  ――――やめて、やめて!


『お前の、せいで』

    『お前には、無理だったのだ』

        『ここで呑みこまれて……朽ちるがいい』


「やめてええええええええっ!!」


  訳もわからず、叫ぶ。嫌だ、嫌だ、聞きたくない!
  胸が苦しい。流れ出す涙が止まらない。
  誰か、助けて……!

  これが絶望、なのか。私は――――




――――――――――




「さあ……あとは、私達だけど」

  "庭師"が夢の"世界"への扉に飛び込んでいって、そして考えなければいけないこと。
ジュンには真紅を守ってもらうとして、あとは私達だが……

「金糸雀、――――どの位、時間は稼げる?」

「どうしたのかしら、ジュン」

「これから、試してみたいことがある。――真紅は今、指輪の"存在の終わり"に呑み込まれ
  かけてる状態だ。――今はまだ大丈夫そうだけど、ずっとは保たないだろうし……むしろ、
  僕等も"異なるもの"にやられてしまう可能性が高い」

  ……確かにそうだ。"異なるもの"の発生の気配は、館の中にも感じているし……そして
館の外にも。今眼の前にある"世界"の入り口から出てこようとする虚像については、"庭師"が
食い止めてくれると信じる他無い。

  何より、戦力が足りなすぎる。虚像の殲滅が終わったあとで――いや、その終わりがある
のかどうかもわからない。何か別の……この戦闘に終止符を打つための、ある手段が必要か
もしれないことは確かだった。

「今から、僕が真紅の精神に同調する。ちょっと時間かかるかもしれないけど……そこで
  僕が、真紅の指輪の存在を全て奪ってしまえばいい」

「……だけど、それだとジュンは……!」

「指輪の"存在の終わり"を、この空間では無い何処かで発動させればいいさ。僕が大丈夫って
  保障はないだろうけど。上手くいけば、そのまま闘いにピリオドが打てる。
  ――それまで、時間を稼いでほしいんだ」

「ジュン君……うん、わかったよ」

「みっちゃん!?」

「カナ、貴女は"策士"でしょう? 状況を、冷静に見て判断して。こちらから何かアクション
  を起こさないと、ジリ貧になって結局やられちゃうんじゃないかな」

「……」

「彼の案に乗るべきだよ。私達は、それを邪魔しようとする奴らを排除する役目。
  ……確かに賭けかもしれないけど。それでも、やってみなければわからない……!」

  みっちゃんの言葉が、胸に刺さる。私は"策士"、この状況を打開する最善の策を、真っ先
に考え付かなければならない立場なのに。自分が……情けない。

「……わかったかしら。"異なるもの"がこの場に辿りつく前に、私達はそれを食い止めるかしら」

「――ありがとう、金糸雀」

「礼は全部終わってから纏めて聞くかしら。だから――ジュンもどうか、無事でいて」

「はっ。幽霊になってまでこんなことしてるんだ――そう簡単には、消えやしないよ。
  "旋律"も張っておけば、それだけで虚像どもも簡単には近寄れないさ」

  にっ、と笑みを浮かべながら、そんなことをのたまうジュン。彼は廊下全体に、光の糸を張り巡らせた。

「"旋律"の結界――――こっちは大丈夫だ。さあ、行ってくれ。……頼む!」

その言に頷きを返し。彼をこの場に残し、役割の決まった私達は走り出した。


「――カナ、ごめんね。きついこと言っちゃって」

  走りながら、みっちゃんはそんなことを言い出す。

「ううん、みっちゃん……不甲斐なさは感じるけど、それでもやるしかないことは、確かだから」

  私達が走る先は、"異なるもの"達が発生しようとする気配のある空間。もう屋敷そのものは……
いや、結界が張っている庭先まで。虚像の観念に塗り潰されてしまっている。何処から虚像が這い
出てこようともおかしくは無かったのだが、その中でも取り分け『濃い』気配がある場所へと向か
っている。

  その場所に、何か特別な因縁でもあるのだろうか……? いや、ここは考えるよりも行動だ。

「みっちゃん、ここで二手に別れるかしら」

「うん……しょうがないね。じゃあ、私は庭の方に出るよ」

「私はこっちに行くかしら。……みっちゃん、気をつけて」

「大丈夫よ! カナ! 全部終わったら、皆で撮影会ねっ?」

  そしてみっちゃんは、外へ飛び出していった。
  元々私達はペアで戦闘を行ってきたのだから、別れることによって戦力がダウンすることは明白。

だが、今はそうも言ってられない。私は――――

「――――ここね」

  屋敷内の大広間に、辿りつく。

  酷い、有様だった。この部屋に入った瞬間に感じた圧力もそうだったけれど。眼の前に広がる
光景に、私は背筋を寒くする。
  今まさに発生しようとする"異なるもの"ども。その予兆とも呼ぶべき空間の歪みから成る渦が、
いくつもいくつも犇いている。

「なんて数なのかしら……!」

  一斉に襲われたら、ひとたまりも無い。まずは先に……!



『"策士"が宣言する! 我が身に迫らんとする虚像の衝撃――――実なる音色は、これを悉く妨げん。

  荒ぶる波は、我が旋律が、それを収めんとする……沈黙の前奏曲は今、鳴り響くっ!』



  "宣言"とともに、部屋の中を響く旋律。私の力では、この空間を『塗り潰し返す』には足りない。
だが、これで少しでも衝撃を緩和して。そしてこの部屋に、奴らを閉じ込める位のことが出来れば……!


『……――――――――』


  出て、きたか。虚像の観念ども。

  かたちは、はっきりとしたものを模している様子は無い。単なる曖昧なイメージ。
  この広間からは、不幸中の曖昧とでも言えば良いのか。部屋に備え付けられた大きな窓から、
庭先の様子を見ることが出来る。みっちゃんの姿を捉えることも出来た。

「……!?」

  その庭にあった、大きな大きな、くらい穴。そこから出てきたのは……一体の、巨大な狼だった。
それとみっちゃんが、庭で対峙している。

「人型じゃない、"異なるもの"……!? あれは……!」

  そこで私は、自分達の選ぶ道の誤りを感じた。何らかの『かたちを為す』ものならば、それに
沿って然るべき原典がある。私が居れば、その正体を暴くことは出来たかもしれない……

  庭に居る"異なるもの"――巨大な狼が、みっちゃんを攻撃し始めていた。
  私も早くこいつらを片付けて、向かわなければ……!

  私は、愛用のバイオリンの弦を構える。



『"策士"が宣言する……実像を持ちし我が弦は、"実眼"の力を以て、

  虚を実に返す刃に、その姿を変える……!』



  この実空間は最早、観念の"世界"と殆ど変わりない。今私の眼の前に居るのは、圧倒的な数の
虚像。一度空間にかたちを現してしまったならば、恐らく"宣言"をして、イメージに意味を付加
させる余裕は無いだろうと直感する。


  ――――ならば、体力勝負。一つ一つ、私の持つこの弦で、切り裂いていく……!


  覚悟は決まった。私は渦の中に飛び込み、かたちを現した一体を、まず切り裂く。

  ザクン!

「次っ!」

  ザクッ! ザクッ! ザクッ!

  繰り返す。ひたすらに、虚像の観念を滅していく。

(みっちゃん、今行くから……!)

  焦ってはいけない。頭ではわかっている筈のことが――今は、行動に現すことが難しい。
  だが、落ち着かなければ。

  虚像が出てくる空間の位置。攻撃を仕掛ける方向。その衝撃の余波。

  頭を使え……! この空間の戦闘の全てを見切ることに、私は全神経を集中させる―――!



――――――――



「……次、かしらぁっ!」

  踵を返し、振り返った先。もう眼前まで迫っていた虚像を、弦で串刺しにする。


『――――――………!』


  声にならない声を上げて、掻き消える"異なるもの"。

「はーっ、はーっ……」

  数が、多すぎる。一体一体の存在の力自体も、低い訳では無い。だが、一撃で仕留め損なったら、
私自身が『喰われてしまう』。

「…………!」

  額を伝う汗が煩わしい。それを拭っていた――――時だった。

「きゃああっ!」

  庭に居たみっちゃんの声が、響き渡る。

「みっちゃんっ!?」


  其処に見えていたのは、庭を囲む壁に追いこめられているみっちゃんの姿だった。
  早く、早く行かなければ――――――!


「ちいぃっ!」

  迫り来る"異なるもの"が放つ衝撃に対し、私はその場から飛びのく。
  "庭師"の二人が"世界"に飛び込んでから、それほど時間は経っていない……筈。
  だが、その短時間で――――この疲労の具合は、どうだ。

「早く……しないと……!」


  庭先に居る狼が、みっちゃんに牙を向く。それを寸でのところで、みっちゃんは回避していた。

  ――――そうやって、他の者に気をとられていたのが、本当に良くなかったのだ。


「――――――――あ」


  部屋に居た"異なるもの"の一体が、私の身体を貫通していた。

「あ…………っ」

  弦に施していた観念が掻き消され……私の"実眼"も、解除される。

  ぺたり、と。腰が抜けたように、その場に、座り込む。……まずい、力が、入らない、


『――――――――』『――――――――――』『―――――――――――』


  五月蝿い、声が、響いている。
  本当に、五月蝿い……。眼の前が、くらくなっていく。


『――――――――』『――――――――――』『―――――――――――』


  心が、虚像に塗り潰される感覚……


  働かない頭でなお、私は状況を冷静に分析していた。なんて――無駄な、こと。


  私はこのまま……死ぬ……?

  そんなことを考えながら、眼を閉じかけた。……その、刹那。



『――――――だからね。金糸雀はこういうのは向かないんだよ……
  数に対して、数で対抗出来ないから……』



「……」

  声が聴こえる。

『……"策士"は頭脳労働がお仕事。だけど……そこを根性論で乗り切ろうとした
  気合は……実にぐっじょぶ。金糸雀』


  ざあぁ、と生温い風が一陣、部屋の中を通り過ぎて。この空間の空気が変わる。
  ああ――このとぼけた感じで話をする人物といったら、一人しか思い浮かばない。

「……まだ寝ぼけてるの? 早く眼を覚まして……」

「――薔薇水晶……!」

「……庭に居るでかいやつには、お姉ちゃんが向かったけど……きっと、"策士"の力が
  必要だよ。早く片付けて、そこに向かわなきゃ」


  そして、この大広間の空気は、完全に塗り潰された。観念の終わりの場所、"虚ろなる街"
の空気に……話には聞いていたが、この眼で見るのは初めてである。

「……っ!?」

  背筋を、嫌な汗が伝う。気をしっかり持っていないと、このまま私の存在が――この街
に、『持っていかれそう』だ……!

「……"実眼"を解放して。自分の身を守って、金糸雀……貴女は、"世界"に『近い空気』
  には耐性があっても、生身ではこの街には居られないから……」

  言われて直ぐ様、精神を集中。上手く力は入らないが、なんとか正気を保っていられる
ようだ。

「……すぐ、終わらせる……」

  きっ、と。前方を見据える薔薇水晶。"異なるもの"は、また増えているような気がする。
でも、彼女なら――きっと。



『"鏡の姉妹"が一人が宣言する……汝等、かたちを持たぬ虚像は……

  この、観念が終わりの街で……その存在を終えるのが、相応しい。最早、解放にも値せず』

『……観念の、牢獄。……"水晶の檻"』



  『ガァァン!』という激しい地響きと共に地中より現れたのは、まさに――"檻"。幾本もの
紫水晶が重なり合い、眼の前に居る"異なるもの"どもを……一斉に取り囲む。

  唯一体の虚像も残さず、捕らえきった『牢獄』は。その空間を狭め、中に居る者達を圧迫する。


『――――――――!!』『……――――――――』『………――――………』


  "異なるもの"は、断末魔を上げたのだと思った。だが、それすらも無かったかのように。
薔薇水晶の『牢獄』は――奴らを捕らえ、圧倒的に――――押し潰し、掻き消したのだった。

  "虚ろなる街"から、また元の大広間へと空気が戻る。


「――――――はぁっ、はぁ……!」

  勿論、今この館を満たしている空気そのものも、……決して私にとって優しいものでは
無い。だが。先ほどの"虚ろなる街"の空間が、特殊すぎた。其処に居る間、私は気付くと
ずっと息を止めていたらしい。ここに戻ってくるなり堰を切ったように呼吸を初め、心臓
は早鐘のように鳴り響いている。

「はぁ、はぁ……貸しを一つ、作っちゃったかしら……お礼を言わせて貰うわ、薔薇水晶」

「……いいよ。今度シウマイ、奢ってね……」

  にこりと微笑むその表情の邪気の無さに、……彼女には敵わないな、などと思ってしまうのだ。


「……さ、行かなきゃ……って言いたいところだけど。一つ注意があるの」

「――何かしら?」

「……ジュンの"旋律"は……殆ど万能だけど、過信しすぎちゃ……駄目。……館の"異なる
  もの"の発生源は、ここだけじゃ無かった。戦力が足りなかったのはわかるけど……」

「――――!」

  しくったか……肝心な所でのミスは、本当に命取り。ああもう、私ってやつは……!

  だけど。本来致命的なミスを責めるべき立場にある彼女の語気から、その様子が全く感
じられない。むしろ、何処かしら余裕があるようにすら感じられる。

「……大丈夫。ジュンの周囲は……期待のルーキーが守ってる筈だから。
  ……ごめんね、ちょっといじめてみた」

  ……思わず、力が抜けた。ああやはり――全く以て、敵わない。

「シウマイ食べ放題の上に、玉子焼きもつけてあげるかしら……!」

  守る体制は、これ以上ない位に整った……筈。だが、私の頭には、また一つ懸念が浮か
んでいる。

「"庭師"の二人は、大丈夫かしら……」

「……多分、超苦戦してるかもしれないけど……平気。私達が多分足元にも及ばない二人が、
  手伝いに行ったから……」

「えっ? それって――」

「……さ、急がなきゃ。れっつごー……」

  また、彼女の顔に浮かぶ微笑み。それに苦笑を返しつつ、頷いて。私達は――庭へと走
り出す。



――――――――――――――



「……すいせい、せき」

  小さな小さな、声。だけどそれは、今頭の中で語られているどんな言葉よりも、私には大きく
響いた。

「蒼星石! 大丈夫なんですかっ!」

「平気……ではない、けど……君の"茨"のお陰だよ……」

「ごめんなさい……! 私の、せいで……!」

  まだ、涙は止まらない。これは私のミスだ。一瞬気を逸らすなど、闘いの場ではあってはなら
ないこと。

「……翠星石。奴らの声は、僕にも聴こえていたよ……でも」

  蒼星石が、震える手を私の顔の方に伸ばしてきて。涙を、拭う。

「……僕等が負けたら、また、繰り返すだけ……終わって、しまう……!」


  ――――そうだ。私達はまだ、自分達の"庭師"としての使命を、果たし終えていない――――!

「ちょっと休んでるです、蒼星石……ちょっくらここが、踏ん張り所みたいですから。
  お姉ちゃんにどんと任して、寝てるです!」

  ふっ、と。蒼星石が微笑んだ。
  私はその場に蒼星石を寝かせて、すっくと立ち上がり。
  "人間"……いや、"異なるもの"達と対峙し、私は言葉を発する。

「確かに……おめーらが死んでしまったのは、私の血族の責任かもしれんです。
  そこだけは、いくら私が謝っても謝りきれんです……

  でも、いくら恨みが深くても。
  今を生きようとするひとの邪魔をしようとすることだけは、許さない……

  おめーらは、自分の子孫がどうなってもいいですか!
  不幸の概念……それを、背負わせようって言うですかぁっ!」


  私が正しいことを言っているかどうかは、わからない。
  けれど。この"異なるもの"達に屈してしまえば。私も蒼星石もやられてしまい、そして真紅も……
  私は自分が信じる道を、進むしかないじゃないか……!

  力を込めて、私は"宣言"を掲げようとする。

  この身が滅びようと――足掻いてみせる!


  ――――――だが。私のすぐ近くにいた"異なるもの"達は、その直後。
  蒸発してしまったかのように消えてしまう。

  何が起きたかわからなかったので、声を上げることすら出来なかった。


「……うん、合格」

「――えっ?」

  やっと出た私の一言は、随分間の抜けたものだった。だって、今聴こえた声は、

「遅くなりまして申し訳ございません、翠星石さん。ちょっとここまで来るのに手こずりました」

「……合格と言っても、ぎりぎり及第点かな」

「それは厳しいだろう。心にかかる圧力には、自分の精神で対抗するしかない。――よく頑張りましたね」



  私の横に立っているのは。にこにこと微笑んでいるのが一人と、無表情のままで居るのが一人。
  組織の中でも、圧倒的な力を持つと謳われる能力者――

「白崎さん、……槐さんっ!?」

  思いもよらぬ救援に、私は驚きの声を上げるしかなかった。
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