あなたが好きです
長い影が二つ、歩道に伸びていた。一つの影はゆらゆらと動いて、隣の影をしきりに見る。膝元まである長い髪がカールにされて二つに分かれている。それをゆらゆらと揺らしながら、その隣の対照的にショートカットに髪をこざっぱりとした、一瞬少年にも見間違うようなボーイッシュな人物にしきりに何かを話し掛ける。長髪の少女が翠星石、ショートヘアの少女を蒼星石といった。二人は双子で、髪の長さを除けば、左右対称のオッドアイといい、瓜二つだった。翠星石が姉で蒼星石が妹。生まれた時間の些細な差だが、翠星石も蒼星石も双子だという事と同じくらいそれを大事にしていた。「とにかく、ちび人間が言う事はいちいち頭にくるですよ。」「ちょっと姉さん…」しきりに騒ぎ立てる翠星石に対して蒼星石は落ち着いているというか物静かというか、双子でも大分性格は違うらしかった。翠星石の言う「ちび人間」とは蒼星石と同じクラスの「桜田 ジュン」という少年を指している。双子とジュンは高校に入って知り合ったのだが、翠星石とジュンの馬があうのかあわないのか、顔を突き合わせれば兎に角言い合いになってしまう。「そういえば、高校に入ってから、姉さん一言目には桜田君の話だよね?もしかして…」蒼星石の口元が微かに緩んだ。その蒼星石の一言に、翠星石の顔は見る見る紅潮していくのが蒼星石にも見て取れた。「ち、違うです!ちび人間なんかには興味はないのです!い、いつもいつもちび人間が軽口を叩くから…そ、そうこれはうらみつらみなのです!」必死で弁解する翠星石に、蒼星石はクスクスと笑いをこぼした。「わーらーうーなーです!とにかく、ちび人間のことなんてこれっぽっちもなんとも思ってねぇですよ!」「はいはい、わかったよ、姉さん。でもさ、彼、結構人気あるんだよ。雛苺なんかもなついてるみたいだし、あの真紅や水銀燈まで彼の事気にかけてる雰囲気があるんだよ。」雛苺、真紅、水銀燈。皆、彼女らの幼馴染である。「か、関係ねぇです。ちび人間がどうなろうとしったこっちゃねぇのです!」顔を真っ赤にして必死で弁解をする翠星石。そんな姉の姿に、蒼星石は姉が本当にジュンを好きなのだとひしひしと感じていた。そもそも翠星石は自分の感情を素直に表現するのが苦手で、心で思っていることとは裏腹なことを口に出して言ってしまう。その事をよくしっているからこそ、蒼星石にはこの姉が微笑ましくもいとおしくも思えた。
もうすぐこの学園では文化祭がある。文化祭を行う季節というのは地域によってもまちまちだが、双子の通っている学園では秋に行うことになっていた。各クラスで出し物を決める。それは劇でもいいし、飲食店でも何でもよかった。今年度、蒼星石とジュンの所属するクラスは演劇をする事になり、それが決まった日の放課後から早速準備が始まった。配役やお話の内容はさておいて、大道具などの裏方から決めていく事になり、蒼星石とジュンは偶然小道具を担当する事となった。どちらも手先の器用さを買われてのことだった。「小道具ったって、何も決まってないのに何つくりゃいいんだよ。」ジュンがこぼした。「そうだね。でも、とりあえず必要になりそうな道具なんかは準備しておいた方がいいよ。」「そうだな。」蒼星石の提案によって、二人は小道具を作る際に必要になりそうなものを集める事になった。「蒼星石ー。蒼星石のクラスは何をやるですか?」そこへ、翠星石がやってきた。「あ、姉さん。僕らのところは劇をやるんだよ。」「そしたら蒼星石が主役ですね!姉として鼻が高いのですよ。」「いや…」「残念だったな、蒼星石は僕と一緒の小道具係りさ。」そこへジュンが首を突っ込んできた。「あ、桜田君…」「な…ふ、ふん。蒼星石は主役の器ですが、皆に遠慮して譲ってやったにきまってるです。それに小道具係だって手先の器用な蒼星石には天職ともいえるのです!」突如現れたジュンに、翠星石はそっぽを向きながらも、蒼星石の擁護だけは忘れない。「せいぜい蒼星石の足を引っ張らないでほしいもんです。」「ね、姉さん…」「うるっさいなー。オマエのとこは喫茶店やるんだろう?こんなとこで油うってていいのかよ?」「ち、チビ人間にそんなことを言われる筋合いはねぇのですよ!…じゃ、蒼星石、頑張るですよー。」そう言って翠星石はのっしのっしと教室から出て行った。途中で、一瞬ジュンの方を振り返ったが、ふんっとして行ってしまった。
「ご、ごめんね、桜田君。姉さんは…」慌てて蒼星石がフォローに入る。「わかってるよ。それに口の悪いのは今に始まった事じゃないし。」「う、うん。本当にごめんね…」 集めてきた道具を並べて、どんな注文が来ても対応できるかどうか二人は話し合い、今日はそれで終わりになった。 翌日、おおまかな配役や劇の内容が話し合われてその形が見えてきた。それに伴って、蒼星石とジュンの仕事も増えてきた。二人でイメージを出し合い、それが決まれば次にそれをかたどっていく。それは食器だったり、勲章だったり、様々だったが、二人が作り出していくそれぞれの物は本物と比べても見劣りしないものであった。「凄いよね、桜田君。よくこんなアイディア思いつくよ。」「そうかな?蒼星石だって凄く仕事が丁寧で、イメージ以上のものが出来上がってくるから、凄いと思ったぞ?」「そ、そうかな?えへへ…」珍しく蒼星石が照れたような笑みをこぼした。翠星石の前ではどうかは知らないが、少なくともジュンを始め、クラスの人間はこういう感情を露にした蒼星石を見ることは珍しかった。と、いっても、翠星石絡みのことで困っている顔は良く見るのだが…「あ、ちょっとこの仕上げ頼めるか?」「ん?いいよ…」ジュンがじっと蒼星石の手つきを眺めている。「ちょ、そんなに見られてたらやりづらいよ。」「あ、ごめんごめん。なんていうか綺麗に手が動くなーって思って。」「き、緊張するじゃないか…つっ!?」鈍い痛みが、蒼星石の指からじんわりと広がった。うっかりと手を滑らせて親指を切ってしまったのだ。「おい、大丈夫か?ちょっと見せてみろ。」ジュンが乗り出して蒼星石の手を取る。「あ、ちょ…」「ちょっと深い感じだな…止血しないと…」ジュンはカバンから救急絆創膏を取り出して、指の付け根に強めに巻くと、血の出ている指を口に含んだ。
「!?ちょ、ちょっと桜田君!」「え?あっ!」自分が蒼星石の指を口に含んだことにそこで始めて気付いたらしい。「ご、ごめん。僕が怪我したときはいつも姉ちゃんがこうしてたから…」「ほ、保健室に行って来るね…」気まずい空気になりそうだったからか、蒼星石は慌てて教室を出て行ってしまった。
その日の帰り道、いつものように翠星石と蒼星石は一緒だった。例によって、騒がしい翠星石だったが、蒼星石がいつにもまして静かなのが気になった。「どうしたですか、蒼星石?何か、いつもより元気がねぇ感じです。何かあったのですか?」「ん…別に、なんでもないよ…」「怪我が痛むですか?全く、チビ人間も蒼星石にこんな怪我負わせるなんて、何を考えてやがるですか!」一人虚空に向かって怒りを叫ぶ翠星石。「彼は…悪くないよ。手が滑った僕が悪いんだから…」蒼星石はそう言って、保健室で包帯のまかれた手をじっと見た。「痛かったらすぐに翠星石に言うですよ?すぐにでもチビ人間に賠償を請求してやるのです。」「僕も不注意だったんだ。桜田君は悪くないよ。」翠星石もそれ以上は何も言わなかった。ただ、どうも蒼星石の様子がおかしいことだけが翠星石の心に引っかかっていた。
その日の夜。「おやすみ。」「おやすみですぅ。」翠星石が眠そうなあくびをする。翠星石も蒼星石も各々の部屋に戻って後は床に入るだけ。時計は既に日付が変わってしまった事を指し示していた。「………」電気を消して、床に入って…それからしばらく蒼星石は寝付けないでいた。じっと天井を見つめる。特に何が見えるわけではない。でも、目を閉じるよりいいと思った。目を閉じると、まぶたの裏に、あの場面がよみがえってくる。自分の指を真剣な顔で口に含んだジュンの顔。何故、こうもはっきりと思い起こせるのか。わからない。わからなくて、じっと天井を見つづけている。(そんな…まさか、ね…)今日の帰り道だって、夕食の時だって、ずっとジュンの顔が脳裏に焼きついたように離れなかった。(だって、彼は…翠星石の思い人じゃないか…それは僕だって知ってる事のはずだよ…でも…なんだろう…)ジュンの顔が思い浮かぶたびに、胸の奥底が苦しくなって、ざわざわとした。それに加えて、決して晴れる事のない霧のようなもやもやがずっと心を支配しているのだった。(……これが、そうなのかな…でも、今までぜんぜん意識した事なんてなかったのに…)「そ、そうだよ!」自分以外誰も居ない部屋で、蒼星石は叫んで勢い良く体を起こした。(そうだよ、きっとあんなことされたから、気が動転してたんだよ。僕は、僕は…)月明かりが窓から差し込む。窓際においてある蒼星石の机を月光が照らして、無造作に転がしてあったシャーペンがきらきらと光を反射した。「そうに、違いないんだ…」薄暗い部屋の中で、賭け布団をつかんだ手にキュッと力をこめながら、蒼星石は一人呟いた…
文化祭での劇は、ジュンと蒼星石の小道具のおかげかどうかはわからなかったが、無事成功に終わった。翠星石たちの喫茶店も中々の評判だったらしい。今日も蒼星石とだべりにきた翠星石は、すぐそこにいるジュンの姿をみつけては、何かと絡んでいる。しかし、そんな翠星石に一つの気がかりがあった。どうにも様子がおかしいと思ったあの日から、やはり蒼星石の様子がいつもと違っていた。今までそんなことはなかったのに、一人でぼーっとしていたり、全然話を聞いていなかったり。最初はどこか具合が悪いのかと思っていた。切った指が痛むのかともおもっていた。でもこれは違う。何かが違っていた。帰り道、翠星石は思い切って蒼星石に尋ねた。「ねぇ、蒼星石?最近なんだか様子がおかしいです。ほんとに何でもないんですか?」「………うん、なんでも、ないよ。」「うそ。姉の翠星石にも黙ってるなんて、水臭いです。本当は誰か好きな人でも出来たんじゃないですか?」「う……多分、そうかな…」「…つ、ついに蒼星石に好きな人が出来たですか!姉として喜ばしいやら寂しいやらなのです。それにしても蒼星石に好きになられるなんて幸せな奴です。一体そいつはどこのどいつですか?」翠星石の問いに蒼星石は顔を真っ赤にしてうつむいた。「い、言えないよ、そんな事…」「言わなきゃわからんですぅ。さぁ、覚悟を決めて言うですよ!」「言わないったら言わないよ…」(言えるわけないじゃないか…僕も桜田君のことを好きになっただなんて…)「む~。蒼星石がそこまで言うならもう聞かないです。翠星石は草葉の陰から応援してるですよ。」「姉さん、草葉の陰って…」「とにかく、頑張るです。翠星石はいつでも蒼星石の味方ですぅ。」「うん…ありがとう、翠星石…」
あの日からずっと考えていた。このもやもやは、この気持ちは一体何なのか。ジュンの顔を見るたび、思い出すたびに苦しくなって、居てもたっても居られなくなるのに、それを解消するすべを蒼星石は知らなかった。心のどこかで、この気持ちはそうなのだ、とささやく声があったが、蒼星石はそれを認めるわけには行かなかった。姉が好きになった人を、自分も好きになる。そうであってほしくはなかった。しかし、ジュンと話をするたびに、そのささやきは段々と大きくなっていく。認めざるを得なかった。(僕は…僕は……!)
あの日から蒼星石の様子がおかしい。あの指を怪我した日、蒼星石に何があったのか。それを調べようにもそれを知っているのは蒼星石だけ。クラスの子に聞いても明確な証言を得る事は出来なかった。ジュンなら何か知っているとは思ったものの、口を開けばすぐ喧嘩になる。翠星石にとって聞き出すのは容易ではなかった。「蒼せ……」ある日の放課後、いつものように蒼星石を呼びに来た翠星石はあっ、と思って咄嗟に教室の入り口の影に身を隠した。(蒼星石…とチビ人間です…)教室の様子を伺うと、他には誰も居なくなった教室で蒼星石とジュンが何か楽しげに話していた。その蒼星石の顔は、翠星石でも見たことがないような、そんな幸せそうな顔をしてる事に気付いた。ジュンもジュンで自分に接するときとは全く正反対で、にこやかに話をしている。(そう…そうなのですか?蒼星石…)嬉しそうに笑う蒼星石を見て、翠星石はある確信にたどり着いた。前から様子がおかしかったのも、他に事情を知る者がいないのも合点がいく。(…翠星石は……どうしたら…)カーテンがそよ風に揺らぎ、夕日が教室を紅く染めた。楽しげに話をする蒼星石とジュン。翠星石はそれを物陰からそっと見ていることしか出来なかった。
夕食も終わり、そこからは気長ゆっくり夜の時間、なのだが。「よーし!」翠星石は腕まくりをする仕草で蒼星石に近づいた。「?どうしたの?」そのまま蒼星石の腕をがっしりとつかむと、自分の部屋へと引っ張っていった。「ちょ、ちょっと、どうしたのさ?」成すがままに部屋に連行されてしまった蒼星石。「蒼星石に好きな人が出来たのは喜ばしい事なのです。そこで、翠星石が蒼星石のためにドレスアップしてやるのですぅ!」「ど、ドレスアップって…そ、そんなのいいよ。」「よくないのです!折角好きな男がでたのです。蒼星石の魅力全開で絶対におとすですぅ!」翠星石は意気込んでクローゼットの中をあさり始めた。(…翠星石…でも、それは……)一生懸命にクローゼットの中から服を出してくる翠星石に申し訳なさがたって、蒼星石はうつむいてしまう。「何を恥ずかしがっているのですか、蒼星石。そんなことじゃ、男は振りむかねぇですよ!」「ぼ、僕は、別に…」「ごちゃごちゃいってねぇで、これでも着てみるです。」手渡された翠星石の服。翠星石なりに蒼星石に会うようにチョイスしたものらしかったが、それでも蒼星石が普段着る服と比べると、いろんな意味で派手だった。「ちょっと、派手過ぎない…?」「これくらいで丁度いいのです!とにかく着てみるです。」それから小一時間、どうにかこうにか折り合いをつけて、蒼星石の服が決まった。「服がきまったら、次はデートにさそうですよ。」「で、デート?そ、そんな、まだ告白も何も…」「何でもいいのです。…あ、丁度来週はお父様の誕生日なのです。日曜にでもその男を買い物に誘って一緒にプレゼントを選ぶですよ。」「そ、そんな…誘っても来てくれるとは限らないし…」「いいや、絶対来るです。蒼星石の頼みを断るような奴は翠星石がぼこぼこにしてやるですー!」「ちょ、それは脅迫だよ…」そんなこんなで夜は更けていく。
その日、蒼星石は眠れなかった。翠星石に「早速明日誘ってみるですよ」そう決められてしまって、それを考えたら色んなことを考えてしまい、眠れなくなるのだった。(……来てくれるかな…OKしてくれたら嬉しいな…)ジュンとデート。その言葉だけで、頬が熱くなっていくのがわかった。部屋に自分以外誰も居ないのに、布団を頭までかけて真っ赤になりそうな自分の顔を誤魔化した。
「ねぇ、桜田君。ちょっといいかな?」教室。授業合間の休み時間に蒼星石が声をかける。「ん?蒼星石か。何?」さっきの授業中に寝ていたのだろうか。ジュンは眠そうに目を半開きにしていた。「うん…今度の日曜さ、ちょっと付き合ってくれないかな?」「日曜?なんで?」「来週、お父様の誕生日なんだけど、男の人へのプレゼントってよくわからないから…その、一緒に選んでほしいんだけど…」「なるほどな。でもさ、親父って娘のプレゼントだったら何でも嬉しいんじゃないか?」「そ、それはわからないけど…でも、折角プレゼントするならなんだか微妙な物を贈るより使ってもらえるものの方がいいとおもうんだ。」「翠星石は?あいつと一緒にいけばいいんじゃ?」「姉さんは、その日はだめだって…」「うーん…まぁ、いいよ。どうせ日曜なんて暇だし。」「あ、ありがとう…!」心が舞い上がるということはこういう事を言うのだろうか。待ち合わせの場所と時間を決めてから、授業も何も耳にはいらなくなってしまって、ただただ日曜が待ち遠しいという気持ちで一杯になった。
放課後。いつものように翠星石と一緒の帰り道。「蒼星石?なんだかとっても嬉しそうですね。もしかして…」「うん…来てくれるって…!」「よ、よかったじゃないですか!どこのどいつだかはしらねぇですけど、見所のある奴です。」自分の事のように喜んでくれる翠星石に、蒼星石ははっと我に返る。入学当初から、彼に思いを寄せてきた翠星石を差し置いて、自分はその彼と買い物に出かける。一種罪悪感にも似た感覚が蒼星石を襲った。「このまま、告白してそいつとラブラブするですねー。うらやましいようなさみしいようなですよ、蒼星石ー。」翠星石はそういって蒼星石をぎゅーっと抱きしめた。「わわっ、ちょっと、こんなとこで恥ずかしいよ。」翠星石に抱きしめられるのは嫌いではなかった。だが、このときばかりは、罪悪感が先に立っていつもは安心感さえ与えてくれる翠星石のぬくもりがまるで茨のようにちくちくと心を引っかくような感じがした。何も知らない翠星石。もし、このままジュンに告白してうまくいってしまったら…蒼星石の心を引っ掻く茨の刺は次第に鋭くなっていくような気がしていた。 罪悪感と幸福感、それが入り混じった感覚のまま、今日も蒼星石はなかなか寝付けないでいた。姉、翠星石のことはかけがえのない家族だったし裏切りたくなかった。かといって、自分の気持ちにも嘘はつけない。蒼星石はすっかりジュンに恋してしまっていることを自覚していた。翠星石は裏切りたくない。けど、ジュンのことは好き。そして翠星石もジュンが好き。ずっと頭の中でそれがぐるぐると回って、そのうち融けてなくなってしまうのではないか、そんな感覚にも襲われた。しかし、もう約束してしまったのだ。デートの約束を。蒼星石はなんとか考えを吹っ切った。そうでなければ、いつまでも考えて、そして自分の気持ちをごまかしてしまう。それだけは嫌だった。「寝よう…寝ればきっと…」つぶやいて、布団を頭まで被った。
日曜日。翠星石に薦められた服を着て、蒼星石は待っていた。彼が来るのを。「へぇ…蒼星石ってそういう服、着るんだ?」「あ、桜田君。」「待たせちゃったかな?」「ううん、大丈夫。」二人は連れ立って歩き出した。「こう、いつもの蒼星石からだともっとボーイッシュなのかなーって思ってたけど。」「あ、あぁ…これは、姉さんと一緒に…」「なるほど、あいつの趣味も入ってるのか。」あはは、と二人して笑った。 プレゼント探しの方は思いのほか難航した。ジュンとて、同じ世代の趣味ならある程度わかるが、父親くらいの年代のものとなると、一体何をプレゼントしたらいいのかは漠然としていた。色んな店を回りながら、相談して、それでも決まらない。(……恋人同士に見えたりするのかな…)そんな中で蒼星石はふとそう思った。そして蒼星石の視界には、ジュンの腕があった。その腕を取って組んだら、驚くかな。そうは思っても、実行にまでは移せない。翠星石なら冗談でやってしまいそうな事も、蒼星石には決して出来ないのであった。「お、そうか。ネクタイなんてどうかな?もしくはタイピン。」「え…?あ、う、うん。いいんじゃないかな?見てみようよ。」突然話し掛けられて動揺する。邪な事を考えていたのがばれたんじゃないか、と蒼星石はドキドキしてしまっていた。紳士服の店に入り、ネクタイやらネクタイピンやら見ながら話す。ようやく決まった頃には、日が傾いて、空には蒼と紅のコントラストで染められていた。
「ふいー。疲れたな。ちょっと休まないか?」「うん、いいよ。」二人は、ちょっとお洒落な感じのカフェテラスを見つけて、そこへ座る。「今日は、本当にありがとう。お父様にもきっと喜んでもらえるよ。」「いやいや、最終的には蒼星石が決めたことだし、それに蒼星石が決めたものなら、親父さんも喜んでくれるよ。」「そ、そうかな?」照れ笑いする蒼星石。「にしてもさ、翠星石も蒼星石を見習えよーって感じだよなー」「え…?」突然ジュンが翠星石のことを話し始める。「なんつーかさ、蒼星石は一見ボーイッシュっていうか、そんな感じに見えるけど、親父へのプレゼントとか、この間の文化祭の時だって凄く丁寧な仕事で、凄く女の子っぽいところもあるんだなーって思ってさ。でも、翠星石は見た目とちがって、あれだろ?がさつっていうか、なんていうか。」「ね、姉さんはそんなでも…」なんだろう、ジュンが翠星石の話をするたびに、心の中に何かドス黒いモヤモヤが湧き上がってくる。蒼星石はそういう感覚を覚えていた。「蒼星石は優しいな。まったく翠星石は…」(やめてよ…僕の前で姉さんの話なんて…)そんな蒼星石の心とは裏腹にジュンは翠星石の話をし始める。やれ、性格が悪いだの、凶暴だのと次から次へとそんな話が飛び出す。いつもなら、いつもの蒼星石ならそれを否定し姉の擁護をするはずなのに、今は違っていた。(今、君の目の前に居るのは僕だよ?…姉さんの話はしないでよ…やめてよ…姉さんの話なんて聞きたくない…聞きたくない!)ガタン!!「っ!?」突如、勢い良く立ち上がった蒼星石にジュンは驚いたようだった。「そ、蒼星石?」「あ…」
はっと我に返る。何故、そんな事をしてしまったのか。無意識に椅子を突き飛ばして、その場に立ち上がっていた。「ご、ごめん…その、えっと…」言葉が見つからない。翠星石の話ばかりするジュンに腹が立ったなんて、とてもいえない。「ん…帰ろうか?」「…うん」蒼星石はうつむいたまま小さく答えた。 ジュンが家まで送っていくと言うのを一度は断った蒼星石だったが、なんとなく流されるままに家まで送ってもらっていた。 家の庭先には春に蒼星石と根付けしたソリダスターの花が咲いていた。家の塀に絡まった蔓は、刺を持ってがっしりと塀にしがみついている。翠星石はぼーっとそんな花を見ながらほうけていた。今ごろ、蒼星石とジュンは楽しくショッピングしているに違いない。そんなことを思っても後の祭りだ。翠星石は自分の髪をわしゃわしゃとして、思い浮かんだジュンと蒼星石のデートの情景を吹き飛ばそうとしていた。ふと表に人の気配を感じた。急いで自分の部屋に戻って、そっと窓からそっと外の様子を伺う。ジュンと蒼星石だ。蒼星石が何かを言っている。話し声までは聞こえない。その言葉にジュンはうつむいて、首を横に振った。一瞬の間があって、蒼星石の目に涙が浮かぶ。ジュンはそれに対して何かぼそりと言った。そして踵を返して歩いていく。泣き崩れる蒼星石に、翠星石の顔が険しくなっていった。
バタン!!勢い良く開かれた玄関ドアの音に蒼星石とジュンが振り向く。「くぉらぁ、チビ人間!蒼星石を泣かせるとはどういう了見ですー!?」「翠星石か…」「姉さん、なんでもないんだ…なんでも…」「なんでもなくて蒼星石が泣くものですか!?やい、チビ人間!大事な妹に何してくれるですかー!?」「うるさいな!」ジュンは叫ぶとまた去っていこうとする。「まちやがれです、チビ人間!ちゃんと説明するですー!」「姉さん…いいんだ。」「何がいいのですか!?」「いいんだ!」蒼星石の一喝に驚く翠星石。その間もジュンは遠ざかっていく。「その、ごめん…」蒼星石も家の中へと走っていってしまった。「何がごめんです…何がいいのです…翠星石にはわかりませんよ…」翠星石はただそこにたたずんでいる事しか出来なかった。
次の日、蒼星石は部屋から出てこなかった。理由を聞いても答えない。ただ、今日は頭が重いから学校は休む、とだけ言った。いつもの通学路。蒼星石がいないだけで、とても長く感じられた。(学校に行ったら、あのチビ人間とっちめてやるですぅ…!)鼻息も荒く、決意する翠星石。――そして放課後。ジュンを呼び出した翠星石は、昨日の事を問い詰めた。「どうして、蒼星石を泣かせるような事をしたですか!?」「関係ないだろ?」「関係なくなくないですー!蒼星石は翠星石の大事な妹です!妹を泣かされて黙ってる姉がどこにいるですかー!?」「うるさいな…どうでもいいだろ!?」ジュンも声を荒げる。「どうでもよくないから聞いているのです!ちゃんと説明するのです!」「ああ、そうかい、わかったよ!昨日、買い物に付き合って、帰りに告白されて断ったんだよ!」「な、な、なんで断ったですか!?」「僕の勝手だろ!?」「そ、それはそうですが…」「そりゃ蒼星石みたいな可愛い子が僕を好きだっていってくれたんだ。嬉しくないわけないけど、でも僕には他に好きな人が居るんだ。」「………それは、悪かったですぅ…で、でも」「蒼星石にはいえなかった。誰なの、ってそう聞かれたけど、どうしてもいえなかった…僕が好きなのは…翠星石だから…」「えっ…?」翠星石はこのとき自分の耳を疑った。ジュンは今何といったのか。「付き合って、くれないか?」
何の冗談かと思った。顔を突き合わせれば喧嘩ばかりしていた目の前の少年、ジュンが自分の事を好きだと言った。気が動転しそうになった。思考が停止して、どうすればいいのかわからない。「ずっと、出会った頃から気になっていたんだ。そりゃ喧嘩ばかりしていたけど…でも、僕はオマエが好きなんだ。」伏せがちな目でちらちらと翠星石を見るジュン。蒼星石が振られて、翠星石が告白されて、そして翠星石もジュンが好きで…だが、翠星石の脳裏を蒼星石の昨日の泣き顔がよぎった。それが翠星石をより混乱させる事になる。今、ジュンの告白に応じるのは簡単だった。翠星石もジュンの事を好きだった。おそらく二人は始めてであったその日から、お互いをこうして意識していたのかもしれない。そう思うと、うれしい気持ちがこみ上げてくる。だが、同時にここで応じる事は、蒼星石を傷つけてしまう。そうも思った。どうしたらいいのか、わからなかった。助けを求める人もいない。言葉が見つからないまま、ただ黙っている事しか出来ない…「………」「……ダメか…そうだよな、いっつも喧嘩ばっかでうんざりしてるよな……すまない、忘れてくれ。」ジュンは歯軋りをして、踵を返すとそのまま走っていってしまった。「あ……」何もいえなかった。今追いかければ間に合う。自分も好きだと言える。そうは思っても、体は動かない。蒼星石の泣き顔が浮かんでは消える。いっそのこと蒼星石が自分を引き止めているんだ、そう思いたかった。だがそれは翠星石にとって、考えてはいけないこと。たった一人の妹の所為になどできない。(翠星石は…翠星石は……ジュンのことなんかこれっぽっちも…)頬を熱い何かが伝った。それが涙なのだと理解するまでは時間が要った。日が暮れて、闇が支配し始める時間。黒く染められかけた空を見上げながら、翠星石はただ呆然とそこに突っ立っていた。涙を止める事が出来ないまま、ただ、そこで呆然としているだけだった。
珍しいことにその日、双子の姉妹は別々に登校した。双子が入学してから、それは初めての事だった。蒼星石が教室に入ると、どこかいつもと違う雰囲気がそこにあった。ジュンはまだ登校していない。もうすぐ朝のホームルームも始まろうと言うのにジュンがやってくる気配すらなかった。(…はは、振られたのに…自然と探しちゃうなんて…)ジュンを待つ自分に気付いて、蒼星石は自己嫌悪する。やがて朝のホームルームが始まる。担任がジュンは休みだと言う事を告げた。「やっぱり…」近くの席で、ヒソヒソ声が聞こえてきた。(やっぱり…?)ジュンに何か会ったのだろうか、聞くにしても、今はホームルーム中。動く事は出来ない。「桜田君、翠星石に振られたんですって。」「ええー、桜田君って翠星石が好きだったのー?」ホームルームが終わった途端、クラスの女子がそんな話をしていたのが、蒼星石の耳に入った。(え……桜田君が翠星石に…振られた?)一瞬混乱する。自分が振られたのは、ジュンが翠星石を好きだったからだった。しかし、翠星石はジュンを振った。けれど、翠星石もジュンを好きだったはず…一体どういうことなのか。わけがわからず混乱してしまう。だが、翠星石とジュンの間に何かがあったのは間違いない。蒼星石は意を決して立ち上がった。
「どういうことなんだ?姉さん。姉さんだって桜田君の事を…」「か、関係ねぇです。翠星石はチビ人間のことなんかこれっぽっちも…」「嘘つくのはやめてよ!」人気のない校舎の裏手で、蒼星石の声が響く。「姉さんは、桜田君の事が好きなんでしょ…?僕もそうだった。僕は初めて男の人を好きになった。それが姉さんの思い人だったから、僕だってどうしようかって悩んだよ…でも、止められなかった。…桜田君が姉さんの話をするとき、胸が苦しくなって、どうしようもなくなくって、心がつぶれそうになって…!」「蒼星石…だ、だから翠星石は…」「僕は、彼に告白した。でも、断られた。それは彼が姉さんの事を好きだったから…でも、姉さんは桜田君を振った。どういうことなのさ!?」「す、翠星石は…翠星石は…!」「もしかして、僕に同情してるの?僕を振った相手だから、付き合えないってそういうこと?」「ち、違うです…そんなんじゃないです…」「違わないじゃないか!姉さんだって彼のことを好きなのに、どうして振ったのさ!?僕に同情してるからだろう?…冗談じゃないよっ!」「…翠星石は、同情なんかしてないですぅ!」「なら、どうしてOKしなかったの…願ったりかなったりじゃないの!?僕は…同情なんてされたくない…!」「違うといってるのです!蒼星石!少しは翠星石の話も聞くです!同情じゃないとあれほどいってるじゃないですか…ただ翠星石はどうしたらいいかわからなくなったのです…蒼星石がジュンを好きで…」「同情じゃないか!?僕は…惨めなだけじゃないか…」蒼星石の瞳に涙が浮かぶ。それでも蒼星石はやめない。「惨めだよ…僕が好きになった人は、翠星石が好きで、そして翠星石は彼のことが好きで…僕はまるで道化じゃないか!?蚊帳の外で一人道化を演じていたと思ったら、今度は翠星石が彼を振って…もう何がなんだかわからないよっ!」「蒼星石…」「どうして…どうして姉さんなの?同じ顔なのに…双子なのに…!」零れ落ちる涙を拭く事もせずに、蒼星石は叫びつづける。「どうして、どうしてなんだ…いつも、姉さんが表情を変える度に、それは自分の素顔をみているようで、でも、それは姉さんで、僕じゃなかった…僕は臆病で、うそつきで、不器用で…姉さんみたいに笑えない…姉さんがうらやましかった…」「蒼星石…翠星石だって、翠星石だって…」「姉さんにはわからないよ!僕のこんな気持ち…!だから、僕は姉さんが大嫌いだった!僕自信が僕を大嫌いなように、僕は姉さんなんか…大嫌い…だ…!」蒼星石は翠星石の肩をつかんで大粒の涙をぼろぼろこぼしながら、翠星石の肩を激しく揺すった。
成すがままにされていた翠星石の目にも涙が浮かぶ。「翠星石も…翠星石も蒼星石なんて大嫌いです…」その言葉とは裏腹にしがみついて泣き崩れる蒼星石を、翠星石はふわりと優しく包み込むように抱きしめた。「翠星石は、そんな蒼星石の泣き顔なんて大嫌いです…蒼星石はいつもみたいに、困ってる顔の方がいいです…」「……」蒼星石は無言で、そういう翠星石の背に手を回して強く抱きしめた。「翠星石は蒼星石が大好きです…同じくらいジュンが大好きなのです…でも、泣き顔は嫌いなのです…」「…よく…いうよ…泣き虫なのは…翠星石のほうじゃないか…」「そう…かもしれないです…いつも先に泣くのは翠星石で…」「いつも僕が、それを慰めて…」泣いていた蒼星石の顔が、次第に穏やかなものに変わっていく。翠星石も、同じように。「ジュンの事は大好きです…蒼星石の話をジュンから聞いて、頭が真っ白になって…どうしたらいいかわからなくて…」「うん…」「何もいえなくて…そしたらジュンの方が勘違いしたです…」「そう…じゃあ…!」蒼星石はばっと顔を離すと、翠星石の顔を見つめた。「翠星石…僕の素敵な姉さん…君がすべき事は一つだよ…」
夕暮れに照らされて、夕食の準備をする暖かい匂いが街にあふれる。その中で、二つの影がそこで立ち止まった。「ほら、行って来なよ。」バシッと蒼星石が翠星石の背中を叩いた。「いたっ…何するですかっ。」「いいから、ほら。」蒼星石が後ろから肩をつかんでぐいぐいと翠星石を押す。「そ、そんなに押すなですぅ。わかったから、離すですぅ。」「はいはい。」さっきまでの悲痛な顔は双子のどちらにもなかった。ジュンの家の前、双子はじゃれながら、そこへ来ていた。呼び鈴を押す。「じゃ、頑張って…」家の中へ招待された翠星石の背中を見送った蒼星石は、ふっと笑って、そこを去った。 ジュンの姉ののりが、翠星石を迎える。のりの話ではジュンは今朝から一歩も部屋を出ようとしないらしい。ジュンの部屋の前で、翠星石はノックしようとして、一瞬躊躇った。複雑な思いが翠星石を包む。だが、意を決して翠星石はその扉をたたいた。「誰…?」扉は開く事がなく、中から声だけが聞こえた。「す、翠星石ですぅ…」「……何?」完全に拒絶するような声、今更真実を話して、どうなるものか…それはわからなかった。だが、翠星石がする事は一つ。迷いを吹き飛ばして、深呼吸をする。「ジュン…翠星石は…翠星石はジュンのことが…!」そして――
fin
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