~第三十三章~
~第三十三章~ 武将が右腕に握る槍の穂先が、松明の炎を受けて、ぎらりと残忍な輝きを放つ。 (生贄になんて、なって堪るかですっ!)翠星石は痛みを堪えて、左手のクナイを、武将の顔面に投じた。クナイは兜の内へと吸い込まれていった……が、頭蓋を砕くには力が足りない。穢れの武将は槍を地面に突き立てると右手で翠星石の頸を掴み、髪を手放した。翠星石は息苦しさに堪えながら、右手に握った短刀で、頸を掴む武将の腕をめったやたらに斬りつける。しかし、その行為は武将の激昂を誘っただけ。穢れの武将は、怒りに任せて翠星石を地面に叩き付けた。 「くぁっ!」背中を強かに打ち付けて、喉の奥から息が漏れる。その結果、出したくもないのに、呻き声を発してしまった。カタカタカタ……。穢れの者どもの嘲笑に、憎悪と憤怒の感情が燃え上がる。仰向けに倒れたまま、翠星石は緋翠の瞳に憎しみを宿して、敵を睨み付けた。 (こんなっ……こんな連中、睡鳥夢で捻り潰してやるですっ!)しかし、精霊の名を口走りそうになって、翠星石は思い留まった。そんな事をしたら、城門の向こうに居る敵を、城内に呼び込んでしまうではないか。まったくもって、本末転倒だ。そういう事態にならないように、自分は此処に残ったと言うのに――翠星石の苦悩などお構いなしに、穢れの武将は地面に刺してあった得物を引き抜いた。彼女の腹を、泥汚れした足でズシンと踏みつけ、躙る。穢れの武将が、槍を逆手に持ち替え、翠星石の鳩尾に穂先を宛う。槍の柄を掴もうとした彼女の手を、脇から進み出た二匹の足軽が抑えつけた。 「お、お前らっ! やめるですっ! 放しやがれですぅっ!」激しく藻掻くものの、盤石の重みで抑えつけられ、殆ど動けない。槍の穂先が柔肌を突き、食い込んでくるのが解った。一気に貫き通すのではなく、じわりじわりと力を加えて……恐怖を長引かせる。翠星石は、ぎゅっ……と唇を噛み締めた。緋翠の双眸から、止めどなく涙が溢れてくる。――悔しい。そして、怖かった。すぐ側まで迫った死が、どうしようもなく怖くて……。穢れの者の思惑どおりに蹂躙されていることが、悔しくて悔しくて……。翠星石は、声にならない嗚咽を漏らした。結局、自分は妹との約束ひとつ満足に守れない、駄目な姉なのだ。真相を思い知らされて、翠星石は現実逃避するように、固く目を瞑った。 (ごめんなさいです、蒼星石……バカなのは、私の方です)鳩尾に食い込んだ穂先の周囲が、焼けるように熱い。けれど、無様に痛がって、穢れの者どもを喜ばすのは癪だった。歯を食いしばり、迸りそうになる絶叫を呑み込み、堪える。意地にかけて、声は出さない。出したりなんかしない。 (お前たちの思いどおりになんか、絶対にならねぇですっ!)突然の破壊音が鳴り響いたのは、翠星石が決意した、正にその時だった。「えっ?」と、驚愕に眼を見開いた彼女の視界に、自分の両腕を掴んでいる頭蓋骨のない足軽と、兜ごと頭を破砕されて消滅する穢れの武将が飛び込んできた。一体、何が起きたというのだろう?茫然と視線を彷徨わせる翠星石に、ぶっきらぼうな感じの声が呼びかけた。 「よぉ、生きてるか?」 「へっ? あ――」声の方へ顔を向けると、そこには諸肌を脱いで仁王立ちする男の背中が有った。黒髪を野性的に逆立てて、筋骨隆々たる肉体を、惜しげもなく晒している。首に掛けた鎖の先には、純銀製らしい黒ずんだ十字架。彼の両手には、片仮名の『ト』に似た形状の得物が握られていた。 「お、お前は確か……金糸雀の診療所に来てた奴ですよね?」 「二度も命を救った恩人を、お前呼ばわりかよ」 「あ……ご、ごめんですぅ」 「まあ、別に構わねぇがな。俺はベジータだ。次からは、そう呼んでくれ」言い終えるが早いか、ベジータは穢れの群に飛び込んでいき、瞬く間に全ての足軽の頭を粉砕していた。 「これで、少しは話をする時間が出来ただろう」 「す、凄ぇですぅ。それに……そんな武器、見たことねぇですよ」 「これか? 琉球って國で手に入れた物でな。トンファーって言うらしいぜ」 「へぇ。あ、えっとぉ……助けてくれて……ありがと、ですぅ」 「礼なんかいらねぇよ。お前の方こそ、怪我は平気なのか?」ベジータは、顎で翠星石の鳩尾を指し示した。そう言われて、翠星石は半身を起こして、傷に手を当ててみた。指先が傷口を抉って、ズキン! と、激痛が走る。だが、痛みや出血の割に、傷は浅かった。切っ先で肌を裂かれただけらしい。小さく呻いて、顔を顰めた翠星石の様子を、ベジータは心配そうに眺めていた。 「金糸雀は、どうした? あいつなら、すぐに治療を――」 「みんなと一緒に、先に。それに、この程度なら自分で手当できるです」 「……そうか」ベジータの表情が、翳る。翠星石は怪我の応急処置をしながら、穏やかに訊ねた。 「ベジータは、金糸雀の事が心配で、追ってきたですか?」 「……ああ。あいつって、一見しっかりしてそうで、危なっかしいだろ。 なんて言うか、放っておけねえんだよ」 「ふぅん? なんだか、私と似てるですね」てっきり、お節介なヤツだと、からかわれると思っていたのだろう。ベジータは意外そうに右の眉を上げた。そして気づけば、彼女の背中に「どんなところが?」と訊き返していた。翠星石は治療の手を止めることなく、ベジータに眼を向けることなく答えた。 「私には、双子の妹が居るですよ。蒼星石って名前ですぅ」 「良い名前だ。その妹さんの事が心配で、つい世話を焼きすぎちまう――ってか」 「あぁっ! 人の台詞を取るなですぅっ!」 「へへっ、悪ぃな。似てるって言うから、俺なりの解釈を語っただけさ」 「……やっぱり、似てるですね」 「そうらしい」そこで漸く顔を見合わせた二人は、ふっ……と微笑みを交わした。 「どんな具合だ。行けそうか?」 「ん、と……平気そう、ですぅ」緩く身体を動かして、怪我の調子を見ていた翠星石は、満足そうに頷いた。思いの外、出血は早く止まった。痛みも、さほど酷くない。傷が浅かったのも、大きな要因だろう。これなら、少しくらい派手に動いても、傷は開きそうもなかった。 「それじゃあ早速、みんなを追い掛けるですよ」 「あまり無茶すんじゃねぇぞ。 戦闘では俺が前衛に出るから、お前は援護に徹してくれ」 「任せろですぅ」二人は、真紅たちが進んだ方角へと、足を向けた。彼女たちの足跡を辿るのは、とても簡単だ。破壊の痕跡を探して、追っていけば良い。途中、散発的に敵の襲撃を受けたものの、少数だったので容易く撃退できた。 「真紅たち、随分と派手に暴れまくってやがるです」 「良い事じゃねえか。裏を返せば、みんな健在だってことだろ」 「まあ、そうとも言えるですね」ここまで来る間に、多量の血痕やら仲間の遺体は見当たらなかった。必死に戦い続けている娘たちの――わけても蒼星石の――姿を思い浮かべ、翠星石は心の中で祈った。――みんなが無事で居ますように。そして、みんなで朝日を見られますように。翠星石の願いは、たった……それだけの事だった。 城内の広間に、笹塚の哄笑だけが木霊する。七人の犬士を前にして、この余裕は、どこからくるのだろうか。何らかの罠を張り巡らせて、挑発しているのかも知れない。ならば――と、金糸雀は短筒を笹塚に向けて、間髪入れずに二連射した。一発は心臓。もう一発は眉間へ。彼女の精密射撃は、寸分の狂いも無く、狙った箇所を穿った。着弾の衝撃で、笹塚は仰向けに倒れた。 「あれ? 呆気ないわね。虚仮威しだったのかしら?」拍子抜けしたとばかりに、頸を傾げる金糸雀。蒼星石と薔薇水晶、それに雛苺も、呆気なさ過ぎる幕引きに、茫然としていた。けれど、真紅、水銀燈、雪華綺晶の三人は、硬い表情のまま、倒れた笹塚を睨みつけている。以前、水銀燈に胴を真っ二つにされても、しぶとく生きていた男だ。短筒で撃ったくらいで簡単に斃せる相手なら、何の苦労も無かった。案の定、笹塚はひょいと立ち上がって、ニタリと嫌らしく口元を歪めた。穿たれた銃創は既に塞がっており、こびり付いた血が、僅かに痕跡を留めるのみだ。 「そんな豆鉄砲で、僕を祓えるとでも思ったのかい? 浅はかだねえ。 まあ、歓迎会の余興としては、面白かったけどさあ」 「まったく、ゴキブリ以上の生命力ね。辟易するのだわ」 「脆弱な人間の妬みかい? ふふふ……まあ、どうでも良いや。 さあ、八犬士の諸君! 君たちの強運を試してあげようじゃないか」笹塚が指を鳴らすと、天井から数本の縄が、するすると彼の手元に降りてきた。 「方法は、至って簡単。 僕がこの縄を引けば、当たりハズレが判る仕組みだ」 「どうせまた、くだらない罠なんでしょぉ?」 「こんな戯れ事に付き合うつもりは無いね。ボクが速攻でケリを付けてあげるよ」蒼星石と水銀燈が、精霊を起動する。しかし、笹塚は慌てず騒がず、垂れ下がっている縄を適当に引いた。 「これかな?」途端、雛苺と金糸雀の足下が、バックリと口を開けた。雛苺は悲鳴を上げる間もなく穴に吸い込まれてしまった。金糸雀の方は、背負った行李が落とし穴の縁に引っかかって滑落を免れたが、胸を撫で下ろしたのも束の間――ぶつっ! 「ひぇっ! い、嫌あぁぁぁ――――」背負い綱が音を立てて切れ、彼女もまた、行李を残して奈落へと消えていった。 「ヒナちゃんっ! 金糸雀っ!」水銀燈が、二人を呑み込んだ穴の縁に跪いて覗き込み、奈落の底に呼びかける。けれど、彼女たちからの返事は、幾ら待っても届かなかった。 「あ~あ、残念だよ。あの二人はハズレだったねえ。ひゃははは!」 「笹塚ぁっ! 貴様よくもっ!」 「おっと……怒る暇があったら、彼女たちを助けに行くべきじゃないか? ひょっとしたら、まだ生きてるかも知れないよ? どうするね? 【仁】の御魂の犬士さん」 笹塚はニヤニヤしながら、水銀燈がどんな行動に出るのか、興味津々と眺めていた。まだ、金糸雀と雛苺は生きているかも知れない。その一言で、水銀燈は衝動的に、縦穴に身を躍らせていた。敵の言葉に乗せられるなんて、どうかしている。迂闊と言うより暗愚だ。それは、彼女とて承知していた。 (でも……見捨てるなんてこと、出来ないわよ!)どうせ助からない命だからと、あっさり見限るだけの冷徹さを備えていたなら、めぐの事で苦しんだりしなかった。それが出来なかったから、水銀燈は彼女のために、単独で旅に出たのだ。特別な絆で結ばれた姉妹たちの安否なら、尚更のこと。暗い穴の底で、苦痛に喘ぐ雛苺と金糸雀の姿を思うと、とてもではないが、居ても立ってもいられなかった。水銀燈が縦穴に飛び込むのを見て、笹塚はまた、腹を抱えて爆笑し始めた。 「ひゃはははっ! 飛び降りやがったよ! バカだねえ、まったくさあ!」 「……許さない。貴様みたいな下衆だけは、絶対に赦さないわ!」 「だったら、どうすると?」ぎりぎりと歯噛みする真紅に侮蔑の眼差しを向けて、笹塚は更に、手元の縄を引っ張った。立て続けに床が抜ける。真紅と蒼星石の身体は、闇に呑み込まれていった。 「くっはははっ……これもハズレだったかあ。みんなクジ運が悪いねえ」 「笹塚っ! 貴様という奴は」 「芯まで……腐ってるね」 「なんとでも言うがいいさ。甘ったれて、馴れ合ってるから早死にするんだよ」笹塚は、薔薇水晶と雪華綺晶を交互に見比べて、にたぁ……っと嗤った。 「決めたよ。君らだけは、僕が殺してあげようじゃないか」徐に右手を掲げ、指を鳴らす。すると、周囲の襖がタンッ! と乾いた音を立てて開き、穢れの者どもが踏み込んできた。全員、鉄砲足軽だ。点火用の火縄が燻り、ちらりちらりと煤を巻き上げている。穢れの者どもは、薔薇水晶と雪華綺晶を遠巻きに取り囲んで、一斉に鉄砲を構えた。その輪を掻き分けて、笹塚が歩み出る。彼の手には、他の鉄砲と明らかに形状の異なる銃が握られていた。 「特に、雪華綺晶っ! 薄汚い裏切り者は、念入りに処刑してやらないとねえ。 この試作兵器、屍銃『覇伝』の実験台になってもらおうか」 「お姉ちゃんは……薄汚い裏切り者なんかじゃないっ!」薔薇水晶は防御精霊を起動して、笹塚を討ち取るべく斬りかかった。至近距離で弾丸を食らっても貫通はしないが、受ける痛みの度合いが違う。圧鎧の装甲を以てしても、着弾の衝撃を完全に吸収、或いは反射する事など不可能だ。しかし、姉を侮辱された憤りで、そんな問題は二の次になっていた。突如として放たれた雷鳴のような炸裂音が、場の空気を瞬く間に支配した。獄狗と共に、敵に肉迫して、周囲の鉄砲足軽を潰していた雪華綺晶は、時ならぬ銃声に肩を震わせた。そして、思わず振り返った先に、彼女が見た光景は――二の句を奪い去られてしまうほどに、衝撃的だった。それは、薄紫色の花弁が風に舞い散るように……。鎧の間から血を迸らせながら、薔薇水晶はもんどり打ち、頽れた。 「薔薇しぃっ!?」名前を叫びながら、雪華綺晶は妹の元に走り寄った。周りに蠢く敵のことなど、既に眼中に無い。瞳に映るのは、力無く横たわる妹の姿だけ。跪き、半身を抱き起こすと、薔薇水晶は間断なく押し寄せる苦痛に顔を歪めた。 「あ……れ? お姉ちゃ……ん…………痛いよぉ」 「気を確かになさい! 薔薇しぃ!」呼びかけた直後、薔薇水晶は激しく咳き込み、喀血した。胸を覆う部分鎧の左側に穿たれた、小さな穴。その穴からも、薔薇水晶の鼓動に合わせて、血が溢れ出している。呼吸が、徐々に荒く……小刻みになっていく。 「私……死ぬの? ヤダ……そんなの……ヤダぁ」 「落ち着きなさい。この程度の傷なら、死んだりしませんわ」 「ヤダ……怖いよ…………死にたく……ないよ」 「大丈夫! 死なないから! 死なせないからっ!」 「……やっと……会えた……のに。また……お別れなんて…………イヤ」 「もう喋らなくていいからっ! 絶対に助けるからっ!」雪華綺晶は叫び、力強く抱き締めて、薔薇水晶の髪に頬を擦り付けた。腕の中で、薔薇水晶は心地よさそうに、小さく吐息した。 「……もっと……して」 「ええ。幾らでも。薔薇しぃが望むだけ、してあげますわ」右眼から溢れ出した涙が、眼帯の隙間から流れ出して頬を濡らした。その涙は、薔薇水晶の髪に吸い込まれていく。 「これからだって、ずっと……こうしてあげるから」 「……あは。嬉し……いな。約束……だよ?」 「ええ! ええ! 約束ですわ。指切り、しましょうか?」言って、雪華綺晶は小指を立てた左手を、薔薇水晶の目の前に差し出した。薔薇水晶が微かに頷き、右腕を持ち上げる。 「あれ? なんで……だろ? 震え……が止まら……ないよぉ」 「大丈夫。大丈夫だから――」 「寒い……よぉ。なんだ……か怖い。暗……いよ。独り……にしない……で」 「するワケないですわ。もう二度と、薔薇しぃを独りにしないから。 だから、ね? 指切りをするのよ」薔薇水晶の荒い呼吸が、段々と弱くなっていくのが分かった。それでも、震える右腕が、ゆっくりと……だが確実に、雪華綺晶の左手に近づいてくる。薔薇水晶の右手の小指が、雪華綺晶の小指と……あと少しで絡みつく。けれど、その光景は、後から後から溢れてくる涙に滲んでいった。 「……大好き……だよ」たった一言。薔薇水晶の右腕は、姉の小指と触れ合うことなく床に落ちた。その一言を伝える為に、最後の力を使い果たしたのだろう。遊び疲れて眠っているように、薔薇水晶は穏やかな表情をしていた。その瞼が開かれることは…………もう二度とない。 「う……………………うわあぁぁぁぁぁ――――っ」雪華綺晶は、薔薇水晶の亡骸を抱き締めて、慟哭した。 =第三十四章につづく=
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