―睦月の頃 その5―
翠×雛の『マターリ歳時記』―睦月の頃 その5― 【1月20日 大寒】雛苺の家で完成させたレポートを、教授に提出する日が、遂にやって来た。結末は、二つに一つ。今日は金曜日。レポートを受理されて、愉しい週末を過ごすか。それとも、突き返されて、泣く泣く土日の間に書き直す羽目になるのか。もっとも、受理されたからと言って、悠長に遊び回っても居られない。週が明ければ、後期の期末試験に突入するのである。進級に必要な単位数を取得できなければ、どのみち留年が待っていた。翠星石は大学の図書館で、レポートの最終確認を済ませた。が、不安は募る。完成した大切なレポートを胸に抱えて、心配そうに、重い溜息を吐いた。「ああ……心臓がバクバクするです。こういうの、得意じゃねぇですよ」「平気だと思うのよ。翠ちゃんのレポート、良く纏まってたもの」雛苺の慰めを耳にして、一緒に試験勉強をしていた真紅と巴が、顔を上げた。二人も、既にレポートを受理されている。残るは、翠星石だけだ。先に口を開いたのは、巴の方だった。「雛苺の言うとおり、そんなに心配しなくても大丈夫よ。自信持って」「そうね。割と、良い出来だったのだわ。合格ラインは超えている筈よ」「……とは言うものの、私は、面接だとかが苦手なのですぅ」翠星石が自覚しているとおり、彼女には昔から、人付き合いに対して臆病なところがあった。そんな彼女が、周囲の人々と巧く打ち解けられたのは、蒼星石の影響が大きい。妹は快活明朗で、人当たりも良く、初対面の人間とでも直ぐに仲良くなれた。翠星石の友人たちも、元を辿れば蒼星石の繋がりで、仲良くなった者が殆どだ。例外は、雛苺や巴など、両手の指で足りる程度だった。「もう……ダメです。このまま留年一直線ですぅ」「ああ、もう! ウジウジと鬱陶しいのだわ。さっさと提出してきなさいっ」「そんな風に言ったら可哀相よ、真紅。自信を持たせて、送り出してあげなきゃ」巴が諫めると、真紅も「それは、まあ――」と、語尾を濁した。突き放した言い方をしても、結局は、真紅だって翠星石の事が心配なのだ。しかし、短時間で質疑応答に耐えうるほど自信満々にするには、どうすれば?「……ここは、暗示が最も手っ取り早いのだわ。翠星石――」「はい、です?」「これを、じっと見つめなさい」言って、真紅が財布から取り出したのは、糸で吊した五円玉。何故、こんな物を持ち歩いているのか? 真紅以外の誰もが、そう思った。しかし、訊いてはいけないという事も、誰もが暗黙の内に了解していた。真紅はキリッ! と表情を引き締め、翠星石の眼前で、五円玉を揺らし始めた。「真紅……幾らなんでも、それは――」「黙ってなさい、巴。来てるわ……ハンドパワーなのだわ」翠星石、巴、雛苺の三人は、心の中で殆ど同時に『嘘つけっ!』と叫んでいた。勿論、五円玉の振り子を眼で追っていたところで、暗示に掛かる筈もない。「翠星石……貴女は大胆になって……人見知りを克服するのだわ」「大胆? 例えば、こんな風に……です?」ばちぃっ!!!ふと腕を伸ばしたと思った次の瞬間、翠星石は真紅にデコピンを食らわしていた。あまりに大きな音だったので、周囲の学生たちが、思わず振り返ったほどだ。真紅は両手で額を押さえて、机に突っ伏し、悶絶していた。「まったく。バカですか、真紅は。そんな子供だまし、通用する訳がねぇです」「お、おかしいのだわ。ジュンには、いつも通用しているのに」それは、ジュンが掛かったフリをしてるだけだって――と、三人は呆れた。だが、敢えて口には出さない。真紅の夢を破らないように、と言うよりは、そんな妬ましくも羨ましい事を、わざわざ教えてやるのは癪に触る……と言うのが大きな理由だった。「やっぱり、正攻法で行くのよ。名付けて『先生! お願いしやす』大作戦なのー」「はあ? また、おバカなコトを……どういう作戦です?」「要するに、誰かが教授役になって、質疑応答のシミュレーションをするのね」「流石は巴なのっ。巴とヒナは以心伝心~♪ なのねー」命名には些か問題ありだが、対策としては、なるほど申し分ない。話し合いの結果、まずは、真紅が教授役を務めることとなった。「せ、先生……よよよ、宜しくお願いしやす、ですぅ」「見せて貰うのだわ。ふぅん?」翠星石が、おずおずと差し出したレポートを受け取った真紅は、パラパラと飛ばし読んで、吐息と共に、机の上に放り投げた。「ズバリ言うわよ。全っ然ダメ。書き直していらっしゃい。 夕方までに提出できなければ、単位は諦めるのね。ほーっほっほっほ!」一瞬にして、場の空気が凍り付く。今日は大寒。一年で最も寒さの厳しい時期とされるが、館内は正に冷凍庫と化した。「ちょっ! なんですか、その鬼教師はっ!」「真紅……それは酷すぎるのよー」「ショック療法なのだわ。この程度で挫けてしまうなら、本番でもアウトよ」「真紅の言い分も解るけど、ちょっと刺激が強いわ。次は、わたしが――」今度は、巴が教授の役を演じる。「先生っ! お願いするですぅ」「拝見しましょう。えっと…………うん。とても良く纏まっているわ。合格よ」「ちょっと、巴っ! それじゃ質疑応答の練習にならないのだわ」「え? でも、本当に指摘するところが無いくらい、完成度が高いんだもの。 これなら、難しい質問なんて、滅多にされないと思うよ」「ホントですか?! だったら今すぐにでも、提出してくるですっ!」巴の感想に力を得て、翠星石はレポートを手に、教授の待つ研究室に向かった。それから三十分後――翠星石は、見るからにヘロヘロになって、図書館に戻ってきた。全ての気力を使い果たした、という感じである。「翠ちゃん、随分と遅かったのー。順番待ちしてたの?」この時期は、駆け込みでレポート提出する学生も多く、数人が下手に鉢合わせると、結構な時間を待たされるのだ。案の定、翠星石は雛苺の問いに、頚を縦に振った。「順番待ちで気分的に疲れたです。レポートは、質問されずに受理されちまったですよ」「ふふっ……やっぱりね」巴は、したり顔で微笑んだ。忙しい時期だから、教授たちの対応も、甘くなっていると読んでいたのである。それで、さっきは楽観的な事を告げたのだ。翠星石が、勇気を振り絞れる様に。完成度が高いと褒めたのは、巴の偽らざる本音だった。「でも……良かったのよ。あんまり遅いから、真紅も心配し――」「雛苺! 余計な事は、言わなくていいのだわ」雛苺の言葉を、真紅は素っ気なく遮った。そして、何事も無かったかのように、涼しげな表情で口を開く。「私たちも、少し疲れたわ。一旦、休憩しましょう」真紅の申し出に、三人は諸手を上げて賛成した。今日は大寒。図書館を出るなり、四人の娘は、凍てつく寒さに身を竦ませる。けれど、彼女たちの心は、温かな気持ちで満たされていた。この友情が、一生、続いたら良いな……と、願わずにはいられなかった。――後日、翠星石は、自分のレポートが最優秀の評価を得た事を知る。
『保守がわり番外編 マターリ・・・本当はバタ(ry』(折角のペアチケット。ホントは蒼星石と行きたかったですけど・・・)「雛苺、それじゃあ早速、突撃するですよ」「いつでもオッケーなのー。虎穴に入らずんば虎児を得ず、なのよっ!」「いや・・・そんなに身構えて行く場所じゃねぇですから」「Here we go! なのっ。暮ら~し安心『摩多里庵』なのー」「なにか違う気が・・・。まあ、良いですけどぉ」チケットを使って、別々のコースを選んだ二人。さてさてさて・・・。「あっ、翠ちゃん。どうだったのー? ヒナはとっても気持ちよかったのよー」「あうぅ・・・私は身体中のツボを圧されまくって、あちこち痛ぇですぅ」「言われてみれば・・・翠ちゃんの背中から湯気が立ち上ってるのよっ! 凄いのっ!」「発汗作用を高めて、余分な脂肪とか、老廃物を排出させるらしいですぅ。 係の人に『汗腺するよ』とか、意味不明なコトを言われたです。痛たた・・・」「大丈夫? ヒナが、おまじないで吹っ飛ばしてあげるの。 痛いの痛いの飛んでけー、なのー」「・・・・・・雛苺」「うゅ?」「脳ミソくれ・・・ですぅ」「うょ――――っ!?!?」・・・まだ続く。どこが憩いの館なのやら。
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