『メタモルフォーゼ』
『メタモルフォーゼ』 窓から射し込む朝日に照らされ、私は徐に瞼を開いた。昨夜、寝る前にカーテンを開け放っておいたのだ。真紅が言うには、そうするとスッキリ目が覚めるんだってぇ……。瞼をこすりこすり、枕元の時計を一瞥する。――六時五十分目覚まし時計が喧しく騒ぐ時間より、十分も早い。なるほど。確かに、効果は有るみたいねぇ。昨夜は英文訳の宿題に手こずって夜更かししたので、正直、まだ眠い。でも、二度寝してアラームに叩き起こされるのも癪に触るわぁ。私は思いっきり両腕と背筋を伸ばして、ひとつ、あくびをした。惰眠の誘惑を振り切って、ベッドを出る。窓辺に歩み寄って、レースのカーテン越しに外の様子を窺った。わぁ……今日は快晴ねぇ。しかも、今日は私の誕生日! 朝から気分良い。窓を開けて早朝の澄んだ空気を吸い込むと、五感は完全に覚醒した。動き始めた日常。背を丸めて歩いてくるスーツ姿の男性と、犬の散歩がてらジョギングしている若い女性が、前の道で擦れ違う。その足下を、真っ白なウサギがちょろちょろと横切って、向かいの家の門構えに消えた。 「野良……ウサギぃ?」まさかねぇ。真っ白な野良猫を見間違えたのよ、きっと。私は部屋を出て、顔を洗いに行った。――登校時間。鞄を手に、待ち合わせ場所まで歩いていた私の脇を、数人の小学生が元気に駆け抜けていった。ふふ……私にも、あんな頃が有ったっけ。転ばないよう、気をつけてねぇ。遠ざかる子供たちのランドセルを眺めながら、心の中で呟いていた。この辺りも家が増えたなぁ……と思う。私が子供の頃には、田圃や空き地ばかりだったのに。みんなでザリガニ釣りをした沼も、今は埋め立てられてマンションに変わった。古い記憶が新たな記録に塗り替えられ、私の中に浸透していくのは、やはり寂しい。あ~ぁ、こんな気持ちのいい朝に、何を感傷的になってるんだろ私。いつもの待ち合わせ場所の手前には、雑草の生い茂った空き地が有る。木造の平屋が建ってたけど、私が産まれる前に火事で焼けちゃったんだってぇ。空き地の前を通り過ぎようとした時、ふと、視界の隅で何かが動いた。立ち止まって目を向けると、路肩に真っ白なウサギが蹲っていた。これって、今朝の野良ウサギ? 見間違いじゃなかったのねぇ。 「毛並み、綺麗ねぇ。どこかの家から逃げ出したのしらぁ?」そう言えば、あちこちの電柱に貼り紙してあったっけ。偶然にも近くの電柱に貼ってあったチラシには、デジカメで撮影された写真が印刷してあった。特徴を見比べると、どうやら件のウサギらしい。これは、保護してあげなきゃあねぇ。腕時計に視線を落とす。約束の時間まで、少しだけ余裕がある。 「ほぉら、ノラちゃん。いい子だから、こっちへおいでぇ」お弁当から取り出したニンジンのスティックを摘み、手を差し伸べる。……驚かさないように。しかし、白ウサギは弾かれたように勢いよく走り出し、空き地に飛び込んだ。慌てて、追いかけた。膝の丈まで伸びた雑草から、逃げるウサギの白い背中が垣間見える。なんて、すばしっこいの。応援を呼んだ方が良いみたい。そう思った矢先、目の前でウサギが飛び跳ねた。チャ~ンス! 私は鞄を放り投げると走り幅跳びの要領で、ウサギを捕らえに行った。 「やったぁ、捕まぁえた!」両手に暖かく柔らかな毛の感触。後は、この子を送り届けるだけね。チラシに記載された住所はこの近くだったし、走れば待ち合わせの時間にも間に合いそう。私はウサギをしっかりと抱きかかえて着地した。ふわりと足が沈み込んだのは、その直後だった。 「っ――!」声を上げる暇もなく、私は雑草に覆われていた広い縦穴に滑り落ちた。気が付くと、私は縦穴の底でカラスになっていた。ウサギも居ない。なんでぇ? どうしてぇ? 頭の中に飛び交うのは、その言葉だけ。私が一体、何をしたって言うのよぉ!?そりゃあ、鳥になって何処までも飛んでいけたら素敵だなぁと夢想したことは有るけれど、この展開はあまりに突拍子すぎるんじゃなぁい?大体……なんでカラスなの? ちょっとイジケるわぁ。 (ど……どうしよう。とにかく誰かに知らせないと。 でも、どうやって?)そうだ、携帯でメール飛ばせば――私は縦穴から飛び立ち、嘴で鞄の中を開けて携帯を取り出した。薔薇しぃからの着信履歴と、メールが入っていた。取り敢えず、嘴でつついて返信を作成しよう。 【薔】銀ちゃん、悪いけど先に行くね。何かあったの? (ええ、ええ。ありましたとも。アンビリバボーな事がねぇ) 【銀】遅れてゴメン。実は私、カラスに―― (なっちゃった……なんて、書ける訳ないでしょおぉ!!) ――訂正訂正。 【銀】遅れてゴメン。今日、休むわ♪ 送信……完了! (←以下略)ああ、私これから、どうしたら良いのぉ?そうだ! 金糸雀なら、なにか妙案があるかも。意外に物知りだったりするし。まあ、大概は日常生活の役に立たないネタなんだけどねぇ。でも、しょうがないでしょ。藁にも縋りたい心境なのよ、私は!何はともあれ、鞄をここに放置しておけない。私は鞄を掴み、自宅までヨタヨタと飛んで帰った。 (つつ、疲れたあぁ……。でも、金糸雀に会いに、学校へ行かなきゃ。 ファイトよ、水銀燈っ!) ストラップで携帯電話を頚に吊るし、私は再び空へ舞い上がる。気分転換に軽~く遊覧飛行としゃれ込みたいけど、遊んでる暇なんて無いわぁ。サクサクッと行って来ちゃおうっと。――と、薔薇学園まで来たのは良いけれど。まだ一限目の真っ最中ね。私は校舎の屋上に降りて、携帯電話を開いた。 (今の内に、金糸雀にメール送っとこ) 【銀】カナ~。大事な話が有るの。授業が終わったら屋上に来てね♥ (おっしゃー。バッチコーイ!!)ww……wwww! 「メールかしら~。あら? 銀ちゃん……大事な話って、まさかっ! 愛の告白キターッ!! かしらー?!」 「授業中だぞ、金糸雀。廊下に立っとれ」 (by.梅岡先生) 「ふぇーん。思わず、興奮しすぎたかしら~」――そして、休憩時間。 「銀ちゃん、来たわよー。恥ずかしくって隠れてるのかしらー」 (き、来た来た! 待ってましたよ、カナぁ~) 私は歓喜のあまり、うっかり自分がカラスだと言う事を忘れて金糸雀の前に躍り出てしまった。あぁ……馬鹿、バカ、私ってホント、おばかさぁん。 「あら? カラスが携帯を頚から下げてる。見間違いかしらー」 (いえいえ、カナの眼は正常よぉ。私の方が、おばかさぁん) 「その携帯……銀ちゃんのよね。銀ちゃんは何処?」 (目の前に居るカラスが銀ちゃんですよぅ。はぁ……判るわけないかぁ) 「むむぅ? はっ! なぁんだ、判っちゃったのかしらー」 (えっ? マジすか? マジすかポリス? 本当に判ってくれたのぉ?!) 「あなた…………銀ちゃんの携帯を盗んだ泥棒ガラスね!」 (お約束のボケじゃないのよぉ! こぉんの、おばかさぁんっ!)ガッ!私は、聡明な感じのする金糸雀の広い額に、嘴を突き立てた。一時撤収。仕切り直しだわぁ。二限目の数学が終わってから、再び屋上に金糸雀を呼び出した。私は給水タンクの陰に隠れて、嘴で忙しくメールを打っては送信する。カラスの身体にも、ちょっと慣れてきたわねぇ。 【銀】金糸雀。呼び出しときながら会えなくてゴメン 「銀ちゃん……どうして姿を見せてくれないのかしらー」 【銀】実は、人前に出られない姿にされちゃってぇ 「んまー! なんか卑猥かしらー! まさか今……全裸? (♥)」 【銀】全っ然、違うからぁ。次ボケたらヌッ殺すわよぉ♪ 「(はっ! 殺気!)それで、大事な話って何かしらー?」漸く、本題に入れそうねぇ。やれやれ。取り敢えず、呪いをかけられたと仮定して話を進めよう。呪い、と。な、に、ぬ……っあ、ボタン強くつつきすぎて携帯が転がっちゃった! しかも、送信したみたい~。orz 【銀】ぬ 「ぬ? ぬ…………るぽ?」ガッ!!給水タンクの上から急降下した私は、金糸雀の後頭部に蹴りを入れた。カナは、すぐボケるからダメだわ。次は、あの双子姉妹に賭けてみようかしらね。三人寄れば文殊の知恵よ。――三限目と四限目の間の休憩時間。教室にて 「蒼星石。授業中に、銀ちゃんから怪しいメールがきたですよ」 「ああ、それならボクのとこにも送られてきたよ、姉さん」 【銀】お願い、助けて! 独りじゃ解決できそうにないの 「何をテンパッてやがるですかねぇ?」 「取り敢えず、返信してみようよ。なんか切迫してるみたいだし」例によって、私は給水タンクの下に隠れて、返信を待っていた。♪バラノ-クビワ-ツナゲ-テ♪おおっと! 蒼星石から返信キタワァ! ここはもう余計な雑談抜きで、いきなり核心まっしぐらよぉ。 【銀】私、カラスに姿を変えられてしまったのぉ。 こんな呪いの解き方を、貴女たち知らなぁい? 「これは……意味深な話だね。くんくん探偵の謎掛けシリーズかな?」 「甘いですね、蒼星石。 これは答えの内容で、性格判断が出来る問題ですぅ」 「えっ、そうなの? 例えば?」 「例えば、ええと……藁人形を釘で打ち込むと答えたら、 性格は陰険でFAですね。 御祓いして貰うと答えた奴は、他力本願な性格ですぅ」 「さすが姉さん、物知りだね。じゃあ早速、返信しよう」 【翠】一昨日きやがれです。でも、下僕になるなら教えてやってもいいです 【蒼】石仮面を被れば良いと思うよ。呪いには呪いで対抗がデフォ! あ、あいつらぁ……他人事だと思ってぇ。三人寄ったところで、所詮は烏合の衆ね。どうしたら元に戻れるのぉ?解決策は全く見当も付かないし、お腹も空いたわぁ。みんな、お弁当を持って屋上に上がってくる。幾つかの仲良しグループの中に、いつもの面々も居た。 「なあ、薔薇水晶。水銀燈は風邪ひいたのか?」 「分かんない。メールには……今日休むとしか……書いてなかったから」 「ふぅん。帰りがけ、水銀燈ん家に寄って様子みてくるかな」 「心配することないのだわ。どうせ寝過ごして、ズル休みしただけよ」 「そう言えば、銀ちゃんが変なメール送ってきやがったです」 「そうそう。性格判断テスト」 「なにそれ、楽しそうなのー。ヒナも受けるのー」 「カナの所には、愛の告白メール来てたわ。カナってモテモテかしらー」 「なんだそれ……行動パターンが支離滅裂だな」 「悪戯よ、きっと。真面目に取り合うだけ馬鹿を見るわ。それよりジュン。 今日の帰り、紅茶を買いに行きたいの。選ぶの手伝ってちょうだい」お、おのれ真紅ぅ~!私が居ないのを良いことに、ちゃっかり抜け駆けを企むなんて!許せないわぁ。そっちがその気なら……。――昼休みも終わり、五限目私は昼休み中に、更衣室へ潜り込んでいた。次の授業は体育。ふふふ……覚悟しなさい、真紅ぅ。貴女の生着替え動画&赤裸々写真を盗撮して、弱みを握ればこっちのものよ。私の下僕にしてやるわぁ。ロッカーの上に置かれた段ボール箱に潜み、私は獲物を待ち続けた。――が、待てど暮らせど一向に来る気配がないのは、どうしてぇ? (ちょっとメールしてみよ) 【銀】ヒナちゃぁ~ん。ごはん食べた後の体育で、お腹いたくしてなぁい? 【雛】平気なのー。今日は呂布先生お休みだから、教室で国語の授業なのー メソウサ先生、授業を脱線してコワイ話ばっかりしてるのー (なんてこったい。それじゃ、此処に隠れてても意味無いわぁ)私は段ボール箱から飛び出て、またまた屋上に戻った。教室を見下ろすと、なるほど確かに、メソウサ先生が身振り手振りを交えて熱弁していた。あの人、語りが上手だから迫力あるのよねぇ。稲川○○みたい。窓際の席では、無表情の真紅がメソウサ先生の話に聞き入っている。澄ました顔しちゃってぇ。本当は内心ガクブルのク・セ・に♪メールを飛ばすと、真紅は遠目に見ても解るくらい激しく肩を震わせたわぁ。 【銀】私、銀ちゃん。今、校門のところに居るの (あ、なんか今、校門の方をチラッと見た) 【銀】私、銀ちゃん。今、下駄箱の前に居るの。貴女の靴に画鋲いれとくね (うふふ……頬を引きつらせているわぁ) 【銀】私、銀ちゃん。今、階段のぼってるところ (ちょっと、そわそわし始めたわねぇ。やぁん、可愛いわぁ) 【銀】私、銀ちゃん。今、教室の扉の前に居るの (きょろきょろしてる……あ、注意された。笑われてる……いいきみねぇ)――ちょっと間を空けて。 【銀】私、銀ちゃん。今、教室の後ろに居るの。授業中に余所見はいけないわ (うふふ……青ざめてる青ざめてる。頻りに背後を気にしてるわぁ♪) 【銀】私、銀ちゃん。今、貴女の足元に居るの。パンツ見えてるわよガタッ! と席を蹴立てて、真紅は一目散に教室を飛び出していった。あはははっ! これ結構、愉しい! クセになっちゃうかもぉ。……って、憂さ晴らししてる場合じゃないでしょ、水銀燈!早く元に戻る方法を見付けないと、一生カラスのまんまよ。 (授業中だけど、ダメ元で薔薇しぃに訊いてみよ) 【銀】あのね、薔薇しぃ。呪いで動物に姿を変えられてしまった場合、 (どうすれば元に戻れると思う? マジな解答キボンヌ) 「あれ? 銀ちゃんからメール。これ……どういう意味?」 薔薇しぃは教科書を衝立にして、こそこそっと返信してくれた。 【薔】グリム童話に『蛙の王子さま』って話があるよ。呪いを解くには、 恋人のキスとかが有効なんじゃないかな? (そんな話だったかしら? まあ、元に戻れるならどうでも良いわぁ) 【銀】なるほどっ! 説得力あるわ。でも私……恋人って……居ない。 【薔】そうなの? じゃあ、あの……私が…………試してもイイ? (ウホッ! これって、フラグ? もしかしてフラグ立っちゃったのぉ?)――五限目と六限目の間の休憩時間。屋上にて薔薇しぃは息を切らせて、屋上に来てくれた。 「はぁ、はぁ……銀ちゃん……来たよ、私」 【銀】来てくれたのね。ありがとう。ちょっと待ってて携帯を頸に下げて、私は給水タンクの陰から薔薇しぃの足下に舞い降りた。見上げると、薔薇しぃが驚愕に目を見開き、私を凝視していた。 「――――嘘……でしょ。ホントに……銀ちゃんなの?」 【銀】そう……私。驚いたよね、やっぱり私が床に降ろした携帯で打ち込んだメールを読むなり、薔薇しぃは腰を抜かした様に、ぺたんと座り込んでしまった。愕然――薔薇しぃの気持ちを表現するなら、この一言に尽きるでしょうね。 【銀】ゴメンね、薔薇しぃ。今朝、待ち合わせの場所に行けなかったのは、 こういう理由が有ったからなの 「ぎっ――銀ちゃん! 銀ちゃあぁあん!!」 (あはは……苦しいよ、薔薇しぃ)ギュッ! 嗚咽しながら、薔薇しぃは小さな私の身体を抱き上げてくれた。ちょっと窮屈で痛かったけど、抱き締められる温もりに飢えていた私には、それがとても心地よく感じられた。 「私、銀ちゃんのこと大好きだよ。だからきっと、呪いは解けるよ!」 (ありがとう、薔薇しぃ。私のこと、そこまで想ってくれてたのね)私はモーレツに感動していた。カラスだって涙は流せると、初めて知ったわ。元に戻ったら、私も薔薇しぃのことギュッ! て、してあげるからねぇ。 「じゃあ――――するね。大好きだよ……銀ちゃん♥」 (うん……お願い。私も薔薇しぃのこと、大好きよぉ)触れ合う唇と、嘴。そして、私の身体は……。 「戻…………らないね。あれぇ?」 (いや……あれぇ? じゃないでしょ。貴女、断言してたじゃないのぉ!) 「おっかしいなぁ。普通なら、ここでパパラパーと元に戻って、二人は 末永く一緒に暮らしましたとさ。めでたしめでたし……で終わるのに」 (そりゃあ、童話ですもの。バッドエンドじゃ子供の心が荒むでしょ) 「まあいっか。これはこれでハッピーエンドよね。喜んで、銀ちゃん。 ウチのペットにしてあげるっ!!」 (…………オイ。ソリャネェダロウ) 「じゃあね、銀ちゃん。後で迎えに来るから、一緒に帰ろう?」この世の幸福の全てを独占したかの様な満面の笑みを浮かべて、薔薇水晶は六限目の授業を受けるため走り去った。馬鹿だったわ。ちょっとでも感動した私がバカだったぁぁっ!!――放課後。屋上にてまったく、薔薇しぃったら。元に戻ったら、絶対にお嫁に行けない身体にしてやるわぁ。あんなことや、こぉんなことして……ヤバ。ヨダレ垂れたわ。夕暮れせまる屋上から下校する生徒たちを見下ろしながら、黒々とした炎を燃え立たせていた時、ふらりと巴が姿を現した。こんな時間に、どうしたのかしらぁ? 剣道部は今日も練習あるのに。メールを出そうとした矢先、私の携帯にメールが届いた。差出人は……巴。 【巴】銀ちゃん、具合は良くなった? これから部活だけど、銀ちゃんが 居ないと張り合いがないよ。明日は学校、来れると良いね (そうそう。私と彼女は好敵手なのよねぇ。私がエメラルダスなら、巴は メー……っと、そんな事はどうでも良くてぇ) 【銀】メールありがと、巴。でも、明日も授業に出られそうにないわ ――だって、私はカラスなんだもの。この携帯のバッテリーが切れたら、 心を通い合わす事も出来ない、ちっぽけで無力で……孤独なカラス。このままなら、私はいつか、みんなの記憶から消えることになる。この街の景色が時代と共に移ろいゆくように、私の存在もまた、新しい絵の具に塗り固められて、二度と日の目を見ることが無いだろう。何か……ふとしたきっかけで、私を覆い隠す絵の具が剥げ落ちない限り。 【銀】私もう……みんなと一緒に過ごせないかも知れない 宛先は巴、CCを大好きなみんなに設定。送信が終わったのを確認した私は、夕焼け空を仰ぎ――――少しだけ泣いた。 ――放課後。いつもの様に、午後五時を告げるチャイムが街中に流れた。『夕焼けこやけ』の曲だ。カラスと一緒に帰りましょう――か。皮肉なものねぇ。思わず失笑した。私は、何処へ帰れば良いの?昼間の喧噪が嘘のように止んだ校舎の中に、階段を駆け昇ってくる複数人の足音が聞こえた。ああ、そう言えば……薔薇しぃが迎えに来るって言ってたのよね。さっきは厭だったけど、薔薇しぃの家のペットになるのも、そう悪くないかなぁ。今は、そんな風に思えた。最初に姿を見せたのは――とても意外だったけれど――真紅だったわ。続いて、みんなが屋上へと姿を表し、給水タンクの下で輪になった。 「出てきなさい、水銀燈! あんなメールを送ってくるなんて、どういうつもりなの!」 「訳は、薔薇しぃから聞いたよ。だけど、あんな寂しいメールを送ってこないでよ!
私……わた――」巴は両手で顔を覆って泣き崩れた。巴の肩に両手を置いて、宥めるジュン。誰も彼も神妙な面持ちね。でも、泣きたいのは私も同じ。いっそ、死んでしまいたいのに。 私は給水タンクの上から飛翔し、真紅の肩に舞い降りた。朝からの経緯を、私は掻い摘んで説明した。 「それで、独りで煮詰まっていたの? 馬鹿みたいだわ」 【銀】ゴメン。でも、誰に訊いたって解決法を知らなそうだったから 「うぅ……悪かったですぅ。てっきり冗談だと思ってたです」 「本当にゴメンよ、水銀燈。ボクも、てっきり――」 【銀】いいのよ。当事者の私ですら、信じられないんだから 「でも、なにか方法は無いの?」 「そうね。錬金術の実験中に精製した薬を試してみるかしら~?」 【銀】止めて、カナ。それだけはやっぱり、どうにもならないのね。落胆。ちょっとでも期待した分、リバウンドも大きいわ。誰もが重い溜息を吐いて俯く中で、馬鹿みたいに明るい声を出す二人が居た。 「それなら、私がズバッと解決しちゃおうかしらー」 「カナ、すごいのー! 銀ちゃんを元に戻せるのー?」 【銀】貴女たち、悪い冗談なら止して。今、笑える気分じゃないの 「水銀燈、話だけでも聞いてみようよ。少しでも手懸かりになるかも」 【銀】ジュンがそう言うなら……話してみて、カナ 「わかったわー。呪いを解く鍵は……ズバリ! 野良ウサギかしらー」 「う、ウサギですって?」ポカンと口を開けたままの真紅を、金糸雀はビシッ! と指差して言った。 「ウサギを抱いて穴に落ちたらカラスになったのよね? なら、その逆をすれば良いのよ。どう? 完璧な理論かしらっ!」思わず、その場の全員がどよめいた。それって……ホントに完璧? 「でも……やってみる価値はありそうね」 【銀】真紅! ちょっ……本気で言ってるのぉ? 「当然よ。正直なところ、貴女が居なくなっても構わないけれど。 でもね、雨上がりの翌日に、その辺でカラスが野垂れ死にしてると 朝から気分が悪いの。その程度の理由と思ってちょうだい」 「真紅、その言い方って酷い。銀ちゃんだって、自分から望ん――」 「黙りなさい! 無駄口を叩く暇があるなら、直ぐにウサギを捕まえに行くわよ。 水銀燈、そのウサギは、どっちへ逃げたの?」 【銀】それが……ゴメン。縦穴の中で暫く気絶してたから分かんない 「仕方ないわね。それなら、水銀燈の家から待ち合わせ場所までの道を、 手分けして探しましょう。みんな、解散!」 見事なまでのリーダーシップを発揮する真紅。学級委員長の金糸雀が霞んで見えるわ。普段は仕切り屋で鬱陶しく思えたけど、緊急時には意外と頼りになるじゃないの。 (な、なんだか、ちょっとカッコイイ……わね)それに引き替え、死にたいだなんて悄気てた私は、おばかさぁん。鬱ぎ込んで物事が解決するなら、誰も苦労はしないわ。元に戻りたければ、他人を当てにするのではなく、私自身があらゆる可能性を模索しなきゃ。ありがとね、真紅。私――目が覚めたわ。それと…………さっきは苛めてゴメン。 「ん! な、何をするの、水銀燈?」頬を軽くつついた私を怪訝そうに見詰める真紅の肩から、私は夕闇せまる街へと飛び立った。あの野良ウサギを、私の手で探し出す為に。あいつを捕まえた空き地に、私は戻ってみた。上空から見ると、縦穴がポッカリと口を開けているのが見える。あれって、古井戸だったのねぇ。 (もしかしたら、その辺の草むらの中に居るかも)あいつは真っ白だから、茂みに隠れていても直ぐに判る。暫くの間、私は獲物を狙う猛禽のように、上空を旋回していた。そして……私は遂に、空き地の隅に蠢く白ウサギを発見した。横滑り、そして急降下。私は白ウサギの背中を鷲掴み――カラスだけど――にして、脳天に嘴を叩き込んだ。 (はぁい、ウサギさん♥ こんばんわ。今朝は大層、世話になったわねぇ。 御礼に、空中散歩はいかが? 今なら特別サービスで、一緒に古井戸へダイブしてあげるわよぉ)嬉しさのあまり哄笑した私の足元で、妙に馴れ馴れしい話し声がした。 「痛たたた……やれやれ、元気なお嬢さんですね。 ワタシからの誕生プレゼント、お気に召して頂けましたか?」 (なっ! なんですって? まさか、私がカラスになったのは――) 「ええ。ワタシの仕業です」 そう言った途端、ウサギは見る見るうちに人間らしくなっていき……。私は雑草の上へと放り出された。頚に掛けていたストラップが抜けて、携帯が何処か遠くに落ちる音がした。 「あいたぁ……って、あれ? 元に戻ってるぅ」呆然としていた私は、前に立つタキシード姿のウサギ男を見て絶句した。しかも慇懃にお辞儀をするから、余計に思考が停止してしまった。それでも、今日一日の体験を振り返って、なんとか気を取り直した。私だってカラスになっていたんだもの。この際なんでもアリよぉ。 「驚かせて申し訳ない。お怪我は有りませんか、お嬢さん」 「あ……貴方、誰よぉ?」 「名乗るほどの者ではありませんよ。日常と非現実の間を渡り歩く道化に、 そもそも名など有りませんよ。ワタシはただ、お嬢さんの要求を知って、 お節介を焼きに来ただけです」 「じゃあ、名無しの道化ウサギさん。どうして、私に誕生プレゼントを? そもそも、カラスに変えた理由はなぁに?」 「貴女が、それを望んだのですよ。カラスに姿を変えてまで得ようとしたもの。 ワタシは、ほんの少し、それを手伝ったにすぎない」 「私が…………切望? なにを?」分からない。判らない。解らない。この道化は、何を言っているの? 「解りませんか? 貴女が本当に求めていたのは――」 「私が本当に求めていたのは――」 名無しの道化と、私の言葉が重なった。その瞬間、私は自分の本心を悟った。 「私……いつまでも色褪せない思い出が欲しかったのね」色褪せない思い出。そうよね、こんな体験、二度と出来やしないわ。学園で親友達とメールやり取りしたこと。真紅をからかい、苛めたこと。薔薇しぃとのキス。それに、真紅が見せた凛々しい一面……。どれもこれも、大切な思い出。私は生涯、忘れない。忘れられる筈がない。 「貴方には、御礼を言わないとねぇ。 素晴らしい誕生プレゼントを、ありがとう。 お世辞なんかじゃなく、私の……一生の宝物よぉ」 「ワタシは、お節介を焼いただけですよ。貴女は自ら求め、手に入れた。 それだけの事です」道化ウサギは肩を竦めて、小さく笑った。 「さてさて……長話が過ぎたようですね。道化は消えるとしましょう」一陣の風。思わず瞑った瞼を開いたとき、道化は既に居なくなっていた。日常の生活に、ちょっとだけ割り込んだ非現実。下手をすれば、非現実に紛れ込んでしまうところだったのね、私。 「水銀燈っ!」突然、背中に鈍い衝撃が走り、頚に両腕が絡み付いた。珍しいわねぇ。真紅が、感情を露わにして抱き付くなんてぇ。 「元に……戻れたのね…………良かった」涙声。真紅が泣くところを、私は初めて見た。親友の涙も一生の宝物だわぁ。窓から射し込む朝日に照らされ、私は徐に瞼を開いた。瞼をこすりこすり、枕元の時計を一瞥する。ふふ……いつも通り、時計が喧しく騒ぐ前に目覚めたわ。私は思いっきり両腕と背筋を伸ばして、ひとつ、あくびをした。惰眠の誘惑を振り切って、ベッドを出た。窓辺に歩み寄って、レースのカーテン越しに外の様子を窺う。うんうん……今日も快晴ねぇ。窓を開けて早朝の澄んだ空気を吸い込むと、五感は完全に覚醒した。変わらない日常が、今日もまた始まっている。でも、私は知ってしまった。日常の至る所に、非現実との接点が有るということを。一歩間違えば怖ろしい結果を招きかねない、道化ウサギの巣穴――今日も誰かが、誤って巣穴に落ちているのかも知れない。ふと、家の前の道を真っ白なウサギが左から右に横切って、視界から消えた。 「野良……ウサギぃ?」まさかねぇ。見間違いよ、きっと。さあ、早く支度して学校行かなきゃ。大好きな仲間たちとの思い出を作るために。私は部屋を出て、顔を洗いに行った。 終わり
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