【愛の行く末】第十二話
+++水銀燈(6/23AM11:21水銀燈自室)+++―――この電話番号からの電話はお受けできません……この電話からの……―――
ピッ
あれから何回掛けても着信拒否は解除されなかった。メールも送ってみたけどそれもダメだった。携帯を机に置き、自分の部屋に置いてある姿見をざっと覗き込んだ。……やつれた顔、くまが浮かんだ目、色あせた唇にぼさぼさの髪、服装も朝からずっとパジャマのままだ。
(酷い姿ねぇ……)
人の外見はたった三日でこうも変わるものなんだろうか。ベッドに寝転がって天井をぼーっと眺める。頭に浮かんでくるのはジュンのことばかり。
銀「ジュン……」
あの日から学校へは行っていない。フられた日から数えると、もう一週間近くになる。親には体の具合が悪いからと言っているが、本当の理由は行く気がしないだけだ。自分がもう三年生だってことを考えると一週間もの無断欠席は大きな痛手になるかもしれない。でも、今の私にはどうでもいいことだった。ジュンを奪った女を憎む気持ちはいつのまにか無くなっていた。犯人を捜し出す気力も失われていた。
ジュンに会いたい。私を抱きしめて、キスをして、私が好きだって囁いてほしい。そうすれば私はこの苦しみから解放される。
ジュンに会いたくない。ジュンに会ったら私は本当に捨てられてしまうかもしれない。もしそうなってしまったら私の世界は崩れてしまう。それがとても恐ろしかった。
ジュンからの連絡はない。電話も繋がらない。メールを送っても帰ってくる。学校へも行けない。……動けない。一歩踏み出したらそのまま闇に落ちてしまうかもしれない。でもここにいれば最悪の事態は回避できる。だから私は動かない。部屋の窓から空を見上げてみる。空は雲一つなく晴れ渡っていた。まるで、今の私をバカにしているかのように。……嵐が来たら良いのに。嵐が来て全部洗い流してくれたらいいのに。この街も、家も、学校も、友達も、家族も……そして私自身も……。
銀「ふぅ……」
疲れた。もう疲れてしまった……。ジュンのことも、自分のことも。どうしてこんなことになったんだろう。原因は今でもわからない。ジュンとの楽しかった日々が、もう手に入らないという実感がない。ジュンが私を拒絶したという実感もない。もう、なにもかもがどうでもよくなってきた。
銀「はぁ……」
寝返りを打つと、ベッドがキィッと鳴った。このまま私とジュンの絆は途切れてしまうのだろうか……。そのとき、ある物が私の視界に入った。黒翼の天使のぬいぐるみ。私とジュンの絆の象徴。それを見つけた私は、ベッドを降りて勉強机に飾っていたそのぬいぐるみを手に取った。良く見ると右腕が取れかかっていた。その腕は以前ジュンが繋げてくれた右腕だった。私にはそれが切れかけている私とジュンの絆のように見えて少し悲しくなった。私はぬいぐるみをそっと胸に抱き、まだ私達が子供だったころに思いを馳せた。あのころは良かった。あのころは私へのイジメもあったけど、ジュンはいつも私のそばにいてくれた。
銀「………」
振り向けば必ずそこにいてくれた。呼べば必ず答えてくれた。
銀「……ぅ」
嫌なこともあったけどそれ以上に楽しかった。戻りたいな、あのころへ。ジュンがまだ私だけのものだったあのころへ。
銀「う……うう……」
床に座り込んでギュっと目を閉じる。ぬいぐるみを抱きしめる力が強くなる。私はこれが逃避だってことには気付いている。今のジュンとの関係から目を背け、思い出の中に逃げ込んでいるだけだってことに。でも、もしかしたら昔みたいにジュンが助けに来てくれるかもしれない。また……昔み……た……いに……ジュ……ン……が……
銀「う……ううううわああああああん!!!!」
来ないよっ!! 来てくれないのっ!!! 来てくれないよぉっ!!!!
銀「ジュンが来ないよぉ!!!助けてくれないよぉ!!!わああああん!!!」
ジュン、どうして助けてくれないの?私、こんなに苦しいんだよ?寂しいんだよ?
銀「助けてぇ!!ジュン助けてよぉ!!!」
叫び声の余韻が消え、部屋が静まり返る。部屋中に私の嗚咽が広がる。
銀「もうやだぁ……いやだよぉ……」
どうしてこんなことになってしまったんだろう?私はただジュンの恋人になりたかっただけなのに。幸せになりたかっただけなのに。なのになんでこんな仕打ちを受けないといけないんだろう。神様はどれだけ私を苛めれば気が済むんだろう。
銀「ジュン……ジュンぅ……」
ジュン、お願いここに来て。私を捨てないで。あなたに捨てられたら、私は本当に壊れてしまう。
ピンポーン……ピンポーン……
玄関で呼び鈴が鳴った。いったいだれだろう?
銀「もしかして……ジュン?」
ジュンだ。ジュンが来たんだ!!この部屋の窓から玄関は見えない。でも私にはわかる。ジュンが来てくれたんだ!!!私はベッドを飛び降りるとそのまま部屋を飛び出た。
(ジュン、ジュン今行くから待っててね。ああジュン、会いたい。早く会いたいよぉ!!!)
転げ落ちるように階段を降りると、勢い良く玄関のドアを開けた。
銀「ジュン!!!!」
そこには……
銀「……あれ?」誰もいなかった。
銀「ジュン……ジュン……どこぉ?」
辺りを見回しても見つからない。庭に回っても、道路に出ても見つからなかった。
銀「(もしかしていたずら?)」
自分の体から力が抜けていくのを感じる。
銀「やっぱりそんな都合のいいこと起こるわけないか……」
私はそのまま家の中に戻ろうとした。
がさっ
そのときなにかを踏んでしまった。ふと足下を見てみると一通の封筒が落ちていた。足をどけてその封筒を拾って確認する。封筒には『水銀燈へ』と書かれていた。その他にはあて先も差出し人の名前も、なにも書かれていない。さっき来た人が置いていったんだろうか?
銀「……ジュンから?」銀「そうよぉ……これはジュンからの手紙よぉ……」銀「ジュンが!!ジュンが手紙を持ってきてくれたのよ!!私の為に!!私だけの為に!!!」銀「そうよ!!絶対そうよぉ!!!あはははははははは!!!!!」
私は踵を返すとそのまま自分の部屋に走っていった。そのときの私はその封筒がジュンが持ってきた手紙だと信じきっていた。だから私は気付かなかった。
『この時間、ジュンは学校に行っているから絶対にここに来るはずが無い』ということに。
部屋に戻った私は封筒の縁をペーパーナイフで開けて中身を出した。一体何が書いてあるんだろう?私への励まし?それとも愛の告白?それとも……私はそこに書かれている内容に期待を持っていた。でもその期待は最悪の形で裏切られることになる。
銀「あら……」
中身は手紙ではなく数枚の写真だった。一体何だろう?私は写真を手に取った。
銀「―――――!!!」
そこに写っているのを見たとき私は言葉を失った。そこにはジュンと薔薇水晶の仲睦まじげな姿が写っていた。
腕を組んで仲良く登校するジュンと薔薇水晶が写っていた
ジュンに自分の箸で弁当を食べさせている薔薇水晶が写っていた
ジュンの頬についたソースを舐め取っている薔薇水晶が写っていた
ジュンの肩に頭を乗せて幸せそうな顔をしている薔薇水晶が写っていた
声が出なかった。これがジュンの手紙だと信じきっていた私にとってこの写真はショックが大きすぎた。ジュンを盗んだ犯人は薔薇水晶だったの?あの子が?私を応援してくれるって言ったあの子が?信じられなかった。信じたくなかった。私の親友が、私を裏切るなんて……。震える手からハラリと一枚の写真が床に落ちた。私はそれを拾って写っているものを見たとき、私の脳が沸騰した。そこには私が一番見たくないものが写っていた。
その写真には
制服が乱れて
ジュンに後ろから貫かれ
快楽に溺れた表情をした半裸の薔薇水晶の姿が……
銀「ううううううああああああああああああああああああ!!!!!!!!」
私は獣のような叫び声をあげながらその写真を破った。破って破ってこれ以上破れないという状態になっても無理やり破った。その写真に写っているものがなんであったかがわからなくなるまで破り続けた。他の写真も同じように破り捨てた。写真だったものが舞う部屋の中で私は一人笑っていた。
銀「ふふ……ふふふ……」
あの子が……あの子が私を裏切った……私の心の中に消え去ったはずの憎しみが甦る。いや、初めから消えてはいなかった。こいつは絶望の影に隠れてまた外にでる機会を窺っていたんだ。そして今、私の心の中はこいつで満ち溢れていた。
銀「許……さない……」
口から漏れるのは怒りの言葉。ジュンを奪った薔薇水晶への、そしてなんの行動も起こさなかった自分自身への。
銀「許さない!!!許さない!!!許さない!!!」
感情を露にし、私は走りだそうとした。でもこの格好じゃいけない。僅かに残った理性が語る。私は制服に手を伸ばした。
銀「許さない!!許さない許さない!!私は!!ぜっっっっったいに許さない!!!!」
着替えた私は中身をあの日のままにしておいたカバンを手に取り、部屋から階段へ、階段から玄関へ、そして玄関から学校に向かって道路を駆ける。
銀「薔薇水晶ぉ……」
走りながら自分の親友の……いや、親友『だった』女の名前を呟く。
銀「あの……女ぁ!!!」
もう私の心にあの女に対する友愛の念は消え去っていた。今、心の中にあるのは薔薇水晶への激しい怒りと憎しみのみ。足がもつれる。息がきれる。心臓が早鐘を鳴らす。それでも走るのをやめない。
銀「許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない 許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない 許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない 許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない 許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない 許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない 許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない 許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない」
私は走る。ただひたすらに走る。全てはジュンを奪ったあの女に制裁を与えるために。ジュンを取り戻すために。
―――私はあの女を絶対に許さない―――
――――――
翠「……行ったみたいですね」
私は隠れていた草むらから顔を出した。そう、全ては私が仕組んだことだった。屋上で私があの二人の仲間になったときにはもう全ての準備が完了していて後は実行するだけとなっていた。雪華綺晶は一枚の紙と封筒を取り出すと、それ私に手渡した。そこにはこう書かれていた。
『今から水銀燈の家に行き、この封筒を彼女に発見させること。そして―――」
私はうまくいくかとても不安だった。この計画を考えたのが金糸雀だってことも不安の一つだった。今まで彼女の考えた計画がうまくいった試しがなかったからだ。でも以外とうまくいった。水銀燈はその封筒を家に持ち込んだ後、ものすごい表情で学校へと駆け出した。水銀燈をあんなに怒らせるなんてあの封筒には何が入っていたのだろう。そういえばあの封筒の中身は金糸雀が用意したものらしい。この計画が終了したら後で金糸雀に聞いておこう。……それにしてもあの二人は大丈夫なんだろうか。雪華綺晶は心配ないけど金糸雀はどうだろう。またなにかヘマをやらかして私達の足を引っ張るんじゃないか?いや、心配しても無駄だ。心配したって学校にいない私にはどうすることも出来ない。あっちのことはあっちに任せて私は今出来ることをこなそう。全ては私とジュンの為に。
そろそろ次の段階へと移ろう。草むらから出て玄関へと向かう。ドアは開いたままだった。
(ふふ……やっぱり思った通りですね)
しばらくはだれも帰ってこないと思うが、すばやく済ませてしまわないと誰かが来てしまうかもしれない。私は誰も見ていないことを確認するとそのまま家の中に入って玄関に鍵をかけた。そしてそのまま水銀燈の部屋へと向かった。この計画を成功させるために。
続く
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