~第十五章~
~第十五章~ 山道を彷徨い歩くこと半日、漸くにして辿り着いてみれば、真夜中だった。夜更けの町は、ひっそりと寝静まっている。そんな中、他人の迷惑を省みない怒声が、閑散とした路地に反響していた。 「まったく……金糸雀なんかを信じた私が、バカだったですぅ」 「そう言わないで欲しいかしら。まさか、崖崩れが起きてたなんて思わなかったから」 「不可抗力なのは、しゃ~ねえです。問題は、その後ですっ!」 「でも、あなただって同意したかしら」崖崩れで回り道を余儀なくされた二人は、よせばいいのに、山を登って最短距離を行こうとした。実際、その時は、なんでもない道のりに思えたのだ。しかし、理論と実践は違う。散々に山中を歩き回った末に、元の場所に出たときは、徒労感で全身の力が抜けた。それから暫くの間、取っ組み合いの喧嘩をして更に体力を失い、疲労のため仲直り。素直に迂回路を通って、やっと町に到着したのだった。 「カナばかりを悪く言うのは、激しくお門違いかしら」 「う……ま、まあ、過ぎたことを、とやかく言っても仕方ねぇですね」 「そう言うこと。こんな時間だけど、泊めてくれる旅籠を探すのが先かしら」 「最悪、その辺の路地裏で、野宿ですかねぇ……心配ですぅ」 「桜田藩は治安が良いから、夜盗や追い剥ぎは出ないわ。 たとえ出たとしても、カナが、じっちゃんの名にかけて撃退してやるかしら」 「だから、心配だと言ってるです。金糸雀は、間違えて私を撃ちそうですぅ」あの娘になら、安心して背中を預けられるのに。不意に、そんな想いが頭を過ぎった途端、娘は突然の激しい頭痛に苛まれた。いきなり、その場に蹲った娘の肩を、金糸雀が心配そうに支える。 「また、頭痛? ちょっと待つかしら。いま、薬を――」 「だ、大丈夫ですぅ。少し、じっとしてれば……」ここ数日、娘は頻繁に、激しい頭痛に襲われていた。それも、彼女の事を考えた時だけ。一瞬だけ脳裏に浮かぶ、栗色の髪の娘。彼女の面差しは、鏡写しの自分を見ているような錯覚を覚えるほど、酷似していた。あの娘は、誰? 知ってる気がする……ううん、確かに知ってる。だけど、なぜ、彼女の事を思い出そうとすると頭が割れるように痛くなるの? (考えちゃダメ…………別のこと、考えるです。別の……)苦痛から逃れるために、周囲の景色を眺めて、意識を逸らそうと試みる。しかし、辺りは宵闇。さっきまで降り注いでいた十三夜の月明かりも、雲に隠れて、今は見えなかった。黒い闇が、心の隙間から、そろり……と侵入してくる。それは瞬く間に、娘の意識を呑み込んでいった。 「どうしたの? やっぱり、薬を飲んだ方が良いかしら」 「……い……です」 「えっ?」 「うるさいですっ!」娘は吼えると、金糸雀を突き飛ばした。 「きゃんっ!」突然のことに対処しきれず、尻餅をついた金糸雀の前で、娘は威嚇の唸りを上げた。 「この間は、よくも邪魔してくれたね。今度こそ、息の根を止めてくれる」 「!! お前はっ!」 「あの程度で、この由奈さまが離れると思ったの? 浅はかな」せせら笑う娘の頭には、猫の耳が生えていた。背後では、二本の長い尻尾が、金糸雀を馬鹿にするように躍っている。正直、この状況は望ましくない。金糸雀は短筒を抜き出し、猫又が取り憑いた娘を牽制した。装填してあるのは『南無阿弥陀仏』と念仏を刻印した、退魔処理を施した弾丸である。 「そっちこそ、この前と同じだなんて思わない事かしら」 「さて……どうかな?」娘も、クナイを抜き出した。向こうも飛び道具を持っているとなれば、真っ向切って戦うのは厳しい。金糸雀は一発だけ牽制として撃つと、跳ね起きて逃走した。重い行李を背負っているので、思ったようには早く走れない。背後で、行李にクナイが刺さる音がした。それも一度ではない。二度、三度と、突き刺さる。いかにも、いつだって急所を穿てるのだと言わんばかりに。遊ばれている。悔しさのあまり、金糸雀は顔が熱くなるのを感じた。けれど、そこで踏み止まって戦うほど愚かではない。相手が遊んでいる内は、生き延びる好機が残されている、という事だ。 (どこかの家に逃げ込む? ダメ、家人を巻き添えには出来ない)また一撃、クナイが飛んできた。今度は金糸雀の右肩を掠って、服と肌を切り裂いた。遊びの時間から、狩りの時間へと移ったらしい。猶予は、あと僅か。縺れ始めた両脚に鞭打ちながら、必死に走り続ける金糸雀。前方で、なにやら喧噪が聞こえたのは、彼女の左肩をクナイが掠った正にその時だった。夜闇に眼を凝らすと、大勢の兵士が得物を手に、屯しているのが見えた。こんな夜中に、何をしているのだろう?普段の金糸雀ならば即座に疑ってかかる場面だったが、差し迫った命の危険に、つい無思慮な行動に出てしまった。 「た、助かったかしら! ちょっと、あなた達!」金糸雀の声に、兵士達が一斉に振り返る。 「助……け……って、えぇぇっ?!」素っ頓狂な声を上げる金糸雀。兵士達の顔は、不気味な骸骨だった。しかも、一斉に襲いかかってきたではないか。前門の虎、後門の狼とは、まさに今の状況を言うのだろう。立ち尽くしたら、背後の猫又娘に殺られる。金糸雀は覚悟を決めて、迫り来る兵士の群に向かって、撃鉄を落とした。放たれた銃弾が、前衛の兵士の胴丸を撃ち抜く。だが、よろめいただけ。効果は殆ど無い。やはり、頭を狙うしかなさそうだ。 「残り、四発……斃せるのは四体までね」精霊の助けを借りようにも、月が翳っていて、影が出ない。金糸雀の氷鹿蹟は、使用できる状況が限られてしまう点に、難があった。走りながら、立て続けに二発撃つ。狙いは雑だったが、相手が密集隊形だったため、運良く二体の頭蓋骨を撃ち砕けた。残りは二発。敵は、圧倒的多数。距離のある内に残弾を撃ち切って、再装填した方が得策だろう。金糸雀は側にあった防火用水槽の陰に飛び込んで、引き金を引いた。急いで廃莢。袖に縫い付けてある弾帯から銃弾を抜き取り、慣れた動作で装填する。ガシャリと回転式の弾倉を押し込み、迫り来る穢れの者どもに照準を合わせた。だが、撃鉄を落とすより早く、短筒はクナイによって、金糸雀の手からもぎ取られていた。見れば、道を挟んだ家の屋根に、あの娘が陣取っていた。夜闇の中で、爛々と瞳を輝かせている。 「くぅっ! やってくれるかしら」もう、穢れの者どもは、すぐ近くまで迫っている。金糸雀は防火用水槽の陰から飛び出して、弾き飛ばされた短筒に腕を伸ばした。彼女の目の前で、短筒は無情にもクナイに弾かれて、更に遠退く。そして、懸命に伸ばされた金糸雀の手を、穢れの者の草鞋が踏みしだいた。顔を上げた金糸雀の瞳に、逆手に握られた刀が映った。 「ひぃっ!」振り下ろされる刀を見るまいと、金糸雀はギュッと目を閉じ、顔を伏せた。だが、待てど暮らせど、斬られた痛みを感じない。もしかしたら、死ぬ時って痛みを感じないのかしら?ふと、馬鹿げた考えが頭をよぎった。医者として、そんな事は有り得ないと解っている。死の間際まで激痛に苦しみぬいて、絶命した患者を、数え切れないほど診てきた。痛くないのは……そう! きっと斬られていないからだ。金糸雀は瞼を開いて、顔を上げた。目の前には、上半身を失って消滅していく穢れの者の姿。その向こうには、神々しい気を放つ剣を手にした巫女装束の金髪娘と、彼女を護るように立つ、短髪の麗人の姿があった。 「貴女、怪我は無い?」 「は、はい! 平気かしら」 「来るよ、真紅。油断しないで」 「解っているわ、蒼星石。水銀燈と薔薇水晶は、どうしたかしらね」 「あの二人なら、きっと平気だよ。意外に、息が合うみたいだから」金糸雀を余所に、二人は短い会話を交わし、迫り来る穢れの者に斬りかかって行く。その獅子奮迅の戦いぶりを見ただけで、金糸雀は、二人が同志だと気付いた。並の者なら、ああも見事に穢れの者どもを討ち祓うことは出来ない。 (あの、金髪の方……真紅と呼ばれた娘は、もしかしたら――)ものの五分と要さずに、穢れの者を祓い退けた二人の背に、クナイが放たれた。 「あっ! 危ないかしらっ!」金糸雀は短筒を拾うなり二連射して、クナイを弾き飛ばした。いきなりの銃声に驚き振り返った二人と、金糸雀の間に、あの娘が割り込んだ。娘の頭や腰には、猫又の痕跡は無かった。 「貴女……翠星石っ!」 「ね……姉……さん?!」二人は驚愕に目を見開き、絶句していた。この娘と居れば同志に辿り着けると思っていたが、やっぱりだ。金糸雀は、自分の思惑通りに事が運んでいることを喜んだ。しかし、それも一瞬のこと。 「会いたかったですよ、蒼星石。さあ、こっちへ来るですぅ」 「姉さんっ! 無事だったんだね!?」翠星石は両腕を広げて、蒼星石に猫撫で声で話しかける。剣を放り出して駆け寄った蒼星石が、翠星石に抱き付くのを眼にして、金糸雀は叫んだ。 「ダメよ! その娘は……あなたのお姉さんはっ!」 「姉さんっ! 姉さぁんっ!」けれど、歓喜のあまり泣きじゃくる蒼星石の耳に、金糸雀の言葉は届かない。金糸雀の目の前で、翠星石は腰の後ろから、短刀を抜いた。 「蒼星石……殺したいほど愛してるですぅ」 「?!」直後、蒼星石は反射的に、翠星石の身体を突き飛ばしていた。飛び退いて涙を拭うと、さっき放り出した剣を拾い、油断なく構える。 「誰だい、キミは。姉さんに化けるなんて、許さないよ……絶対に!」翠星石は、静かに怒りの炎を燃やす彼女に、性懲りもなく甘えた声で話しかけた。瞳には、うっすらと涙まで浮かべて、迫真の演技で蒼星石に揺さぶりをかける。 「ひどいですぅ。冗談だったのに、本気で突き飛ばすなんて、信じらんねぇです」 「う……。そ、そう……だったの? ごめん」蒼星石の気勢が弱まった。姉の姿と声で言われれば、仕方のない事なのだろう。金糸雀は、蒼星石と真紅に向かって叫んだ。 「騙されないで! その娘には化け猫が……由奈とかいう穢れの者が憑いているわ!」 「なんですって?」 「そんな! まさか、姉さんに?!」三人が凝視する中、翠星石は小さく舌打ちして、猫又の本性を露わにした。頭に生えた猫の耳を、ぽりぽりと指で掻きながら、鼻先で嘲笑う。翠星石が腕を振り上げると、夜闇の中から穢れの者どもが湧き出してきた。 「ふん。もう少しで、始末できたのに……まあ、早いか遅いかの違いだけどね」 「貴様っ! 姉さんから離れろっ!」 「落ち着きなさい、蒼星石。ここからは、私の出番なのだわ」言って、真紅は神剣を構えた。 「蒼星石、それに貴女。翠星石は私が相手するから、雑魚を近付けないでちょうだい」 「……解った。任せるよ、真紅。必ず、姉さんを救い出してね」 「及ばずながら、カナも手助けさせて貰うかしら」二人に頷きかけて、真紅は翠星石に向かって突進した。憑依を解く方法なら朝飯前のこと。走りながら印を結び、真言を唱える。左の掌に、気を集中させた。翠星石は、防御もせずに猛然と切り込んでくる真紅にクナイを放った。しかし、法理衣に護られた彼女に、刃は届かない。ギリッ! と音が聞こえるほど歯軋りをして、翠星石は短刀を振り翳した。頭を狙った短刀の一撃を、真紅は神剣で弾き返し、翠星石の額に左の掌を打ち付けた。破邪の気を、彼女の体内に押し込む。すると、翠星石の背中から、苦悶の呻きを発して化け猫が飛び出してきた。 「これで終わりよ!」化け猫が逃走するより早く、真紅の神剣が閃き、化け猫を両断した。恐ろしい断末魔の叫びを残して、化け猫は夜闇の中に溶けていった。気を失って頽れる翠星石の身体を抱き留めながら、真紅は他の二人を見遣った。蒼星石の方は、元より心配していない。今も、群がる敵を粉砕し続けていた。だが、先程の短筒娘は、どうしただろうか。耳を澄ましても、銃声は聞こえない。まさか……。悪い想像が、脳裏に浮かび上がった。空を覆っていた雲が流れて、十三夜の月光が降り注ぎ始める。翠星石を介抱していた真紅は、屋根の上に人影を認めて、ちらりと眼を向けた。あの短筒娘? いや……違う。それは火縄銃を構えた、鉄砲足軽だった。狙われているのは蒼星石ではなく、自分の方――真紅は戦慄した。翠星石にだけは、流れ弾を当てさせてはならない。夜空に銃声が轟く。法理衣を再起動すると、真紅は身を挺して翠星石を庇った。しかし、彼女の背中に着弾の衝撃は無い。振り返ると、頭を撃ち砕かれた鉄砲足軽が、屋根から転げ落ちるところだった。 「町中で発砲するなんて狼藉は、カナが許さないかしらっ!」 「発砲しているのは、貴女だけなのだわ」威勢の良い金糸雀の声に苦笑しつつ、安堵の息を吐いた真紅の腕に抱かれて、翠星石が呻いた。気が付いたらしい。真紅が頬を軽く叩くと、翠星石はパッチリと眼を見開いて、半身を起こした。敵を殲滅して、駆け寄ってきた蒼星石の瞳が、翠星石の視線と結びつく。翠星石の目から、歓喜の涙が溢れ出した。 「ああ……あぁ……。 思い出せるです。蒼星石の名前を、自分の名前を、ハッキリと思い出せるですぅ」 「姉さんっ。本当に、姉さんなんだね? 帰ってきてくれたんだね?」 「うん……戻って来たですよ。蒼星石のことが心配で心配で、死ねなかったです」 「バカっ! ボクがどんな気持ちだったか解ってるの? もう二度と、あんな馬鹿な真似はしないでっ! 約束してよっ!」 「蒼星石…………ゴメン。もう、しないです。約束ですぅ」 「うん……うん……約束だからね、姉さん」弱々しく微笑む翠星石に縋り付いて、蒼星石は咽び泣いた。久しぶりに嗅いだ姉の匂いは、とても懐かしくて……ちょっとだけ汗くさかった。 =第十六章につづく=
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