~第五章~
~第五章~ かつて激戦の末に陥落した安房津城は、誰にも省みられることなく風雨に曝され、荒れるに任せていた。門や壁の殆どが崩落し、僅かに残る屋根瓦の間から、雑草が好き放題に生い茂っている。焼け跡の残る柱も徐々に傾ぎ始めており、いつ潰れてもおかしくはなかった。無論、そんな物騒な場所に寝起きする者など居ない。人が寄りつかないことで、廃墟には一層おどろおどろしい雰囲気が漂いだして、それが更に、人々の脚を遠のける原因になっていた。そんな廃墟の中を、滑るが如く移動する影がひとつ。鬼祖軍団・四天王の一人、笹塚だった。彼は謁見の間に踏み込むと、ささくれ立った畳の上に、どっかと胡座を掻いて頭を垂れた。 「御前様、おはようございます」 「……笹塚か。このような朝早くから、何用か?」 「ははっ。実は、よい報せを三つばかり、お耳に入れたくて足を運んだ次第で」 「ほぅ。よき報せ、とは?」 「一つ目は、例の件……鉄砲の量産体制が整った事にございます。 二つ目は、狼漸藩内に、新たな居城が完成した件ですな」ふむ……と、御簾の奥で、満足そうな呟きが起こる。 「それで、三つ目の良い報せ……とは?」 「手の者の報告で……主君とするに相応しい人物を、探し当てましたぞ」 「相違ないか?」 「ははぁっ。それは、もう」笹塚が自信に満ちた態度で肯定すると、御前は御簾の中で立ち上がり、笑い出した。その哄笑は廃墟に響きわたり、いつまでも続いていた。 庭に咲く菖蒲の花を見つめながら、桜田ジュンは彼女のことを考えていた。短い間ながら、桜田家に仕えていた双子の姉妹。その、妹の方。名を、蒼星石と言った。孤児でありながら、その剣技は桜田家に仕える、どの武将よりも優れていた。一見すると男勝りな一面ばかりが目立つが、じっくり付き合うと、実に献身的な娘である。ジュンはいつしか蒼星石に心を惹かれ、逢瀬を楽しむ間柄になっていた。そして、ゆくゆくは妻に……とすら考えていたのである。しかし、その想いを伝えることは出来なかった。彼等を取り巻く人々は、二人の関係を快く思わなかったのだ。桜田藩主の嫡男に、平民の娘が輿入れするなど、以ての外だ……と。たとえ武芸に秀でていようとも、例外は有り得なかった。 「あの時、僕にもっと力があれば――」周囲の反論など、ねじ伏せられたのに。その一言を、ジュンは呑み込んだ。今更、口にしたところで、彼女が帰って来る訳ではない。蒼星石は、自ら身を引いたのだ。これ以上、ジュンに迷惑がかからない様に。彼に別れの言葉も残さず、蒼星石は何処へともなく、旅立ってしまった。 「どこに居るんだ、蒼星石。僕は、こんなにも君に会いたいのに」この半年、草の者を使って捜しているが、彼女の行方は杳として知れない。空の彼方に目を転じて、嘆息するジュン。もう、彼には時間がなかった。明後日には、望みもせず、顔も知らない相手と祝言を上げねばならない。政略結婚だと解っていても、家臣や領民の生活を思えば、拒絶することなど出来なかった。自らの意思を犠牲にしてでも、民の幸せを護らなければならない。それが、国を治める者の宿命だと理解していた。――人の上に立つ者として、公私の区別はせねばならない。そのことは、蒼星石が教えてくれた。私心を捨てて、ジュンの元を去った蒼星石。今度は、ジュンが彼女を模範として、國のために尽力すべき時だった。ジュンの背後で、すっ……と、襖が開かれ、初老の武将が顔を見せた。 「じい……何か用か?」 「また、あの娘の事を考えておりましたな、若」 「何故、そうだと言い切れるんだい」 「恐れながら、この梅岡。若が幼少のみぎりより、教育係としてお仕えして参りましたゆえ」なるほど……と、ジュンは微笑した。思えば、梅岡には様々なことを教わってきた。水練や馬術、剣術に合気道、なぜか料理まで。結果、剣術よりも裁縫が得意になったのは、今もって疑問が残るところだ。見抜かれているなら、隠す必要もない。ジュンは静かに頷いて、また青い空に向き直った。 「その通りだよ。僕はまだ、彼女への想いを吹っ切れてないんだ。 この國の為に粉骨砕身するって、決心したのにな」 「それだけ、若の想いが真剣だったという事でござろう。 その事はきっと、蒼星石どのも解っていたでしょうな」 「ありがとう。そう言ってもらえると、少し救われたよ」 「しかし……いつまでも、そんな安易な考えでは困りますぞ。 未練を引きずったまま祝言を上げては、先様に失礼」梅岡は、ジュンの本心を試すかの様に、ずばりと核心を突いてきた。 「このまま先様の姫を迎えて、若は幸せになれましょうか? 姫を愛せるのでござるか?」 「そ、それ……は」 「事情を知らぬ姫に、蒼星石どのの面影を重ねて、ご自身の心まで誤魔化すおつもりか?」 「僕は、そんなこと――」しない、と言い切れるだろうか。多分、梅岡の言う通りになるだろう。蒼星石との関係を、完全に断ち切れたと思えない限りは。しかし、祝言の日取りは既に決まっている。これ以上、何が出来ると言うのか。何も出来はしない。苦渋に満ちたジュンの表情を、真っ直ぐ見詰める梅岡。それはまるで、息子が自力で答えを出すのを、辛抱強く待ち続ける厳格な父親の様だった。 「僕は……やっぱり、蒼星石を諦めきれない。彼女しか愛せないんだ!」 「ならば、すべき事は、ひとつですな」梅岡は満足そうに微笑んで、二度三度と頷いた。そして、懐から一通の書状を抜き出して、ジュンに手渡した。 「じい、これは?」 「先程、草の者より届いた報せです。あの娘の足跡が掴めた……と」 「本当か!?」ジュンは雷に撃たれたかと思えるくらいに、身体を震わせた。今頃になって、まさか、こんな報告が届くとは……夢ではないのか?梅岡は、放心状態のジュンに気合いを入れるつもりで、彼の背をバシンと叩いた。 「しっかりしなされ。若、この機を逃せば一生、会えなくなりますぞ」 「じい…………だけど、僕にこんな我が侭が許されるんだろうか?」 「そんな事は、心配しなくても良いのです。 想いのままに無茶が出来るのは、若者の特権でござる。 第一、自分すら幸せになれない者が、どうして他人を幸福に出来ましょうや?」梅岡の言葉は、ジュンの心に響き続けた。これが人生経験の差なのだろうか。ジュンは、梅岡の熱意に答えるように、力強く頷いた。 「解ったよ、じい。僕は、蒼星石を追い掛ける。絶対に捕まえて、連れ戻してくる」 「よくぞ申してくれましたな。それでこそ、若ですぞ」 「では早速、馬の用意を――」 「ご安心なされい。既に、出立の準備は整えております」 「……じい。何から何まで、本当に済まないな」梅岡は片目を瞑って、戯けて見せた。 裏門から出立するジュンを誇らしげに見送った後、梅岡は風呂に入って、身を清めた。 「大事な祝言を潰したとあっては、誰かが咎を背負わねばならぬ」自室に籠もると、白装束に着替え、辞世の句を詠む。最後の最後に、こんな大役を務めることになろうとは思いもよらなかったが……。それも、また一興。人生は波瀾万丈。それ故に面白し。 「若……最後まで、じいの諫言に耳を傾けてくれたこと、感謝いたしますぞ。 この梅岡、若が蒼星石どのと仲睦まじく暮らせますよう、草葉の陰から祈っておりまする」――その日、梅岡は全ての責を負い、自害して果てた。 ジュンは馬に鞭をくれながら、愛する蒼星石へと想いを馳せていた。早く会いたい。少しでも近付きたい。想いばかりが急いて、距離は一向に縮まらない。出来ることなら、この身体を置いて、風になって彼女の元へ飛んでいきたかった。街道をひた走り、山間の道へ差し掛かった所で、馬に変調が見られた。少し、連続して走らせ過ぎたらしい。やむなく、ジュンは馬を休ませるため、青々と雑草の生い茂った草むらに留まった。 「待っていてくれ、蒼星石。僕は必ず、君に追い付くから! 絶対に」そして、あの時に伝えられなかった気持ちを、届けてみせる。ジュンは何気なく、空を見上げた。彼女も、この空を見ているだろうか?彼女は今も……僕を想い続けてくれているのだろうか?そう考えた時、ちょっとだけ怖くなった。あれから、半年。彼女にだって、想いを寄せる人が出来ているかも知れない。仲睦まじく恋人と歩く彼女を見て、僕は果たして、正気を保っていられるだろうか?ジュンの心に広がり始めた暗い影を具現化したかの様に、雷鳴と暗雲が空を支配し始めた。これは、ひと雨くるなとジュンが独りごちた直後、地鳴りに似た音が聞こえた。まさか鉄砲水? いや、違う。多数の騎馬が疾駆する音だ。自分の出奔を知った身内が、連れ戻しに来たのかも知れない。 「ここまで来て、捕まってたまるか」ジュンは急いで馬に跨ると、手綱を握り締めた。馬の腹を踵で蹴って、走り出させる。凄まじい勢いで、追っ手が背後から迫ってくる。向こうの馬だって、此処まで疾走してきたのだから、疲れている筈だ。しかし、減速する気配を全く見せずに、追いすがってくる。ちら、と振り返ったジュンは、そこに信じられない光景を見た。白骨の馬に跨った、鎧武者の一団が、すぐ後方まで迫っていたのだ。兜の奥に収まっていたのは、やはり人間の頭骸骨だった。ヤツらの持つ槍の先が、稲妻を受けて、不気味に輝く。 「な、なんだ、あれはっ?!」どうして、自分があんなヤツらに追われなければならないのか?再び前に向き直ったジュンが目にしたのは、道を塞ぐ白馬と、白髪隻眼の武将だった。躱しきれるか? ジュンは白馬の脇を擦り抜けようと、手綱を捌く。だが寸前で、馬上の武将が振り回した槍の柄に弾き飛ばされ、ジュンは地面に叩き付けられた。 「くっ! 痛って……ぇ」呻きながらも、素早く身を起こし、抜刀するジュン。けれど時すでに遅く、ジュンは骸骨の騎馬武者どもに取り囲まれていた。 「お前たち、何者だ!」 「我々は『鬼祖軍団』ですわ。私は四天王が一人、雪華綺晶」白馬の武将は、槍の切っ先をジュンの喉元に突き付けて、名乗った。『鬼祖軍団』とは、何者だ? ジュンにとって、初めて耳にする名だった。ともあれ、人知を越えた存在であることは間違いない。 「なぜ、僕を狙うっ!」 「それが、御前様のご命令ですので。貴方には、絶望を味わいながら死んで戴きます」 「なん……だと?」訳が解らなかった。御前様とは、誰だ? もしや祝言の相手だったとでも?ジュンは自嘲した。幾らなんでも馬鹿げた発想だ。こんな化け物どもの飼い主と、政略結婚などする訳がない。 (どうすれば……この場を逃げ切れる?)ジュンは、それだけを考えていた。こんな所で、殺される訳にはいかない。折角、蒼星石の足取りが掴めたのだ。彼女に会うまでは、死んでも死にきれなかった。一瞬、骸骨騎馬の間に隙間が出来た。ジュンはそこへ滑り込もうとしたが、槍の柄で膝の裏を叩かれて、その場に跪いてしまった。どうやら、いたぶられた様だ。ジュンは怒りに満ちた眼差しを向けて、最も近くの騎馬武者の胴に、刀を突き刺した。しかし、相手は骸骨。刺されたところで、どこ吹く風である。カタカタと顎の骨を揺すらせて、骸骨はジュンの顔を蹴り付けた。もんどり打って、倒れるジュン。その背に、周囲からカタカタと嘲笑が浴びせられた。 「くっそぉ……。こんな、化け物どもにっ!」耐え難い屈辱。手も足も出せない自分の非力さが口惜しくて、ジュンは土を握り締めた。 「さて、そろそろ終わりに致しましょうか。弱い者イジメは、趣味じゃありませんので」よくもまあ、臆面もなく、そんな事が言えるものだ。ジュンは憤慨したが、こいつらを倒す力を持ち合わせていない以上、相手のなすが儘だった。 「お覚悟を――」雪華綺晶が、馬上から槍を構えた。穂先は、ひた……と、ジュンの心臓に向けられている。厭だ。まだ……死にたくない。もう一度、彼女に会うまでは……絶対に死ねない。 (蒼星石――っ!)ジュンが心の中で彼女の名を叫んだ、まさにその時、一騎の骸骨騎馬が絶叫をあげて消滅した。立て続けに、隣の骸骨も騎馬ごと両断され、地面に墜ちて塵と化する。 「な、何事っ?!」 「なっ! あ、あれは――」骸骨を切り伏せた人影を見て、ジュンは瞼を見開いた。後ろ姿だけだが、短く切り揃えた鳶色の髪や、背格好は彼女にそっくりだった。 「そ、蒼星石っ?!」思わず、呼びかけるジュン。けれども、振り向いた人物の瞳は、髪と同じ鳶色だった。左の目元の泣きぼくろが印象的な、美しい娘だ。 「何者かは知らないけれど、これ以上の狼藉は、わたしが許さない」そう言うや、彼女は突進してきた骸骨騎馬を薙ぎ払い、落馬した骸骨武者の顔に剣を突き立てた。ジュンは直ぐに、彼女の技量の高さを見抜いた。蒼星石と同じくらいか、それ以上だ。 「邪魔が入ったか……命拾いしましたわね、桜田ジュン。退けっ!」雪華綺晶が号令をかけると、他の骸骨騎馬は彼女の後に続いて、闇に消えていった。それを見届けて、ジュンは助けてくれた女性に、感謝の言葉を述べた。 「ありがとう。正直、もうダメかと思っていたんだ。よければ、お名前を」 「わたしは、柏葉巴といいます。剣術修行のため、諸国を回っているんです」正面に立って、改めて見ると、巴は蒼星石と本当に良く似ていた。瞳の色が違うだけで、面差しや、身に纏う雰囲気すらも酷似している。他人のそら似……と言うが、ジュンは未だ嘗て、ここまで瓜二つな他人同士に会った例しがなかった。 「どうか、した?」自分の顔に何か付いているのかと、巴が指先で頬を撫でる。 「いや、ゴメン。ちょっと、知人と似てるなって思っただけだから」 「それなら、いいんだけど。あ、それより怪我とかしてない?」 「ん? 特には無いよ。強いて言えば、打ち身ぐらいだ」ちょっと、ごめんなさい……と、巴はジュンの腕を掴んで、ぐいと引っ張った。 「痛てててっ! な、なにするんだ!」 「肩も、痛めているわね」 「……そう言えば、落馬したときに肩を強く打ち付けてたっけ」 「やっぱりね。肩の辺りの気が、変に歪んでいたから」気を感じ取れるとは、若いに似合わず、かなりの達人らしい。巴は、ジュンの服に付いた土埃を払いながら、言葉を続けた。 「この先に、打ち身に良く効く湯治場があるの。行ってみませんか?」 「え? でも、君は修行中なんだろう?」 「別に、構いませんよ。 それに、さっきの連中が戻ってこないとも限らないでしょう?」 「それは……確かに」今の状態で再び襲われれば、次は間違いなく殺されてしまう。ジュンにとって、巴の提案は寧ろ、渡りに舟だった。正直なところ、彼女の力を利用するのは気が引ける。けれど、蒼星石に会いたい一心が、巴の好意に甘える道を選ばせていた。 「じゃあ、すまないけど……案内を頼むよ」 「ええ、行きましょう」乗ってきた馬は、さっき逃げてしまったから、此処からは歩いて行くしかない。ジュンは巴と並んで歩きながら、なんとなく昔に戻った気分になっていた。蒼星石と二人で過ごした、懐かしい日々――それは心地よい余韻となって、ジュンの気持ちを和ませてくれるのだった。 =第六章につづく=
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