~序章~
暗い闇の中で、彼女は目を覚ました。
一体、どれほど眠っていたのか……。
そもそも、此処は、どこなのか……。
起き抜けの呆然とした頭では、思考が纏まらない。
ひどく寒い。
身を起こそうと力を込めると、身体中の関節が軋んで、思わず呻き声が漏れた。
――わたしの身体は、まだ……壊れたまま。
何気なく呟いた自らの言葉に、彼女の意識が呼び覚まされた。
――まだ? 壊れたまま? わたしの身体が?
徐々に、思考が覚醒してゆく。
そして、完全に思い出した。
そうだ……わたしは、あやつと戦い、封印されたのだ。
あと少しで、息の根を止めてやる事が出来たのに。
あやつが命を賭して成就させた術によって――わたしは闇に閉じ込められた。
以来、こうして闇の中で眠ることを強要され続けてきた。
瞼を開いても、永続する漆黒。
いつしか眠り続ける事にも慣れて、心細く感じることも無くなった。
無論……現世に、未練などあろう筈もなかった。
――なのに、なぜ、今頃になって目が覚めたのだろう?
ふと、男のものと思しい、くぐもった声が聞こえた。
「こりゃあ……立派な造りの石棺だ。相当、身分が高い人物の墓らしい」
その声に、若さを感じさせる女の声が続く。
「しかも、手つかずときてるわ。きっと、財宝もそっくりそのまま残ってるわよ」
「とっとと開けて、お宝とご対面といこうか。桑田は、そっち回って」
「わかったわ、笹塚」
どうやら、男女二人組の墓泥棒らしい。ごりごり……と、何かを動かそうとしている。
その音を耳にして、彼女は自らが置かれていた状況を悟った。
そうか。わたしは石棺に閉じこめられていたのだ。
「おーい……笹塚ぁ~。もっと力を入れなさいよね」
「――入れてるってば。お前こそ、もっと踏ん張れよな!」
声の主たちは、彼女が目覚めて居るとも知らず、うんうん唸りながら石棺を開けようとしている。
彼女は思わず、笑い出したくなった。
欲に駆られた間抜けな下衆どもめ。さあ、早く、わたしをここから出してちょうだい。
ご、ごん!
重量感のある音を立てて、石棺の蓋が開かれた。
声の主たちが下卑た笑いを漏らしつつ、期待に満ち、弛みきった表情で覗き込んでくる。
だが、彼女と目が合った途端、顔を強張らせ、見る間に青ざめていった。
――そして。
彼女は哄笑しながら、この馬鹿な墓泥棒たちの顔面を鷲掴みにした。
「ひっ! ひいぃっ! 笹塚ぁっ!」
「あわわわわわっ! なんだっ?!」
「其方らには、褒美をくれてやらねばならぬな」
言い終えるが早いか、彼女は常人離れした腕力で、二人の頭を手繰り寄せた。
情けない悲鳴だけを残して、男たちの身体が、石棺の中へと引きずり込まれる。
その直後…………棺の中から、鮮血が噴き上がった。
どこまでも広がる、闇。
腕を伸ばせど、一寸先も見えない。
そんな、真っ黒な夢の中で、真紅は誰かの声を聞いていた。
それは地の底から響いているのかと思えるほど、低く、くぐもっていた。
自分の名を呼ぶ、何者かの声。
(……誰なの?)
問い返しても、答えは返ってこない。
ああ、まただ……。
こんな夢を、最近、頻繁に見るようになっていた。
退魔師としての職業病かしら? それとも、ただの偶然?
もしくは、虫の知らせというヤツかも知れない。
夢の中で耳を澄ましても、もう自分を呼ぶ声は聞こえなかった。
気のせい? それとも、ただ単に寝惚けていただけ?
どうあれ、いつもの様に寝直そうと身体の力を抜いたとき、その声が脳裏で響いた。
――真紅。邪悪なる意志が世界を呑み込もうとしています。
(?! なに? 誰なのっ?!)
真紅は胸の中で問い返しつつも、戸惑いを隠し切れなかった。
ここまで明瞭に声が聞こえたのは、始めての事だったからである。
それは、聞いたこともない女性の声だった。
動揺する真紅を気遣う様子もなく、姿なき声の主は語り続ける。
――それらを祓うのは、真紅……あなたが持って産まれた使命なのです。
まずは、運命を共有する七人の同志を探しなさい。
あなたなら、すぐに解るでしょう。
(そんなコトを、いきなり言われたって……私には)
何を手懸かりに探せば良いのか、さっぱり解らない。
あなたなら、すぐに解る……ですって? 冗談しては酷すぎる。
憤慨する真紅に向けて、声の主は朗々と語った。
――彼らの協力を得て、この剣で穢れの元凶を討ち果たすのです。
闇の中から、白皙とした細い腕が伸びてきた。状況から察して、声の主なのだろう。
その手には、瀟洒な鞘に納められた一振りの剣が握られていた。
声の主――得体の知れない女性は、真紅の胸元に、剣の柄を押し付けてくる。
余りにも強引なので、真紅は仕方なく、両手で剣を受け取った。
その途端、真紅は身体の上に重量を感じて、やおら現実に引き戻された。
布団越しにも判る、金属の冷たさと、重さ……。
そんな馬鹿なと思いつつ、半分以上、寝惚けた頭で思考する。
寝室の壁に立て掛けてあった剣が、何かの拍子に倒れてきたのだろうか?
暫し考えて、真紅はふと、戦慄した。
そもそも、寝室には剣など置いていなかった、と。
(まさか……気のせいよね?)
今度こそ、完全に意識と五感が覚醒していた。
緊張でカチコチに強張る身体を起こした真紅は、掛け布団の上から滑り落ちた物を目にして、
思わず驚愕の悲鳴を上げた。有る筈のない物が、そこに存在していたのだから。
不気味に思う一方で、剣が放つ不思議な魅力に抗えなくなる気持ちが募ってゆく。
気付けば、真紅は床に転がる剣に、手を伸ばしていた。
触れた指先に痛みを覚えて、ビクッ! と腕を引っ込める。
多分、金属の冷たさを、熱さと錯覚したのだろう。自嘲して、真紅はひと思いに剣を掴んだ。
「私が、持って産まれた使命……俄には信じられない話なのだわ」
だが、言葉と裏腹に、真紅の覚悟は決まっていた。
運命はさておき、退魔師として、汚れを祓うという事に興味をそそられたのだ。
旅に出よう。夜闇の中で、真紅は剣を握り締め、決意を固めた。
=第一章につづく=