少年時代3.1
夏の余韻も薄れきり、灰色がかった雲が空を覆う秋なかば。町の児童公園で戯れる子供達も長袖ばかりになり、小麦色だった肌はすっかり白く色あせている。そんな穏やかなある日曜日の午後。我らが少年ジュン君は珍しく女の子に絡まれることなく、ひとり公園のベンチで横になって前髪を風に揺らしながらウトウトしていた。休日ゆえの気だるさか、お昼にちょいと食べ過ぎたのか。日もまだ高い時間帯ではあるものの、人間の3大欲求のうち最も抗いがたいものとされている睡眠欲を御するには彼の精神力はあまりに拙すぎた。まあ、寝る子は育つというし、悪いことでもなかろうが。
「ふぁぁ」齢7つか8つにして、はやくも枯れた感のある少年の背中。剛の者な女の子たちと付き合う日常は、異性を意識するには早すぎる彼には純粋な負担としてのしかかっているのかもしれない。漏れでるあくびは疲れの証だろうか。それにしても少年には同性の友人はいないのか。男の子と遊んでいれば生じることもないであろう色々な問題が、彼を見るかぎり多すぎる。真紅の威圧、巴のまなざし、水銀燈のからかい、雛苺のジュンのぼり。「もしかして、あいつらとばっかりいるからかなぁ」ジュンの目線の先には、枝か何かで地面に描いた輪の中で、わいわいと相撲を取っている男の子たち。服が砂にまみれるのもかまわずにはしゃぐ姿はまさしくオトコノコだ。
そんな健全な遊戯の場にこのシャイボーイは混ざることもできず、僅かな肌寒さ程度ではとても押し止めることのできないまどろみを友として、周りに人の影もないベンチの王として君臨していた。そう、彼は名の通り純な少年。遠目にちらちらと送られるいくつかの女の子達のグループからの興味の視線も何のその、というかまるで気付くこともなく、平然とひとりの時を過ごしている。「ん、んぅ …… スゥー ……」
誰とも言葉を交わすことないひとときを経て、子供達の笑い声の絶えない公園の中あまりに静かに寝入ったジュン。陽光のぬくもりを払い去るにはまだほんの少しだけ及ばない秋風が、彼の頬をヒュウと撫でていった。4方向ぶちぬきの風通しの良い空間とぐずついた曇り模様の天井に、ベンチのベッドというあまりにもアウトドアな寝室ですうすうと寝息を立てているジュンに、すっとひとつ影が落ちる。「ねえキミ、かぜひいちゃうよ」「ん、んぅ?」声の主の言うとおり、体温を保つ要素のない中でいつまでも眠りこけていては、青く幼いその少年の身体のあらゆる部位をわるいやつらに熱く容赦なく蹂躙されることだろう。おせっかいさんな性質らしく、ジュンの肩をゆさゆさと軽く揺さぶって、なかなかしゃっきりしない彼の目覚めにはっぱをかける。
「くぁ…… あぁ、ごめん。 ありがと」「ん。 おはよ」まぶたをこすってむにゃむにゃと感謝の気持ちを示すジュンに、どういたしましてとばかりに口元でごくごくゆるいUの字を作ってにこりと笑いかける声の主。「……んーと」「あぁ、はじめまして。 ボクのなまえは蒼星石」まるきり面識の無かったことを今更ながらに思い出したのか、自分でもおかしそうに自己紹介をする声の主こと蒼星石。年齢はジュンと同じくらいだろう、顔立ちは幼いながらも凛々しさが芽吹いており、目元はきりりと力を持っている。サラリとした深みのある茶色の髪の毛を耳や襟元が隠れるくらいに伸ばしており、その髪の落ち着いた色との対比が良く効いている、右目の碧色と左目の赤色が、玄妙な魅力をいっそう際立たせていた。
服装は白のYシャツと、やや濃い藍色のハーフパンツ。清潔さこそ身上と言わんばかりのいっそ簡素なまでのシンプルさが、蒼星石のらしさなのだろう。キリッとしたいでたちはジュンのやわそうな容姿がもたらす印象とはまた違う方向で、お姉さんウケが良さそうだ。「あ、うんはじめまして。 僕は桜田ジュン」よろしくねと差し出された右手を取り、挨拶を返すジュン。普段から自分をわたしと呼ぶ子とばかり交流しているためか、自分をぼく、と呼ぶ子に新鮮さを感じているのかもしれない。ぎゅっと力を込めて握り返す、一種の男らしさのアピールとも取れる行動は、自称か弱い乙女たちに対しては別段やろうとも思わない事だろう。何らかの対抗心が芽生えているようだ。「キミ、何ねん?」「1ねんだよ」「そうなんだ。いっしょだね」今まで寝そべっていたベンチにふたりで腰を落ち着けて、身の上話に花を咲かせる。同年齢なのだが、蒼星石のほうが若干身の丈が高いのと幼いわりに落ち着いているというかおとなしい雰囲気なのもあって、並ぶとジュンのほうが弟のようにも見える。もっとも、ジュン本人はやっきになって否定するだろうが。
「どこの学校? このへんすんでるの?」「ん、おっきな通りの時計屋さん。 おとといひっこしだったんだ。 明日から薔薇乙女小だよ」この近辺で小学校といえば、市立薔薇乙女小学校しかない。言うまでも無く同級生の間柄となるふたりには、同じ校旗を仰ぐ者同士が持ちえる連帯感のようなものが芽生えはじめていることだろう。「そうなんだ、もしかしたらおんなじクラスかもね」「そうだね。 だといいね」この少子化の嘆かれる時代にあってひと学年5クラスを擁する薔薇乙女小で、同じクラスを引き当てるのはいささか分が悪いかもしれない。実際、1年1組に籍を置くジュンくんと浅からぬ絆を築いている同い年の少女4人のうち、雛苺と巴は隣のクラスの1年2組で、真紅と水銀燈はその更に2つ隣の1年4組と、学校内での距離はそれほど近くない。
もっとも、そんなことは関係なしにジュンに構いまくる少女達の苛烈な突撃模様はもはや学年中の知るところで、周りの特に女子連中は、振り回されるジュンのありさまを温かく穏やかに、完全に面白がっている。むしろ別のクラスになった事でいっそう思慕に火がついてしまったふしがある真紅達なのだが、ジュンの方はというとこんな有様なので、仲の良い子と違うクラスでさみしい、といった甘い感情は少なくとも外面的にはとんと感じていない様子だった。「…… うれしいなあ、こんなにはやく友だちできるなんて」「あはは」今まで住んでいた場所を離れての新しい暮らしに、やはり不安を抱いていたらしい。ぐっと止めていた息をほおっと吐いたように胸のつかえが取れた蒼星石が、それを取ってくれた少年とほんわり笑いあう。
他の土地で育った新しい友達と、お互いすっかりなじんだようだ。ほんの数分前までは相手の名前すら知らなかったのに、これがちびっ子の共感力だろうか。「あのさ、ジュンくんはどのへんすんでるの?」「えーとね、ここからでも見えるんだけど」照れくささを煙にまくように言い出した蒼星石の言に、ジュンが立ち上がって公園の奥へと小走りに駆けていく。丘の中腹にある公園だけあって周囲の見晴らしには定評があり、安全のために張られた殊更頑丈なつくりの金網の向こう側には、ふたりの住む街がバアッと一面に広がっていた。「ほら、あれ、あのピンク色のかべの黒いやね」「へぇ、あれかぁ」網越しに指さす先にある桜田邸は、さほど離れていない住宅地の最中にある、極めて堅実な2階建ての一軒家。間近に見れば分かるのだろうがまだまだ痛みは少なくて、おそらくはジュンよりも年下なのだろう、重ねた歴史はそれほど深くはない様子だ。
「んーと、ボクんちは…… しょうてんがいどこかな?」「あれだよ」街を知る男桜田ジュンの的確なサポートのもと、なじみが薄いなりに作っている頭の中の地図を元にして、まだまだ他人行儀な道を追いかける蒼星石。「しょうてんがいがそれだから…… あれ、どこだろ」「時計屋さんだよね。えーとね、あの大きなやねのうらっかわだよ」ちょうど商店街のアーケードに隠れてしまっている蒼星石の家を、ジュンがあのへんと指さして教える。そのまま学校はあれ、しょうぼうしょはあそこ、ゆうびんきょくがそのとなり、と立て続けに施設の場所を並べていく。そのいずれをも目で追いつつそうなんだと相槌を打つ蒼星石は、きれいな顔で笑っていた。ポツッ、ポツッポツポツポツ……
「雨だ」そんなのんびりゆっくりしていたふたりの間に、文字通り水が入る。ぐずついていた空がとうとう泣き出し、ぽつぽつと乾いた地面に黒い染みを落としてきた。徐々に増してくるその勢いを、傘も持たない蒼星石はただただ上を向いて眺めている。ザァァァァァ……「うわっ!」「あっち! 雨やどりしよ」急激に勢いを増した雨に、みるみるふたりの服が濡れていく。蒼星石と同じく傘は持っていないが、ジュンくんも幼いなりに心得たもので、すぐさま象の形を模した大きめの滑り台に目をつけた。象の耳と鼻が付いた半球を地面にかぶせた様なそれは、下に入り口がありひとつの屋根がついた建物になっている。雨をよけるのにはうってつけだ。秋の冷たい雨にせかされて、ふたりは滑り台の下へと逃げ込んでいった。
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