第七話『それぞれの思惑』
「…貴女は……ケース11……」 薔薇水晶は突如、意味の分からない単語を口にした。『ケース11』。単純に考えるなら『72番目の場合』とでも言えばいいのか。そうだとしても真紅には、その単語の意味するところまでは想像もできなかった。「ケース11は……『他者の視界への同期』……要は……他者の視界を…盗み見る能力」「…議会はどこまで知っているの? その前にケースって…私の前にも何人もこのような能力を得た人が?」 "The Unknown" 第七話『それぞれの思惑』「調査をしていたのは……私………ここは……溢れんばかりの『魔』の…廃棄場…」「廃棄場?」 自分の調査した結果ということもあって、多少得意げになっているのだろうか、徐々に薔薇水晶は饒舌になっていく。もちろん相変わらずの小声ではあったが。「そう……『魔』は…昔は誰でも扱える……単なる『不思議な力』…だった」 薔薇水晶はこの都市や、そのほかにも国の各所に存在する呪文書など、明らかに世間一般に『魔』による行為が存在していた証拠を見つけたらしい。この都市の結界については水銀燈に取り入って『融通してもらった』とのことだ。「でも…この特殊な力には……難点があった…」「…難点?」「……この力に一度…侵されると…その者の『魂』は…二度と死ぬことはできない……」 ゆえに、当時の人間たちは肉体が滅びる前に『魔』を発散し尽して、『不完全な死』を逃れようと躍起になった。しかし、強すぎる『魔』は自然を、世界を侵食し、生態系までもを狂わせてしまう。そのために『廃棄場』として選ばれたのが、『原初の女』が魔女を封じたこの都市だ、ということだった。「…ちょっと待って。そうであるとしたら、めぐ長官…いえ、水銀燈がここを私有地とし、あまつさえ結界で厳重に囲んだのはなぜ?」「……長きに渡り……大量に『廃棄』され続けた『魔』は……この島…都市を蝕み……そしてこの都市のどこかで………『結晶化』した、と思われる……」「……結晶化? つまり、今まで『廃棄』された『魔』がほぼ全て一所に集まっていると?」 真紅の問いかけに、薔薇水晶はただこくり、と頷き、再びにぃっ、と不気味な笑みを見せた。「…そして、水銀燈はもちろん、国教会の狙いもそれ?」 また頷く薔薇水晶。その場には言いようもない沈黙が流れた。 「薔薇水晶と言ったわね。興味深い話をどうもありがとう」 真紅は薔薇水晶に軽く頭を下げ、踵を返す。「……嘘じゃ…ない……」「確証はないじゃない?」「……それを探すのが、貴女の役目…」「…次は斬るわよ。命が惜しければ日が暮れる前にこの都市を去るのね」 冷たくそう言い残し、森に入っていく真紅。その後姿に薔薇水晶は再び声をかけた。「…森を進むなら……羽虫を…追うといい………彼らは…『魔』を好むから…」 少しだけ振り返る真紅。しかし、もう薔薇水晶に言葉をかけることなく、ぷい、と向き直って森へと入っていってしまった。「…ふふ……どうなる…ことやら」 そんな態度を面白いとでも思ったのだろうか、薔薇水晶は少しの間、くすくすと笑いをこぼし続けていた。「こんなところにいたのかい、薔薇水晶」 そんな彼女の背後から、突如として凛とした力強い声がかけられた。 振り返った彼女はその声の主に向かってとても『親しげに』挨拶をする。「蒼星石……元気そうで………なにより…」 蒼星石と呼ばれた女は、その挨拶に深々と一礼を返して見せた。そのあまりに仰々しい様子は逆に薔薇水晶との対峙を嘲っているかのようにも思える。 彼女は頭を上げ、兜を脱ぐと、薔薇水晶を射抜くような目つきで見つめながら尋ねた。「で、君の報告してくれた女はここに?」「…今……森に入ったところ……追いかける?…」「ああ。任務の障害になるような存在は早めに消しておくに限るよ」「…それだけ?」 薔薇水晶がからかうような言葉をこぼした刹那、蒼星石の表情は一変した。目つきは険しく、歯を力いっぱい噛み締め…それはまるで『鬼』の形相であった。「地下道の数名…彼女の仕業だろう。国教会に反抗するどころか、我々の仲間を手にかけて… 悪いけれど、信仰心のない猿は生かしておけない性質なんだ」 言葉が終わる頃には彼女の顔は元の端正なソレに戻ってはいたが、言葉の端々には明らかな殺意が宿っていた。しかし薔薇水晶は、そんな蒼星石の様子に一つもたじろぐことはなく、ただ、ほんの少し口角を上げ、微笑んでいた。「……でも…彼女は……強い…」 薔薇水晶の言葉に対し、蒼星石は鼻で笑い飛ばすことで返事をし、続けた。「僕には『原初の女』がついているからね」「『魔』でしょ?」 自信たっぷりの言葉に水を注すかのように、間髪入れず薔薇水晶は言った。 しかし、蒼星石は全く気にする様子を見せない。「ところで君は何をしているんだい? 僕達との契約、忘れてないよね?」「……分かってる…でも………水銀燈の様子が…何か……」 薔薇水晶は今までとは打って変わって、困ったような表情を見せる。彼女がその様な表情を見せるのは珍しいのだろう。蒼星石も、続けて首を傾げる。「どういうことだい?」「エージェント・真紅の行く先々……強い魔物が……まぁ…彼女は倒してしまうのだけれど…」 片手をこめかみにやり、何かを思案しながら、手探りで糸口をつけようとする薔薇水晶を、蒼星石は鼻で笑った。「…はは、なんだい。ハイエナのような君でも、魔物には怖気づくって?」「…ハイエナは……用心深い…とても…とても………魔物を召喚しているのは…多分、水銀燈…」「だから? 水銀燈にとっても彼女は敵だろう? 当然じゃないか」「……強くなっているのは……間違いないけれど…どうも……彼女のレヴェルに合わせている気がする……」 遅々として進まない話に少し苛ついてきたのか、蒼星石はほんの少し声を大きくする。しかしながら威圧感は十分であった。「…もったいぶらないでくれないかな」 その様子に、薔薇水晶も少々気分を害されたのか、心なしか目じりを吊り上げ、睨みを利かせながら話を続ける。「…あなた……鈍い………わざと…『魔』への感染度を……高めている……そんな様子……」「何のために?」「…さぁ…」 それだけ聞くと、蒼星石は森の奥へと入って行ってしまった。しばらくその場に佇んでいた薔薇水晶ではあったが、やがて次の任務にうつろうと向き直って歩き始めた。 しかし、数歩進んだところでその歩みは止まり、彼女はばっ、と勢いよく今真紅と蒼星石が入っていった森の方へと顔を向ける。その表情には驚きと、焦りのようなものが浮かんでいた。「…まさか……!」────────────────────────────────────────────────「…もういまさら何が出てきても驚かないと思ってはいたけれど…」 そういいながら真紅は剣を腰に収めなおす。彼女の視線の先で息絶えていたのは、彼女の十数倍はあろうかという巨躯の─神話や御伽噺でしかその名が確認されていないはずの─ドラゴンであった。「…この盾はもう駄目ね。捨て置いていきましょう」 そう言って投げ捨てられた盾は、金属製であるにもかかわらずどろどろに溶けていた。熱による溶解ではなく、腐食。先ほどのドラゴンのブレスによる攻撃の結果であった。「しかし、この明るさ…日が落ちかけているのかしら。急ぎたいところだけれど…」 森の内部は思った以上に入り組んでおり、真紅は先ほどから同じところをぐるぐる回り続けていたのだった。さすがに『魔』に侵された、危険な動物だらけのこの森で野営するわけにはいかない。 真紅は困ってしまった。と、その瞬間。薔薇水晶の『ある言葉』が思い出された。『…森を進むなら……羽虫を…追うといい………彼らは…『魔』を好むから…』 はっ、と気づきあたりを見回してみると、羽虫が特定の方向から別の方向へと、規則正しく移動しているのが分かる。見る限り全ての羽虫がそのように移動しており、薔薇水晶の『助言』の確かさを伺わせた。「…ふん…」羽虫に従い、森を進む真紅。木々がまばらになってきて、出口が近くなってきていることは間違いなかった。しかし、彼女を先に待ち受けていたのは、森の出口ではなかった。「あの蒼い鎧は…聖十字騎士団ね。そして対峙しているのは…………水銀燈……!!」 彼女を待ち受けていたのは、蒼と漆黒それぞれを身に纏った女達であった。すでに一色即発といった感じで、お互い睨み合っている。そして、蒼い女の方はなにやらせわしなく口を動かしている。「やめといたほうがいいわよぉ? ……貴女には、無理」「…はぁ、はぁ。……僕にだって、召喚の一つや二つ……エルケス・サルマ・ロン・サモータ。ディアラス・フル・ゲンド・ゲルダモーダ…」「無理だと言っているでしょう!」「太古に眠りし邪悪なる闇の騎士よ、血塗られた五芒の輝きをその身体に刻み…ごほっ!」 しかし、蒼い女はそこまで唱えたところで突然血を吐き、膝をつく。顔面は蒼白で、身体に異常な負荷がかかっているのは容易に見てとれた。「ば、ばかな…」 そのままくらり、と彼女は倒れこんだ。後に残されたのは静寂のみ。 水銀燈がふん、と彼女のことを鼻で笑う。「だから言ったじゃなぁい。あの程度の能力じゃ無理だと。限界を超えた魔法なんか…使えやしないわ」 水銀燈は真紅の方に振り返り、やれやれ、といった風に肩をすくめた。「『魔』に喰われてしまったのよ。みっともない…」 しかし、真紅が言葉を返そうとした瞬間、水銀燈の背後で何かが動いた。「侮らないで…もらえるかな……?」 それは、のっそりと苦しそうに起き上がる蒼星石であった。先ほどと同じくその表情に生気は見られないが、その瞳の中には明らかな殺意が宿っている。状況が飲めないせいもあったが、その異常な執念を宿した瞳に、真紅は一瞬たじろいだ。「…太古に眠りし邪悪なる闇の…騎士よ、血塗られた……五芒の輝きを…その身体に刻み…我が血肉を持ってしもべとして導かん…」 先ほどの言葉、というよりも『呪文』を、蒼星石は今度こそ唱えきった。その瞬間、彼女たちの頭上に大きな、漆黒の魔方陣が出現する。 そしてその中からゆっくりと姿を現したのは、またも装着する人間を失った鎧。しかし、真紅が以前打ち倒したものより、一回りも二回りも大きく、更には─恐らく猛者の着用していたものだったのだろうが─その表面は、返り血らしきものでどす黒く変色していた。「不思議だな…身体中に『力』がみなぎっていく。……不信心な猿と、邪教徒…覚悟するんだね…」 一転して彼蒼い女の表情が生気にみなぎり始める。しかし、それは何か歪な─まるで麻薬のようなものでハイになった時のものと同様だった。 彼女は鋏のような鉄塊を構え、じりじりと真紅たちの方に近寄ってくる。「……真紅、手を貸しなさい」「…共闘、というわけ? …でも、四の五の言ってる状況ではないわね」 水銀燈と真紅はそれぞれ剣を構える。その場に緊張感がみなぎり、空気が張り詰めていくのを真紅はその肌で感じていた。
このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー と 利用規約 が適用されます。
1文字以上入力してください
本文は少なくとも1文字以上必要です。
1文字以上入力してください。