【テーマ:小説 雪華綺晶】
思った以上の獣道。誰だこんなところを登ろうと言ったのは!振り向くとジト目でこちらを見つめる一人の少女。――えぇそうでした、この道を選んだのは僕でしたとも。新入生や新入社員がまだまだ新しい環境に慣れる前であろう4月10日僕と後ろを行く白い少女は山道をえいさえいさと歩いていた。「“間違いないここが参道だ、ここを登ろう。昔の人の気持ちがわかるから”」まるっきり棒読みでほんの15分前に僕がはいたセリフが復唱される。再び振り返るとやはり白い少女がジト目で僕を見つめている。いや、睨んでいるのだろうか?彼女はとかく表情が乏しいのでいまいちわからないのだが攻めるような視線であることは間違いない。「わるかったってば。でもここが参道なのは間違いないんだぞ?」「参道――ですか」そう僕達は今参道を通っている。参道といえば通常寺社仏閣へと続くありがたい道の事だ。「どう見ても獣道です」そうですね、どう見ても獣道ですよね。僕の額を流れる汗は決して登山による運動から出たものだけではなさそうだ。僕と後ろを歩く白い少女‐名前を雪華綺晶と云う‐は小説を書くための取材旅行に来ている。とある地方の古い神社で行われる秘仏開帳を是非見ようという考えからである。そんな取材対象からお察しかもしれないが僕の書く小説は大まかにくくれば民俗学的なもの・・・だった。≪だった≫の意味は追々分かることだと思うのでここでは説明を省く。今覚えておいて欲しいのは僕が小説家で彼女が“アシスタント”であるということだけである。そういえば神社が秘仏開帳というのも妙な話だと思った方はおられるだろうか?博識な方、若しくは中学校で習ったことから連想を容易に行える方なら察しは早いだろう。キーワードは神仏混淆と廃仏毀釈。もともとこの山には神社と寺院が同居していた、というより江戸時代頃までは寺院が神社を管理していた。今通っている獣道…ではなく参道はこの寺院に参るためのそれは立派なものだったはずの成れの果てである。先ほど後にした神社がなかなかの規模であったことからかなりの大寺院だったことは想像に難くない。当時の文献にもそれは多くの記述が残されていt『 長 い 』僕の誰へ向けたものとも知れぬ説明は後ろから飛び掛ったわずか一ワードで中断を余儀なくされた。「じゅん兄様。長いです」「声に出しておりましたか」「いえ、でもくどいのは感じました」なにそれひどい!と言いたくなるのも当然のことではないだろうか。まさか心の声をけなされるとは思いもしないことである。見事に僕の心の声を拾った彼女には何か特別な力が、と考える人もいるかもしれないが答えはYESだ。片目を眼帯で覆ったこの少女には特別な力が存在している。だからこそ僕は彼女を連れてあちらこちらへと取材に出ているわけなのだが。「先ほど見学した秘仏と宝物の数々の中に気になるものがありました」少女はぼんやりとした瞳でこちらを見る。思わず息を飲むような雰囲気がそこにはあった。「神職の方がお話しておられましたよね」「今から行く寺跡から見えるっていう不思議な桜のことかい?」「そうです。寺院のあった場所から東の方角に咲く桜林には一本だけ・・・」「血の様に紅い桜がある」何故か雪華綺晶がニタリと笑ったような気がしてゾッとした。それは年のいった神主様がお話くださった言葉そのままであるにも関わらずだ。「山桜の多くは白い花を咲かせます」「よく街で見るようなピンクでは無いんだな」「少なくともこの地域の山桜は白ですね」雪華綺晶は遠くを見るように周囲を見渡してそう言うが僕には鬱蒼と茂る草木しか見えない。まぁ見えるのだろうかと納得して話の続きをうながす。「血のように紅い桜ってのはどこにでもある話だと思うけどなぁ」「桜の下に死体がなんてよく聞きますね」「本当にあるんだろうかね」再び獣道を切り開きながら僕は歩を進める。後ろからは音のない足音。「何千年もの間人が死に続けているのですから無くはないでしょう」それはそうだろう。どこで野たれ死んだ人間がいるとも限らないのだから無いと断言することはできない。だけど「そんなものあったとして、腐り、滅び、全て吸収されてしまったら無いと同じだろ?」そう問いかけると雪華綺晶は『その通りです』とあっさりと答えた。あっさりと答えてから『でも』と彼女は言葉をつなぐ。「でも、そこに埋まっているのが想いなら・・・それは消えないかもしれない」僕らがそんな会話をしながら不思議な桜の木と“出遭った”のと歩いてきた道が参道などではなかったと気付いたのはほぼ同時のことだった。当然僕の表情は驚きのまま固まる形となる。「?・・・この道は獣道だって言いましたよね」「いや僕の驚きはそういうことじゃないだろ!問題の桜に着いてどうするんだよ」雪華綺晶の天然につっこむ形で意外と早く硬直は解けた。視界には紅の桜。その両隣の桜は真っ白であるにも関わらずだ。どうやらとうの昔に旧参道をそれてしまい桜に向かって歩いていたらしい。眼前に広がる想像以上の異様な光景は何か呪いのような力で吸い寄せたのではとすら感じさせる。「まだ…見えてないんですね」「え?」いつものことですけど、と呆れたように雪華綺晶は僕の瞳を見つめる。「彼女はそこにいるのに・・・じゅん兄様は見ないようにしている」そう言って彼女の白く冷たい手のひらが僕の視界を覆った。まるで背中から抱きしめるように二人の距離は近い。「いつもと同じ、この手が開いたら視界も開ける」今度はちゃんと見てあげてください、とささやいて雪華綺晶は“うたう”。『 見る人も なき山里の 桜花 ほかの散りなむ のちぞ咲かまし 』雪華綺晶の手が離れ閉ざされていた視界が開いていくそこには紅い紅い桜の木――――そしてその下に佇む少女紅の着物に身を包んだその少女はゆっくりとこちらに振り返り――「死ねばいいのだわ」―――と、暴言を吐いた。遠い遠い昔。平安の時代の話。紅衛門こと紅い少女“真紅”は父親とともにこの山の寺社へ参詣にやってきた。少女の結婚を前に父と子の二人旅であったという。ところがその帰り際に山賊に襲われた。桜を近くに見たいという少女の生涯一度きりのわがままにより道をそれたことが災いしたのだ。父親は衛門府の官位にあり建礼門を守護した人であったから山賊に遅れを取ることはなかったのだが地の利を生かした賊から娘を守るのに手一杯であった。彼女は逃げねばならないと思ったそうだ。自分のためではなく自分を庇う父を守るために。幸い賊も娘には油断していたらしく、少女は少しの隙をついて走り出した。父親もこれを了解して娘を逃がすべくその道を阻む。走るうちに少女は桜の群生するこの辺りに出た。桜の根元にうずくまり身を隠し、息を整え、冷静になり「あぁ、私はいずれ必ず見つかってしまうだろう。」と、そう思ったらしい。それもそのはず自身が着る衣装はあまりにも紅かった。周囲には葉の緑、幹の茶、そして桜の白しかない。このままではいずれ見つかるのは確実…だから真紅は“虎の子”を出すしかなかった。寺院にて父よりたまわりし婚礼の装、真白の衣。これを包みから取り出して羽織り桜の木に登り花に紛れることにした。これはうまくいった。けれど父親がついには山賊を打ち破り真紅のもとへ駆けつけるまで本当にもうあとわずか――わずかと云う所で突風が吹き少女の白い衣は風に舞ってしまったのだ。大切なものだったらしい。父親からもらった大切なものだったらしい。少女はこれを追い…谷の底へと足を滑らせた。桜の木の下で出会った少女。彼女の想いが染める紅の山桜。僕たちは足早にもときた神社を目指していた。「間違いないんだな?」「宝物の中にあった真白の衣。あれに間違いないです」雪華綺晶は神社の宝物展にてすでに衣を認めていたらしい。「見たときすぐに紅の桜を幻視しました。何か関わりがあるとは思っていましたが」「それをなんとか彼女に届けることができれば・・・ってかむしろ彼女を衣の元へ連れて行くことは出来ないのか?」衣は文化財として蔵に収められているものである。どんな理由があろうと取り出すことなんて簡単に出来るとは思えない。それなら彼女をつれてくればいいと考えるのは当然の思考だった。だけど雪華綺晶は首を横に振る。「彼女は“地縛霊”です。あの桜を離れることなどできません」「だったら・・・どうしたら」「いっそ放っておきますか?」雪華綺晶はわずかに目を細めて僕の意思を試すかのように問う。あぁこの瞳で問われると僕は弱いんだ。僕は絶対にこの瞳を曇らせられないんだ。いや雪華綺晶だけじゃない、何百年とあの木の下で曇らせ続けた真紅の瞳だってこのままじゃいけないんだ。「必ず届けるさ」雪華綺晶から返事はなかったがそれでよかった。最高の笑顔が僕には届いていたから。「もうおしまいになりましてな。明日また来てください」境内を掃き清める老神主は僕らを認めてそう語りかけた。神社につくともう午後四時をまわり当然のように社内の見学は終わりを迎えていた。「どうしてもお願いしたいことがあります」僕は一歩踏みよる。まずは正面から、これで玉砕なら盗むほかないだろうけど。「…それは紅の桜と関わりがありますかな?」肝心のお願いの中身を聞く前に老神主はそう問いかけた。「あります。ですがなぜ?」「貴方の肩口に花びらが。」そう言うとすっと手をのばし僕の肩から一枚の花びらをつまみとる。つまみあげた花びらを見つめ瞳を細めた老人はさらに続ける。「あの桜には悲しい物語が伝わっております」「…たぶん知っています」そう応えて雪華綺晶のほうを見ると彼女はコクリと頷いた。「そうなんでしょう。でしたら頼みというのは…」「保存されておられる白い衣をお貸しいただきたいんです」彼はやはりそうですかと小さくこぼして僕の瞳をじっと見つめる。何度か花びらと僕らを見返したあと少し思案をするように老神主は瞳を閉じて――――宝物庫の中へと姿を消していった。『父親のもとへ戻ったのはこの衣のみ。娘君は未だに戻らないのです』神主の言葉を頭に浮かべつつ再び桜を目指す僕たち。手元には預かった白妙の衣。『残念なことに明治に火事で半分ほど焼けてしまいました』『このような状態でも構わないのでしたら、一晩お預けさせていただきます』折りたたまれて展示されていたときは全く気付かなかったのだが広げると確かにその半分が消失していた。唖然とした。これでは正直だめだと思った。けれど雪華綺晶が僕の背中をちゃんと押してくれた。『気持ちで…想いで運べば必ず届きます』だから僕らは走っている。一度の往復ですっかりと歩きやすくなった獣道をひたすらに。少しずつ傾いていく夕日が白い山桜さえ紅く染め上げていく。振り返れば同じく紅く染まりつつある雪華綺晶の姿。無意識に手を伸ばした。何故か切なくなった僕の心がそれを求めたのかもしれない。少し宙をさまよって僕の手は彼女の右手に着地する。生まれたのは心まで繋がったようなこそばゆい感覚と湧き上がる暖かい感情。桜に辿り着く頃には日は完全に落ちてしまっていたが、僕らの瞳から光は失われていなかった。「真紅!」「・・・」少女の名を呼ぶも返事はなく、ただ風が枝を揺らす音だけが響いている。「君のお父さんがどれだけ君の事を想っていたかがわかる」ゆっくりと振り返る真紅。ただその瞳は下に向いたままだ。僕は衣を広げながら彼女に近づいていく。「君がどれだけお父さんのことを想っていたかがわかる」僕は一歩また一歩と真紅に近づいて抱きしめるほどの距離に至る。彼女はまだうつむいたままだ。「もう風に飛ばしたりするなよ。大事なものなんだろ?」冗談めかして白妙の衣をそっと彼女の肩にかける。焼けて半分しかないけれど、これを仕立てさせた父親の想いは決して半分にはなっていないはずだ。だから僕の言葉なんて本当はどうでもよくて…真紅が涙を浮かべてよりかかってくる。ようやく見上げてくれたその瞳には確かな光が存在していた。「本当はこの衣を探していたんじゃなくて、ずっと待ち続けていたんだろ」「 父親のことをさ 」自分のせいで山賊に殺されてしまったのではないかとそれだけを気がかりにして。でも自分で確かめるのが怖くて…見つけてもらうことでそれを清算しようとした。白い桜を紅くそめた想いはただ父親に見つけて欲しいという願い。彼女は地に縛られていたのではなく、自分で自分を縛っていたのだ。地霊縛ではなく自縛霊というのが正しいだろうか。「君の父親は寺院の記録によればその後大宰府に官職を移られたみたいだね」「君のことを想い、この白妙の衣を寺院に預けていったそうだよ」真紅はただ頷いて白い衣に涙を落とすばかりだ。ただその涙は今朝みたそれとは違いとても暖かく見える。「着せてちょうだい・・・」どれだけかの時が過ぎ真紅が涙をぬぐい少し気の強い瞳で――照れたような表情で僕にそう言った。「でも、半分は火事で焼けてしまっていて・・・」「大丈夫なのだわ」その言葉とともに大きな風が吹いた。風で桜の花びらが舞い落ちる。舞い落ちた紅の花びらが白い衣にみるみる集まり焼けてしまった部分を補っていく。それはとても信じられない光景。だけど僕には信じられた。この桜は想いを集める桜なのだから。紅と白でできた衣はやがて赤みを失っていき、真白の衣へと姿を変えた。手渡された衣を風にひるがえし、真紅に着せていく。とても美しかった。思わず抱きしめてしまいたくなるほどに。それでもなんとか理性をもちこたえて、感情をすべて言葉にする。「とても綺麗だよ」「ありがとう」あたたかい言葉とともに消えていく真白な少女。その表情は何千本の山桜の白よりも明るく、美しかった。そんな彼女が消えると同時に、紅の桜もまた真白な山桜へとその姿を戻す。それはこの地に残っていた想いが消えたことを意味していた。「おつかれさまでした」凄く晴れやかな笑顔で雪華綺晶はそう僕に微笑んだ。応えるように微笑み返すと再び彼女の手のひらが僕の瞳を覆った。『 踏めば惜し 踏までは行かん かたもなし 心尽くしの 山桜かな 』雪華綺晶が“うたう”。この視界が開いたとき、僕の瞳にはまた現実が戻ってくるのだろう。だけど真紅の笑顔を忘れることは無いはずだ。「女房三十六歌仙、赤染衛門の歌です。」「意味は?」「…女心の事かもしれません」よくわからないけれど・・・なんだか最後の言葉は少し言い方が違った。瞳を覆っていた雪華綺晶の手がとれて瞳に景色がうつる。そこにはあからさまにふくれたような表情の彼女。「えぇと・・・なんで不機嫌なの?」尋ねるとまだ僕の顔の辺りを漂っていた彼女の指が頬を引っ張った。「最後・・・鼻の下伸びてました。何か結婚式のようでしたし」妬いているのだろうか、というか普段見せない表情があまりにも可愛い。「私にもいつか桜のドレスが欲しいです」小さくそうつぶやいてから『とってもろまんちっく』と続けて、彼女はようやく表情を柔らかくした。というか桜でドレスを作るなんてやっぱり僕には無理だと思うんだけど・・・想いが強ければそんなこともできるのだろうか?「さ、桜で魔法のようにドレスを作るのは無理かもしれないけどさ」そう言うと雪華綺晶の顔はまたまたぶーたれた表情に染まる。「雪華綺晶にはとっておきの“桜”をプレゼントできたらいいな~なんてね」からかい半分、本気も半分で僕はとんでもないことを口走っているような気がする。「どんな桜ですか?」通じてないのは嬉しいことなのか悲しいことなのか・・・「この世に一つだけの桜…かな」たぶん一つだけ。でも増えることもあるかもしれない。「わかりません」やっぱり通じない。霊には敏感なのにこういうのには彼女は鈍感なのだ「ヒントはそうだな~僕の名前?」飛び出す大ヒント。僕の顔はもうまっかっかかもしれない。「名前・・・桜・・・田・・・じゅん・・・ですよね」キョトンとした瞳が混乱気味に縦横と動きまわり、やがて何かに気付いたように停止した。山桜のように真白だった彼女の頬は――――街で見慣れた桜の色に染まっていった。 了
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