【テーマ:小説 水銀燈】 「An infant story」
言ってしまった時には、しまったと思った。所詮、自分は傍観者でしかなかった。彼女とは、ただ近かっただけ。知り合ってそれほど経たない。まるで対数関数のように、どれだけ近づいても重なり合う事が出来ないのか…?違う。自分が、それを故意でないにしろ拒んでしまっただけ。……慮れなかった僕は、幼いとしか言いようがない。 * * * * * * 言ってしまった時には、しまったと思った。彼は彼なりの励まし方で、不安であろう私を勇気付けてくれようとしたのだ。確かに、私は彼の言葉にかっとなってしまった。所詮、あなたは健康体。私の気持ちなど、結果の見えない手術を前にした少女の不安など、分かるはずもないじゃないの。…違う。分かっていないのは私。理解を求めようとするあまり、病身であることに縋った自分の弱さが、彼の思いを測れなくさせてしまった。私は悲劇のヒロインだ。しかし美しくない、歪な踊り子。……慮れなかった私は、幼いとしか言いようがない。 * * * * * *ただ見ていただけの私には、何も言えなかった。「思い切って、心臓のバイパス手術を受ける事にした」と言ったメグ。つとめて明るく言おうとしていたのだろうが、不安は透けて見えていた。「そっか。ま、大丈夫だろ」と答えたジュン。メグの不安を拭ってやろうとあっさり言ったのだろうが、彼もまた動揺していた。それを聞いたメグが、「どうせあなたには私の不安なんか分からない」。それに耐えかねたジュンが、「何だよその言い方。…そうだよ、どうせ僕には分からない事だろうさ」。…その後はもう目も当てられなかった。私がただおろおろしている中、二人は罵り合い、 そしてジュンは逃げるように病室から出て行ってしまった。…二人の仲がこのまま戻らなければいいのに、と一瞬たりともどこかで嬉々としてしまった私は、 人として最低としか言いようがない。「An infant story」theme:小説・水銀燈翌朝。《Jum SIDE》……はぁ、気分が晴れないなぁ…。昨日、水銀燈といっしょに行ったメグの見舞…まさか喧嘩別れになってしまうとは思わなかった。クラスメイトの水銀燈が、少し前に自分の親友だということで紹介してくれた少女・柿崎メグ。彼女のどこか儚げなところに、僕はいつしか心魅かれていた。水銀燈に聞くと、メグもどうやら僕の事を気に入ってくれている…と前に聞いていた。若くして心臓を患っている彼女が、いよいよ手術を受けると聞いて…正直、嬉しかった。しかし、不安もあった…生まれてこの方不調だらけのメグの心臓が、本当に治ってくれるのか。失敗は…ないのか。結局昨日は帰宅後も姉に当り散らしてしまうなどしてしまい、一晩寝てしまえばいいと思ったが朝目覚めても胸のうちの薄黒いもやもやは消え去ってはくれなかった。深呼吸しても、肺に空気が入ってきているような気が全くしない。……なんとかしなくちゃあな。このままじゃあダメだ…。手っ取り早いのは今日の放課後すぐにメグを訪れ、こちらから昨日のことを詫びることだ。そう、それは分かっている。分かってはいるが…今の自分に、素直に彼女のもとへ顔を出す事が出来るのだろうか。昨日だって、喧嘩しようとしてああなったわけではない。ただ、お互いの何かが噛みあうことなく、ぶつかってしまったのだ。席について悶々としていると、登校してきたクラスメイトの誰かが僕のほうに向かってくるのが視界の隅にちらりと見えた…水銀燈だった。彼女も、まるで一晩中何かを思いつめていて眠れなかったような顔をしていた。《Mercury Lampe SIDE》「…昨日は、散々だったわね」皮肉で言ったわけではないが、ジュンは顔をしかめて私から目を逸らす。ジュンもまた内心の整理がついているわけではないのだろうが、寂しさを覚えてしまう。……別にあなたを責めてるわけじゃないのに。「迷惑かけたな…悪かった」「そんなことないわ。ああなったのは…ほんと、天のいたずらよね」天のいたずら。昨日の事を表現するならまさにそれだろう。別に誰が悪いというわけではないからだ。ただ、幼すぎただけ…もちろん私も含めての事だが。「これから…どうするの?」《Jum SIDE》いま最も聞かれたくない事を、水銀燈は遠慮がちに聞いてきた。「どうするも何も…」こういう場合、どちらかが自分の非を認めて謝らなければならないのは言うまでもないし、しかも今回のケースでは…それは間違いなく僕の役目だ。めぐの不安を慮れず、無責任な言葉を吐いた僕の罪は重い。だからさっきからこうして鬱々としていたんだ。…が、またメグの前に姿を現したところで、また昨日の今日で何か彼女を傷つけてしまいそうな気がする。それが怖い。繊細なガラス細工に傷をつけてしまった。またぞろ触れて粉々にしてしまうかもしれない。「…しばらく、冷静になるまでは行かない事にするよ」《Mercury Lampe SIDE》「…そう」ジュンからそう聞いたとき、私は自分が意外に冷静に答えた事に驚いた。私は正直なところ、今日の放課後すぐにでもジュンにメグに会いに行ってほしかった…もちろん、メグに対して謝ってもらうために。昨日のことを第三者の視点から見ていても、ジュンだけが悪いのではないというのはよく分かる。有り体に言えば、二人とも悪いし二人とも悪くない。だけど…昨日、ジュンが去った後に、ベッドの上で涙を零しているメグに付き添ってやっていると、顔を抑える彼女を抱きしめた私は、メグの体の細さに今更ながら気づき、かなり驚いた。この身体の細さ以上に、メグの心は折れそうなまでに不安に苛まれている。…そして、大好きな人との間に亀裂が出来てしまった事への恐怖にも。それが難なく分かった時、私はどうしてもジュンの方に折れて欲しかった。しかし、私は第三者。二人の間に必要以上に介入する事は許されない。私は見守る立場に徹さなければならないのだ。私が密かに心を寄せていた人が、自由に出歩けない身の親友を選んだその日から…。「…分かったわ。ジュンがそう決めたんなら、私は何も言わない」半ば自分に言い聞かせるようにして、私は踵を返した。どうして嫌味な言い方をしてしまったんだろう、と軽い自己嫌悪に陥りながら。《Meg》「ねえ、佐原さん」検温にやってきた看護師に、私は話しかけた。「あら、めぐちゃんから話しかけてくれるなんて珍しいわね。なあに?」「身体がおかしいと、やっぱり精神構造もおかしくなっちゃうのかな…?」「めぐちゃん…」佐原看護師は悲しそうに眉をひそめたが、私は顔を背けて窓の空を見た。どうして素直になれなかったんだろう、と思ってしまう。今にしてもそれは同じ事なのだろうが。…宣告された死期が何度もリセットされるというのは、酷く恐ろしい。またか、と僅かに伸びた猶予を死の恐怖とともに送らねばならない事、そしてだんだんそれに慣れていく自分自身に気づいてしまうからだ。私の不安は、やはり私だけにしか分からないはずよね。他人に、それも優しくて…大好きなジュンにその理解を強要してしまうなんて。……あれ?私、他人に理解されたがってたの?《Jum》案の定というべきか、今日は授業に身が入らない。といって、普段は身を乗り出して熱心に聞いているというわけでもないが。「今日はちょっと気分転換をしようか」担任で国語教師の梅岡が、現代文の教科書を開きかけた僕たち生徒を手で制した。気分転換?梅岡は一体何をするつもりなんだろう。「さて、いつもの時間なら君達には教科書に載っている評論文や小説を読んでもらっているね。 君達のような若いこの時期に優れた作品に触れておくのは、将来にわたってかけがえのない 経験になると僕は思ってる。…しかし、文章というものは決して読むだけのもの、つまり受身の ままでいればそれで理解が進むというわけではないとも思うんだ。 文章を書くという作業は、ともすれば読むことよりも大変難しいことかも知れない。 何しろ、自分が書くものが人に読まれるという事を、言い換えれば読み手の存在を意識して 書き進まなければならないからだよね。 そこで今日は、君達に“書く”経験をしてもらいたい。その経験をしてもらう事で、書くと いうことの難しさと、それを人に読んでもらうときの緊張をも感じて欲しいんだ。 そうすれば、これから文章を読むときにも多少は著者の言いたい事が分かりやすくなると思う。 で、今日何を書くかだけど、評論文を書くのは難しいだろうから、何かの小説やお話を書くことにしよう。 内容は何でもいい。今感じている事、喜怒哀楽を登場人物で表現するつもりで書いてみるといいかもね。 作業に取れる時間は来週までだから、それまでに書き終える長さにしてくれたほうがありがたいな。 来週末には提出してもらうから、そのつもりでね。そして近いうちに皆の作品を教室の後ろの 棚に並べておくから、ぜひクラスメイトの書いた小説をも読んで欲しい。 じゃあ今から作文用紙を配るからね…足りなくなったら教卓まで取りに来るように。 では、始め!」あまりに唐突だな…僕だけでなく、クラス中がそう感じている事だろう。あちこちでざわざわとした喧騒が起こっていることからもそれは分かる。目の前に置かれた空白の作文用紙に、僕は一体何を書けばいいんだろうか…。まったく、梅岡も小説を書かせるんなら前もって予告しておけよな。大方思いつきだろうけど…さて、どうしよう。短めの小説と言っていたけど、時間があまりないんならノート数ページ程度の分量を書けるかどうかだ。ショートショートって言うんだっけか?だいたい、僕は文章を書くことは苦手でもないが得意というわけでもない。服をデザインしたり、作ったりすることなら得意ともいえる僕の僕自身の表現手段なんだけどな。…今感じている事を表現する、か。とりあえず、書いてみるだけ書いてみるか。僕はシャーペンを取り、少しずつ頭の中にあるものを書き始めた。書きたい事は…そして見せたい人は、少し考えて決めたから。《Mercury Lampe SIDE》…書けない。いきなり小説を書けだなんて、あまりにも理不尽すぎるじゃなぁい…私は私自身を表現することは不得手なほうだし、それにやはり昨日のことがどこかで心をかき回しているのか、机の上の作文用紙は配られたときのまま真っ白。……ジュンは、どうなのかしら…。私と同じような感じじゃないのかしら、と思いつつジュンの席のほうを見ると、ちょうど作文用紙に向かっていたジュンがペンを置き、伸びをして一息ついているところだった。梅岡が教卓に突っ伏して寝ているのを確認した私は、思わず席を立ってジュンのところへ足を進めていた。「ジュンはどんなのを書いたのぉ?」聞いてみると、ジュンは別に嫌そうな顔もせず、裏返していた作文用紙を手渡してくれた。「何を書くか特に考え付かなくてな…とりあえず物語風にしてみたんだ。それはまだ全体の半分 くらいしか書けてないけどな」「へぇ…ふんふん」読みながらそんなことを呟いている私に、ジュンが弱々しげに口を開いた。「なあ…これ、どう思う?やっぱ下手だよな…」「そぉ?私は面白くて良いと思うわよ」お世辞ではなく、本当に私はそう思っていた。エンターテイメント的な“面白さ”ではなく、明らかにジュンが小説に自分自身と…メグを投影していたことが。それが意識的なものなのか無意識なのかは分からないが………やっぱり、ずっとメグの事を考えていたのね。何だかフクザツだけど…。でも、この小説をあの娘に…「そうか…?でも、やたら『~ました』が多いし…」「物語調なんだから仕方ないわよ。それよりこれ、今日は私に貸してくれない?」「これをか?まだ途中だぞ?どうして?」「参考のためよぉ。私、まだろくに小説書き進められてないから…駄目ぇ?」「いや…まあ、参考のためなら…。でも数日中には返してくれよ?提出しなきゃならないからな」「はぁい」……私は、本来ならば立ち入るべきではないところに、足を踏み入れる事にした。 * * * * * *放課後。《Mercury Lampe SIDE》「こんにちは…メグ」私は病室のドアを恐る恐る開けた。やはり昨日の事があるからか、どうしても遠慮がちになってしまう。メグはというと、どうやら思ったほど落ち込んだりふさぎ込んだりしている様子でもなく、ベッドの上に座ってこちらに微笑んでいた。「水銀燈、今日も来てくれたのね」「当たり前じゃなぁい」「…少しは落ち着いた感じに見えるけど?」「そりゃあね。手術を控えてるのに、いつまでもくよくよしてはいられないわ」凛と言うメグだったが、私は多少不安に思った。心強く振舞っているが、やはり今も手術への不安を押し殺しているのかも知れない…そう感じたのだ。「…ジュン君、来ないのね」 ふと口を開いたメグの表情に、私は寂しさを見た。「…しばらく、頭を冷やしてくるそうよ」「…そう」少しの間、私とメグの間に沈黙が流れていたが、ややあってメグがそれを破ってくれた。「昨日の事だけど…悪かったのはやっぱり私よね…」「メグ…」「…誰だって、病人が弱音を吐いてちゃ勇気付けてくれるわよね… それだけ、ジュン君は優しかったの。私はそれを拒絶したわ。最低ね」「もう、その話はやめましょお?今更どう思ったってしょうがないわよ」「…」「そうだわ、そんなことより、メグにお話をしてあげるわ。よく聞いておきなさぁい」「お話…?水銀燈が…私に?」 正確には違うけどね、とは口にせずに、私は鞄の中からあの作文用紙を取り出し、ベッドの上で佇まいを正すメグを向き、一文一文ゆっくりと読み始めた。 …昔々、ある国に、それはそれは綺麗なお姫様がいました。 その美しさは、まるで一輪の薔薇のようだとも言われておりました。 お姫様の噂は国中に広がり、あまたの騎士がお姫様に一目会いたいと願い、 入れかわり立ちかわり、お姫様の宮殿を訪れました。 …が、誰もお姫様にまみえることは出来ませんでした。 それもそのはず、お姫様は身体が弱くて、自由にお外を出歩く事が出来なかったのです。 それを知っているのは、王様とお妃様と、お姫様の宮殿に仕える人達だけでした。 宮殿専属の衣装縫製職人であり騎士の称号を持つ若い男も、その数少ない一人でした。 お外に出歩けないお姫様の唯一の楽しみは、その職人に綺麗なドレスを作ってもらい、 お部屋の中で着たりすることだったのです。 彼は、お姫様が宮殿の窓からお外を寂しそうに眺めているのをいつも見ていました。 あるとき、お姫様は職人に言いました。 「お庭を少し歩くだけでいいから、お外に出てみたいな…」 職人は思い切ってお姫様を抱き上げ、陽の降り注ぐ庭園に向かって、誰にも見られないように、 しかしゆっくりと、堂々と歩き出したのです。 「…今日はここまでね。続きはまた近いうちに持ってくるわねぇ」読み終えた私に、メグは不思議そうな顔を向けてくる。「このお話…水銀燈が書いたの?」「いいえ。メグも良く知ってる“誰かさん”よ。今日学校で、小説を書こうって授業があったから、 借りて持ってきちゃった」聞いたメグは思わず噴き出した。「やっぱりね…『身体の弱いお姫様』とか『裁縫の職人』とか、誰の事を言ってるかバレバレだもん」「でしょぉ!?本人はそう意識して書いたのかどうかは知らないけどね…」「でもこんなにあからさまだと、多分…そうよ。ジュン君ったら、これをどういう風に完結させるのかしらね?」「さぁねぇ…。でも楽しみにしてて。ちゃんと続き、持ってくるから」「ありがとう。…嬉しい。私、あんな事があった後でも、ちゃんとジュン君に想われてたんだね…ニブチンなのに…」メグの本当に嬉しそうな顔を見たとき、私の胸にちくりと痛みが走った。「まぁ、しばらくは顔を出さないとは思うけどねぇ…」「ええ…あ、そうそう、手術の話しなんだけどね…」「…明後日の土曜、だったわよね?…いいの?本当にジュンには内緒にしてて…」「ええ…それを言っちゃうと、ジュン君ったら昨日のことも忘れて、ここに駆けつけてくると思うの…。根が繊細で、 優しい男の子だから。だけどそれだと、まるで手術にかこつけて呼び出して、仲直りのきっかけにしてしまおうって 感じになっちゃうじゃない?だから…いいの。手術が終わるまでは、ね」「はぁい」……良かった。メグが元気になってくれたみたいで…。 * * * * * *さらに翌日。《Meg》私の執刀を担当する先生が、朝早くに病室にやって来ていた。大丈夫、何も不安になることはない等と、恐らく手術前の患者全員に投げかける定型文を聞いていても、今の私は不思議と反発する気にもならないし、むしろ喜んで聞いていられた。「どこの血管をバイバス用に使用すればいいかな…?」塞がりかけている心臓の血管を取り替えるために、先生が私に尋ねてきた。すでに何度もメスを入れられている胸…それ以外の肢体に、傷があるのを見られたくない…。「胸で、お願いします」自分でそう言って、私は私自身の未来を…あの人に抱かれている自分を願っている事に気づいていた。あははは、私ったら、もう手術が成功したような気になってる…。 * * * * * *《Mercury Lampe SIDE》放課後の教室で、私はジュンに呼び止められた。「なあ、水銀燈」「なぁに?」「あの小説だけどさ…誰かに見せたりしてないよな?」どきり、と胸が高鳴り、一気に身体が冷えるような感触が走った。「…見せてるのか?」責める口調などではなく、ただ聞きなおすだけのジュンの優しい言葉に、私は不意に胸のうちの何かが溶けていくのを感じた。「…ごめん…なさぁい…ひっく」「すっ…水銀燈…」「私…メグに見せてたの。ジュンの書いたお話…」《Jum SIDE》……やっぱり、そうだったのか。あれからなぜ水銀燈があんな僕の小説を借りていったのかを考えているうちに、鈍いながらに僕は一つの推測を立てていた。それが見事に当たっていた。いやむしろ、僕はそうしてもらうことを願っていた。あの作品には、僕自身とメグをはっきりと投影している。あれを読んだ水銀燈がそのことに気づかないはずがない。いや、仮に水銀燈があの時僕の作品を読ませてもらいにやって来なかったとしても、そもそも僕は水銀燈に頼んであれをメグに持っていってもらうつもりだったのだ。もちろん、メグとの仲直り…というか、一度切ってしまったメグとのつながりを取り戻そうとするために。感謝こそすれ責めるつもりなど更々ないのに、水銀燈はどうして泣いてるんだろう。ややあって落ち着いた水銀燈は、僕にこう言った。「罪滅ぼし…だったのよ」「え…?」「だって…私はあなたが好きだったんですもの…」時間だけでなく、呼吸までもが止まってしまったように感じた。《Mercury Lampe SIDE》「私はあの時、喧嘩別れしたあなた達を見て、もしかしたらジュンが私に振り向いて くれるかも知れないと、一瞬でも期待しちゃったのよぉ…。 ひどい話よねぇ…だからあの後、私は私が許せなかった。そんな時に…あなたの 書いた小説を見て、これをメグに見せれば、あなた達がもう一度つながるんじゃないかって…。 だから…だから私は、あなた達の間を取り持つキューピットを演じようと思ったの…! …出しゃばった真似をして、本当にごめんなさぁい…」許してもらえなくても構わない。ただ、知っておいて欲しかった。私があなたに抱いていた想いを。そこには何の偽りもなかった事を。《Jum SIDE》「僕は、水銀燈のことを怒ってなんかいないよ」「そうなのぉ…?」「ああ。むしろお礼を言わなくちゃいけない位だ。…メグは、何か感想を言ってたかい?」「…ジュンったら、ニブチンだけど繊細なところもある優しい男の子だって…あと、続き楽しみにしてるって…」「ははは…その通りかも知れないな。でも本当にありがとう。それを聞いてほっとしたよ」「ジュン…」「水銀燈。僕は…メグの事が好きだ」「…分かったわ」「でも、僕がメグに出会えたのは君のお陰だ。君が僕にメグを紹介してくれたんだから。 本当に感謝しているよ。ありがとう。もともと、君はキューピットだったんだよ…」そう言いながら、僕も目頭が熱くなって仕方がなかった。水銀燈のけなげさに心を打たれた…それもあるが、それだけではない。すぐそばにいたこの女の子の気持ちさえ、僕は気づいてあげる事が出来なかった。幼すぎる自分自身への不甲斐なさが、雫となって流れ落ちた。遠くから部活動の掛け声だけが聞こえてくる教室で、僕と水銀燈は二人、しばらく嗚咽を止められなかった。いつまでも幼いままでは駄目だ。人を傷つけないための強さ…慮る思いやりがなければ。それが、恐らく男としての大人になるという事なのだろう。僕は切実にそう思った。《Mercury Lampe SIDE》私の初恋は、こうして散っていった。でも…何だか吹っ切れた感じだわ。だって…初恋の人が、私の事をキューピットだって言ってくれたんだもの。キューピットなら…いつかは絶対に、自身に違う恋を実らせる事が出来るはず。……女って、こうしてオトナの女になっていくのかもしれないわね。私は切実にそう思った。 * * * * * *そして…手術当日。「では、術式を開始します」「患者は17歳、女性。バイタル良好」「胸部正中切開に入ります」 * * * * * *《Mercury Lampe SIDE》ガシャン、と扉が閉まり、『手術中』という赤いランプが灯ったのが3時間前。目の前の光景がどこかドラマのワンシーンのように遠く感じられるが、廊下のソファに座り込んで祈るように手を組んでいるメグの両親の姿が、これが現実だと教えてくれる。……メグ、ごめんなさい。私、貴女との約束を破っちゃうから…。でもどうか、無事に戻って来て…。私は電源を切ってある携帯を手に、病院の玄関へ向かって歩き出した。 * * * * * *《Meg》……あれ?私…今どこにいるの?「心拍数血圧共に低下、止まりません!」「イレウス管を持って来いイレウス管だ違うそれじゃない急げ!」……私の真下に、胸を開かれて血まみれの私が手術台の上に横たわっている。……白衣姿の先生達が、何か必死になって動き回ってる………私、死んじゃったのかな?……あーあ。何だか後悔しか浮かばないなぁ………ジュン君とも喧嘩しちゃって、結局仲直りも出来ずじまいだったなぁ。……このまま、ジュン君とも水銀燈とも会えなくなっちゃう………それが、死ぬってこと………悲しい。辛い………嫌!死にたくない!戻りたいよ…!!……せめて…あのお話の続きだけでも聞きたかった…神様、お願い…!! * * * * * *《Jum SIDE》家にいた僕は、水銀燈の電話に呼び出され、メグの病院へと向かった。今日がメグの手術日だったなんて…!そういえばあの時、喧嘩になっちゃったから手術そのものの日付までは聞いてなかったもんな…足が自分のものじゃなくなるんじゃないかというほどに、僕は自転車を漕ぎ、やっと正面玄関へと乗りつける。そこに、水銀燈はいた。《Mercury Lampe SIDE》汗だくになってやって来たジュン。彼のメグへの想いの強さを、私はここでも目の当たりにした。「ごめんなさい。メグには黙っておくように頼まれてたんだけど…」「で、どうなんだ、今手術中なのか!?」「ええ…順調なら、あと少しで終わるはずなんだけどね」「…そうか。連絡してくれてありがとう」「…だって、目を覚ましたメグにはあなたがご両親の次に会って欲しいと思ったから…」「…分かった。…ここにいるのも何だから、とりあえず中で待ってようか」「ええ…」自動ドアを抜けて歩き出す私達。先に立って進む私に、少ししてジュンがぽつりと言った。「水銀燈…」「なぁに?」「本当に、ありがとう」「…いいのよ」手術室の前に戻ると、『手術中』のランプは消え、白衣姿の医者と…泣き崩れるメグの両親がいた。私よりも早く、医者に飛びついたジュン。「先生!メグは、…メグは!?」「…眠りに就いたよ」「…えっ!?」「あと数時間すれば、麻酔も覚めて意識を取り戻すだろう。今からメグさんの所に案内するから、 それまで、ベッドの横で待ってなさい」「って事は…」「途中で危険な状態に陥ったが、無事に術式は終了したよ。一ヶ月もすれば退院だ。 良かったね」「あ…ああ…」《Jum SIDE》良かった…ほっとしたと言うべきか。親切な医者に礼を言い、喜びを分かち合おうと水銀燈に振り返ると、彼女は泣き崩れて腰の立たないメグの両親に肩を貸しているところだった。僕の目線に気づいた水銀燈が、何だまだここにいたの、という感じで僕を見る。《Mercury Lampe SIDE》「水銀燈…」「…私はいいから、速く行ってあげなさぁい?」「うん…!」私は、もう何の迷いもなく、先を行く医者の後を追って駆け出していくジュンの背中を見送った。《Meg》……身体が重い。どうしてだろう。……これが、生きている身体の重み…?……光が眩しい…。私、生きてるんだ…!無事だったんだ…!!なんだか頭がくらくらするけど、どうやら見える世界は元通り、ベッドから見上げる病院の天井だ。もう幽体離脱もしていなければ、不安に囲まれて震えてもいない!嬉しい…生きている事ってこんなに嬉しいんだ!…私、これからは本当に人間として生きられそうな気がする!「メグ」すぐそばから聞こえてきた、待ち焦がれていたあの声。「ジュン…君…」「やあ、メグ…」「ふふ…私、生きてる、生きてるよ…」「ああ…そうだな、生きてるな…」「良かったぁ…」「おめでとう…そしてこんな時に何だけど、この間はごめんな…」「ううん、私こそごめん…」「許してくれるか…?」「…ねえジュン君」「…ん?」「あのお話の続き…結局どうなるの?あのお姫様と…職人さん…」「…ああ、まだ考えてなかったや。お姫様に薔薇の棘が刺さって元気になるとか、そんな感じかな…」「もぉ…結構いい加減なのね…」「何にしろ、結果は同じさ。最後は…」《Jum》僕は、メグの少し乾いた唇に、そっと自分のそれを合わせた。また一つ、大人になれたような気がした。 …こうして、お姫様とマエストロは結ばれましたとさ。めでたし、めでたし。おわり
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