【テーマ:小説 翠星石】
夏休みが始まってすぐの話だ。私と双子の妹の蒼星石は祖父の一葉のおじじの家に向かっていた。太陽に照らされたコンクリートの道に汗をぽたぽたと垂らしながら歩く。おじじの家は私達の家からそう遠くないとはいえ、夏の炎天下の中だ、たとえ徒歩20分程度だとしても顔は真っ赤になって当然……だと私は思ったのだが、妹は随分と涼しい顔で前を歩いていた。 、息を切らしてのぼる、最後の坂の途中、「翠星石、大丈夫?」私を気遣い、ハンカチを差し出す妹。彼女より出来のいい妹はこの世にはいないだろう。「だっ大丈夫ですぅ……」「ほら、もう着くよ」目の前に見えるは大きな門。おじじの家は近隣住民からは薔薇屋敷と呼ばれる豪邸だ。そして、色とりどりの薔薇が咲き誇る大きな庭園がある。そこの薔薇たちの世話は私達双子の姉妹が任されいて、ことあるごとに、私達はこの屋敷を訪れるのだが……この日の目的は薔薇の世話ではなかった。「おじじー!邪魔するですよー!!」「お邪魔します」玄関の扉を勢い良くバーンと開け放つ。蒼星石に注意されるが気にしない。「やぁ、いらっしゃい。暑かっただろう、飲み物が用意してあるよ」足の悪いおじじは玄関で車椅子に座りながら、私達を待っていた。おじじっ子の蒼星石は嬉しそうに微笑み、おじじの背中にまわり、車いすに手を置いた。全く、こんなじいさんのどこがいいのか……ちょっといじわるな気分になった私は妹を急かす。「悪いけどお茶は用事を済ませてからするですぅ!そら、さっさと行くですよ蒼星石!」「別にそんなに慌てなくてもいいじゃないか……もう」苦笑いのおじじを後にして、渋々と着いてくる蒼星石。勝手知ったる屋敷の廊下をずんずん進む。地下へと続く階段をおりて、また廊下を進んで……たどり着いた扉に書いてある文字は“Library”そう、図書室。私達の目的はこの部屋。夏休みの学生の敵と言えば、数多く出される宿題であるが、その中でもっとも手強いと考えられるものに、読書感想文がある。まだ、夏休みも始まったばかりで、それに手をつけるのには早すぎると思ったが、先述の通り出来のよろしい妹に「どうせやらなくちゃいけないんだから、早く始めたほうがいいでしょ」と言われ、渋々、本を探すことにした。おじじの家の図書室は、もちろん街の図書館には遠く及ばないが、それでも個人のものだと考えると驚くべき蔵書量だった。図書室には、背の高い本棚が等間隔でならんでいる。本棚と本棚の間は人1人余裕で通れるくらいだ。蒼星石は手前の本棚から捜しているようだった。ならば自分は奥の方から―――部屋の一番奥の本段と壁の隙間に足を踏み入れた瞬間、体が硬直した。ここには誰もいないはずなのに、いたらおかしいはずなのに、人影があった。私じゃない人影がゆらりゆれる。どうして、誰が、まさか泥棒か考えがぐるぐるめぐる。驚いて、怖くて声も出ない―――「え……?」そんなこともなく、人影が声を上げた瞬間、私も絶叫した。「きゃーーっ!!だっ…だれかいるですぅ!!蒼星石!!!」「えっ?翠星石!?」驚いた蒼星石が駆け寄ってきて私を庇うように前に立った。私は腰が抜けそうだったけれどもなんとか耐え、蒼星石にぴったりとくっついた。「お兄さん、誰ですか?」蒼星石が怪訝そうに、人影の主……そこにいた若い男に話かけた。開いたままの本を持っている。どうやらここで本を読んでいたらしい。目を丸くしてこちらを見ている。 「びっくりした。あー……君達一葉さんのお孫さん?ごめんね驚かせちゃったね。怪しいものじゃないから心配しないで」その男は私達に向かって優しく微笑んだ。おじじの名前を知っている、ということで蒼星石の男に対する不信感は幾分和らいだようだった。しかしそれでもも不安感を払拭出来ない私は蒼星石の背中にくっついたまま男と目線をあわすことは出来なかった。「おじいさんの知り合いですか?」「そう、ちゃんと一葉さんに紹介してもらうために、一度上に行こうか?」3人でおじじがお茶を用意して待っているであろう、応接室へと向かうことにした。私は蒼星石と手を引かれるようにして、階段を上った。応接室に居たおじじは、部屋に入って来た私達を見るなり、声を上げた。「あぁ、二葉君、君もしかして図書室にいたのか」「はい、そこでこの二人と会ったんです」「おじじ!人が来てるなら最初にちゃんとそう言うです!」叫ぶように言って涙目でおじじを睨みつける。人見知りな私がどれだけ驚いたか、おじじは分かっているのだろうか。「あぁすまん、まさか図書室にいるとは思わなくてね。それに彼のことを話す前に君達が行ってしまったんだよ……」「翠星石が急かすからね」「うっ……」蒼星石に冷たく言われてしまって言葉も出ない。「いやでも驚かせてしまったようで申し訳なかったね。僕は結菱二葉。一葉さんの遠い親戚に当たるから……つまり君達とも親戚ってことになるね。夏休みの間、一葉さんの家に滞在させてもらうことになったんだ」 「大学生の親戚がいるなんて知らなかったな。でもなんとなくおじいさんに似ているね」確かによくよくみるとこの二葉という男は、前に見たおじじの若い頃の写真の姿に似ているかもしれないと思った。「二葉君は今は大学でイギリス文学を専攻しているんだよ。読書感想文を書くのだろう?二葉君に手伝ってもらうといい。いいかね二葉君?」「僕で良ければ。他の宿題でも手伝えることがあれば手伝うよ」男……二葉……さんは私たちに向かって微笑んだ。蒼星石はやった、と呟いて微笑み返したけれど、私はやっぱり人見知りなので、素直に喜んだりは出来なかった。知りあったばかりの男の人に勉強を教えてもらうなんて憂鬱だ。再び、私達は図書室に向かった。「読書感想文って言うと……もうどの本で書こうとか決まっているのかな?」「いえ、僕も翠星石もまだ。おすすめとかありますか?」「そうだね……」笑顔で話す、蒼星石と二葉……さん。そして私はやっぱり蒼星石の背中にぴったりくっついていた。「翠星石ちゃんは大人しいね」「いや、姉さんは人見知りで……普段はこんなに大人しくないですよ。むしろうるさいくらい」「……」いつもなら声を荒げて反論するところだけど、黙って蒼星石を小突くだけにしておいた。声を上げるのも躊躇うくらい、私は緊張……というか、警戒していた。二葉という男を。二葉は、そうか、と笑ながら呟いて本棚から数冊の本をとり出して、私たちの前に差し出した。「これとか、おすすめかな。僕も学生時代に、この本で書いたんだけど、書きやすかったし」「ありがとうございます。じゃあ僕はこれにしようっと。翠星石はどうする?」私は二葉が右手に持っていた本を指差して、それがいいですぅと小声で呟いた。別にその本に魅力を感じたと言うわけではなく、早いところ済ませて、家に帰りたいと思って適当に選んだだけだった。でも、それから、本は家で読もう、ということになって、不本意にも応接室でお茶をしながら4人でお喋りすることになった。……もっともお喋りをするのは3人で、私は黙って話を聞いてるだけだったのだけど。それでも3人とも、私を無視して話をするというわけではなく、私に話を振ったり気遣ったりしてくれて、不快に思うことはなかった。帰宅後、特にすることも無かったので、なんとなく私は借りてきた本をむことにした。本の内容は、簡単に言ってしまえば、息子を亡くした老夫婦と、その家にやって来た犬の話……という感じで、感動モノの小説であるようだった。なかなか面白くて、頁をめくる手は止まらなかった。私はめずらしく、本を読むことに没頭してしまい、最後のページをめくるころには、ハンカチがびしょびしょになっていた。時計を確認すると、いつも寝る時間より2時間以上経っていることを示していた。おすすめの小説というだけはあるですね、と誰にとでもなく呟き、ベッドに入った。次の日、蒼星石も借りた本はすぐにに読み終わってしまったようで、「感想文のコツ聞きにいこうよ」といって、またおじじの家に行くことにした。二葉に会うということで、少し躊躇ったが、昨日ほど憂鬱に感じることは無かった。感想文を書く手伝いをしてほしい、と蒼星石が言うと、二葉は快く応じてくれた。机に座り、どのような順で書けばいいか、どこに重点を置くべきか、などを説明する二葉はまるで、新任教師のようだった。でも、なかなか分かりやすい説明で今までに無いくらいに順調に書けた。それに、昨日のお喋りの時も感じたが、二葉は人に気を使うのが上手い。私は基本的には彼とは目も合わさないし、言葉も発さなかったのだが(相手が憎まれ口でも聞いて来るので、あれば、こちらも口悪く応対出来るが、二葉は非常に紳士的な男で、 私に対して失礼な事をいうことは決して無かったので、私は黙ってることしか出来なかった)頷いたり、首をふったりするだけで、答えられるような質問をなげかけてくれて、こっちも気が楽だった。 蒼星石は、お昼過ぎ、私も夕方にになるころには書きあがった。「終わったですぅ!」思わず声をあげてしまってから気付く。隣に蒼星石がいない。集中していていなくなったことに気付かなかった。そう言えばトイレに行くって言ってた気もする。「お疲れさま」二葉に言われてドキっとする。やっぱりお礼くらいは言わなければ。でもどうしよう、なんて言えば。「あっ……あの!感謝してやらんこともないですぅ……」これじゃあ全然お礼じゃない……。でもこれが素直になれない自分の精一杯だった。二葉は一瞬目を丸くしたが、すぐにうれしそうに笑った。「どういたしまして」さっきとは少し違う感じに、ドキっとしてしまった。その日は眠る瞬間まで、なんだかそわそわしていた。それから、ちょっとずつ二葉と話すようになった。話題に困り、なんとなくおすすめの本を教えてほしい、言ったら「普段はどんな本を読むの?」と帰って来た二葉の質問の返答に困ってしまった。「ぅ……えぇ……と……」普段読む本……あまり多く読むほうではないし、読むといえば恋愛小説くらいなのだが、なんだか大人の男の人にそれを伝えるのは、少し、気恥ずかしかった。「特に好きなジャンルとかはないのかな?」「じゃあこういうのとか……」本棚から、数冊本を取り出して説明をする二葉。どことなく嬉しそうな顔を見て、やっぱりドキドキしてしまった。また何日か経った別の日、その日は蒼星石は、運動部の助っ人を頼まれて家にはいなかった。私は薔薇の世話をしにいくだけ、と誰かに言い訳して、おじじの家を訪れた。 そしてなんとなく、図書室に向かう。やっぱりそこには二葉が居た。背後に近付く私に気付かない程、集中して本を読んでいた。「なに読んでるですか?」「わっ……!あ……あぁ翠星石ちゃん。……これはね、恋愛小説だよ。昔読んだことがあるのを見つけてついね」なんだか恥ずかしいな……と笑いながら二葉は言った。……笑っていたけど私には少し悲しそうな顔に見えた。本の内容が悲しかっただけかもしれないが、私は昔の、悲しい恋のことを思い出しているのかもしれない、好きだった女の子のことを思い浮かべているのかもしれない、となんとなく、そう思い、胸が少し痛んだ。 「なかなかいい話だよ。読んでみるかい?」「遠慮しておくですぅ……」悲しい話は、今は読みたくないです、と心の中だけで付け加えておいた。「あっ翠星石はこっちのがいいですっ!」気まずい沈黙を無くすためだけに、なんとなく本棚から取り出した本は、白の表紙に美しい薔薇の花が描かれ、金の文字でタイトルが小さく書かれているという、なかなか洒落た本だった。 たぶんこれも恋愛小説だろう。「僕は読んだことないなぁ、その本。良かったら感想聞かせてね」「……気が向いたらおしえてやるですよ」「はは、楽しみにしてるよ」家に帰り、さっそく読み始めてみると、確かに恋愛小説ではあったが、なんだか昼ドラみたいな、ドロドロした話だった。簡単に言ってしまえば、双子の姉妹が一人の男性を奪いあって、憎んだり憎まれたりする話。 双子の姉妹、というと必然的に自分たちのことが、連想される。そして、一人の男で連想されるのは二葉……。なんで、と一瞬思い顔が熱くなったが、私は心まで素直じゃない訳ではない……はず。二葉が好き……というか少し、気になっているのは事実だ。あんまり認めたくはないけれど。蒼星石はどうなのだろうか。双子が同じ人を好きになるなんて話、腐るほどある。大体おじじ大好きっこの蒼星石なんだから、二葉は好みのタイプかもしれない……。もし、蒼星石が二葉のこと、好きだったら、この小説みたいに取り合いになってしまうのだろうか。そして私たち姉妹は今のように仲の良いままではいられず、憎みあって……。想像するだけで、背筋に冷たいものが駆け抜ける。蒼星石に嫌われるくらいなら、死んだほうがマシ、そのくらい蒼星石が大好きだ。二葉のことは、もともと気になる、程度の気持ちだ。付き合いたいとかそういうこと、全く思ってない。だから……でももし私が身を引いたとして、幸せそうな二人を見て、耐えられるのだろうか……。考えれば考えるほど、悪い方向に想像は膨らんでいく。もう寝ようと思って布団を被ったあとも、手のつけられないくらいにどんどん膨らんで、眠気に襲われたのは明け方になってからだった。それから何日か、二葉には会いに行かなかった。蒼星石に誘われたりもしたけど、やっぱり行く気分にはなれなかった。「二葉さん、翠星石がこないって寂しそうにしてたよ」蒼星石が夕飯の席で徐に話し始める。私は色んな意味でドキッとして声が出なかった。「それに二葉さん明日帰っちゃうんだって」「え!?嘘……ず、随分急ですね」今度は頭を思いっきり殴られたような衝撃が走る。ぐわんぐわんする。……いくらなんでも急すぎだ。「なにか、急用が出来たらしくてさ、明日会いに行きなよ。僕はちょっと行けないけど」次の日、いてもたっても居られなくなった私は朝早く家を出た。二葉は応接室に居た。もう出発準備をすませたらしく、スーツケースを傍らに置きながら、紅茶を飲んでいた。 「翠星石ちゃん、おはよう」いつも通り、私に微笑む。「帰るんですか?」「そう、向こうで急に用事が出来てね……」「……」しばらく流れる沈黙。破ったのは私だった。「あっあの……また面白い小説とかあったら教えやがれですっ」「うん……喜んで。また遊びにくるからね、ありがとう」「……」また降りてくる沈黙、今度は二葉が破った。「本当にありがとう。妹が出来たみたいで楽しかったよ」「えっ!?いっ妹!?ですか?」「そう、僕実は弟か妹がずっとほしくて……」顔には出さないように努力したけど、ちょっとカチンと来た。怒りにまかせてポケットにしまっていたメモを取り出し、二葉に押し付ける。「翠星石ちゃん?」「これっ翠星石のアドレスです!メールするですよ!じゃあ翠星石は用事があるから帰るですっ!」「え!?」逃げるようにおじじの家から飛び出した。顔は真っ赤で、涙目で、早口だったのは自分でも分かった。「ただいまですぅ」「あれ、翠星石もう帰ってきたの?」まだ出かけていなかった蒼星石が、驚いて私を見る。そういえば……さっきのは抜け駆けになるのだろうか。またドロドロの想像に襲われそうになった瞬間、「寂しそうな顔してるね」蒼星石がいたずらっぽく笑いながら私に話しかけた。「な……そんなことない……です。蒼星石は寂しくないですか?」「そりゃあ寂しいけど、僕“は”二葉さんのこと恋愛としては好きじゃないしね。」なんだ……自分の予想は完全にはずれていた、と安心する反面、やたら“は”を強調して言うのにギクリとした。蒼星石はにっこり笑いながら言った。「翠星石“は”好きなんでしょ?二葉さん、がんばりなよ」「なっそんなわけないですぅーー!!!」……近頃、メールの着信音が鳴るたびに一喜一憂しているのは、蒼星石には内緒の話です。
このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー と 利用規約 が適用されます。
1文字以上入力してください
本文は少なくとも1文字以上必要です。
1文字以上入力してください。