【テーマ:小説 薔薇水晶】 【ばらたね先生】
【ばらたね先生】1.桃乙女実に美人で年の頃は20半ばといった所の女性がひたすらキーボードを叩いている。蛇のような片目と対を塞ぐ眼帯、紫色の髪の毛。すべてが人間の例外のような容姿。整いすぎていて人形そっくりなその顔には、何の表情も浮かんでいない。というより、彼女が表情を浮かべるということはほとんどない。そんな完璧な無表情なのに高速に指だけが動いている光景はいよいよ人間離れして、一昔前の電脳の概念が生まれる前のSFに描かれたコンピューターを使いこなすロボットのようだ。だが、彼女が生み出す物はもっとアナログな物だ。キーボードを叩いている女性は小説家・薔薇水晶。月刊YOUNGPERS(ヤングパース)で好評連載中の小説「ピーツィメイデン」の作者だった。お父様の愛を求めて戦う桃乙女たちの戦いとひきこもり少年ジョンを描いた作品で、現在雑誌の看板作品である。「…ふぅ」小さくため息をつく。「あ、終わりましたか先生」後ろでずっと裁縫をしていたスーツ姿の女性が、薔薇水晶に声をかける。パタンナー…ではなく編集者の草笛みつだ。薔薇水晶は軽くうなずく。そしてみつに席を譲った。みつは席に着くと薔薇水晶が書き上げた文章を読み始める。「『甲高い音がいくつも重なり合った轟音。鏡が砕け散った後に残るのは耳が痛くなるほどの沈黙だった。誰しもが青星石の行ったことの意味とその結果について最悪の想像をし、その実現を恐れるかのように身動きを取らなかった。ゆらりと傾ぎ、青星石が落下を始める。「青星石ーー!」呪縛から解き放たれたように緑星石が飛翔し、青星石を抱きかかえた』…」みつには原稿を声を上げて読み上げる悪癖があった。ぶっちゃけ薔薇水晶としては自分の作品を目の前で読み上げるとか本気で勘弁してほしいのだが、生来の内気さが災いして言い出せないのであった。薔薇水晶が無表情で無口であることはなにかこだわりがあるわけではなく、生まれたときからそういう性質だっただけだ。あと、生まれたときから物言わぬ人形に囲まれて育った親の情操教育の結果かもしれない。「『「誰かはそれを、絆とも呼ぶのよ!」深紅の右拳が水銀灯の頬を打ち抜くのであった』…」みつは一度、深くかがみ込み、ぷるぷると震えた。「くぅ、いいじゃないですか先生。まさに燃え展開ですよ。今月も読者人気一位間違いなしですね!」手直しの指示もないようだ。怒ってるのかとちょっと心配した。「原稿も送信しましたし、引き払いましょうか、ここ」今いる場所は薔薇水晶の家はおろか仕事場ですらなく、ただのビジネスホテルだった。要するに薔薇水晶は〆切をすぎたせいで編集者にカンヅメにされていたのだ。みつの運転する車の後部座席で、薔薇水晶はぼーっと隣を走る車達のテールランプを目で追っていた。薔薇水晶とみつは互いに一仕事終えた気怠さと充実感を空気を共有していた。「これでついに青星石編も終わりですね」「ぅん…」「次の構想はもうあるんですか?」「…もちろん…」考えてない。こんな時普段から沈黙癖があると便利だ。だいたい毎月〆切を越え、編集が押し掛け、いすに縛り付けられてようやっと原稿をあげるのに次の展望など考えている暇などあるわけがない。青星石編が片付いた今、来月からどうするかというのは頭の痛い問題だった。一応ジョンにフォーカスした話にしようかと思っているが、青星石が散った直後に重い話を続けるのも憚られる、さりとてジョンの抱える問題をコメディータッチで片付けるのも憚られた。薔薇水晶の意識が深く物語世界に沈んでいく。引き戻されたのはみつの矯声を聞いた時だった。「よかったー♪先生は自分の世界を大切にされる方だから、正直誘うだけでも迷惑じゃないかと心配だったんです」考え事をしているときの悪い癖で、適当に返事をしてしまったらしい。「…な、ん」「じゃあさっそく家に向かいますね」どこに向かうのかも聞き出せずにいると、車は普通にみつの住むマンションの駐車場に止まった。車の音を聞きつけてか、タタタタン、と小気味よく階段を下りる音。卵色のふんわりした上着にオレンジ色のパンツ姿を履いた子供がみつの言う「カナ」らしかった。「こん、にちわ…」「こんちにわかしら、ローズピット先生。みっちゃんから先生のお話を聞いていて、一度お会いしたいと心から思っていましたかしら」1つの言葉に30の言葉が返ってきそう。名前通り、服の色通りにぎやかで華やかなタイプらしかった。そしてぺこりっ、と深々としたお辞儀。その反動で両腕が背中を越えてピョコリとはねる。金糸雀は大人のまねして礼儀正しく振る舞いたがるけれど、年相応の稚気が抜けていないちょっと背伸びしたい年頃のおませさんらしい。薔薇水晶が誘われたのは食事のようだった。基本は材料デリのようだったが、金糸雀は慣れているのか年に似合わず美味しい料理を作っていた。「どーかしら~」「美味しいわよーカナ」みつは満面の笑みで答える。薔薇水晶の方はと言えばみつの言葉尻にこくこく頷くのが精一杯だった。筋金入りの人見知りである。食後、お暇するタイミングを見計らって薔薇水晶が少しどきどきしていると「いけない、お色直しの時間だわ」とみつが叫び。「そうだったかしら!」と金糸雀が慌てた声を上げた。そうやって二人が今から消え、戻ってきたときには金糸雀がドレス姿になっていた。なるほど、と薔薇水晶は思った。「だか…らいつも、裁縫?」「やっぱりわかります」みつが照れ笑いをする。「今日のドレスは新作なんですよ」そう言いながら、みつはカメラをとりだした。カシャカシャと擬似的なシャッター音がする。「はいカナこっちに表情ちょうだい」「あい」カシャ金糸雀のテーマカラーなのか黄色とオレンジのドレスに日傘を持った金糸雀はかわいかった。さまざまなポーズをとり、くるくると表情を変える金糸雀を見ているうちに、薔薇水晶の中で閃く物があった。もちろん作品の次の展開のことだ。(次の章はジョンが辛い目に遭うとして、それのシリアスさはそのままににぎやかな新キャラ登場でバランスを保つとか…金糸雀…水銀灯の妹…銅糸雀とかいいかもしれない)そして、「よかったー♪さすがに厚かましいかと思ってたんですけど、先生が気さくな方で助かりました」「…ぇ?」また、適当に返事をしてしまったらしい。我に帰った薔薇水晶は紫のドレスを持つみつの満面の笑みを見た。「じゃあ、早速着て見てくださいね♪」「ほら、…さ、サイズとか」「だてに毎日先生の後ろ姿を眺めて暮らしてませんって」そしてこの日撮られた写真は百枚を越えた。抗える術はなかったように思う。2.薔薇乙女みつは仕事を家に持ち帰る主義の様で、薔薇水晶宛のファンレターがたくさん束になっていた。一つの封筒を手にする。メモに「ギリギリアウト」とみつの文字で書いてあった。普段受け取るファンレターは暴言などが届かないように編集のみつが事前に検閲するのが普通だ。そのみつが渡すかどうか迷う程度のファンレター。完全にアウトなら薔薇水晶も読もうとは思わなかったが、ギリギリラインの物ならばちょっと読んでみたいかもしれない。宛先は…どうやら自分の様で薔薇水晶は興味にかられた。封を開ける。『ばらたね先生こんにちわ私は先生の作品が大好きです…』ほんの数ミリ、薔薇水晶の目尻が下がる。心からの微笑みだった。この時のために薔薇水晶は小説家をしていると行っても過言ではない。『ですが最近銀様が格好良すぎて生きているのがつらいです。なんで銀様は現実に存在しないのでしょうか?リアルにいないような人物を生きているかのように描いて…』ぐりっ、と薔薇水晶は首を傾げる。とたんにみつに声をかけられた多分、気づいていたのだろう。「あー、そのレターですか。弾いた方がいいかとも思ったんですけれど、どうでしょう?先生が不快でしたら、その手のは通さないようにしちゃいますけれど」「…そぅじゃなくて」「あ、セーフとかも知れないと思った理由ですか?まぁ彼の気持ちもわかるかなと。先生の描く幻想的で高貴なキャラクターは恋い焦がれるほどの気持ちを持たれることが多いですし」薔薇水晶は首を横に振る。ただただ、薔薇水晶には不思議だったのだ。「…みんな、身近に…モデル、いる」「そうですよね。架空と現実の区別はきっちりとつけないと…ってええ?」「どこが…幻想、的?」そこは昼は喫茶店、夜はバー。瀟酒な空気が漂う空間に黒いドレスの女マスターはぴたりとはまっており、まるで一枚の絵のようだった。「きゃああああ、水銀灯が、目の前にいるぅぅう!!」カウンターという隔たりがなければみつは間違いなく水銀燈に飛びついていただろう。「…この無礼な直毛キャンディキャンディは何?」誰?じゃなくて何?な辺りに怒りがこもってるなぁと思いつつ、すぃっ、と水銀燈の目が細くなるのを見て、薔薇水晶は久しぶりに身の危険を感じた。危険を感じるのは真紅に馬乗りになられて殴り飛ばされそうになって以来なので、もう何年前やら。こんな黒豹が放し飼いになっているようなバーがなんで繁盛してるのか、開店当初から結構疑問だが、疑問の表明と同時に何が起こるのか恐ろしくて、未だに薔薇水晶は口に出したことがない。薔薇水晶の感慨をよそにみつは一人でどんどんテンションが上がっていた。「ああもう、感涙物だわ」「ほかの連中もちょくちょく顔をだすから運が良ければあえるかも知れないわよぉ」「本当ですか!?」「残念ながら翠星石と蒼星石なら今頃南アフリカの富豪に招かれて日本庭園を造りにいってるけどね」「じゃあ深紅の」「真紅のモデルなら貴女も知ってると思うけれど」「有名なんですか?」「そうねぇ…貴女大晦日はなにしてた?」「家でまさ、ゴロゴロしてましたけれど」「それならテレビで見たんじゃないかしら」噂をすれば影というべきか。店のドアが開いた。「また貴女の美味しくもない紅茶を飲みにきてあげたわよ」素直じゃない、高飛車な声。旧友との久しぶりの再会に薔薇水晶の心は弾んだ。「きゃああ、深紅まで!」「ぁっ…」止める隙もあらばこそ。みっちゃんは真紅に抱きつこうとした。「何!?」作品のモデルとなった真紅の右拳がみつの顎に吸い込まれるようにクリーンヒットする瞬間を薔薇水晶は見逃さなかった。あまり見たくもなかった。みつが膝から崩れ落ちる。現女子世界ボクシングフライ級王者兼女子総合格闘技トーナメントライト級2009年覇者。ちなみに彼女が目玉の大晦日の総合格闘技の視聴率は20.1%。それが今の真紅だった。紅い稲妻を見た、とその後のみつは語る。「あー地面が回るぅぅ」水銀燈の作ってくれた氷嚢を当てながら、みつはカウンターに突伏していた。「一滴も…飲んでない…」真紅と水銀燈は仲良く口喧嘩しているのをBGMに薔薇水晶はゆっくりと紫水晶というカクテルを傾ける。「先生がなんであれだけドラマティックな物語を書けるのか不思議だったんですけれど、なんだか納得です」「そぅ?」「先生自体が素でドラマティックな人に囲まれているんですもの」「…よくわからない、けれど」「いやぁ~、先生はそれでいいんですよ」みつが破顔一笑したので、薔薇水晶もつられて目尻を数ミリほど下げた。「先生は幸せな人ですね」拳に酔ったか、みつはそんなことを言った。「そうだね…」珍しく、薔薇水晶ははっきりと答える。「それだけは、自信あるよ」【ばらたね先生】 了
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