「蒼空のシュヴァリエ」第八回
昭和20年3月19日、鵜来基地 空戦終了後戦闘機隊の帰りを待つ桜田少佐は、電話で343航空隊の志賀淑雄飛行長と連絡を取り合っていた。ジ「…我が方の圧倒的勝利ですか、それは良かったです」志「そちらの航空隊は帰ってきたか?」 ジ「まだですが、時間的にもそろそろではないかと…」志「まあ今日の結果なら無事だろう。…それより、君の隊には特攻の話は来ていないだろうな?」 ジ「…343基地でも特攻の話が持ち上がっているんですか」志「…ああ。ついこの間、こっちの源田司令がその話を出した。うちの隊からも特攻を出すべきだとな。 だから言ってやったよ。『私が真っ先に行きます。司令は私の機の胴体後部に入って一緒に同行して下さい』とな」ジ「…それで?」志「真っ青になってどこかへ行ってしまったよ。まったく…大西瀧治郎長官も酷い戦法を編み出したものだ」ジ「…レイテ海戦のみの限定作戦だったはずでしたのにね」志「それを全軍特攻に拡大した馬鹿はどこのどいつだ…。いずれにしろ、俺はそんなものに部下を 差し出すつもりはない。志願ならともかく、実質的な圧力をかけた上で行かせるような事は俺には出来ん」ジ「自分もです。幸い、自分の隊のベテランは特攻など受け入れがたい、と思っているようですからね」志「梅岡と笹塚だろう。源田司令が343隊に欲しがっていたな…。まぁ分かるさ。熟練したパイロットは ほぼ間違いなく捨て身の戦法など自尊心が許さないはずだ。レイテ戦の時の関大尉もそうだったらしい。 だから…彼の場合、いや今も、特攻は事実上の命令によってパイロットを死地に向かわせているのが大部分の 基地での現実だ。無言の圧力をかけて…本人が望もうと望むまいとな」ジ「それで気にしているのが、我が隊の残り一名の搭乗員についてですが」志「ドイツ大使の娘さんだったな。殊勝な女性だよ。…大丈夫だ。上層部は絶対に彼女には特攻命令を出さない。 いや、梅岡と笹塚もそうだ。君の隊は大丈夫だ。君自身が特攻に否定的なんだからな…。 そのために君が選ばれ、君の隊がわざわざ作られたんだ。仮に彼女が他の隊に配属されたとして、そこの司令がうちの 司令みたいな人間だったら…。彼女が我が343隊に来なくて良かったな」ジ「ありがとうございます。心配する必要はありませんね」 志「ああ。むしろ心配なのは沖縄方面だ。沖縄が陥ちれば…」ジ「…」電話線は黙り込んだ。そして4月1日。晴れた飛行場脇で花見をしていた桜田以下鵜来基地の面々のもとに、これに参加せず無線室に詰めていた槐少尉が息を切らせて走ってきた。槐「司令!敵が沖縄本島への上陸を開始しました!」賑やかに桜を愛でていた一同は、一瞬にして顔を曇らせた。ジ「始まったか…。我が32軍はどうしている?」槐「やはり、敵に無血上陸を許したそうです!米軍の通信に目立った混乱は無く、我が軍からの抵抗がなかった ことに驚いたのか、『四月馬鹿じゃないのか』といったような通信も傍受しました」ジ「四月馬鹿?」槐「エイプリルフールというアメリカの風習のようなものです。今日4月1日は嘘をついても許されるといったような」桜田はすぐに立ち上がった。ジ「…僕は無線室に戻る。君達は花見を続けてくれ」そう言って、桜田少佐は槐少尉を引き連れて駆けて行った。梅岡少尉と笹塚飛曹長も後を追った。残った蒼星石、薔薇水晶、雪華綺晶は、ただ呆然とそれを見送るだけだった。花見など続けられよう訳もなかった。雪「ついに日本の領土が戦場になってしまいましたわね…」薔「怖い…」不安げな双子の整備兵。蒼星石も不安だった。すでに東京は灰燼と帰しており、父親のローゼンベルク大使は長野の松代へ疎開していた。しかし…東京の被害はあくまで爆撃機によるものであったが、沖縄の場合は違う。爆撃機のように、いつかは去っていく…わけではない陸上戦力が、物量に任せて上陸したのだ。双子に「大丈夫だよ、僕達が守ってあげるから…」と声をかけつつも、蒼星石は、今後の沖縄が、いや日本の戦闘推移そのものが非常に気がかりで仕方なかった。無線室。ジ「で、我が飛行場は?住民はどうなっている?」慌ただしく椅子に座った桜田が聞く。白「飛行場は…長くは持たないでしょう。これも予想通りになってしまいました。そして住民については…」ジ「32軍の八原参謀は、県民の北部への疎開を勧告していたようです。八原参謀が主抵抗ラインに策定したのが南部ですから…」 北部へ疎開した人々は大丈夫でしょう」ジ「…その言い方は気になるな」白「…はい。南部にはまだ多くの県民が残っていたようです。避難が間に合わなかったのか、しなかったのか…」ジ「…」槐「…なし崩しに撤退しない限り、県民を巻き添えにすることはないでしょう。満州から引き抜いた精鋭24師団と 62師団の健闘を信じましょう」ジ「…だが本来あるべきだった第9師団が大本営に引き抜かれてしまったのは悔やまれるな…」梅「中飛行場、北飛行場が長くは持たないとなると、特攻も無意味になりますね…」無線室は静かになった。4月6日、ついに陸海軍協同の菊水特攻作戦・第一号が発動した。まず、海軍部隊の30機が囮となったり、陸軍機が東シナ海上にチャフと呼ばれるアルミ箔を散布して米軍を混乱させた。その甲斐あってか、九州・台湾から飛び立った300機あまりの特攻機は、沖縄近海に展開していた米艦隊に突入成功し、空母18隻に損害を与え、駆逐艦6隻を撃沈させた。これに連動して、沖縄に突入しようとしていた、戦艦「大和」以下第二艦隊は、沖縄にたどり着く前に米軍機の猛攻を受け、「大和」以下大部分が7日に撃沈された。生き残ったのは4隻だけだった。…その後、菊水作戦は何度も実行されることとなるが、その度に搭乗員のレベルも飛行機の整備状況も格段に下がっていった。さらに米軍側も特攻機への対応策を確立させ、日本の特攻作戦は回を追うごとに戦果を失うこととなった。…そして、5月に入ってすぐ、鵜来基地に陸軍・飛燕戦闘機一機が前触れも無く着陸した。搭乗員は、これから特攻作戦に参加すること、エンジンの不調で不時着したことを、慌てて出てきた桜田達に伝えた。ついに鵜来基地が特攻作戦の中継基地になったか、と、一同は驚いた。だが、彼らをそれ以上に驚かせたのは、その陸軍の搭乗員が女だったことであった。搭乗員はその名を佐々木といった。佐々木は、飛行服姿で立ち尽くす蒼星石を見るや、いそいそと近寄ってきた。…夕暮れの砂浜で、女性パイロット二名は夕陽を眺めた。佐「驚いたな。まさか海軍ただ一人の女戦闘機乗りに会えるなんて思っていなかったよ」蒼「僕もだよ。陸軍にも女性の搭乗員がいるとは話に聞いてはいたけどね」佐「お会いできて僕も嬉しいよ。人生最後の夜を女性と一緒に過ごせるなんてね」事も無げに言う佐々木の一言に、蒼星石は彼女の運命を思い出した。蒼「…特攻するんだね」佐「…ああ。僕は菊水第五号作戦に参加する。沖縄の友軍が大規模な反攻作戦を行うらしいからね」蒼「…差し支えなければ、その理由を教えてもらえないかな」佐「理由?…僕が特攻に参加する理由かい?」蒼「うん」佐「…質問に質問で返すのは心苦しいが、君はなぜ戦っているんだい?」蒼「…」この質問は、蒼星石には難しい質問だった。理由はいくつか挙げられるが、果たしてその本心は…以前に桜田に似たような問いかけをされたときも、彼女は困った事を思い出した。蒼「…僕は、…もう戦闘機に乗るしかないんだ」うつむいて言葉を振り絞る蒼星石。佐々木は、そんな蒼星石を優しい目で見つめ、そして目線を水平線に沈みゆく太陽に向けた。佐「…僕も同じだ」蒼星石は顔を上げた。蒼「…君も?」佐「ああ。…パイロットを選んだこと自体は深く考えた結果ではなかったけどね。 ただ、これははっきり言える。僕は、この特攻作戦に参加するために、戦闘機に乗ってきた、とね」蒼「…君は特攻に対してはどう考えているんだい?」いつか桜田が自分に問うたことを、蒼星石は聞いてみた。答えは意外なものだった。佐「愚かだね。全軍を挙げてやることじゃない」蒼「なら何故君は…」佐「…蒼星石、君はこの大東亜戦争が終わったのち、世界はどうなると思う?」 突飛な質問に、蒼星石は面食らった。終わり…というのが、恐らく日本の敗北だろうとは思いつつ。蒼「考えたこと…ないや。…君は?」佐「この戦争が終わった後?平和が続くだろうね」蒼「どういうことだい?兵器は留まる所無く進化し続けている。行き着くところは世界の荒廃だと思うけど」佐「無論、その可能性も否定できない。だが僕は、世界平和はまさにその兵器によって達成されると思うんだ」蒼「えっ…?僕には分からないよ」佐「僕は大学にいた時に、石原莞爾元将軍の講演を聴いた事がある。それで確信したんだ」蒼「満州国を建てた人か…。どういう話なんだい?」佐「列強が開発している兵器の進化は、いずれ、一発で一つの都市を壊滅させることのできる兵器を生み出すに至るだろう。 それがもし各国に広まれば、為政者らはそれを簡単に撃つ事はできない。なぜならその報復が自国を壊滅させうるからだ」蒼「そんな恐ろしい兵器が…」佐「軍事力と言うものは、どの道近いうちに大きく変化を迫られるはずだ。僕たちが操る飛行機が数十年前にそうしたように」蒼「…」佐「日清戦争も日露戦争も、元はと言えば、清とロシア…今のソヴィエトの南下、朝鮮半島への影響力拡大を原因に 起こされたものだ。まあ、彼らにとって見れば、逆に日本が脅威に映っていたわけだろうけどね。 とにかく、あの時代の兵器の主役は大砲だった。せいぜい10キロ程度の射程距離しか持たない…ね。 だから、軍事衝突というものは、かならず狭い地域で近接して起きるものだ。よって、国を守ろうと思えば、 自国を出、他国の領土に進出する事が不可欠だった…。日本が朝鮮を併合した大きな理由はそれだ。 満州国の場合には、共産主義の南下を阻止する、という理由が付いてくる。 皮肉だね。自国防衛のために他国へ進出…我が帝國はアジア一の経済大国になったばかりに、 守るものが大きくなりすぎた結果、恐らく後世に侵略の汚名を着なければならなくなるのだから。 いずれにせよ、僕たちはこうした帝国主義の最期の目撃者となるわけだ。長距離を飛行する爆撃機の登場… 陸戦でドンパチというスケールで今後戦争というものが語れるのか、僕にはかなり疑問だね。 石原閣下の言うような兵器が登場してもし使用されれば…その下では一度に何万人もの命が失われるんだろうな」蒼「…君はシニシスト(冷笑主義者)かい?」佐「リアリスト(現実主義者)と言って欲しいな」蒼「そんな君が特攻に志願したのはどういうわけなんだい?僕にはそれが疑問だね」佐「…僕は現実から目を逸らしたくないんだ」蒼「…?」佐「沖縄で、幼馴染が…僕の大事な人が戦っている。もちろん南部でだ。反攻戦で苦戦しているであろう彼の…彼らの盾になりたい」蒼「…そうだったんだ」佐「然るに、陸軍は沖縄に展開する敵艦隊に対する特攻作戦を縮小しようとしている」蒼「…僕には、賢明な判断だと思えるけどな…海軍も思い切ってそうしてくれたら」佐「…客観的にはそうかもしれない。しかし僕にとっては…それを受け入れることが出来ない。 彼が…優勢な敵にやられるのを安全な所で傍観する事は、僕には耐えられない。 僕は、彼のために死ぬ。僕がやろうとしていることには、その価値が十分にある」」蒼「大事な人なんだね…」佐「彼は…こんな僕を、性格だけでなく言葉まで男勝りな僕を受け入れてくれた…唯一の人だ」佐々木の瞳から涙が零れ落ちた。佐「僕は…そんな自分が好きじゃなかった。自分自身を否定し続けてきた。それを彼は…」蒼「…」蒼星石は涙を拭う佐々木を見つめつつ思った。彼女も僕と同じ苦しみを抱えてきたのだ…と。蒼星石の場合、自分のアイデンティティをいつの間にか姉に…翠星石の存在に求めている自分が、どこかで許せなかったのかも知れない。佐「彼だけじゃない。僕の大学…陸軍大学…にはある倶楽部があった。彼と僕はその一員だった。 そこに救難倶楽部という団体があって…。僕もたまに彼に連れられてその集まりに 参加したものだった。楽しかったよ…。そこの倶楽部のリーダーがまたおもしろい女性でね… 『この世の不思議を探すわよ!』と言って、みんなで色々な所に行ったんだよ。『日本のピラミッド を探すわよ!』と言って山登りをしたりしたもんだ。僕の幼馴染は、そんなリーダーの暴走を 止める役だったよ。他にも個性的な人たちがいたっけ…」蒼「へぇ…面白そうな集まりだったんだね…」蒼星石は、自分の学生時代を思い出そうとして、東京師範学校のセーラー服姿の今は亡き姉の面影しか浮かばなかった。佐「…その団長も、僕の大事な人も、そしてあと三人の団員も、今沖縄で大隊を率いて戦っている。 彼らを見殺しに出来るものか」蒼「それが君が戦闘機乗りに志願した理由か…」佐「救難倶楽部のほかの団員が士官となり…僕も何かしたいと考えた。彼らと共に戦いたかったが、彼は 僕に戦闘機乗りを勧めた。お前の気性に合ってるだろう…って。でも彼は正解だった。 僕には飛行気乗りの素質があったらしい」蒼「だろうね。君の機の尾翼のマークの数といったら」これまた女性の手によって今格納庫で整備されている飛燕戦闘機には、重爆を指していると思われる大きめのマークがいくつもあった。佐「数では君には敵わないさ」 蒼「…あのマークはB-29かい?」佐「ご名答。僕は帝都防空の任に就いていたからね」蒼「…東京か」佐「君のお姉さん…東京発空襲でお亡くなりになったそうだね」蒼「知ってたのかい?」佐「ああ。僕が操縦士になってから聞いた話だけどね…ドイツ大使の娘である君の事、そしてお姉さんの事」蒼「…」佐「でも、君を戦闘機乗りにまで駆り立てたということは、君とお姉さんは大層仲が良かったのだろうね」蒼「…うん。僕たちが物心付いた時には母親はいなかった。父がナチ党に入党したことに反対して、 離婚したって…」佐「お父さんには可愛がってもらっていたんだね」蒼「うん…」佐「そうか…分かったよ。それが君の人格形成に大きな影響をもたらしたんだね」蒼「…?」佐「気を悪くしないで聞いてもらいたい。母親のいないまま育てられた君は、君の内面の男性を感じる部分… つまり男性性が、反対の女性性を圧倒して肥大化した。君が『僕っ娘』となったのはそれが原因だろう」蒼「…」佐「ところが、内面は均衡を元に戻そうとする。だから君の女性性は…双子のお姉さんの存在によって 欠けた部分を埋めようとした。だが…お姉さんは亡くなってしまった」蒼「…」佐「そこで、君の強い男性性が君を戦闘機乗りにさせる原動力となったというわけだ」蒼「君は…何が言いたいんだ」佐「僕が言いたいのは…君は君自身を愛すべき、だと言う事だ」蒼「…でも僕は」佐「同じ属性を持つ同志として言う。自分を否定する事なんて無い。つまり、君は自分の中の女性らしさを 卑下する必要は無いと言っているんだ。君は君のままでいい。こう言っては何だが… お姉さんが居ようと居まいと、君は君として生きていくべきだ。戦闘機乗りであることで生きていられるのなら、 それでいいじゃないか。自分を…受け入れるんだ。赦すんだよ。君はそれが…出来ていない」蒼「そう…かもしれないね…」 佐「君には男性的な猛々しさも女性的な優しさもある。君の大切な人たちがそれを君に…教えてくれたはずだ。 どちらかしかないなんて…絶対に有り得ないんだよ。 大丈夫、君は壊れない。お姉さんは、君の中の女性的なところでちゃんと今も生きているんだから」蒼「…!!」不覚にも蒼星石は涙を零した事に気づいた。佐「…さあ、そろそろ夕食をご馳走になりたいな。帝都ではもう食べるものにも事欠く有様でね、ここでの食事を 実はさっきから楽しみにしていたんだよ」ひょうきんにしゃべる佐々木に、蒼星石は涙を拭って微笑みかけた。蒼「この小島には毎日漁船が新鮮な食料を届けてくれているからね。ご期待は裏切らないよ」佐「それは良かった」微笑み返す佐々木。すでに薄暗くなっている砂浜を飛行場へと歩き出した時、「…ありがとう」という言葉を聞いたような気がした。翌朝。佐々木の飛燕は、快調なエンジン音を立てて滑走を待っていた。操縦席に入った佐々木と、機の傍らでそれを見届ける蒼星石。佐「本当にお世話になったよ、ありがとう」蒼「…何て言って送り出せばいいのか分からないよ」佐「笑っていてくれ。僕は納得して逝くのだから。…自分のためにね」蒼「こんな時に言うのもなんだけど…もし戦争がなかったら、僕と君とはいい友達になれたと思うんだ。 似たもの同士だし…ね」佐「ははは…残念だけど、僕は僕の務めを果たすよ。君には君のすべき事があるんだろう?」蒼「うん…。だけど、僕は君の後には続かないと思う」佐「それで良い。君は生き残るべきだ。生きて…教師を目指すんだ。お姉さんもそう望んでいるだろう。 生きて…僕の分まで時代を見つめ続けてくれ。そして出来たら、気が向いたときに靖国に来てくれると嬉しい」蒼「うん…分かった」佐「兵器による歪んだ世界平和の後には、必ず真の世界平和が来るだろう…僕はそんな世界を見てみたかった」蒼「…」佐「僕もこのままずっと君の友達でいたかった。…だけど忘れないでくれ。僕と君とは、今この瞬間まで 確かに心を通じ合える友達だったんだ。これからも…ね?」 そこまで話したとき、二人の整備兵が走り寄ってきた。雪「これを…是非持っていってください」そう言って差し出したのは、一本の野花。薔「…飛行場の隅に咲いていたんです」受け取った佐々木は、その花を飛行服の胸ポケットに挿した。佐「どうだい淑女の皆さん。僕に…花は似合っているかな?」蒼「うん!」雪「もちろんですわ」佐「ありがとう。…では発進する!!」ジ「帽振れっ!!」桜田が叫ぶ。滑走を始めた飛燕戦闘機は速度を増し、地を離れ空へ消えていった。鵜来基地の皆は、飛燕が見えなくなるまでそれを見つめていたが…誰からとも無く嗚咽が上がった。特攻命令が下るはずの無い航空隊。しかし特攻の現実は彼らの前に否応無く訪れたのだ。桜田も、梅岡も、笹塚も、槐も、白崎も、薔薇水晶も、雪華綺晶も…皆泣いていた。蒼星石はその場を逃げるように走り出し、滑走路裏の林の中にある小さな神社に駆け込んで祈った。どうか…佐々木の望みのままに、と。敵戦闘機の哨戒網を単機で突破した佐々木は、他の味方のように米軍の戦艦を目指すのではなく、沖縄本島南部の陸地上空へと進路を向けていた。せめて、最期に彼らの大隊の無事を見ることが出来たなら…そう思っていた佐々木は、本島上空に侵入し、棚原高地の近くへ飛行を続けていた…その時。奇跡か天恵か。彼女は、求めているものを、眼下にいる友軍の部隊に見つけたのだった。ああ…間違いない!あの大隊の軍旗は、見まごう事なき涼宮大隊の旗だ!大隊は集中砲火を受けているさなかで、身動きが取れていなかった。飛んでくる敵の曳光弾が、大隊の進もうとする先の草原に引火し、野を焼いている。これでは行軍が遅滞するのは明らかだし、遮蔽物の少ない草原に出れば狙い撃ちにされるのはより明白だった。「よし…望むところだ」一度翼を振った佐々木は、敵の砲兵部隊を探し、曳光弾を逆に辿った。そして…大隊から数キロ離れた窪地に、米軍の速射砲群がいるのを発見した。彼女は迷わずこれに目掛けて突っ込んだ。照準機の中の速射砲群が大きくなり、敵兵がこちらを指差して慌てふためいているのが分かる。これ以上撃たせるものか。佐々木は機銃の発射杷抦を握った。ダダダダダ敵陣地に吸い込まれていく20ミリ弾は、正確無比に砲兵達に降り注ぎ、射倒していく。高速のB-29に比べれば、地上の目標など彼女にとってはただの的だった。一航過目で、佐々木は、速射砲群の後ろに積み上げてある木箱を見つけていた。迷彩ネットで隠してはいるが、あれが弾薬なのは明らかだった。一度目の攻撃で砲撃は止んだが、それで済ませるわけには行かない。佐々木が二航過目の攻撃に入ろうと旋回した時…機体に衝撃が走った。風防ガラスが割れ、エンジンが煙を引いている。佐々木自身も、上半身のあちこちに破片を受け、血まみれになっていた。痛みをこらえて見ると、陣地から対空砲が撃ち上げてきている。…迂闊だった。ここまでだな。だがこれでは終わらせない!対空砲火をものともせず、佐々木の飛燕は再び敵陣地に機首を突っ込んだ。両手は痛いほどに操縦桿とガスレバーを握り締めている。あと500メートル。目指すは山積している弾薬群。あと300メートル。あれを爆発させれば、涼宮大隊は助かる。あと100メートル。佐々木は、気づかぬうちに何かを叫んでいるのに気づいた。轟音に掻き消されて何を叫んでいるのかが最初分からなかった。少なくとも万歳を叫んでいるのではなかった。あと50メートル。また機が被弾し、機体が大きく揺さぶられる。だが、佐々木の目は、照準機の中の弾薬群から少しも離れない。霞む目に、今までの人生が走馬灯のように駆け巡った。どの場面にも出てくる、暖かい人。彼は今自分の事を見てくれているのだろうか?あと10メートル。彼女は、自分が叫んでいるのは、ある人の名前だと気づいた。一瞬の轟音の後に、世界は真っ暗になった。…地を揺るがす爆発音に、大隊は思わず振り返った。火を噴いた戦闘機が地上に突っ込み、火山と紛うほどの地響きが起こり、黒煙が空に立ち昇っていた。涼宮ハルヒ大隊長とその副官4名以下、残存する全員がしばしその場に立ち尽くしていた。佐々木が己の最期を見てくれることを願っていたその男は、大隊長の傍らで、立ち昇る黒煙に向かって敬礼していた。その頬を涙で濡らしながら。
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