進め!柏葉さん
「うんっとね!白くて、黒くて、うにゅー、ってしてるの!」雛苺に好きな食べ物を聞いたら、そんな答えが返ってきた。「とっても、とぉっても美味しいの!」とっても可愛らしい笑顔で、雛苺は私にそう言ってくる。私としても、天使のような雛苺の笑顔をもっと見るために、その食べ物を持って来てあげたいけれど……問題は、その『うにゅー』なる代物が何なのか、さっぱり分からない事だった。「ねえ雛苺。その食べ物って、どんなの?」そう尋ねる私に、雛苺は小さな手にクレヨンを握り締め、絵を描いて説明してくれた。「こうね、丸くって、赤くって、黒くて白くて……出来たの!」そう言い、雛苺は画用紙いっぱいに書かれた絵を高く掲げて見せてくれた。何という事だろう。この子は奇跡みたいに可愛いだけじゃあなくって、絵画の才能まであるだなんて。雛苺が書いた絵。それは、とても前衛的で、難解な中にも溢れ出す情熱のようなものを感じさせる絵。私はそれを見て、私は雛苺が求める物の正体を頭ではなく心で理解した。『うにゅー』とは、つまり『軍艦巻き』に他ならないという事を。 ※ ※ 進め!柏葉さん ※ ※「ちょっと待っててね、雛苺。すぐに買ってきてあげるから」「ほんと!?わーい、トモエ大好きー!」見ているだけで圧倒的幸福感に包まれる雛苺の笑顔。それ見送られ、私は早速お買い物へと出かける事にした。近所のスーパーまで、てくてくと歩く。普段なら遠くに感じる距離だけれど、雛苺の事を考えながら歩いていると、あっという間に着いてしまった。すぐさま、お寿司の置いてあるコーナーへと向かう。そして、目当ての『うにゅー(軍艦巻き)』を手に取ろうとして……私はふと気が付いた。雛苺が書いた絵。あれは……確か、中心に赤色があった。ひょっとして『うにゅー』とは、『マグロの鉄火巻き』の事なのかしらん?私は万が一の事態に備え『軍艦巻き』と『マグロの鉄火巻き』の両方を買う事にした。そして帰り道。スーパーの袋は、お寿司がいっぱい入って重かったけれども、雛苺の笑顔を想像すると苦にはならなかった。そして案の定、あっという間に家まで着いた。「はい、雛苺。お待ちかねの『うにゅー』よ」「わーい!トモエ、お帰りなさいなのー!」雛苺は羽でも生えているみたいに軽やかなステップで私に飛び付いてきてくれる。私も、嬉しくってつい、笑みがこぼれてしまう。だけれど……そんな幸せな時間も、そう長くは続かなかった。「……違うの……『うにゅー』じゃないの……」雛苺は『軍艦巻き』と『鉄火巻き』を前に、小さくそう言ったのだ。この時の彼女の切なそうな表情といったら……私は自分の心臓が張り裂けそうになるほど、悲しくなった。私は何て愚かなんだろう。自らの失敗を知り、私は情けなくなった。『うにゅー』とはつまり『軍艦巻き』や『鉄火巻き』で間違いない。そう考えた時点で、私は慢心していたのだ。『これはうにゅーじゃない』雛苺のその言葉の意味。それは「スーパーで買ってきた特売の寿司は、寿司とは呼ばん」との意思表示に他ならない。なんってグルメな子なんだろう。やっぱり、これだけ素敵な女の子に育つくらいなんだから、食生活が私たちとは違うのだ。私は、そんな簡単な事にも気が付かないでいた。自分自身の浅はかさに涙を流しながら、私は雛苺を抱きしめた。「ごめんね、雛苺。今度こそ……今度こそ、本当の『うにゅー』を持って来てあげるからね……」「うゆ?と…トモエ?どうして泣いてるの?」泣きながらすがりつく私の頭を、雛苺は優しく撫でてくれる。なんって優しい心を持った子なんだろう。なんって慈しみに満ちた子なんだろう。私は雛苺の為に、今度こそ本物の『うにゅー』を手に入れようと固く心に誓った。 そして……その時から私の旅は始まった。「どうしても行くのか、柏葉……」「うん。もう決めた事だから」幼馴染の桜田君に見送られ、私は海に行く。幼い頃から慣れ親しんだ竹刀を背負って。「……待てよ柏葉! いくら何でも……竹刀でマグロなんか捕まえられる訳無いだろ!」背中越しに、桜田君が止める声が聞こえてくる。私は一瞬だけ足を止め……それから振り返らずに、再び歩き出した。「…ッ!……何でだよ!!」再び、彼の声が聞こえた。雛苺の為。その答えは胸に秘めたまま、私は竹刀を背負いなおし歩き続ける。町を歩き、バスを乗り継ぎ、電車に乗る。流れ行く景色に、雛苺の笑顔が浮かんでは消える。そうして見えてきた港町。私はそこを、決戦の為の準備の場にした。浜辺に打ち捨ててあった古い木製のイカダを修理し、海に出られるようにする。不器用な私では修理に数日かかってしまったが、それでも十分、荒波にも耐えられる強度に仕上がった。砂浜から小さなイカダで大海に乗り出す。背負った竹刀のせいもあって、気分は武蔵か小次郎か。沖合いに出た頃から、私は用意していた餌を海に投げ入れる。暫くして……それは来た。それはまるで、一本の巨大な槍だった。体長3メートルはあろうかという、巨大なカジキマグロ。気性は荒く、そして何より、その発達した上顎は剣のように鋭い。私は背負っていた竹刀を両手に持ち、深く息を吸い込む。相手は海の中。当然、このままでは捕らえる事はできない。かといって、私は釣りなんかした事も無い。だから……私は、深呼吸を繰り返し……そして海に飛び込んだ。海中では、カジキマグロが私の姿を発見し、その発達した槍のような上顎を向けてくる。その突進の威力は、水の抵抗を無視するかのような迫力と威力に溢れている。上顎が振り下ろされるたび、受け止めた腕が痺れ、呼吸も苦しくなる。かといって、今ここで水上に逃れようとすれば、確実にその隙を突かれる。何度目かの上顎の攻撃を、竹刀で受け止める。一瞬、バランスを崩してしまう。カジキマグロは距離をとり、一気に私を貫かんと突進してきた。こんな時だというのに、私はその姿を見て、剣道の『突き』みたいだと思った。でも、こんな気迫に溢れ、力強い突きは、有段者にも真似は出来ない。「ああ、やっぱり桜田君の言う通り、竹刀でマグロは無理だったな」とぼんやりと考える。走馬灯のように、今までの記憶が甦ってくる。「何でだよ!」桜田君がそう叫んだ事を思い出した。全ては雛苺の為。「トモエ、だーい好き!」雛苺の笑顔を思い出した。全てはこの笑顔に為。雛苺。心臓が、トクン、と鳴る。眼を開く。海の強者と、目が合う。全てを、ただ一点に集中させる。鋭い切っ先が、わき腹に触れる。瞬間、身をひねる。「やーーーッ!!」叫び、竹刀を突き出した。―※―※―※―※― 「トモエ!!どこに行ってたの!?心配したの!!」私の顔を見るなり、雛苺は泣きながらそう言い、私の胸に飛び込んできた。「ヒナ、トモエが居なくなって寂しかったの!!」泣きながら、怒りながら。それでも安心したように。雛苺は私に抱きつきながら、そう言ってきた。「寂しい思いをさせてごめんね、雛苺」「うぅ……トモエぇぇ……」きっと、とても寂しかったのだろう。雛苺は言葉に詰まるほど泣きながら、小さな手で力いっぱい私にしがみついている。私は、泣きじゃくる雛苺の頭を、いつか彼女が私にしてくれたのと同じように、そっと撫でた。「ごめんね、雛苺。 でも、その代わりに……いっぱい『うにゅー』獲ってきたから……」私はそう言い、折れた竹刀の代わりに背負っているカジキマグロに、ちらりと視線を移した。「ぅぅ……ぐすっ……ヒナもね、トモエが早く帰ってきますように、って…… ずっと『うにゅー』食べずに我慢して取っておいたの……」雛苺はまだ止まらない涙を拭きながら、それでも精一杯の笑顔を私に向けてくれた。それから、二人で一緒に『うにゅー』を食べに。私と雛苺は手を繋いで、台所へと向かった。それにしても、テーブルの上に大量の苺大福が置いてあるけれど、あれは何の儀式なのかしらん?
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