トリック・スターず 前編
街の光も届かない、薄汚れた路地裏。そこにある、小さな定食屋。味より、見た目より、値段と量。それだけが『売り』の定食屋のテーブルに、その二人は座っていた。「………」鯖の味噌煮を丁寧に解体しながら、黙々と箸を進めるのは薔薇水晶。「……ふふ…ふふふ……」新聞紙を眺めながら、妖しげな笑みを浮べているのが雪華綺晶。ちなみに彼女の前に置かれた食器類の上には、付け合せの野菜すらもう残ってない。そんな、未だに味噌煮と格闘中の薔薇水晶に、雪華綺晶は新聞を読みながら声をかけた。「ふふふ……ねえ、ばらしーちゃん。例えば、沢山の遺産を持った方が亡くなったとして…… その方に相続人が居なかったとしたら、その遺産はどうなると思います?」薔薇水晶は、その問いかけに答えようとして……まだ口の中に、ご飯が残っている事を思い出した。しっかり20回噛んでから、飲み込んで、それから水を一口。「……知らない……」その返事を聞いた雪華綺晶は、若干大げさに悲しそうな表情を浮べ、両手を大きく広げた。「何という事でしょう!そのような遺産は、嘆くべき事に、全て国に召されてしまうのです!」雪華綺晶は天を仰いだまま―――実際に見ているのは、安い定食屋の天井だが―――しばらく、動きを止める。それから、正面に向き直り、真っ直ぐに薔薇水晶を見つめた。「そうなる前に、私たちが頂いてしまいましょう」そう言った雪華綺晶が指差すのは、新聞の一面記事。『結菱財閥総帥、死去』個人資産は数百億円とも言われていおり……云々。遺言状には、行方不明になった『隠し子』に全ての個人資産を相続させると書かれていたらしい。薔薇水晶は新聞記事に目を通し、そして、雪華綺晶へと視線を向ける。いつしか二人の顔には、ニヤリと悪い笑みが浮かび始めており……この悪役な笑顔が、二人の仕事が始まる合図だった。自称・無敵の詐欺師、雪華綺晶。自称・天才ペテン師、薔薇水晶。最強の二人が織り成す、最狂のショーが幕を開く―――― ミ☆ トリック・スターず ☆彡 前 編梅岡弁護士事務所。定食屋での一件から数日が経った今、雪華綺晶と薔薇水晶は、そこのソファーに腰掛けていた。『人探し専門。私立探偵・薔薇水晶』そう書かれた名刺を、薔薇水晶は、相続について任されている弁護士に手渡す。それから、嘘で塗り固められた捜査報告を弁護士・梅岡に話しはじめた。曰く、いかにして足取りを追ったか。曰く、いかにして証拠となる書類を集めたか。言外に、どれだけ自分が誠心誠意働いてきたかを含めながら。「それで、これがその書類ですか……」梅岡氏が、そう言いながら机の上に置かれた複数の書類を手を伸ばす。これがまさか、身分証も、出生届も、住民票も、全て偽造されたシロモノだなどとは夢にも思わず。これらの全てを偽造したのは、薔薇水晶。裏社会では腕の良い職人として知られていた伝説の人物、『槐先生』の娘である彼女にとって、書類の偽造は幼い頃から慣れ親しんだ特技の一つでもあった。「これだけの書類を集めてもらえると、僕も助かります」梅岡氏は何一つ疑う事も無く、そう言いながら表情を崩す。いや、疑われなかったのには、書類意外にも『もう一つ』の決め手があった。「ああ、これで長年離れ離れだったお父様との関係が認めてもらえるのですね……」感無量といった表情で、空を仰ぎながら瞳を潤ませる雪華綺晶。その立ち居振る舞いから発言。果ては雰囲気まで、今の彼女はどうみても良家の子女にしか見えない。数日前までは安い定食屋で「ライス多めでお願いしますわ」と言っていたなどとは想像もできない。まるで服を着替えるかのように、実にあっさりと。雪華綺晶は如何なるキャラクターにでもなりきってみせる、天賦の才を持った『演技派』だった。どこをどう見ても問題の無い書類に、どこをどう見ても間違いの無い良家の令嬢。「これで、少し肩の荷が下りました!」梅岡氏がそう言いながら結菱家の屋敷の鍵を渡してくるのに、そう時間はかからなかった。「……それでは、私はこれで。……さあ……きらk……お嬢様、お屋敷へ……」薔薇水晶はそう促して、隣に座った雪華綺晶を立ち上がらせる。未だに瞳を潤ませた雪華綺晶も、良家の子女らしい優雅な動作でソファーから立ち上がる。「それでは、梅岡様。ありがとうございました」雪華綺晶はそう言い、梅岡弁護士事務所の扉を閉める。その手の中には、数百億の資産が眠る、屋敷の鍵。計画は、完全に成功だった。ここまでは。結菱氏の邸宅・薔薇屋敷まで薔薇水晶の運転する車で向かいながら、二人は悪い笑みを浮べていた。「……計画通り、だね。きらきー……」「ええ。でも、油断は禁物ですわ。 お家に帰るまでが遠足。成果を手にするまでがお仕事ですわよ。ばらしーちゃん」古い型のポンコツ自動車が、二人を乗せて薔薇屋敷を目指す。道中、3回のエンストと1回のガス欠という、予想外の妨害に見舞われつつも……「……ついに……」「ええ。ついに、黄金の成る木に辿り着きましたわね」二人は薔薇屋敷の入り口である、大きな扉の前に立っていた。「さあ、私たちの栄光の扉を、今こそ開きましょう」よっぽど嬉しいのか、若干演技がかった仕草で雪華綺晶は屋敷の扉に鍵を差し込む。カ…ッチン。小気味良い、錠の開く音。重々しく開き始める、財宝へ至る扉。そして、二人の目に飛び込んできたのは…――――――輝かしい、シャンデリア。―――貴族の屋敷を彷彿とさせる大階段。―――美術品としての価値も高そうな壷。―――画集でしか見たことが無い、有名絵画。それは、まさに物自体が光を発しているのではと思えるほどの美しさを放った装飾品の数々だった。「……これは……」「すてき……」無口な薔薇水晶はもとより、雪華綺晶でさえ、圧倒され、言葉も出なくなる。今や屋敷の主でもある雪華綺晶と薔薇水晶は、荘厳としか表現しようのない屋敷へと足を踏み入れた。詐欺師・ペテン師の仕事は、ここまで。これからは怪盗として、獲物を探すために屋敷の中を探検する雪華綺晶と薔薇水晶。だが、二人にはどれを頂戴して逃げればいいのか、見当もつかなかった。「これは18世紀の画家・ローゼンが描いた『ウサギと少女』ではありませんこと!?」「……きらき……純金の食器が……!」いや、厳密には、どれも価値が高すぎて、どれを頂戴すべきか決められなかった。「絵画は、足が付くかもしれませんわね」「……安全なルート、紹介してもらえば……」「金の食器は、潰して延べ棒にでもすれば……」「……安全に大もうけ……」「ばらしーちゃん!こちらには宝石がありますわ!」「……中世時代の金貨がコレクションしてある……」どこまでも、途方の無い価値を持った物で埋め尽くされた、薔薇屋敷。長居をして怪しまれる危険をおかすより、さっさと逃亡した方が安全である。だが、二人で持ち運べる量には限りがある為、厳選しなくてはならない。にも関わらず、屋敷の扉を一枚開けるたびに、そこには目が覚めるようなシロモノが大量に飾られている。予想以上の収穫の見込みに、雪華綺晶と薔薇水晶は、まるで少女のような笑顔をしながら、探検を続けていた。「ああ……潤(うる)む……潤むわ!」お湯の代わりに札束を入れた浴槽で、雪華綺晶は幸せそうに表情をほころばせる。「………」薔薇水晶は、純金製の食器を何枚も並べ、ドミノ倒しに興じている。本来なら、何かしらの成果を手にしたら、バレる前に逃げる予定だったのだが……生まれて初めて手にした大成功に、二人の気分は、まさに有頂天だった。言い換えるとすれば、幸せすぎて正常な判断を失っている状態でもある。「そう言えば、地下にワイン倉がありましたわね」札束風呂に入っている雪華綺晶が、ふと思い出したようにそう切り出した。「……ビンテージ物……」そう答えた薔薇水晶の手には、いつの間に拝借してきたのか、ワインボトルとグラスが二つ。数時間後。「ふふふ……廻る…廻る……世界が…ぐるぐると……」「………飲み…過ぎた……」完全に酔っ払った二人が、幸せそうな笑みを浮べたまま、ふかふかの絨毯が敷かれた床に転がっていた。 チュン、チュン。小鳥の鳴き声が聞こえる。つまり、朝である。それでも、床に倒れたままの雪華綺晶と薔薇水晶は目を覚まさない。ブロロロ…。車が近づいてくる音が聞こえる。つまり、来客である。それでも、二人は目を覚まさない。やがて……ドン!ドンドン!!ドドドンドン!!ノック、と呼ぶには激し過ぎる、今にも扉をブチ破りそうな派手な音で、二人は飛び起きた。「……今の音は……」もしや、バレたのか。薔薇水晶がそう思い、窓辺に近づき外の様子を窺ってみる。だが、見えるのは停まっている車が二台だけ。一台は自分のだから、つまり、もう一台は……。目つきを鋭くした薔薇水晶に、同じように窓から外を窺っていた雪華綺晶が声をかけた。 「ばらしーちゃん。ほら、玄関の所に……」そう指を差す先には、ヒステリックに扉を叩く、うら若き乙女の姿。「……相手は、一人……?」「そのようですわね」短いやり取りの後、作戦を決める。つまり、無視するか、扉を開けるか。だが……相手は一人。万が一の場合には……殴り合いでも勝てるだろう。きっと、多分。喧嘩は得意じゃないけど。それに無視して、どこかに連絡でもされでもしたら……二人は、何にせよ、ここで正体不明の彼女を押さえておくのが得策だと判断した。「そうと決まれば……」雪華綺晶は相変わらずドンドンとうるさい玄関へと足を向ける。「扉が壊されちゃう前に行くのが、最善の選択ですわね」そして、いかにも良家の子女が突然の来客に驚いている、という表情をしながら雪華綺晶が玄関を開けると―――「そーせーせきーー!!会いたかったですぅ!!」長い髪の毛をくるくると巻いた女の子が、叫びながら雪華綺晶の胸に飛び込んできた。「蒼星石!!ずっと、ずっと探してたですよ!!」そう言いながら、女の子は雪華綺晶の胸に顔を埋めていた。 「蒼星石が家出してから、翠星石はずっと寂しかったですぅ!!」そう言いながら、女の子――翠星石というらしい――は雪華綺晶の胸で泣き続ける。「これからずっと……翠星石は天涯孤独の身になったかと心配したですぅ!!」感極まったのか、女の子は泣きじゃくりながら雪華綺晶を離すまいと抱きしめている。これは、どういう事かしら?雪華綺晶はそう考えながら、薔薇水晶へと視線を向ける。さっぱり訳が分からない薔薇水晶も、ふるふると首を横に振るだけ。やがて、翠星石は気持ちが落ち着いてきたのか、雪華綺晶から手を離し……そして顔を上げ、雪華綺晶へとまじまじと視線を向けた。「はて?蒼星石……ですか?……長いこと見ないうちに、何だか顔が少し変わったですぅ」何のことかは分からないが、それでも嫌な予感がする。そう察した薔薇水晶は、咄嗟に一歩進み出て、翠星石に声をかけた。「……私は、薔薇水晶。彼女をここに連れてきた、後見人……」嘘で固められた『私立探偵』の名刺と共に、そう自己紹介。すると、翠星石も、何かを思い出したのか薔薇水晶へと数枚の書類を手渡した。そこに書いてあった事は……彼女の度肝を抜くには充分すぎる事だった。書類を見たまま、石のように固まっている薔薇水晶へと、雪華綺晶はそっと近づく。背後から、翠星石の視線をひしひしと感じるが、相棒の状態を見るにそれどころではない。そして、雪華綺晶は薔薇水晶に顔を近づけると、自分も書類へと目を落とした。「一体、何事ですの?ばらしーちゃ……!?」それ以上に、言葉が続かない。書類に書いてあったのは、彼女―――翠星石は、結菱家の正当な相続人。つまりは本物の『隠し子』で……双子の妹が居て、そっちは数年前に家出して行方不明で……つまり、翠星石は長い間顔も見ることが出来なかった双子の妹、『蒼星石』が相続を期に姿を現したと思い込んで、急いでやって来た、という事だった。「……双子とは……リサーチ不足……」薔薇水晶の消え入りそうな呟きが、全てを物語っていた。これからどうしよう!?まさか、本物がこんなタイミングで来るだなんて!?でも、本物の相続人…翠星石は、怪しんでるものの、こっちが偽者だと確信には至ってない!?なら……!!雪華綺晶と薔薇水晶は、アイコンタクトで話を決める。そして、『こうなったら、逃げるための時間を稼ごう!』という結論に達した。決めると同時に、雪華綺晶は振り返り、翠星石へと声をかけようとする。「大事な話をしてるので、感動の再会はちょっと待っておいて下さいませ」と。だが、それより一瞬早く、翠星石から声がかけられた。「ところで蒼星石?その右目は、一体どうしたですか?」先手を打たれて動揺した雪華綺晶は、咄嗟にその問いかけに答えてしまう。「え?え、ええ。これは、その、交通事故に会いまして」「事故!?それは大変ですぅ!!……そのせいですかね、少し雰囲気も変わったですぅ」純粋なのか、アホなのか。翠星石は雪華綺晶の咄嗟の嘘を、まるっきり信じ込んで目を潤ませる。「え…ええ……それで……事故のせいで、顔つきも少し変わってしまいましたし…… 何より、お姉様と過ごした時の記憶も曖昧に……」雪華綺晶は自分の口からこの言葉が出た時、やはり自分は天才詐欺師だと思った。だが、その『天才』の自信も、『天然』を前にして容易に砕け散ってしまう。「なんと!?それなら、翠星石がお姉ちゃんとして、これからはずっと一緒に居てやるですよ! それなら、無くなった記憶だってすーぐに戻ってくるですぅ!!」雪華綺晶を、自分の妹『蒼星石』だと思い込んでいる翠星石。そんな翠星石に腕をガッシリと捕まれている雪華綺晶。何だか泣きたくなってきたけど……泣いてる場合じゃないや。薔薇水晶。悲劇は喜劇。もしそうなら、この喜劇は雪華綺晶と薔薇水晶にとって、間違いなく悲劇であった。
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