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2-5 「なあ、おい……」 不気味な廃坑には似合いの低く曇った声が、前を歩く人影へと、吸い込まれる。呼ばれた人物――マブダチは歩を止めるや、首だけを、ぐりんと真後ろに向けた。 「どうかしましたかぁ~、ジュンくん?」 ガチで180度、回っている。ジュンは迸りかけた声を、咄嗟に手で喉の奥に押し込んだ。実際、マブダチの纏う黒いローブが闇に融けて、生首が宙に浮いているかに見える。 が、コミカルな黄色い電気ネズミの顔では、おどろおどろしさも半減どころか四半減。恐怖をカケラも感じないばかりか、失笑を禁じ得ないレベルの痴態だった。ヒクヒクする鼻を咳払いで落ち着かせ、ジュンは言いかけていたセリフを継いだ。 「本当のところ、おまえの名前は、なんて言うんだよ」「え~? だから、マブダチですってば。教えたばかりじゃないですか~」「あからさまに胡散臭いから、訊いてるんだってば!」 頭ごなしに偽名と断ずるのは、乱暴に過ぎるかも知れない。親しき仲にも礼儀あり、だ。しかし、相手は胡乱な男。素顔を隠す理由が、『人見知り』というのも解せない。いかにも人畜無害な仮面の裏で、卑賤な嘲り笑いを浮かべているとしたら……そんな根拠のない想像が、ジュンの胸に生まれた疑心を肥え太らせてゆく。 「おまえが盗賊の一味じゃないって保証が、どこにあるんだよ。 いまだって本当は、仲間が戻るまでの時間を稼いでるのかも知れないし」「僕が盗賊の仲間? はは……これはまた、なかなか疑り深いなぁ~、君は」「生憎とね、そこまでお人好しじゃあないんだ」 それに――と、ジュンは意識だけを、背後にいる3人の乙女に向けた。正直、他人を気遣うなんて面倒だったが、彼女たちの身の安全には配慮しないと。 「まあ確かに、ジュンくんの意見は至極もっともですね~」「納得してもらえたようね。なら、正体を明かしてもらおうじゃないの」 彼らのやりとりを聞いていたのだろう。みつが徐に進み出て、得物をマブダチの喉元に突きつけた。ジュンでは押しが弱いとの判断に違いない。こういうとき、みつは意外な貫禄を見せる。 仮面の男は、慌てた様子で、ローブの下から両の掌を露わにした。いかにもな無抵抗のパフォーマンス。素振りだけでも恭順しておこうとの魂胆か。 「まぁまぁ、待ってください。暴力反対ですよ~。平和的に解決しましょう。 僕たちは解り合えます。なんてったって、同じ境遇に置かれてるんですから~」 だが、そんな妄言を弄して相互の信頼が深まるならば、これほど楽なことはない。人間は進化の過程において、哀しいかな、叡智ばかりか欺瞞と猜疑までも培ってしまった。おそらく、両者の間にある多くのマイナス因子をどれほど除こうとも、完全な相互理解には至るまい。 「本気で言ってるのなら、廃坑を出るまでの短い付き合いでも、隠し事はするなよな」 疑念を拭えぬまま、それでもジュンが仲間として忠告すると、「では、こうしませんか?」いままでのバカっぽい口振りと打って変わって、マブダチは歯切れよく言った。 「無事に廃坑を出られたら、僕の身分を明かす――というのは」「あのなあ……それだと、身の潔白を証明したことには、ならないだろ」「とは言え、僕もまた、ホイホイと立場をさらけ出せない身の上なのですよ」 やたらと饒舌だが、そこまで勿体つけるほどの肩書きとは、なんなのか。もしや、CIAやMI5みたいな諜報機関のエージェントで、潜入捜査を?ジュンはしかし、そんなアクション映画じみた仮想を、一笑に付した。マジ有り得ない。国家機関のスパイが、縁日で買える安い仮面で変装だなんて―― 「なので、ここを出るまで勘弁してください。ほら、諺に『壁にメアリー』と言うでしょ」「それを言うなら『目あり』だろ、このボケ! 壁に埋められた人柱じゃあるまいし!」「いやー、ジュンジュン。そこは『耳あり』でしょー」「うっ……。も、もういいよ、アホらし。さっさと用事を済ませて帰ろうぜ」 埒の開かない口論に疲れて、ジュンはやむなく妥協した。マブダチが、なにを企んでいようと、それが実行される前に問題を解決してしまえばいい。それに正直、煩雑な一切をかなぐり捨てて、惰眠を貪りたくなってもいた。 ジュンが顎をしゃくる。マブダチは頷いて、背中を丸めて歩き出した。松明を手に、ジュンも続く。素性の知れない男の背中を、油断なく睨めつけながら。そこに、電気ネズミのメイメイを抱っこした吟遊詩人の娘が、早足で並んだ。 「ねえ。いま、ちょっと思いついたんだけど――」めぐは、ただでさえ聞き取りにくい囁き声を、なお一段、潜めて言う。「あの人って、ひょっとしたら富豪の息子とかじゃないのかしら」 マブダチの話では『誘拐されて閉じこめられていた』らしい。それが虚偽でなければ、そうするだけの益が、盗賊団にはあった理屈になる。莫大な身代金か……あるいは、匹夫の強欲を満たし得るナニかが。 「でもよ、柿崎。それだったら別に、仮面を被る意味ないと思うんだけど」「他の盗賊団が、獲物を横取りにきたのかもと警戒してるんじゃない?」「そうなのかな? でも、まあ、幽閉されてたんだし、いろいろ疑心暗鬼にもなるか」 彼らの会話に聞き耳を立てていた赤貧サモナーの瞳が、暗がりの中で光を放つ。「てコトはっ……もしかしたら『人質救出で褒賞金ガッポガポ』フラグ立ったかもー」 そんな彼女に、巴からクールな見解が贈られた。「捕らぬ狸の皮算用。期待するだけ無駄よ」 ~ ~ ~ すっかり闇に慣れた眼が、前方に仄かな明かりを捉えて、少年をドキリとさせた。想像して、覚悟はしていたものの、実際に見ると胸の奥がキュッと痛くなる。敵が近いぞ。後続の乙女たちに告げようとしたが、ヒリつく喉の渇きが、それをさせない。しかし、彼女たちにも炎の揺らめきは見えている。一行の歩調は、自ずと重くなった。 先頭を行っていたマブダチが、少し距離を隔てた彼らを振り返って、手招きする。 「心配ないですよ~。この時間なら、みんな出払ってるはずですから~」「……なんで、そう言い切れるんだよ」「僕も、ボケ~っと捕まってたワケではないのでね」 盗賊の行動パターンは、おおよその調べがついていると、マブダチは言う。あまりに自信満々な口振りは、ジュンたちに異論を唱えるべきか迷わせた。 それでも、用心に越したことはない。忍び足で近づいてゆくと――彼らは狭い坑道から、天井の高いドーム状の大広間に投げ出された。鍾乳洞のような、自然にできた空間ではない。掘削により作られた世界だ。幾つもの篝火が、深淵の世界を頼りない炎の瞬きで満たしていた。 マブダチの言ったとおり、明かりが届く範囲に、不審者の影はない。彼らが辿ってきた坑道とは別に、横穴が三本、パッと見で確認できた。そのいずれかが、外気の流入口らしい。ジュンは薄く汗ばんだ頬に、そよ風を感じた。 「つい数時間前まで……誰か居たらしいな。微かに、気配が残ってる」「ここで寝食してるんだね。全員、かなりの偏食みたい。ほら、見て……」 巴が指差す先に散らばっているのは、動物の骨や皮、乾涸らびた肉片らしきものが……。極めて不潔な環境だ。饐えたような人いきれに、乙女たちが揃って眉を顰める。ジュンも、この得も言われぬ臭気に、肺腑を腐蝕されている気分だった。 「それで、わたしのキーボードは、どこ?」長居したくない意志を声音に滲ませて、吟遊詩人の娘が、気忙しげに問う。 マブダチは「この辺りですよ」と、削りっぱなしの壁面に取りつき、丹念に探り始めた。すると、どうだ。数秒の後に、岩肌に電子レンジ大の空洞が開けたではないか。これには、ジュンを始め、みんなが時ならぬ歓声をあげた。 「なんだこれ、すごいな! 光学迷彩ってヤツか?」「いやいや、ジュンくん。そんな大層な仕掛け、この廃坑にはないよ」 マブダチが笑いを押し殺しながら、タネ明かしをする。彼が腕を上下すると、空洞も現れたり消えたりを繰り返した。なんのことはない。緻密に描かれた岩肌の壁紙で、穴を覆い隠していただけだ。しかし、原始的なトリックながら、この暗さだと存外、判らないものである。 「なるほどねー、盗品を隠す簡易金庫ってワケか。そこに、めぐめぐの楽器が?」「ええ。ジュンくん、取り出してくれませんか。僕が壁紙を抑えてますから」「解った。任しとけ」 ジュンは空洞に歩み寄って、中を覗き込んだ。なかなか奥行きがある穴だ。そこに、金属光沢を放つ直方体が安置されていた。想像していたよりも大きい。「これって、シンセサイザキーボードじゃないか。重そうだし、引っぱり出せるかな……」 通常では無理そうだと判断したジュンは、空洞に半身を突っ込み、両腕を伸ばした。――に、しても。マブダチはいつ、この仕掛けを見て、はずし方まで知ったのだろう?両手で楽器を掴みながら、またぞろ疑念を膨らませた直後、ジュンは身体の異変を感じた。 ぺろ~ん。 そんな擬音が聞こえてきそうな、いやらしい手つきで撫でられた。…………尻を。驚いたジュンは、頭をぶつけながらも空洞を抜け出るや、マブダチの襟首を捩じ上げた。 「おまえなあ! ふざけてる場合じゃないだろ!」 しかし、マブダチは狼狽えも謝りもしない。ばかりか、不気味に含み笑って――「実にセクシーなヒップをしているね、ジュンくん」 ジュンの耳元で、ねっとりと囁いた。「ずっと、君を待ってたんだよ」とも。なに言ってるんだ、こいつ? ジュンは訝しげに、仮面の男を睨む。マブダチも、少年を見つめ返して、またも気色悪い笑みを漏らした。 「ぜひとも僕に、ジュンくんの『イチモツ』を譲ってくれたまえ」「……はぁ? な、なんだよ、それ……。暴れん坊天狗のコトか?」 でも、とジュンは口ごもった。喜んで贈呈したいが、自分の意志では取りはずせない。その沈黙を渋ったと見たのか、マブダチは打てば響く勢いで答えた。言葉と実力行使、その両方によって。 「拒んだって、奪うまでさ! ジュンくんの物は僕の物。僕の物も、僕の物!」「おわあぁ?! どこ触っ、やめ……あ、おぅぉっ?!」 もの凄い膂力で抱きつかれるや、ジュンは臀部を鷲掴みにされていた。マブダチの中指と人差し指が、割れ目の奥へと食い込んでくる気配に、少年は悟る。こいつ、ガチホモだ! ホモダチだ! この世界の盗賊は、揃いも揃ってホモなのか?! 「むふふ……ありがたく奪わせてもらうよ、ジュンくんのシリコダマ」 混乱しきったジュンの脳裏に、傲岸不遜な盗賊団団長の影がチラつく。だが、声が違う。体格もだ。ベジータほど筋肉質ではない。ならば、こいつは誰なんだ?そんな冷静な分析をする一方で、この状況から脱しなければと、理性が訴えている。 逃れるべく両腕を突っ張ろうとして、ジュンは膝の震えを覚え、驚愕した。ばかりか、全身のチカラが腰の辺りから、際限なく吸い出されていくようだ。恐るべきテクニシャン。マブダチの指技が、少年を翻弄する。「あひ……ぎも……ぢ……ぃ」 ――が。「はーい、そこまでよ。続きは、わたしのキーボード取り戻してからね」 既のところで、時速150キロで飛来した白磁の花瓶が、マブダチの頬を直撃。ジュンを魔手から救った。花瓶の軌跡を辿れば、めぐの聖女のような微笑に当たった。しかし、眼は笑っていない。気まずさに眼を逸らすと、今度は、へらへらと赤面している巴とみつが、視界に飛び込んできた。ふたりの鼻の下に、チラと紅い雫らしきモノが見えたのは、たぶん気のせい。 支えを失ったジュンは、痺れた思考のまま、その場に腰から崩れ落ちた。その折れた膝の横で、少年に笑いかけているのは、コミカルな電気ネズミの仮面。これって、マブダチの……。緩慢な仕種で頭上を仰いだ少年は、次の瞬間、喉を鳴らしていた。朦朧とする意識を覚ますには過剰とも言える衝撃が、そこにあったからだ。 「おまえは! 姉ちゃんをつけ回してた、山本ってストーカーじゃないか!」「ストーカーとは酷いな。義兄になるかも知れない、この僕に向かって」「なにが義兄だよ、盗人猛々しい! おまえが身内になるなんて、まっぴら御免だ」「……そう蔑まないでくれよ。僕だって、好き好んで盗賊になったんじゃないんだ。 敢えて言おう! 愛ゆえにっ! 僕はっ! 悪鬼羅刹の道に落ちたのだとっ!」 ――どうしようもなかったのさ。山本は、悪党なら誰しもが言いそうなセリフを並べて、苦しげに表情を歪めた。そして、ローブの端を鷲掴みにすると、「これが、僕を狂わしめた元凶だ」バサリと一気に脱ぎ捨てて、隠されていた痩身をジュンたちの眼前に晒した。 ――沈黙。鼓膜に、キリキリと痛みを覚えるほどの、静寂。時の流れさえ忘れそうな世界で、松明の爆ぜる不定期なノイズだけが刻まれる。まるで、サイレント映画のワンシーン。そのスクリーンを裂いたのは、少年の掠れ声だった。 「おい……それって」ジュンの瞳が、自分と同じ制服姿の山本を、穴が開くほど凝視する。「呪いのパーマンじゃないか!」 禍々しい妖気を放つ、パッと見、忍者ハットリくんに似た奇妙奇天烈なモノ。それが、あろうことか、山本の身体に貼りついていた。より正確に言えば……股間に。 「ふふ……なんとも無様な姿だろう? そうさ、僕は呪われた男なんだ」山本は肩を落とし、いましも血を吐きそうな声を絞りだす。「忘れもしない。あの日……」 ――とまあ、山本の詳細にして哀切極まる語りを、三行で概略すると、以下のとおり。 1)夢の世界でも出逢えた奇跡に感謝しつつ、想いを伝えるべく、桜田のりを追いかけていた。 2)彼女だけを見つめていたので、足元に落ちているバナナの皮に気づかなかった。 3)踏んで滑って、俯せに倒れたところに転がっていたのが―― 「この、呪いのパーマンだったんだよ~ん! あははは! あははは!」 もはや自棄っぱちの泣き笑い状態で髪を掻きむしる山本に、誰もが言葉を失っていた。殊に、同じ境遇にあるジュンは、とても笑える気分ではない。彼とて、股間の天狗をはずせないままなら、山本と大差ない運命を辿るかも知れないのだ。 「まるっきり『ド根性ガエル』パターンで、男としての人生終了かよ……御愁傷様」「不慮の事故って怖いわねー。ま、不能だからってやさぐれずに、ゲイ能人デビューしたらどうよ」「強く生きて。私には、それしか言えない。あ、もう一言だけ追加……たまにはホモもいいよね」「……死んじゃえ」 楽器と相棒を強奪されて怒り心頭の、めぐはともかく。ジュンたちは概ね、同情的だった。しかも、ジュンにすれば実姉が事の顛末に絡んでいるのだから、穏やかではない。自分の与り知らないこととは言え、なんとなく、詫びておきたい心境になった。 「なんか、ごめん。ウチの姉ちゃん、ときどきインテルの調子が悪くなるからさ。 そのせいで、誰かの人生を狂わせていたなんて――」「いや……いいんだ。もう済んだことさ。元々、のりさんを恨んでなんかないよ。 それに、呪いのパーマンのはずし方も教わったからね。僕は生まれ変われるんだ」「マジでっ?!」 いきなりの爆弾発言。この山本の言葉は、ジュンにとっても福音だった。呪いの仮面のはずし方とは、つまり、暴れん坊天狗のはずし方に他ならない。ジュンは勢い込んで詰め寄った。それに対して、山本の言うには…… 「簡単だよ。同じ境遇にある者のシリコダマに、禁断の口づけをするのさ」 それが本当なら、ジュンと山本はシリコダマを奪い合い、勝者のみが救われることになる。生け贄の儀式めいた、とんでもなく野蛮で血腥い話だ。こんなに血腥くてインカ帝国!しかし、呪詛系となると、もっともらしく聞こえてしまうから、人の心理とは不思議なもので。 ガセではないのか? その話のソースは? いきなり降って湧いた話を俄には信じられず、問い返すジュンに―― 「そぉれは、わ・た・し☆」 若い女の声が、軽い調子で答えた。その場に居合わせた誰もが、一斉に声のした方へと振り向く。注目を一身に浴びて、横穴のひとつから躍り出たのは、薄紫色のドレスを着た少女。 「ぴょんぴょん……っと。また逢ったね……スケベ人間」「出たな、自称いたずらウサギ! て言うか、おまえが勝手に絡んでくるんだろ」「……当然。言ったでしょ? 受けた恥辱は……きっと晴らしてやるって」「逆恨みじゃないか、それ。根に持ちやがって!」 ジュンはこめかみに親指を当てた。よりにもよって、厄介なヤツに粘着されたものだ。呪いの仮面のはずし方とやらも、俄然、ウソ臭くなってきた。 「おやぁ~? 君たち、知り合いだったの?」 街道での一件を知らない山本が、ジュンと眼帯娘を交互に見つめる。すると眼帯娘は、にこ~、と彼に微笑みかけて、すたすたと歩み寄った。完全に信用しているらしく、疑問も抱かず、気安く話しかける山本。「なんだい?」だが、次の瞬間―― 「これは……ご褒美だぴょん!」 眼帯娘の右足が一閃。ロングブーツのハイヒールが呪いのパーマンを木っ端微塵に砕き、山本の股間に突き刺さった。山本は声をあげる間さえなく、弁慶のように立ち往生した。なんという衝撃映像。あまりの惨たらしい仕打ちに、ジュンはモチロンのこと、三人の乙女までもが思わず内股になって、アソコを手で覆い隠したほどだ。 「酷いことしやがる……」さては、呪いのパーマンも、こいつの仕業だったんじゃ――?ハニワのごとく直立する山本を一瞥して、ジュンは眼帯娘に、憤怒の視線を叩きつけた。 「おまえには、お仕置きが必要らしいな」 こんな不幸の連鎖は、断ち切られねばならない。山本のような犠牲者を、もう増やさないためにも。 勧善懲悪は、昔話にもよくあるモチーフだ。鉄板パターンに認定してもいいくらいの。しかも、その手の物語の結末は大概、改心した悪者が主人公にヒミツを教えてくれる。『昨日の敵は今日の友』として、頼もしい仲間になってくれたりもする。つまり、観念した眼帯娘が、暴れん坊天狗を懇切丁寧にはずしてくれて―― 「夜もご奉仕するぴょん……ってか。むふふふっ」「桜田くん……不潔」「ゲロが出そう」「おーい、ジュンジューン。よだれ垂れてるわよ」「……あ、いや、なんでもないよ。それより、みんな。僕にチカラを貸してくれ!」 乙女たちが浴びせる冷たい視線をモノともせず、ジュンが竹刀を構える。その無理矢理な勢いに苦笑しつつも、三人は気持ちを切り替え、バトルモードに入った。 「ま、おイタがすぎちゃった子には、お灸も必要よね」みつが、¥ロッドをバトンのように回す。「災いの芽は、育つ前に摘み取っておかないと」釘バットを正眼に構える、巴。「取り柄が歌だけだと思わないでね」めぐに至っては、メイメイを投げつける気らしい。「――と、言うワケだ。覚悟しろよ、いたずらウサギめ!」 4人がかりで取り囲み、じりじりと網を狭めて、眼帯娘を壁際へと追い詰める。完全な四面楚歌。袋叩きへのカウントダウン。それは刻一刻と、ゼロに近づいてゆく。だのに、眼帯娘は頬を引き攣らせるどころか、余裕綽々と薄ら笑っている。恐怖のあまり気が触れたのではと、ジュンのほうが心配したほどだ。
けれど、眼帯娘は正気だった。そして、既に勝機を見出しているかのようだった。「威勢がいいのは……口先だけ。あなたたちは所詮、烏合の衆……」 言ってくれる。この眼帯娘、自分が敗北するなど、微塵も思っていない。どんな裏ワザを隠しているかは知らないが、ならば、意地でも一泡吹かせてやるまでだ。ジュンは勇ましい雄叫びと共に、竹刀を振りかぶって突撃した――のだが。 「ちょっとは憂さばらしーできたし……今日のところは、見逃してやるぴょん」 突如として、地面からザクザクと紫水晶が突き出して、両者の間に障壁を形づくった。別の角度から斬り込んだ乙女たちも、同様に虚を衝かれ、手を拱くだけで。アメジストの壁越しにアカンベーする眼帯娘を、黙って見逃す他なかった。 「だぁーっ! 相変わらず、逃げ足の早いヤツだな」「まいったわねー。まさしく『脱兎のごとく』かぁ」「……だな。まさか、柏葉ですら攻撃を当てられないだなんて」「買いかぶりよ、それは」 素っ気ない口振りながら、巴の声には、口惜しさが滲んでいた。ここでケリを着けられなかった以上、あの眼帯娘は、必ず現れるだろう。しかも、今度はジュンに協力した彼女たちも、復讐の標的と見なしてくるはずだ。 「ねえ、桜田くん。あの娘、また仕掛けてくるよね」「……うん。柏葉も気をつけろよ。あいつの悪戯、ますますエスカレートするぞ」「く~る~、きっとくる~♪」「ちょっとー。いきなり歌いださないでよ、めぐめぐ。調子狂うでしょー」「え、と……微妙に空気が硬かったから、雰囲気を和らげようかと思って」「気持ちだけで充分だってば。ささ、無駄口たたいてないで、早く用件を済ませちゃいましょ」「だな。こんな辛気くさいところ、とっとと出たいよ」 みつの意見に、ジュンも相槌を打った。盗賊が戻ってくるのを、暢気に待っている必要などないのだから。 ~ ~ ~ ああ……空が薄明るい。坑道を出たときの、ジュンの第一声だ。彼の後ろに続く乙女たちの表情も、坑内の闇が浸透したかと見紛うほど、暗い。誰もが、憔悴しきって、足を引きずるように歩いていた。 その主な理由は、個々の手荷物が増えたこと。眼帯娘の置き土産である紫水晶を、旅費の足しにするべく採取してきたのだ。勿怪の幸いと言えば、山本が息を吹き返して、労働力が増えたことぐらいだった。 それから更に数時間をかけて下山し、すっかり夜が明けた現在、柴崎元治の家に立ち寄った彼らは、老夫婦の気前のいいもてなしを受けた。朝食を振る舞われたばかりか、旅を続ける上で貴重な情報も、多く提供してくれたのだ。 「ねえ、ジュンジュン」食後のお茶を啜っていたみつが、少年の横顔に注がれる。「どうする気なのよ、彼」 めぐと巴も、隣室に隔離されている山本の様子を、チラと窺った。短期間とは言え、盗賊の仲間だったこともあり、ロープで手足の自由を奪ってある。しかし、話を訊くために、口までは塞いでいなかった。 「あの……頼みがあるんだけど」ジュンたちの視線を受けて、山本は口を開いた。「僕を、警備隊に突きだしてくれないか。君たちが、盗賊の一味を捕らえたとして」 いいのか、それで? ジュンの無言の問いに、山本は笑みを返して頷いた。 「いいんだ。盗賊の仲間になってたのは事実なんだし、その償いはしないとね。 警備隊から感状と金一封でも出たなら、君たちの旅費の足しにしてくれ」「だけど……盗賊って、問答無用で縛り首になったりしないのか?」 我ながら不穏当な発言だったと思い、ジュンは慌てて「よく知らないけど」と冗談めかした。……が、やはり、幾ばくか生まれた気まずさは消しようがない。どれほど澄んだ水でも、泥を一握でも落とせば、それはもう泥水なのだ。濃淡の違いこそあれども。 「殺人までは犯してないし、いきなり極刑には、ならないと思うよ」「そうは言うがな、柏葉。裁くのは、警備隊や被害に遭った民衆なんだしさ」「大丈夫よ、きっと。当局への協力が認められれば、減刑も有り得るし」 巴の見立てどおり、山本の内部告発によって盗賊団を一網打尽にできれば、今まで散々に翻弄されてきた警備隊の面目躍如となる。その功績から、ある程度の情状酌量は、得られるかも知れない。 「それでも、禁固刑は免れないよな、多分――」「別に、ジュンくんが気に病むことはないさ。僕なりのケジメなんだからね。 きちんと罪を償ってからでなければ、のりさんに合わせる顔がない」「……律儀なんだな、あんた。あんな姉ちゃんを、そこまで想ってくれてるのかよ」 なんとなく、ジュンは山本の一途さを応援したくなった。坑道での一件も、眼帯娘に唆されての兇行だし……根っからの悪人ではないのだろう。それに、同じ境遇に落ちた者同士の、友情めいた奇妙な心理も働いていた。 「それなら、僕からも頼みがあるんだけど」「うん?」「もし、早くに出所できて、姉ちゃんに会ったときにはさ、こう伝えてくれないか。 僕は、割と元気よく旅してた――って」「……引き受けたよ。いつになるかは判らないけれど、きっと伝える」 ジュンと山本は、もう一度しっかりと瞳を合わせて頷き合った。山本が、ぐるぐる巻きのミノムシ状態でなかったら、握手だって交わしただろう。けれど、刑に服する覚悟はしていても、やはり不安は拭いきれないらしく……矢庭に眉を曇らせた山本は、めぐのほうに顔を巡らせた。 「でも、万が一、極刑に処されてしまったならば――吟遊詩人さん。 こんなこと頼めた義理じゃないけど、僕のために鎮魂歌を歌ってくれないかな」 めぐのことだ。「死ね」とか、「ゲロが出そう」と切り返し、拒絶するのだろう。――と思いきや。「ん……まあ、仕方ないわね。そのときには、歌ってあげるわ」 意外な返事に、ジュンは「ふへぇ?」と、素っ頓狂に声を裏返してしまった。みつと巴も同じだったらしく、2人とも興味深げな眼差しを、めぐに向けている。それが気恥ずかしかったのだろう。めぐは唇を突きだし、そっぽを向いた。 「驚くほどのコトでもないでしょ。『死者を憎んで罪を憎まず』って言うし」 おまえだけだよ、それは。ジュンは言いかけたが、余計な諍いのタネを蒔くこともないと、口を噤んだ。しかし、そんな少年の思惑を知ってか知らずか、巴が言ってのけた。
「柿崎さんだけよ、そんなこと言うの。ちょっとアタマおかしいと思う」「あちゃー。なにマジレスしちゃってるの? こんな幼気な冗談が、なんで通じないかなぁ」 にべもない言い種に笑みを引き攣らせながら、めぐが、どこからか花瓶を持ち出す。
「巴はアタマ硬すぎるみたいだから、ちょっと柔らかくしてあげるね」「柿崎さんこそ、叩いてアタマの病気から治すべきかもよ」「ふふふ……面白いじゃない。いっぺん、死んでみる?」「ナントカは死ななきゃ治らない、と言うものね」 なにやら一発即発の気配。両者、徐に得物を構えた。かたや豪速花瓶、かたや釘バット。ガチンコ勝負になったらば、流血の惨劇が幕を開けるのは、誰の目にも明らかだ。2人も、それは解っているだろうに、ココロの小宇宙(コスモ)を燃やすのを止めようとしない。 それにしてもと、ジュンは睨み合う娘たちの気迫に固唾を呑みながら、首を傾げた。巴はどうして、変に喧嘩腰なのだろうか。いつもの冷静沈着な巴らしくない。めぐの不謹慎な冗談が発端とは言え、そこまで食ってかかることでもなかろうに。 まあ、とにかく。パーティーのメンバー同士で、共倒れのご臨終になられても困る。どのタイミングで間に割って入るべきか、ジュンが頃合いを計っていると…… 「いやー。ジュンジュンも、なかなかどうして隅に置けないわねー」やおら、姐御肌のサモナーに背中を突っつかれ、耳元で囁かれた。 「なんで、そこで僕が出てくるんだ」「ええー? ちょっとちょっとー、それマジで言ってる? 言っちゃってる?」「……なんなんだよ、勿体ぶって。本気でワケ解らないんだけど」「はー、やれやれ。これは、真性のニブチンかなー」「真性って……あのなぁ。僕はもう、ひとつウエノ男――べぶ!」 場も弁えず下ネタを口走りかけたジュンの鼻面に、みつの裏拳がメリ込んだ。「前にも言ったよねー。お姉さん、下品な冗談は嫌いなんだってば。 ま、それはともかく、あたしからの忠告。鈍感ぶるのも、ほどほどにねっ」 まったくもって、意味不明。実は、殴りたいが為に難癖つけただけじゃないのかと。身を屈めて、痛む鼻を押さえながら、ジュンは手前勝手な憶測をこねくり回した。いったい、自分のどこが鈍感ぶっていると、みつは言うのだろう。 「さてさて。そろそろ、あの娘たちを停めときますかねー」 悩める少年をその場に残し、巴とめぐの仲裁に向かう、姉御サモナー。答えの在処を仄めかしつつも、虫食いの地図しか与えずに突っぱねる。焦らされることで、探求心を刺激されたジュンが実験と考察を重ねることを……自分なりの答えを見いだすことを、みつは期待しているのだろうか。 ――だとして、ジュンが途中で投げ出す可能性は、考慮に入っていたのだろうか。挫折したら、そこまでの人間だと見切りをつける気だった? よく解らない。正しい答えの模索には、手懸かりとなる仮定を増やす必要がある。しかし、「たら」「れば」を乱発すれば収拾がつかなくなり、矛盾の跋扈する迷宮を肥大化させかねない。言葉に似ている。意志疎通の便利なツールも、無駄に重ねすぎると、却って歪みや障壁を生むものだ。ジュンも御多分に洩れず、徒に思索を広げすぎて、迷子になりつつあった。 「大丈夫かい? とても痛そうな音だったけど」 気遣わしげな山本の声が、沈思黙考していたジュンを、現実に引きずりあげる。彼はキョンシーのように両脚そろえ、器用に飛び跳ねて近づくなり、言葉を継いだ。 「君も苦労が絶えないよね」 ジュンは「まあな」と応じて、依然ツンとする鼻を、弱々しく鳴らした。自ら望んで飛び込んだ世界だけれど、胸には鬱屈や倦厭が溜まり始めている。どのように吐きだしていいかも解らないソレは、汚泥のように沈殿し続けて、遠からず僅かに残る上澄みさえも干上がらせ、腐臭を放つようになるのだろうか。 「ちょっと疲れた。もう押しちゃいたいよ……リセットボタン。マジでさ」 かしましく言い争う乙女たちから眼を背けて、ジュンは溜息とともに、弱音を吐いた。項垂れた少年に、山本は、素っ気なく切り返す。 「そんな、お誂え向きなモノがあるのなら、僕がとっくに押してるさ」 けれども、その声音は冷たいものではなくて。ジュンの皮肉の見を叱咤するような響きをもって、するりと耳に染み込んでくる。 「君の気持ち、僕には痛いほど解る。仕切りなおせるなら、どんなに清々するか。 でもね、失敗もまた人生なんだよ。成長には、失敗という肥料が必要なんだ。 与えられる苦痛に、どんな意味があるのか……とことん突き詰めてみるといいよ」 親友からの忠告とは、また違う。なんとなく、ジュンには老人の諫言が連想された。だから、なのか。親や姉、教師からの言葉なら脊髄反射でシャットアウトしてしまうのに、山本の声だと、まあ聞いてやってもいいか――くらいの寛容な心持ちになれた。 「暴れん坊天狗の呪いをかけられたのも、きっと試練なんだと、僕は思う」「……坊さんみたいなこと言うんだな。なにか宗教やってるのか?」「いや。僕は、神仏に救いを求めてない。祈る暇があるなら、解決策を模索するさ」「は! その結果が盗賊なんだから、笑えるね」 ジュンの皮肉に、山本も「言ってくれるなぁ」と笑った。朗らかな笑いだった。 「まあ、ショートカットが必ずしも近道じゃないって教訓の、生き証人だよ。 僕と同じ轍を、ジュンくんには踏んで欲しくないな」「踏むもんか。盗賊なんか、なりたくもないね。誘われたって、謹んで辞退するさ」 ただ単に、自棄になることさえできない弱虫なのかも知れないけれど。 ふと、胸をよぎった想いを深い場所へと沈めなおし、ジュンは顔を上げた。決意を秘めたその瞳で、山本を、仲間たちを、そして、窓の外を見つめた。今日も、空が高い。旅にはもってこいの日和だ。 「とにかく……僕はまだ、旅を続けるよ」遥かな蒼穹を眺めながら、ジュンが独りごちる。 「ココロの樹なんて、本当に生えているのか分かったものじゃないけど。 でも、この世界のどこかに存在しているのなら、見てみたいし」 それに、苦悩を抱えているのは、山本も、共に旅する女の子たちも同じ。誰もが苦心しながら、胸に描くナニかを追いかけているのだ。この夢境であれ、現実世界であれ、1人だけクヨクヨと腐り落ちていくのは、もう嫌だった。惨めな負け犬になり果てるなど、若く反発力に満ちた自尊心には、許容できるものではなかった。 「いいんじゃないかな、それで」 いきなり、予測もしなかった方角からの相槌。咄嗟に首を巡らせたジュンは、そこに、巴の穏やかな笑みを見た。彼女だけでなく、めぐとみつも、彼に穏やかな微笑を投げかけていた。 「目的なんて、シンプルでいいのよ。いきなり大風呂敷を広げても、戸惑うだけでしょ」「おっ、いいこと言うわねー、めぐめぐ。 無計画に大志を抱いても、路頭に迷って挫折しかねないものねー」「要は、エレベーターに乗ろうとしないで、階段を一段ずつ登ってけってコトか」 やってやるさ。ジュンは諦観から、決意を新たにした。今更、ちょっとやそっとの苦行が追加されたぐらいでは、動じない。その点では、ほんの少し、打たれ強くなったのかも知れない。 「じゃあ、早速だけど――」ジュンの鼻先に、巴が扇状に広げた大アルカナを突き付けた。「恒例の占いタイムね」 「おい待て、柏葉。いつから恒例になったんだ」「細かいこと気にしてると地獄に堕ちるわよ。さあ、一枚だけ選んで。 あ、そうそう。『死神』のカードを選んでも、地獄に堕ちるから」「ったく、強引だな。大体さ、そんなババ抜きみたいな占い、当たるのかよ」 文句を言いつつも、ジュンが引き抜いた一枚は――「……あのー、大鎌を持ったガイコツなんだけど。マジで地獄堕ち?」 なんと幸先の悪い。これはもう冗談抜きに、リセットした方がいいのではないか。ジュンが青ざめた表情で『死神』のカードを凝視していると……くすくす。訝しんだジュンが眼を向けた先では、巴が耳まで紅くして、笑いを堪えていた。 「ごめんなさい、桜田くん。ちょっとした冗談だったの」 言って、巴がオープンして見せた大アルカナは、すべてが同じ『死神』の絵柄。イカサマじゃないか。呆然としていたジュンの顔に、ふつふつと怒りが滲みだしてくる。 「かっ、柏葉ーっ!」「きゃあっ! だから、ごめんなさいってば」「よくも騙しやがったな。お仕置きしてやる!」「……ゃん、どさくさに紛れて、どこ触――あぁっ」「バカ! おかしな声を出すなよっ」 ――と、じゃれ合う2人に白い眼差しを向けながら、みつ曰わく。
「……めぐめぐ。世界の歪みを排除しちゃって」「らぢゃー。狙い撃つわよ」「さあ、殺伐としてまいりました! 生き延びてくれ、未来の義弟よ」「なっ?! 待て、おまえら! 誤解だ! それでも僕はやってないっ!」 顔面蒼白となって抗弁するも、その態度さえ、ジュンには仇となる。あまりに必死な様子が、逆に疑惑を深める結果となってしまった。 直後、脳が激しく揺さぶられる感覚。骨伝導で聞こえた衝撃音を、うるさく感じたのも、ほんの数秒のこと。少年は、急速に薄れゆく意識の中で毒づいていた。 この天狗……一応は甲冑のくせして、肝心なときに使えねえ――と。 一難を退け、いっときの平和を満喫する彼らは、まだ知る由もなかった。不吉な暗雲をつれた黒い風が、その前途に待ちかまえていることなど。
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