意識
―※―※―※―※― 水銀燈 ―※―※―※―※― 「料理の作り方を教えて頂戴」真紅にそう声をかけられた時は、正直驚いた。私は彼女の事を誰より知っている。誰より、彼女との付き合いも長い。だからこそ、高慢ちきでいけ好かない真紅が、私に料理の作り方を聞いてきたことは意外だった。一体、この負けず嫌いの真紅は何を考えて私に料理を教わろうと思ったのだろう。分からない。それでも…これが彼女をおちょくる最高の機会だという事だけはハッキリと分かった。理解すると同時に、真紅の耳に顔を近づけ、甘く囁いてあげる。お断り、と。真紅は怒ったのか、乱暴な手つきで私を払いのけようとしてきた。相変わらず、手が出るのが早い子。それでも……昔と比べると、随分と彼女も大人になったようにも感じた。あの頃、私と真紅が仲の良かった頃、彼女はもっと尖っていたような気がする。昔から、自分だけが私達より高いところに居るように勘違いしている子だったけど……それでも、あの頃の私にとって真紅は大切な人で、誰より慕っていた友人だった……気がする。あまりにも昔の事なので、もう忘れてしまったけど。そんな風に、すっかりぼやけた記憶を探っていたせい。ただのノスタルジー。ほんの気まぐれ。私はやっぱり、真紅に料理を教えてあげる事にした。
※・※・※・※・※ 真紅 ※・※・※・※・※
「お断りね。なぁんで私が貴方に料理なんて教えなくっちゃいけないのよぉ」恥を忍んで言ったというのに…案の定、水銀燈は私の頼みを断ってきた。甘く囁くように、吐息と一緒に吹きかけられる彼女の言葉。いつからだろう。水銀燈が、他人に…いや、私に対して小馬鹿にしたような猫なで声で話しかけるようになったのは。昔の水銀燈は、素直で良い子だった。いつも私と一緒に居てくれたし、私を頼りにしてくれていた。私は…それが、とても嬉しかった。人は変わっていくもの。水銀燈も、そして私も。あの頃の二人に戻れるなどとは思っていない。それでも…もう一度、二人でお茶を飲み、二人で散歩をし、二人で他愛ないお喋りをしたい。そんな私の願いを無視した、水銀燈。腹が立たなかったと言えば嘘になるが…それ以上に、胸の辺りが少し痛んだ。どうしてこんなに苦しいのだろう。自分の気持ちが理解できずに立ち尽くしていた私に、今度は水銀燈が声をかけてくる。――― ああ、そうだった。この子はいつも、私の傍に…どんな形であろうと、それが憎しみであろうと、私の傍に居る事を選んでくれる。確かに、最高の答えではないのかもしれない。けど…嬉しかった。 ―※―※―※―※― 水銀燈 ―※―※―※―※― 「ちょ…ちょっと水銀燈!?お鍋が大変な事になってるわよ!?」あんまりにも真紅が大きな声を出すものだから、私は思わず笑ってしまった。私は完璧だと顔に書いてるような真紅が、たかが料理でこんなに慌てている。SF映画で、ミニチュアをぶら下げる紐が映りこんでいるのを発見したような…それも、劇場の中でただ私だけが。そんな、何とも形容しがたい高揚感と優越感を感じた。すっかり機嫌を良くした私は、からかってやろうと、キッチンに立つ真紅の背中に自分の体を合わせる。後ろから抱きしめるような格好で、鍋を持つ真紅の手に自分の手を重ねた。当然、プライドだけは人一倍高い真紅の事だから、すぐに振り払ってくると思ったけど…慣れない料理に集中してるのか、集中しようとしてるのか、何も抵抗をしてこない。あの真紅が、何も抵抗してこない。その事は、私にえもいわれぬ満足感を与えてくれた。まるで真紅の全てを支配したような錯覚。この澄んだ瞳も、整った眉も、蕾のような唇も、全てが私の物。そう思うと背中に軽い電気が流れたような快感が全身に広がる。この、いつも偉そうな真紅を困らせてやりたい。真紅の顔に、困惑の表情を刻んでやりたい。抑えられない衝動と、抑える必要など無いという心の声。私は真紅の唇に顔を近づけた。
「ほぉんと、駄目ねぇ?ふふふ…いいわぁ…私が教えてあげる」全く料理が出来ない私を指して水銀燈は楽しそうに笑い、それから私の背中にピッタリと引っ付いてきた。確かに、彼女に料理を教えてもらう事を通して、せめて普通の友達のように接する事が出来るようになれば。これが仲直りの機会になれば。そう思ったのが発端とは言え、水銀燈の予想以上の行動に、私も少し驚いた。驚いたのは一瞬。すぐにからかっているだけだと気付いたけれど、私はあえてそのままにしておいた。ここで彼女を振り払うのは簡単な事。でもそれじゃあ…いつまでたっても、彼女との仲は縮まらない。それに…いつ以来だろう。私の背中に隠れる水銀燈。ずっと、二人が幼かった日に、どこかであった光景。あの頃とは体の大きさも考えている事も違うのに、こうやって二人で寄り添うように今という時を過ごしている。私の我侭が発端の些細な口論。あれさえなければ、ずっとこうしていられた筈なのに…。私はそこで、ふと気が付いた。私は寂しかったんだ。ずっと一緒に居られると思っていた水銀燈が、私を嫌うようになってしまって。今からでも自らの非を認め彼女に謝れば……でも、私の言葉は口から出る寸前の所で、水銀燈の唇に遮られた。 ―※―※―※―※― 水銀燈 ―※―※―※―※―抵抗できないように真紅の手を掴みながらの私。突然の事に、呼吸するのも忘れちゃってる真紅。掴んだ手を、重ねた唇を、体全体を通して、真紅の鼓動が早くなっていくのを感じる。私は、あの真紅に対して自分がいかに優位に立っているかを感じる。抵抗しようと思えばできる筈なのに、真紅は抵抗してこない。それが、私の加虐心をさらに煽ってきた。重ねたままの唇を開き、舌を真紅の中へと絡ませる。抵抗らしい抵抗といえば体を強張らせるだけだった真紅も、やがて私を受け入れるように口の力を抜いていく。徐々に荒くなっていく真紅の息遣いが、私の心を愉悦と幸福感で満たしてくれる。水面で魚が跳ねるような音を聞きながら、私はいつしか両手で真紅を抱きしめていた。私は、高慢な真紅が嫌い。憎くて憎くて、私の事以外は考えられないようにしてやりたい。私は、優しい真紅が好き。愛おしくて、愛おしくて、殺してやりたい。真紅の両足の間に私は自分の足をねじ込む。締め上げるように強く、真紅を抱きしめる。二人の唾液が完全に混ざり合っても、私たちは唇を重ね続けていた。
水銀燈の唇が私の唇と重なり…その瞬間、私は世界が止まったように感じた。いきなり同姓からキスをされて戸惑わない訳が無い。呼吸すら忘れている事にも気が付かず、私はただ呆然としていた。そして水銀燈の舌が私の中に入り、私はその時、改めてこの事態を理解した。どんな形であれ、水銀燈が私を求めてくれている。言い争う事もあった。本気で喧嘩をする寸前までいった事もあった。なのに、今、水銀燈は私を抱きしめ、求め、必要としてくれている。私たちが仲違いをしてからの年月。その心の隙間を埋めるかのような口づけ。とても幸せで、満たされた時間。水銀燈の舌は吸い付くように、私の舌を味わっている。心と体が満たされる感覚に、私は全身の力が抜けてしまう。そのまま床にへたり込んでしまいそうになるけど、水銀燈が強く抱きしめてくれているお陰で立っていられた。はしたなく響く水音と、私の足に割り込んでくる水銀燈の太股。決して、あの頃の私を赦してくれた訳ではないだろう。そうは分かってはいたけれど…身も心も溶けていくような口づけに、私はどうしようもなく癒され、悦んでいた。
< 終 >
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