夜想花
DUNE第十一話「夜想花」気がつけば知らない部屋にいた。少なくとも、私の家ではない。私の部屋にはここまで物はない。必要最低限の物しか置いていないのだ。別段、何かを買うような金がないという訳ではない。寧ろ、平均以上の収入はある。しかし、物を買おうという気が起きないのだ。自分でも分かっている。あの時の――白崎と出会った時の、留置所のようだなんて。あの部屋――ベッドと机があるだけの部屋。あの時からまだ解放されていないことは。まだ、前に進んでないことなんて。しかし、これで私は変われるはずなんだ。白崎は死に、私を追っていたものも殺した。もう、縛り付けるものなんてないのだ。横たえられていた痛む体をゆっくりと起こした。「ぐ……」つい、声が漏れる。全身が痛い。しかし、分かりやすい傷のあるところには包帯などが巻かれていて、不細工ながらも応急処置はなされている。右目の瞼は腫れて、熱を持っている。ゆっくりと触れてみた。「痛……」当然だ。最初から分かっていたことではないか。涙が出てきた。瞼は開かない。覚悟していたが、もうきっと右目は開かないであろうと思うと、不安になってしまう。見える左目で周りを見回す。すぐそばに拳銃を入れたハンドバッグがあるが、中を見られたという形跡はない。おそらく男性の部屋だろう。置かれている物がシンプルなものが多いと言えば聞こえがいいかもしれないが、部屋の構成を気にしていないという方が正しいと思える。誰の部屋だろうとぼんやり考えていると、ドアの前に人が立つ気配がした。一応の警戒心は持つものの、この状態なら襲われたらどうしようもないだろう。それに、敵意があるのなら、このような状況にはなっていないはずだ。ゆっくりとドアが開かれる。この部屋の持ち主であろう人物はなぜか私を見て驚いていた。「雛苺!?大丈夫なのか?」この部屋の住人は桜田ジュンだった。彼はただ、私の状態を見て心配しているように感じる。「酷い怪我だったぞ……。一体どうしたんだよ?」「ひどい怪我なら普通救急車を呼ぶと思うのよ……」「いや、どうみても銃で撃たれたような傷跡だったからさ……」「事件に巻き込まれたとか考えない?」「あ~もう! うるさい! これだけ軽口叩けるなら大丈夫だな! 警察に通報しようか迷ってたよ! でも、知らないのか? 病院がテロにあったんだよ。昨日の夜な」知らなかった。私が呆然としていると、「その顔は知らなかったみたいだな。狙いは分からないけど、そのせいでほとんどの医療機関がマヒしたんだ」「犯行予告でもあったの?」「いや、ニュース聞いた限りではなかったな。でも、病院が4棟ほど爆破されたんだぞ? これがテロじゃなきゃ何なんだよ?」「……愉快犯の仕業とか?」「それにしても無理あるな。使用された爆薬の量がとんでもない量らしいからさ」「ふーん……」犯人に心当たりが無いわけでもなかった。かなり無理のある推測だが、あの襲撃者の仕業だったのではないかと思う。自らが死んだ時のために仕掛けをしておいたというものだろうか。そして、病院もろとも私を殺すための。これは何か誤作動が起きてしまった結果ではないのか?となると、他にも爆破される予定の病院もあるのかもしれない。確かに、病院は危険だろう。「そうね。やめておいた方が正解かもしれないの。ジュンは正しいと思うのよ」「そう言われると、何かほっとするな。ちょっと待ってろ。食べ物とってくる」そう言い残し、彼は部屋を出て行った。その後ろ姿を見ながら、一つ確信めいたものが頭をよぎる。ジュンは、私の正体に気がつくかもしれない。これは直感ではあるが、間違えている気がしなかった。私の直感はよく当たる。いや、ほぼ確実に。これまでなら、正体を知りそうな人間は例外なく殺してきた。私の身を守るために。だが、もうこの仕事から足を洗うことが出来そうなのだ。どうすべきか。迷う。彼は私の正体を知ったら逃げてしまうのだろうか?そして、私を警察にでも突き出してしまうのだろうか。また私には最悪から2番目の選択しか選ぶ余地がないのだろうか。もちろん最悪の選択肢とは、彼に正体を知られ、通報され何もかも、命さえ失うことである。その時は、ジュンさえも殺されるのかもしれない。なら、どうすれば……。「雛苺? 持ってきたぞ」「ヒャッ」驚いた。全く気付かなかった。声のした方向――右を見るとジュンが、トレーを持って立っていた。考え事に集中していたせいもあるかもしれないが、右目が使えなくなったことの方が大きいだろう。「どうした?」彼は笑いながら聞いた。「ううん。気付かなかっただけなのよ」「そうか? ならいいんだけどな。その右目はどうしたんだ? 瞼、腫れてるけど」「大丈夫なのよ。心配しないで」「ふーん」そう言いつつ、彼は左手を動かしていた。「?」「まて、ホントに大丈夫なのか?」「どうしたの」「今僕が何したか分かるか?」「? 左手を動かしていたみたいだけど?」「左手で顔叩こうとしてたんだぞ!? 寸止めだけどさ! 見えてるのか!?」「……」しまった。こんな単純な手にかかるなんて。「くそ! 今からでも病院に行くべきか!?」「やめて! いいの! それにさっき、病院は危険だって言ってたじゃないの!」そう。行くと私の正体がばれてしまうのかもしれない。「うっく……」自分で病院は危険だと教え、本人もそう思っているのか、悩んでいる様子だった。「確かに右目は見えてないけど、大丈夫なのよ!」「なにがだよ! 見えてないんじゃないか!」「でも! きっと、すぐ腫れも引く!」「あぁぁぁ! 分かったよ! くそぅ!」怒っていた。ただ、自分のためじゃなく、私のために。それが、私には嬉しかった。こんな経験今までなかったから。「ありがとう」この時、一つ思い出したことがある。ジュンに初めて出会った時、誰かと似ているなと思ったことだ。“彼”か……。かつての仲間のリーダー。もしも、“彼”が普通の男の子だったら、こうなっていたのかもしれない。ジュンと“彼”は鏡映しだったのか……。「ちょっと待ってろよ」そう言い残し、ジュンは再び部屋を出た。彼の持ってきたトレーを見る。そこにはお粥と、うにゅー――苺大福がのってあった。「病人じゃないんだから」思わず笑ってしまう。病人と怪我人は違うだろう。それにけが人にしても、苺大福はどうなのだ?「おまたせ」戻ってきたジュンは、右手に何か白いものを持っていた。また、トレーの上の食器が空になっているのを見て、満足そうな顔をする。「ちょっとこれ付けてみて」彼が差し出したものは白い薔薇だった。「これは?」思わず尋ねる。「眼帯だよ。腫れたままの右目を出しておくよりはいいかなと思ってさ」私は手に取り、ゆっくりと付けた。思ったより痛くはなかった。むしろ、付けている方が心地よい。「似あうな、って言っちゃ悪いよな。でも、悪くはないぞ」「ありがとう。でもなんで?」「こんなものを持ってたかって?」意味が通じて驚いた。「作ってるんだよ。結構前からさ。ドレス」照れたように言う。「見せてほしいの!」「いいけど、まだ未完成なんだよな。それに、素人が作ったものだから、そんな期待するようなものじゃないぞ」「ううん。良いの。ジュンが作った、それだけで見たいのよ」「分かった。まぁ、どうせいつか見せる予定だったしな。それに、もう廊下に置いてるんだ」彼はドアを開けたまま出、すぐに帰ってきた。「きれい……」言葉を失くした。お世辞でも何でもなく、ホントに素敵なものだったから。「はは、なんか照れるな」「着てみたい……」思わずそう口にしてしまった。「え? まだ未完成だぞ?」「いいの。着ていい?」「仕方ないな……。まぁ、もともとお前に着てもらいたいと思ってたしな……」「わーい!」ついつい子供のような声をあげてしまう。私を見て、彼は呆れたように、けどどこか嬉しそうに笑っていた。「じゃあ、分からないとこあったら聞いてくれよ」一通り、パーツごとの説明をしてから、彼は私が着替えるというので廊下に立った。彼の作ったドレスを眺める。これが本当に未完成品なのだろうか?どこがどう未完成なのか分からない。それほどこのドレスは完成され、洗練されたものに思えたのだ。ついつい笑みがこぼれてしまう。ジュンの作ったものを身につけられるのがこんなにも嬉しいとは。「着たよ」ドアからひょこっと顔を出し、廊下のジュンに声をかける。「ん」「すごいね」「サイズは大丈夫か?」「失礼ね! そんなに太ってないのよ!」「あぁ、ごめん。そう言うつもりじゃないんだ」しどろもどろに彼は言う。私は笑いながら、「知ってる。けど、どうして? すごいぴったりなのよ?」「そりゃよかった」「ヒナのこと、そんなに見てたの?」「その言い方は語弊があるだろ……」「じゃあ、ヒナのこと、ずっとそんな目で見てたの?」「それはやめてくれ……。トラウマが込み上げてくる……」本当に気分が悪そうに言った。「ごめんなさい! そんなつもりはなかったのよ!」「分かってる。けど、どうしても昔のこと思い出しちゃってな……」「ホントにこれ綺麗なのよ。どこが未完成なの?」彼の表情はキリとしたものになり、「まず、ここの部分がな…………」生き生きと語り出した彼を見て、私は幸せを感じた。久し振り、いや、初めてかもしれない。そして、私は決めたのだ。最悪につながるかもしれない選択をとってみようと。部屋の姿見は、笑顔を浮べ、薔薇の眼帯を身に着け、真っ白なドレスを着た私を映し出していた。DUNE 第十一話 「夜想花」了
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