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1-4 安っぽい木のドアが、耳障りな軋みをたてて内側へと開いていく。その隙間が広がるにつれて、店内から、頼りなげな明かりが漏れてきた。足元を照らす光の色合いと、独特の揺らめき具合から、ジュンは瞬時にキャンドルを連想した。たぶん、燭台かオイルランプを照明に使っているのだろう。 「どうやら、まだ営業中みたいね」と、みつ。「うん。助かったよ」ジュンも、ひとまず胸を撫でおろす。 「タックルって看板を出すくらいだから、道具一式を売ってるよな、きっと」「そうねー。問題は、あたしたちの所持金で、どれだけの装備が買えるかだけどー」「ぐぁっ!? それは言わないでくれ。鬱になるから」 のり姉ちゃんが、彼のためにコツコツと貯めてくれた軍資金――それを、むざむざ失ってしまった罪悪感に、ジュンは苦しんでいた。 「奪われるくらいなら、姉ちゃんのために使ってあげたかったよ」「んー。まあ、出鼻を挫かれて悲観的になるのも、解らなくはないけどさー」 みつは、明るい声で言いながら、ジュンの背中をバシンと叩いた。「過ぎたこと、いつまでもグズグズ言ってたって始まらないでしょー。 さあさあ、歩みを止めるな、少年っ! ファイトファイトぉー」 まったくもって、そのとおり。クヨクヨしてたって、金は天から降ってこない。それに、この幻想世界に来た目的は、7日間短期集中エクササイズ。ココロの樹を探しながら、様々な経験をして、精神修養を積むことだ。甘えの原因がなくなったことは、むしろ良かったと思うべきかも知れなかった。 「……そうだな。悄気てる場合じゃないや」『艱難、汝を玉にす』と、諺にもある。七難八苦を克服してこそ、人は成長するのだ。ジュンは、自分のネガティブ思考をかなぐり捨てるかのように、力強く店内に踏み込んだ。 「いらっしゃーい。武器から日用雑貨まで、なんでも揃うタックル苺にようこそ」 店主のものだろう。やたらと陽気で威勢のいい男性の声が、ふたりを迎えた。その声に、なんとなく聞き覚えがある気がして、ジュンが顔を上げると―― 「やあ! 店主の梅岡だよっ」 ――帰る。条件反射的に踵を返したジュンだったが、真後ろに立っていたみつの胸に、ぼよよ~ん!と顔面を押し戻されて、尻餅をついてしまった。 「せ…………せがた三四郎……」「こらこらー! ワケわからないボケかましてる場合じゃないでしょ、ジュンジュンっ」「ごめん。なんか、つい」 照れ隠しのつもりが、さらに恥の上塗りとなって、赤面するジュン。みっともない姿を目撃されてしまった。それも、最も見られたくない人物に。 けれど、その張本人――梅岡はと言うと、ジュンの痴態もどこ吹く風で。「すり傷によく効く軟膏があるけど、買っていくかい? 湿布の方が入り用かな?」……なんて、商売に精を出す按配だ。 そもそも、この世界はジュンの夢。記憶の集合体。武器屋の店主に、たまたま、梅岡先生のイメージが重なっただけかも知れない。ならば、と。ジュンは柔軟に頭を切り換え、他人のそら似と思い込むことにした。 「あの……武装一式を揃えたいんだけど」「毎度っ! 予算は、どれぐらいなのかな? 先生、勉強させてもらうぞっ」 いま、『先生』って言わなかったか?気にはなったが、そこはサラリと聞き流して、なけなしの所持金を提示する。 すると、梅岡はカウンターの引き出しから、算盤を取り出して……パチパチと弾くのかと思いきや、いきなりソレで自らの頭を叩きだした。それはもう、出血するんじゃないかとジュンたちが危ぶむほど、ガシガシと。 「うーん。最高にハイってやつだねぇ」 あんたの頭がナンバーワンだよ。いましも口から飛び出しそうになる言葉を呑み込んで、ジュンが訊ねる。 「やっぱり、これっぽっちじゃ果物ナイフも買えないのか」「難しいなあ。お客さんは神さまだし、なんとかしてあげたいのは山々だけどね。 こっちも慈善事業じゃないから」 もっともな言い分だ。しかし、そこで引き下がらないのは、赤貧サモナーみつ。やおら¥ロッドを放り投げるや、ジュンを脇に押し退け、梅岡の襟首を捻り上げた。 「勉強するって言ったでしょうがっ! 全品半額にしなさいよ」そして、ナニワのおばちゃんにも引けを取らない勢いで、ガクガクと揺さぶってゴネる。あまりの激しさに、梅岡の頭がふたつに分身して見えた。幽体離脱、一歩前。 「あがが……そ、んな……無茶……な」「ええい! じゃあ、掘り出し物とかないのっ? おつとめ品とかっ!」「そ……それだったら――」 途端、みつの動きがピタリと止まる。そして、メガネのレンズを光らせ、ニタぁ~リと歯を見せた。「あるのね?」 梅岡は、手櫛で乱れた髪を整えながら、憔悴しきった表情で応じる。「あるよ。昨日入荷の防具……ジパング伝来の甲冑なんだけど」 なんという強引――もとい、棚ボタ。求めよ、さらば与えられん。ジュンの瞳には、金ピカのローブを纏う彼女が、神々しい天使として写っていた。『ああっ菩薩さまっ』と、胸裡で快哉を叫んだほどだ。とにもかくにも、防具だけでも揃えておきたいジュンは、カウンターに飛び付いた。 「それ買う。いくら?」「いやぁ……それがなあ」 どうにも、梅岡の歯切れが悪い。なにを渋っているのだろう。さては、トコトン焦らして値を吊り上げる魂胆なのか?ジュンとみつに、ジト……と睨め付けられて、彼は頭を掻きながら白状した。 「出所のアヤシイ品なんでね。売り物にするか迷ってたんだ」「とにかく、見せるだけ見せなさいよ」「……仕方ないな。いま持ってくるから、待ってて」 奥の倉庫に引っ込んだ梅岡が持って戻ったのは、ひと抱えもある大ぶりの木箱。しかし、甲冑にしては、明らかに小さい。せいぜいが五月人形といったサイズだ。 「僕も現物を見るのは、これが初めてなんだよね」カウンターに木箱を降ろした梅岡が、ナイフで封を解いた。梅岡が恭しく蓋を開けた後、雁首ならべて三人が覗き込むと、そこには―― 「ちょっとー! これの、どこが甲冑なのよー」「あれえ? おかしいなあ。雷電無念っていう鎧職人の作だと聞いたんだけど」 梅岡の言うとおり、薄汚れた外箱には、達筆な『無念』の箱書きが見て取れた。だが、明らかに過剰包装。大きいのは見かけだけで、中身は小さな仮面が、ひとつ。残りは、山ほどの緩衝材だった。 おかしいのは、あんたの頭じゃないのか?ジュンは、そんな悪態を吐きたい衝動を堪え、それを手にしてみた。 「うーん。どう見ても、ただの面だよ。本当に、ありがとうございました」「フェイスガードかしらね。ヘルメットとも、少し違うしー」 眼や鼻など、ほとんどの動物の顔には急所がある。プロテクターという点では、これだって甲冑と呼べなくもない……かも知れない。 「折角だし、試着してみたら?」みつの提案をうけて、ジュンが顔に仮面を被ろうとした、その矢先――横から、梅岡が止めに入った。 「待った待った。取説によると、装備する場所が違うみたいだよ」「じゃあ、どこに装備するって言うんだ」 「ここさっ」と、梅岡が仮面を宛ったのは……ジュンの股間。毛筆による取り扱い説明書には、装着する場所が絵解きで示され、ばかりか、『暴れん坊天狗』という名称まで併記されていた。 「……マジ有り得ねえ」 自分の股間を覆う天狗の面を見おろし、ジュンは吐き捨てた。どうしようもない。こんなモノを着けて、いったい誰が平然と外を出歩けようか。たとえタダでも要らない。リサイクル料を支払われたって、願い下げだった。 攻撃されても、当たらなければ、どうと言うことはない。防具は次の機会にしよう。ジュンは落胆の息を吐くと、『暴れん坊天狗』をはずした。――はずが、お約束。天狗の面は、ジュンの股間に貼り付いたままだった。 「あれ? おい……ウソだろ。なんだよ、これ」「ジュンジュン、何ふざけてるのよー」「ふざけてないって。はずれないんだよ、コイツ」「ウソなんでしょ? やーねー。お姉さん、そーいう下品な冗談キライだなー」「違うって。ホントに……くそっ、マジで取れないっ」 焦るあまり、無理に引っ剥がそうとした、次の瞬間! 「うっ!?」ジュンの顔から、一瞬にして血の気が引いた。「ぬがぁーっ」そして、奇声を発し、股間を押さえながら床をのたうち回る。「熱いっ、熱いっ」 まるで、心霊特番の最中に取り憑かれた番組スタッフを彷彿させる豹変ぶり。あんぐりと口を開けて、呆然と立ち尽くす、みつ。その隣で、梅岡が「あーらら」と暢気に顎を撫でつつ、薄笑いを浮かべた。 「やっぱり呪いのアイテムだったか。いやー、売りに出さなくてよかった」「ちょっ! 実験台にしたわけぇ?! 悠長に構えてないで、なんとかしてよ!」「そう言われても……天狗の仕業じゃあ、僕らの手に負えないしなあ」 百パーセントTANINGOTO★な口調が憎たらしいが、梅岡の言い分は正しい。召喚師では、祟りや呪いなんて畑違い。梅岡とて、ド素人に毛が生えた程度だろう。かと言って、このまま放ってもおけなかった。なんとかしなければ。 「ズボンの上から貼りついてるワケだし、脱げば解決しちゃったり……しない?」 みつの安易な思いつきに、梅岡もポン! と手を打つ。 「なるほど。『実は脱いだらスゴイんです』作戦だね。試す価値はある」「でしょでしょー。そんなワケでー、よろしく頼むわね」「任せてちょんまげ」 冗談じゃないっ! ジュンは苦悶に転げ回りながら、にじり寄る梅岡を睨み上げた。緊急事態だけど……たとえ夢だと解ってはいても……男にズボンを脱がされる屈辱たるや、筆舌に尽くしがたいものがある。ましてや、梅岡先生のことだ。ズボンと一緒に、パンツまでズリ降ろされて―― 「そんなの嫌だぁ――っ!」 近づかれる前に、宇宙の果てまで蹴り飛ばしてやる。ジュンが、闘う覚悟を決めた、次の瞬間! 「ぅぼあああああぁっ」 突如として天狗の面から噴射された2個の眼球が、梅岡を軽々と吹き飛ばしていた。わずか数秒の空中遊泳を満喫した彼は、日用雑貨の商品棚を巻き添えにして着地の後、昏倒。その威力を目の当たりにして、みつは顔面蒼白となった。 「ちょ……タンマ、タンマ。まさか、フルオート近接防御だなんて……」迂闊に近づこうものなら、梅岡の二の舞だ。「暴れん坊の異名は伊達じゃないわね」みつの哀れみを込めた眼差しが、ジュンに注がれた。 「ジュンジュン。不運だったと諦めるのも、男らしくてカッコイイわよ♪」「はあぁ? 絶対に嫌だ。こんなの着けてたら、外を歩けないじゃないか! くそっ……はずれろよ、コイツめ」 ジュンは天狗の鼻を掴んで、剥がそうと試みたものの――「んぎぃ! 痛い痛い痛い痛い痛いっ!」男の子にしか解り得ない激痛に苛まれて、断念した。無理に取ろうとすれば、宦官一直線になりかねない。 「……ちくしょう。なんで、こんな目にばかり遭うんだ」 思わず弱音が漏れて、ジュンの目頭が熱くなる。これはもう精神修養ではなく、拷問に等しかった。ジュンの脳裏に、忌むべきヴィジュアルが浮かんでくる。 『ママー、ちんちんてんぐがいるよー』『しっ。見ちゃダメよ』 『おい、あいつ見てみろよ』『やだ。なにあれ、キモーイ』 『恥ずかしくないのかしら』『最低ー』『悪趣味ねぇ』 『変態っ!』『おめぇの席ねーから』『うほっ! イイ男』 道ゆく人々の軽蔑や嘲り。幻影ばかりか、幻聴まで聞こえてくるようだ。ジュンは両耳を手でふさいで、ギュッと両眼を閉ざし、 「もう嫌だああああああああぁぁっ!」絶叫しながら、悶絶した。 ~ ~ ~ くすくす、くす……まっくら闇の中、どこからか、爽やかな風のような微笑が流れてくる。 ――誰だよ? ジュンが問いかける。何も見えない。けれど、誰かの気配は……微笑は、絶えず彼の耳に届いていた。 「返事くらい、してくれたっていいだろ」拗ねたフリをしてみる。 すると、それに応じたような含み笑いが、思いがけない近さで聞こえた。耳の真横……何者かの吐息が、頬の産毛を揺らす。 『ナイーブですのね、ジュンは。もっとイヂメてみましょうか』「その声……あのときの、君か」 個の定義(エントリー)をするように教えてくれた、あの澄んだ声に違いなかった。もしかしたら、また有用なアドバイスを、くれるかも知れない。ジュンは、身に降りかかった災難を語って、闇に溶け込んで姿の見えない娘に訊ねた。 「教えてくれないか。この先、どうしたらいいのか……サッパリ解らないんだ」『貴方は、すぐに道を見失ってしまう。その理由が、解りますか?』「……手の届く距離でしか、目標を定めてないから……だと思う。たぶん」『移り気なのでしょうね。だから、貴方の将来像は、とても稀薄。 イタズラな風が吹いたら、呆気なく掻き消されてしまう朝霧のように』 そんなコトは、ジュンだって自覚している。わざわざ言われるまでもない。「僕がいま知りたいのは、天狗の呪いを解く方法だってばよ」憮然として告げると、また……娘の、くすくす笑う声に耳朶をくすぐられた。 『焦ってはダメ。答えを急がないで。遠回りや、過酷な道を、あえて選ぶようでないと』「だから今度も、甘んじて現状を受け容れろ――って言うのか?」『はい。貴方に必要なもの……それは、確かな目標。真剣にならざるを得ない理由。 私を探して。私の元に、いらっしゃい』 君に会いに行けば、呪いの解き方を教えてくれるのか。ジュンの問いに返ってきたのは、血を想わせるほどに紅い三角形の残像。そして、遠ざかる微笑だけだった。 ~ ~ ~ 「あっ、気がついた? よかったー」 我に返るなり話しかけられて、ジュンは少しばかり混乱した。どうなっている。夢の中でまで気絶するなんて、リセットでもされたのか。眼だけ動かして、周りを見回す。少しだけ状況把握。そこは武器屋ではなかった。どうやら、宿屋の粗末なベッドに寝かされているらしい。 「ここは? 僕は、どうして……」「あたしが運んだのよ。正確には、あたしの召喚したお自動さんたちが、だけどー」「お自動さん?」 みつの指差す方に頸を巡らすと、そこには6体の地蔵が整列していた。マジ有り得ねえ……。ジュンは溜息を吐いて目を逸らすと、半身を起こした。一縷の希望を込めて見た股間には、相も変わらず、暴れん坊天狗が鎮座している。 「夢オチなんて都合のいい展開はない、か」「それなんだけどー、実は、あたしの御師匠さまって魔道師でね。 もしかしたら、呪いの解き方を知ってるかも」「本当に?!」 ジュンは思わず叫んで、みつの手を握りしめた。あの、声しか手懸かりのない娘を捜すのと併行して、別の方法を模索するのは妙案だ。 「みっちゃん! お願いだから、その人を紹介してくれないか」「けっこう距離あるわよ、ここから。覚悟はいい?」「背に腹は変えられないって。とにかく、天狗を外すのが先決だ」「わかったわ。じゃあ、夜が明けたら出発しましょう」 だから、その前に――言うが早いか、みつはベッドからシーツを引っ剥がして、ジュンをスッポリと包んだ。 「ひとまず、これで天狗のお面を隠して、腹ごしらえね。この下が大衆食堂になってるの。 今夜は景気づけに、お姉さんがドーン! と奢ってあげちゃうわよー」「あ、ありがと」「いいからいいから。ささ、れっつらごー♪」 みつのペースに乗せられ、ジュンはシーツを身体に巻きつけたまま、階下に降りた。そこは雑多な、薄汚れた食堂で、酒も出すらしく、庶民的な賑やかさがあった。 「あそこの席、空いてるみたいよ。行きましょ、ジュンジュン」 ジュンが、みつの指差す方に目を向けた折りもおり。 「……ジュン? 女の子の名前ね」 左手のテーブルから、そんな抑揚のない呟きが聞こえてきた。そちらへと顔を向ける、ジュン。すると、今度は鼻で笑う音と嘲りが――「なぁんだ、男の子か」 なんという屈辱。ジュンは頭に血を昇らせ、容疑者に掴みかかった。「ジュンが男の名前で悪いかっ!」 けれど、容疑者――フードを目深に被ったジプシー風の人物は、慌てず騒がず。振り向きもせずに、ジュンの鼻先にカードを突きつけてきた。その、あまりにも鮮やかな手際に面食らって、身動きを止めるジュン。見れば、それはタロットカード。それも『死神』の正位置だった。 「ちょっと、ジュンジュン。いきなり大声だして、どうしちゃったのよー」「だ……だって、コイツが」 ジュンが唇を突きだし、弁解を試みる。その脇から、落ち着き払った声が割り込んできた。 「初対面の人間を、コイツ呼ばわりだなんて。……礼儀知らずね」「お前が言うなっ! 元はと言えば、お前から売ってきたケンカだろ」「あら。事実を述べただけよ、私は」 椅子から腰を上げもせず、声の主がフードを脱ぎながら、振り返る。それは、ジュンのよく知る娘。「かっ……か、柏葉ぁ~?!」物静かな印象の大和撫子、柏葉巴その人だった。 「まだ若いのに……かわいそう」巴は、手にした『死神』のカードを一瞥して、気の毒そうに睫毛を伏せた。「あなた、地獄に堕ちるわよ」 もう、とっくに生き地獄だっての。ジュンは口の中で呟き、唇を噛んだ。家出のドリッピーならぬ、嫌でもフルボッ●ー。なんて情けない。ジュンは忸怩たる想いを抱きながら、シーツで隠した暴れん坊天狗の鼻を握りしめた。
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