【空の静寂に】【響かせて】
冷たく澄み渡った空気が妙に心地いいある日の夜一人の少年は家を抜け出し川原に向かう「今日もいるかな・・・」静かな川原に優しい音色が響く一人の少女が『歌』を奏でる「今日は来ないのかしら?」少女は知っていた少年が自分の歌を聴きに来ていることを少年は知らなかった少女が自分の存在に気付いていることを澄み渡った夜にあるのは一人が一人に奏でる音楽会【空の静寂に】【響かせて】
冬の夜の静けさを私は何よりも心地よく思うらしい。それは普段なら耳に入らないような小さな音まで聞くことができる気がするから。大切な音を聞き逃さずにすむ気がするからだ。「おいてくなよ。」振り返るとコンビニ袋を両手にさげた幼なじみの姿。「ん」と彼は袋のひとつを差し出して何か言いたげなようだ。私は近づいて袋を…受けとるわけもなく中身を物色。取り出したのはレジの最中に私が放り込んだチョコレートの包み。「え?おいちょっ」待てよ!の声から逃げるように私はチョコを片手に数メートル歩き、包みから一つ取り出して口に含む。「お前なぁ…」追い付いてきた彼はあきらめたような表情を浮かべて肩を竦めている。「だってぇ」そんな彼に寄り添うように身体を触れさせて、私はチョコレートをもうひとつ取り出した。「私が袋を持ったりしたら…食べさせてあげられないじゃなぁい?」私の言葉に貴方は一気に顔を赤くして…トクン トクン トクン静寂の空に優しい音が響いていく――――心地よい…大切な音が響いている。
夜、気がつくと私は外に出ていた。その静けさや澄んだ空気、満天の星を望んだかはわからない。ただ、財と私欲にまみれたあの屋敷に居たくなかっただけかもしれない。ただそれでも敷地内から出ることは出来なかった。裕福と言う名の見栄。教育と言う名の体裁。深窓のご令嬢と言う名の、監禁されたカゴの鳥。果たして妾の子であるこの水銀燈は、誰かに望まれ、愛されたことなどあったのだろうか。そんな自虐でもシニカルな笑みと共に思い浮かべれば、孤独を慰めるくらいにはなるのだった。『~♪』外壁にそってぶらぶらと歩いていた時、その堅く冷たい壁の向こうから歌が聞こえた。こんな夜中に歌の練習でもしているのかと訝しんだが、気まぐれから近くの丸太に腰を下ろし、耳を傾けることにする。確か、この壁の向こうは医療施設だったハズだ。そんな、貧困と飢餓に苦しむ人達の隣に屋敷を建てる皮肉に感心すらしたものだったが、その歌声は見上げた夜空のように煌めいて、私が聞いていることに少し罪悪感を覚えた。次の日、再び同じ時間に同じ場所へ行くと、また同じ声で同じ歌を歌ってた。『~♪』今度は意識してその場に座り、歌を聞いた。壁の向こうの、姿も見えない、少女の歌声。私が聞くには少し綺麗過ぎたが、この夜空の下でなら、それも許せる気がした。ある日、その歌がぷっつりと途切れてしまった。だが、不思議なことではない。向こうは病院。退院したのかもしれないし、そうでないのかもしなれい。寂しいとも残念とも思わなかった。一つ、溜め息を付いただけ。私がしたのはそれだけだった。だから、それなのにどうして自分が毎日あの場所へ向かい丸太に腰を下ろすのか、理解できなかった。『…~♪』そうして何日か過ぎた頃、壁の向こうからまた歌う声を聞くことが出来た。でもそれは、今まで聞いていた美しいあの音色ではなかった。『…♪、~…、~~、、♪』この数日間で何があったかは知らない。でもそれは明らかに精彩を欠いていた。そしてそのことは歌い手が一番良くわかっているらしく、歌い初めては途切れ、また歌い出しては、途切れる。まるで、翼の折れた小鳥が必死に羽ばたいているように。それは、そしてこの声は、何故か私の胸の奥を鋭くえぐる。だから、「~♪」私は、歌った。壁の向こうの、姿も見えない少女が途切れたところから、後を継ぐように。「~♪」自分が練習もしていないのに歌えたことに疑問は無い。ただ、それなりの声が出せたことには少し驚いた。少したって、私は歌うのを止めた。壁の向こうからは何も聞こえない。迷惑だったかとも思ったが、しばらくすると、『~♪』私が止めたところから、追いかけるように。それは、確かに前程ではないにしても、悪くない歌だった。それから私達は同じ時間に、同じ場所で、同じ歌を歌うようになった。ハーモニーを奏でることなどせず、ただ同じ旋律を、夢見るように。観客など誰も居ない。二人だけのコンサート。壁の向こうの、姿の見えない、自分だけの歌姫との共演。私達は歌う。壁の向こうの歌姫は、顔や名前も知らないけれど。私達は歌う。いつ、どちらが歌えなくなるのか知れないけれど。私達は歌う。決して幸せではない人生だけれど。私達は歌う。この満天の星の下、夜空の静寂に響かせて。
「少し遅くなってしまいましたわ」静粛だけが支配した真夜中の病院に私の声だけが響く。不思議な気分だ、生と死を司る場所がこれほど沈黙を保っているのだから。「約束破られたかと思ったわよ」月明かりに照られた彼女はそう私に微笑んだ。いつも以上に、その長く艶やかな髪にも手入れが施されてある。「はい、コレ。その格好は寒いと思って、それを着たら出かけましょうか」と、私は黒いロングコートを彼女に手渡した。パジャマくらいしかまともに持っていないのだ、これくらいの心遣いは必要だろう。「ありがとう、雪華綺晶」彼女はベットから降り、そのコートを羽織った。うん、やはり彼女は美人らしく、それを着た彼女もまた美しかった。もちろん、月に照らされる病弱な美女な彼女もまたいいのだが。と、しょうもない事を思いながら私達は病室を抜け出した。タイミングは分かりきっている。これは私も経験済みだし、彼女だって手馴れたものだ。足音も立てずに廊下を渡る。当直の看護士は今頃、隣の渡り廊下を渡っている頃だろう。エレベータを使わないのは音と光で気が付かれるから、彼女の体力を考えれば辛いのだがこればかりはしょうがない。ほら、もうすぐ一階だ、私は彼女の冷たい掌を握りながら階段を下りてゆく。病院の裏口から出れば目的地へはもうすぐだ。あとはそこへと続く雑木林を抜ければいい。彼女の息遣いが荒くなる。疲れたのだろうか、それともこれから起こる事に期待し、自ら欠陥と称した胸が高鳴っているからなのだろうか。雑木林を抜け、私達は古びた教会の大きな扉の前に立つ。「今宵の演奏会へようこそ、柿崎めぐ」私は扉を開いた。礼拝堂には蝋燭の明かりで照らされている。そこにはバイオリンを大人びた表情で構えた金糸雀が、リコーダーを持った雛苺と柏葉巴が、アコスティックギターを凛とした顔つきで抱えた水銀燈が、パイプオルガンを前に此方を振り向いたピチカートが、コーラスとして御揃いのドレスを纏った真紅、桜田のり、草笛みつが、翠星石はまだコーラスの楽譜を眺めていて、その横で蒼星石が優しい笑みを浮かべ、 桜田ジュンはハーモニカを持って立ち、薔薇水晶はハープの前でニコニコ微笑んでいた。さぁ、と私は柿崎めぐの手を引き、礼拝堂へと足を踏み入れた。そう、誰もいないこの礼拝堂で私達だけの演奏会を始めよう。観客はこの幾千に輝く星達で十分だ。さぁ、空の静寂に私達だけの音楽を響かせよう。『空の静寂に響かせて』
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