波間に聞こえる歌声
それはまだ、人間と精霊がずっと仲が良かった頃のお話。海には『セイレーン』という不思議な存在が住んでいていました。彼女たちは、その綺麗な歌声で海に出た人間の船を引き寄せ……そして、その船を沈めてしまいます。そんな、セイレーンにまつわるお話。セイレーンのめぐちゃんは、病気でした。でも、それは体が悪かったり、恋の病なんてものでもなく……ちょっと、頭がアレな子、という意味です。今日は、そんなめぐちゃんと……一人の女の子の物語。ずっと、ずっと、昔のお話。遠い、遠い、誰も知らない場所での出来事。 セイレーンのめぐちゃんは、今年で17、8くらいの年齢になり……ちょうどその年になると、セイレーンも人間で言う『成人の儀式』みたいなものを行います。そういう訳でめぐちゃんは、生まれて初めて船を沈めにと、意気込んで出発しました。どうせなら、誰も行った事のない……めいっぱい遠くまで行ってみよう。今まで生まれ育った村から出た事の無かっためぐちゃんは、初めて味わった自由にとても幸せそう。見た目は人間と同じですが、そこはセイレーンの不思議な能力。海の上をスイスーイ、と飛ぶように進んで行きます。すごい速さで海の上を飛ぶめぐちゃんの姿に、海の中ではイルカや海亀が目をまん丸にします。そんな海の動物たちに手を振りながら、めぐちゃんは時間が過ぎるのも忘れて海の上を飛んでいました。 そんな風に、太陽が傾き始めるまで飛んでいためぐちゃんでしたが……よーく目をこらすと……水平線の辺りに、一隻の船が漂っているではありませんか! 記念すべき最初の獲物を見つけた。そう思っためぐちゃんは、海の上でピタリと止まると自慢の歌を披露します。すると、遠くに見えていた船は、見る見る内にこちらに近づいてきて……ぽちゃん!と沈んでしまいました!見事に成功した初仕事に、めぐちゃんは思わずグッとガッツポーズをとります。そして、自分の成果を確認しに、船が沈んだ場所へと近づいてみると……そこには、銀色の髪の可愛らしい女の子が、気を失って波間に漂っているではありませんか!その女の子のあまりの可愛らしさに、めぐちゃんは思わず大興奮してしまいました。助けてあげたいけど……でも、沈めた船に乗っていた人間を助けたとあっては、セイレーンの名折れ。とてもじゃありませんが、生まれ育った村に帰る事など出来ません。 めぐちゃんは……それでも、迷いませんでした。愛のためなら、故郷を捨てる覚悟を一瞬で決めます。そうとなれば、早いもの。めぐちゃんは海にプカプカ漂っている銀色の髪の女の子を助ける為に行動をします。 サッと女の子をすくい上げると、わざわざお姫様だっこで抱き、満面の笑みで近くの海岸まで連れて行きます。そして、柔らかい砂浜に女の子を横たわらせると、めぐちゃんは彼女の胸に手を置きました。 めぐちゃんは決して、やましい思いがあったわけではありません。 女の子が気を失っているのを良い事に、胸をまさぐろうとしている訳ではないのです。純粋に、女の子を心配して、脈拍を調べようとしているだけです。 その証拠に、胸に当てた指先に力が入りそうになるのを、めぐちゃんは理性の力で精一杯に抑えています。そんなめぐちゃんでしたが……女の子の脈拍がとても弱い事に、驚きを隠せませんでした。よく見ると、呼吸もしていません。 「大変! 」そう叫ぶと、めぐちゃんは人工呼吸をする為に、するすると着ていた服を脱ぎ始めます。そして砂浜に横たわる銀髪の女の子の横に寝そべると、彼女の肩にめぐちゃんは腕をまわし……「……人工呼吸の途中に……舌が入る、ってトラブルも……よくある話よね…… 」なにやらブツブツと意味不明な事を言いながら、女の子の唇に自分の顔を近づけていきました。すると……それはどういう奇跡でしょうか。それとも、貞操の危機を感じた女の子の本能がそうさせたのでしょうか。危ない人工呼吸が始まる直前、女の子はパチッと目を開けたのです!マズイ…!めぐちゃんは唇が触れ合う直前で、ビクゥ!となって固まってしまいました。野外、全裸、キスしようとしているようにしか見えない顔の近さ……どこをどう見ても、ただの変態です。めぐちゃんは自分の置かれた状況に、だらだらと冷や汗を流します。なにがマズイって、変態であるという点は正解な所です。 「ち…違うわよ…? 」めぐちゃんはとりあえず、言い訳から始めます。慌てふためくめぐちゃんと、冷ややかな目を向けてくる銀色の髪の女の子。太陽が沈むまで、そんな光景は続きました。 めぐちゃんが助けた女の子は水銀燈という名前で、海辺の村に住む女の子でした。彼女の村は……『赤いてるてる坊主』という名の海賊に荒らされ、食べ物も満足にありません。そんな、海賊にいいようにされている村の人たちに愛想を尽かした水銀燈は……自分が『赤いてるてる坊主』を壊滅させてやる、と意気込んで、一人で海に出たところを……という訳でした。 そんな水銀燈の事情を聞いためぐちゃんは、自分がセイレーンである事を彼女に告げます。そして……水銀燈の代わりに海賊を壊滅させてくる。だから、それが成功したら結婚してくれ、と水銀燈に言いました。突然……いくら人間ではないとはいえ……女の子に求婚された水銀燈。頭がイカレているのかと、いぶかしげにめぐちゃんを見つめますが……その考えは正解です。 こんな変人と一緒に居られるか!私は自分の家に帰るわぁ!と言わんばかりの勢いで、水銀燈はめぐちゃんを無視して家へと帰ろうとします。めぐちゃんはそんな水銀燈の背中を見て、何故かOKされたと一方的に思い込んでしまいました。ピンク色のめぐちゃんの脳内では、水銀燈は初夜の準備に家に帰ったようにしか見えなかったのです。早くもテカテカし始めためぐちゃんは、満面の笑みを浮かべながら再び海へと向かっていきます。家に帰る途中、ちらっと振り返った水銀燈には……そんなめぐちゃんの姿が、見る見る内に遠くなっていく所しか見えませんでした……。 海の上でのセイレーンは、向かう所敵無しだといいます。だからめぐちゃんは、自信満々な表情で海の上を飛んでいきます。すると……村でも襲撃するつもりだったのでしょうか。すっかり戦いの準備をした海賊の船が、何隻も、何隻も海に漂っているのが見えてきました。 海の上では怖いもの知らずの海賊と、海の上では最強のセイレーン。セイレーンの姿を発見した海賊達は、歌われる前にと大砲をバンバン撃ってきます。めぐちゃんは大きな鉄の玉をヒラリヒラリと避けながら、得意の歌を歌い始めました。すると……近くの海賊船から順に、ブクブクと海に沈み始めます!ですが、まだ安心は出来ません。海賊船はまだまだ残っていますし……残った海賊船は、相当の修羅場を潜っている相手のようです。めぐちゃんが歌に集中できないように、左右から同時に迫ったり、周囲を取り囲もうとしてきます。これが、長年船を沈めてきたセイレーンなら話は別なのでしょうが……あいにくとめぐちゃんは、まだ船を一隻しか沈めた事がありません。少しずつではありますが、歌に集中できなくなってきて……その内、めぐちゃんの近くでも、船は沈まないようになってしまいました。 普通のセイレーンなら、ここで諦める所でしょうが……めぐちゃんは、諦める訳にはいきませんでした。 きっと今頃、水銀燈は結婚式の準備をしているに違いない。私の帰りを待ってくれているに違いない。ただの思い込みですが、それはめぐちゃんに大きな勇気と力を与えてくれます。 めぐちゃんは、全ての力を込めて……自分の命のともし火を賭けて、再び歌います。そんな事をすれば、自分の寿命まで減るので、誰もしない事ですが……めぐちゃんには迷いも後悔もありませんでした。「きっとこの歌が終わったら……私の命は……あと50年くらいになるでしょうね…… 」めぐちゃんは歌いながら、そう思います。長生きなセイレーンにとって、50年は短いものですが……「水銀燈と一緒に過ごすと考えると、ちょうどいい位ね 」逆に、コレ、いいんじゃね?なんて考えも浮かんだりします。ともあれ……そんな、めぐちゃんの必殺の歌声を前に……周囲を取り囲んでいた海賊の船も、リーダーが乗っている真っ赤な船も、心配して駆けつけた水銀燈の船も……全て、派手な水柱を上げて海に沈んでいきます! それからめぐちゃんは、再び静かになった海の上を、水銀燈を抱きかかえて帰っていきました。すれ違うイルカや海亀に、結婚式のスピーチを依頼する事も忘れていません。そして、浜辺に水銀燈を横たわらせると、人工呼吸の準備にと再び服を脱ぎ始めます。 「いただきます 」めぐちゃんは水銀燈に顔を近づけながら、小さな声で囁きました。一体、何をするつもりなのでしょう?当然、人工呼吸です。今度こそ、ついに、二人の唇が触れ合おうとした瞬間 ―――!水銀燈はまたしても、貞操の危機を本能的に察知し、パチリと目を開けましたとさ。 めでたし、めでたし。
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