『巴チャンバラ』
こんな夢を見た。 夏目漱石の小説みたいな台詞を枕に、黒髪の娘は、まじめな顔で語りだした。その声が向けられた先には、カフェのテーブルを挟んで座る少年が、ひとり。 「決して夜が明けない世界。わたしは闇の中を独り、走り続けているわ」「ただ走ってるだけ?」 ふるふる。彼女――柏葉巴は、青ざめた顔を、力なく横に振った。少年、桜田ジュンの表情も、それを受けて曇る。けれど、彼から訊ねようとはせず、巴が続けるのを辛抱づよく待っていた。 「わたしは巫女服を着て、二振りの刀を携えているのよ。いわゆる二刀流ね」「……なんか、物騒な夢だな」 刀を持って走り回るだなんて、通り魔とか辻斬りみたいじゃないか。そんなジュンの軽口に、巴は愛想笑うどころか、困惑が綯い交ぜになった顔をした。仕切りなおしとばかりに、メロンソーダをストローで吸い上げるも、表情は変わらず。 「だけど、必要なの。襲撃者を、撃退するためにはね」「襲撃者……って、暗い夜道に、痴漢とかストーカーが潜んでるのか」「ええ。それらより、もっと質が悪い相手が、ね」 バカらしくて、話すのは気が引けるんだけど――巴は、そう口ごもりつつも、縋るような眼差しをジュンに注いでいた。 「その相手って言うのはね…………ゾンビなの」 「なんだよ、それ。ゲームのやりすぎで、そんな夢を見るんじゃないか?」 事実、ジュンは数日前に、巴と似た内容のゲームしたことを憶えていた。彼女もかなり熱中していたし、愉しかった記憶が、夢に甦っているのではないか?そういうことは、ままある。 真意を探るべく、ジュンは巴の目を、まっすぐに見つめるけれど――彼女の瞳は、泳いだり、焦点が定まらなくなったりせずに、彼を見つめ返してくる。およそ、嘘を吐いたり、からかっている風ではなかった。 「ゾンビは群をなして襲ってくるわ。それこそ、休む間もないほどにね。 わたしは、バッサバッサと斬って、斬りまくって……」「……で、目を醒ますと、クッタクタに疲れてるワケか」「そうなの。ここ最近、ずっと同じ夢ばかりで、眠った気がしなくて。 だから、こうして桜田くんに相談してるんだけど」 言って、巴は口元を手で覆うと、大欠伸をした。ファンデーションで隠しているが、眼の下には、うっすらと隈が透けて見える。 「何日ぐらい、そんな状態が続いてるんだよ」「えぇと……もう3日くらい連続で」「なるほど。それは妄想の為せる技だな。間違いない」「やっぱり、専門のカウンセリングとか、受けてみるべきなのかな」 不眠症は、れっきとした病気だ。しかし、今回のケースは、少し違うのではないか。ジュンは、そう答えた。 「柏葉ってさ、けっこう、ストレスを溜め込んじゃうタイプだろ、性格的に。 そういう鬱憤を、夢の中で晴らしてたりするんじゃないか?」「そう、なのかしら」「断言は、できないけどね。ただ、それだけ繰り返し見るってコトはさ、 柏葉自身にも、少なからず欲求があるんじゃないのかって、思ったんだよ」「わたしが……その夢を見たがってる、と?」 釈然としない様子の巴に、ジュンが問いかける。 「じゃあ訊くけど、夢の中でゾンビを斬りまくるのは、どうだった?」「どうって?」「ナニを感じたかって意味だよ。爽快感とかさ」「それは――」 胸に手を当てて、考え込むこと、暫し。巴は、ジュンの前でしか見せない照れ笑いを、満面に貼りつかせた。 「気持ちよかった……と思う。てへっ♪」「てへっ♪ じゃないだろ」 と応じながらも、ジュンは自らの見立てが、それほど的外れではなさそうだと感じた。普段はおとなしい巴も……いや、おとなしいからこそ、不満を溜め込んでしまい、暴力的な衝動を、破裂しそうなほど蓄積させてしまっているのだろう。 フラストレーションを発散する術には、人それぞれのやり方がある。剣道に長けた彼女は、身に染みついた経験から、ゾンビ相手に●●無双な世界を夢想した――そんなところだろうか。夢とは願望の充足だから。 「柏葉は欲求不満なんだと思う。早速、僕の家に行って、治療にはいろうか。 リアルにブチ切れて暴れだす前に、ちゃんとガス抜きしなきゃ」「え? 治療って、どんな?」「まず、服を脱ぎます」「…………びっくりするほどユートピア?」「よく分かったな」 「ごめんなさい、わたし急用を思い出した」「わー! 待て待て! 冗談だよ、冗談」 腰を浮かせかけた巴を宥めて、ジュンは表情を引き締めた。 「とりあえず、また僕の家でゲームでもしながら遊ぼうってことだよ」「そんな簡単な方法で、不眠が治るのかしら?」「さあ? 専門家じゃないから、そこは、なんとも――」「……まあ。モノは試し、よね」 巴は、そそくさと席を立つ。「行きましょ、桜田くん」「ああ、そうだな」と、ジュンも伝票を手に、カフェのレジへと向かった。 ~ ~ ~ その後。 「散れっ! あ、このド腐れがっ! ブッタ斬るわよ!」「落ち着け、柏葉。チカラ入りすぎ! 人変わりすぎだって! コントローラーがギシギシいってるぞ」 睡眠不足もあってか鼻息を荒くしながらゲームに興する巴に、ジュンはガクブル状態だった。 ちなみに、そのゲームの名は、『お姉チャンバラ』である。 ~ ~ ~ さらに、その翌日。2人の、電話での会話。 「どうだった、柏葉。眠れたのか?」 受話器の向こうで、巴が、欠伸をかみ殺した気配。それが答えだった。 「ダメだったのか」『でも、効果はあるような……そんな気がするの。だから――』「うん?」『今日も、治療につきあってもらっても……いい?』「……うん。待ってる」 その後、夏休みの間中ずっと、2人は治療と称して一緒に遊んだそうな。 〆
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