- ANGEL -
それは、とある少女と女性の物語。とある夏の日に始まったお話し。- ANGEL -セミが鳴いている。強い日差しの中で、生きてる。その横で、生きる事に苦労している集団がいる施設がある。詰まるところの、病院だ。その一室に、数名の女性達が談笑していた。ベッドに寝て足を包帯で肥大化させ吊っている者の周りを囲うように数名が立っている。そして今、一人の女性が新たに入ってきた。「あ~、病院は涼しくていいわぁ。消毒液くさいのが玉に傷だけどぉ。あ、トイレ借りるわねぇ」ガチャ、パタン。しばらくして、ジャー。ガチャ、「あ、元気ぃ?蒼星石。私の胃腸はすこぶる元気よぉ」「かー!こら水銀燈!オメーは見舞いにきてから患者に『大丈夫?』の一言を言うのにどれだけかけるですか!!なにまず用足してるですか!ここに来た用間違えるなですぅ!!」 「上手い事言ったようだけど、大丈夫じゃないからここにいるんでしょお?で、大丈夫だから今だべってたんじゃないの?」銀髪でタイトなスーツを着た女性の言葉に栗色の巻き髪の女性が顔を真っ赤にして肩をいきらせる。「あはは、いいよ翠星石。こうしてお見舞いに来てくれたんだからさ」「あらぁ、流石は蒼星石。動けない姿をなるべく見まいとする私の気遣いをちゃあんと理解しているわ。翠星石も見習いなさいな」「入ってくるなり便所に駆け込むののどこが気遣いですかぁー!!」「翠星石、あまり病院で騒がないで頂戴。周りに迷惑がかかるのだわ」「う…」金髪を左右に結って先を巻いた小柄な女性にたしなめられ、うつむく翠星石。「す、すまんですぅ」「こんな姉を持って貴女も大変ねぇ蒼星石。で、テニスの大会で優勝したんですって?賞金はいかほど?」「まず誉めやがれですー!!」笑い合う女性達-1。「まあ賞金は僕が勤める会社にまず行くし、トレーニングとかコーチの分とか移動費もあるから、手取りは大したことないよ。それに、」恥ずかしげに自分の足を示す蒼星石。「こういう事もあるしねー」「何言ってるですか!足にボールぶつけられてもプレー続けて優勝したんですから!名誉の負傷ですぅ!!」「ふぅん。柄にもなく苦戦したみたいねぇ。でも、次は避けるか返すかするのね」善処するさ、と笑う蒼星石。喚く翠星石。呆れ顔の真紅。「そう言えば水銀燈、君仕事は大丈夫なの?」「さ来月にはまたフランスだけど、それまでは日本にいるつもりよ。この暑い時期に日本で休暇もバカみたいだけどぉ…皆の都合が合うのがこの時期しかないんだもの。去年の夏はベネチアだったのにねぇ」 「さすが世界的デザイナーはお言葉が違いますですねぇ。でも今にこの蒼星石が世界的プレイヤーとして名を馳せますから覚悟するがいいですぅ!!」「覚悟する理由も、それを貴女が言う理由も解らないんだけど」「まったくね」「だね」再び笑い会う女性達-1。そんな、夏の病室とは思えない一室での一時。お見舞いを終えた水銀燈は自販機でお茶を買い、休憩室で涼んでいた。この暑い中駐車場まで歩くのすら億劫で仕方ない。そんな時、目の前の病室のドアをナースが開いた。すると、その中に親子が見えた。笑い合う、親子。親は背を向けていたが、ベッドに座る女の子の顔は見ることができた。 痩せた黒髪の少女。(……?)水銀燈は何となく、本当に何となく違和感を感じた。デザイナーとして磨いた眼に、その笑顔は妙だった。「柿崎…めぐ」病室のカードを読んでみる。別に、名前を知ったところでどうとなる事ではないが。少しすると、ナースが部屋から出て、その後親が退室した。その際、二人が『次は』とか『通販で』とか言っていたのでお見舞いの品の事を話しているのだろう。ただ、病室から出た直後ということは患者にねだられでもしたか。 「………」しばらく簡易ソファーに座っていたが、ふと、自分は何でこんな所で座っているのか疑問が湧いた。別に、誰かを待つでもないのに。体も十分冷えて落ち着いたので、車へ戻ろうと立ち上がった。同時に、正面のドアが開いた。(え…)水銀燈は固まった。出てきた少女を見た時、その顔を見て、固まった。さっきの娘じゃ、ない。そう唐突な思った。そして同時に、これが彼女なのだと解った。この、世界を冷笑しているようで、世界の全てを受け入れて許すような笑顔。これこそが彼女の顔なのだと。 「………」休憩室に立ったまま、水銀燈は彼女を見ていた。彼女はゆっくり近付いてくる。そして、目があった。「天使、様…?」それが水銀燈が彼女、柿崎めぐから聞いた第一声だった。「天使、様…?」驚いた。ただただ驚いた。美しい。綺麗。素敵。自分の語彙の陳腐さを呪う。いや、こんな表現しかない日本語を恨む。遂に、現れたのだ。ようやく、来てくれたのだ。この死期の近付いた時に、私を迎えに。あの空へと、導くために。私に、翼を与えるために。長かった。でも、ようやく報われた。今までの事は無駄ではなかった。今までの苦労は無駄ではなかった。私のゴール。私のスタート。私の全てが、やっと目の前に。「天使様…」一歩近付く事を、天使様は許していただけるだろうか?あの方の、お側まで―「あ…」体に力が入らない。余りの安堵に力が抜けてしまった。でも、もういい。もう、いい…「あ…」溜め息にも似た声をだして、娘はいきなり倒れてしまった。「ちょ…!ちょっとアナタ大丈夫!?」倒れた娘に駆け寄って、声をかける。普通じゃない雰囲気は感じたが、まさかぶっ倒れるとは想定外だった。「どうしましたか!?」近付くのナースが水銀燈の声を聞きつけ飛んできた。「この娘が急に…!」「柿崎さん!柿崎さん聞こえますか!佐原さん、ドクター呼んで!」「は、はい!」その場のナースや後から来たドクターが病室に運び込み診察を開始する。その場が一気に慌ただしくなった。「………」その様子を休憩室に立ったままじっと眺める水銀燈。その頭の中には、倒れた娘の、安堵を絵に描いたような笑みが映っていた。水銀燈は今、柿崎めぐの病室にいた。あれから騒ぎは直ぐに収まり、彼女は発作ではなく気絶しただけだとドクターが話しているのを聞いた。水銀燈には分かっていたが。あんな顔で倒れたのだから、発作の類なハズがない。気を失っただけか、あるいは…死んだかの2つだろうと。まあ息をしていたからその可能性は無かったが。その後、ナースの一人に『この娘が私に何か言おうとしていたから病室で待たせてくれないか』と頼んだところ、今日起きるか解らないが面会時間までならと承諾を受けた。 しかし、水銀燈は気付いていた。この柿崎めぐは何かを言おうとしたのではなく、全てを言い切った事に。伝えたい事全てを一言に込めて。あの顔は、あの声は、“そういうもの”だった。「天使様、ね…」この病室に入れてもらった理由の大半は、この娘を調べる為だった。結果は予想通り。この娘は、もう長くない。痛み止めに麻薬に類する物の使用、部屋に強心剤の予備。ドクターとナースの会話。娘の顔色と肉付き。恐らく、心臓病だ。それも、重度の。この分だと長い事患って…いや、もしかすると生まれた時からかもしれない。親に見せた顔と部屋中の見舞い品はともかくとしても、部屋を出てきた時の顔。私を見た時の表情。心臓病。死期。そして、“天使様”「………はぁ」おおよその察しはついた。そこでふと思う。私は一体何をしているのだろう。知り合いでもない、娘の病室で。「………」娘の顔を覗く。正直、美しいと思う。でもそれは容姿としての美ではなく、彼女が作り出し、思考するる柿崎めぐという人間の美しさだと、デザイナーの血が言った。それはどこまでも清らかに、白く。どこまでも悲しく、愚かな。「…要するに、バカって、事なんだけれど…」水銀燈がこの病室にいる理由の一つ。柿崎めぐは、どこか昔の自分に似ていると、思ったから。「柿崎めぐちゃん?うーん、知らないなぁ。僕はこの通り部屋から殆ど出れないからね」「そう…」あの後、結局めぐは目を覚まさなかった。よってかかりつけのナースに伝言を頼み、またこうして今日も病院へ来ることになってしまった。あくまでも、蒼星石のお見舞いついでに。『おや?昨日の今日でどうしたのかな?何か聞きたい事があるの?』蒼星石の部屋に入った途端真っ先に言われてしまった。まあもとより隠す気も隠せる気も無かったため話が早くて助かるのだが、持ってきたフルーツがいささか物悲しい。 「昨日君が帰った後でちょっと騒ぎがあったけど、その娘と何かあったの?」「ん…別に」蒼星石相手に嘘をつくなどという愚行は犯さない。これは『今は話す必要はない』という意思表示だ。「気になるなら、看護婦さんから何か聞いておこうか?」「…いいえ。迷惑かけるつもりはないわ。ちょっと…気になっただけだから。じゃあお大事にねぇ」それだけ言って席を立つ。見舞いとしては失礼にあたるかと思ったが、『フルーツありがう』と去り際に言ってくれた。「本当…姉がいないとスマートでいいわぁ」からかうのも面白いのだが、今は御免被りたい。これから少し、面倒な話しをつけに行かねばならないのだから。「失礼するわね」「あ…!」部屋の前で僅かに呼吸を整えた後、努めて冷静を装い柿崎めぐの部屋へて入った。伝言として『昨日アナタの前に居た者が今日改めて伺う』と伝えてあるはずなのでまた感極まって倒れることはあるまい。「天使様…やっぱり天使様だ。本当に来てくれるなんて…」「………」今日も、私を天使様と認識するか…。望み薄だとは感じたが、服やメイク、アクセサリーにコロンといった要因も考えられたため総入れ替えを行ってみたが、無駄に終わったようだ。まずは観察してみる。どうせ天使だ何だと思われているのだ。少々の不振など理想の靄にかき消されるだろう。基本的には昨日と変わらない。注目するとしたら顔色か。はっきり言って悪い。ろくに外にも出ず、加えて死期間近となれば当たり前だが。しかし、同時にとても輝いて見えるのは…羨望。なる程、信仰の力は侮りがたしというわけだ。「あ、ごめんなさい…私、柿崎めぐって言います。名前なんて、無意味かもですけど」「…水銀燈よ」この子の夢想する天使とやらに名前があるか知らないが、一応名乗る。さて、どう反応する?「うわあ…素敵な名前…さすが天使様」「………」(…さっき、名前なんて無意味とか言ってなかったぁ…?)水銀燈の脳裏に、『もしかするとコイツは本当にただのバカなのではないか?』とよぎった事を、目の前の少女は知る由も無い。「うわあ…素敵な名前…さすが天使様」私が悪いにも関わらず、明日来る約束をしていただけた事にすら驚きなのに、御名前まで聞かせてくれるなんて…。話したい事をずっと考えていたのに、もう頭が真っ白。このまま消えていけそう…。今目を瞑れば、そのまま飛んでいけるのかしら。でも…もう少し天使様を見ていたいから、それはまだ、お預け。「アナタ、めぐって言ったわね?」「え…あ、はい!」目の焦点が虚ろになり始めたので声をかけた。その返事は、自分の下に研修しにきたデザイナーの卵達に非常に良く似ていた。(予想はしてたけど…流石に重度ね、これは)この人は正しい。この人が真理であり、この人が全て。そんな戯言を鵜呑みにしてしまう、憧れという名の信仰。もしくは、呪縛。きっとこの娘は、今水銀燈が『アナタは今から男よ』と言えば嬉しそうに男性用の下着を身に付け始めるだろう。(でもそれじゃあ、お話にならないのよ)デザイナーとしても、人としても。「ねえ、めぐ。アナタは私に何をして欲しいの?」「え…」「え…」突然の天使様からの質問。私の望みなんて、天使様なら…あ、もしかしたら、口に出す事に意味があるのかも。うん、そうよ。私には想像も出来ない意味があるはず。でも、今まで散々考えてきたのに、考えてきたからこそなのかな。簡潔に言葉にするのが難しい…あまりだらだら天使様に話すのは申し訳ないし…それで上手く言えるとも思えないわ…一言で言うなら、何だろう。『死なせて欲しい』?ううん、それはお願い事じゃない。『一瞬に連れて行って』?それが出来ればいいけれど、私なんかが天使様と同じ場所になんて居られるはずがないじゃない。『私の心臓を治して』?…………………………………違う。なら、「翼をください」目の前の少女、柿崎めぐは、そう言った。翼。「それは…鳥になりたいという事?」ここで冷静を欠くわけにはいかない。あくまで念を押すような声で言う事が必要だ。「うんと…鳥、でもいいけど…ううん、やっぱり翼が欲しい。綺麗な翼。それで、この窓から飛んでいくの。途中まででいいから、天使様と一瞬に飛びたいな…」何故?と問いかけて、止めた。翼、か。飛んでいきたい。だから、天使。天使と一瞬に、飛んで、どこまでも飛んでいって、それで?それで、それから?(…残念だけど、私の耳は誤魔化せないのよ)誰よりも人の機敏を察してきた水銀燈の耳では、その程度ではわかってしまうから。だから水銀燈は自分のバックに手を伸ばした。もう、夢物語は終わりの時間。(アナタに翼を得る資格は無いわ、めぐ)そしてそれを、ベッドに横たわるめぐの目の前にばらまいた。「………」めぐの目がそれを捕らえた事を確認してから、宣告する。「私はね、世界に名を知られるトップデザイナーなのよ。天使?はっ、翼生やしてフワフワお空に浮いてる輩と一緒にしないでくれる?」それは、水銀燈を紹介した雑誌や手掛けたデザインのブロマイドなどの、水銀燈がデザイナーとして生きた軌跡。「え…え…天使、さ」「だから、違うと言ってるのよ」水銀燈はふと、今のめぐの姿を見て高校時代に親にフランス留学を宣告された時の事を思い出した。結局強さを得た水銀燈にとって、それはただの踏み台にしか過ぎなかったが。 めぐの目は、まだオロオロとそれらをさまよっている。直視はしない。でも目が離せない。(殺した相手から手紙なんか来たら…こんな感じかしらねぇ)言いえて妙だ。天使は殺してあげた。さて次は、娘の番だ。「アナタ、本当は天使なんて信じてなかったでしょ」「アナタ、本当は天使なんて信じてなかったでしょ」…………!!!!…、!!…、、?!?、?!…!!、!、!、!…?…?…?!!!、!!、!、、…???????、!…????……………………「アナタ、私が来た時言ったわね。『本当に来てくれるなんて』って。アナタにとって天使は奇跡みたいなモノだった。知ってる?奇跡ってね、“起こらないから”奇跡って言うのよ。起こってしまえばただの必然よ」 娘は無言だ。聞いているかも解らないが、水銀燈は続ける。「ついでにアナタ、自分に翼が生えるなんて天使程に信じれてないわね。アナタには無理よ。死という現実に強く触れたアナタには。子供で居られなかったアナタでは、夢の翼はいだけない」 どんなに願っても、頭が理解してしまうから。どんなに祈っても、もう一人の自分が囁くから。この娘は、翼を得るには聡明すぎた。翼を得る資格は、この娘は既に失っていた。それでも、なお翼を求めたのは、それしかなかったからだろう。信じている“ふり”で誤魔化さなければ壊れてしまいそうなモノにすがるしか、選ぶ道がなかったから。いつしかそれが逃げ場となった、昔の『水銀燈』と同じ様に。「………」娘は、さっきまでの娘は、もう居なかった。水銀燈が、壊したから。いや、壊すまでもなかった。勝手に、崩れた。「さて…」このまま病室を去る、という選択肢もある。そうすれば、もう二度と合う事もあるまい。2つの理由で。まあそれを選ぶなら、はなからここまでしないのだが。「ねえ、さっきもご両親が来て…コレ、かしら?置いていったわよね」ここに来る時間は両親が出て行ってからにした。流石に今のめぐを合わせるわけにはいかない。それに、邪魔だ。「アナタ、どうして親に毎回見舞い品をねだるの?それもちょっと手に入れるのが難しかったり高価なものを。嫌がらせのつもり?」「………」めぐは長い間黙っていた。水銀燈も待っていた。やがて、めぐは口を開いた。「親孝行…最後、だから」「親孝行?」モノをねだる事が、親孝行?めぐはそこで、久しぶりに表情を見せた。悲しい、自嘲の笑みを。「私だって、伊達にあの親の子供やってないわ。何をすれば喜ぶかくらいわかる。今まで無関心だった娘が急に頼ってきて物をねだるんだもの。嬉しいはずよ、あの親は。でもね…」 めぐが水銀燈に目を向ける。疲れ果て、今すぐ消え入りそうなやつれた眼差し。天使に向けた羨望のソレとは、文字通りの天と地の差。「もう…限界だったの。私、もう、欲しいもの、無くなっちゃったから…」病室の中は物が溢れていた。一見すれば満たされた空間だった。だがそれらは、めぐの手にはほとんど触れられずに放置されていた。「毎回お見舞いもらったらね、休憩室のテレビを見に行くの。それを見て欲しいもの…いいえ、“ねだるもの”を考えてたわ。ちょっと苦労するけど手に入れられるものを。でももう無理。私、もう思いつかない…」 力無くうなだれるめぐ。その背中は、抱きしめると折れそうなくらい、細い。「どうして、そんな事を?」まあ、恐らくは。「親孝行って、良いことなんでしょ?良いことすれば…きっと…」きっと。その後は続かなかった。(まったく…)どれほどまでに脆いのか、この娘の天使とやらは。いいじゃないか。これだけ切望しているのなら来てあげればいいじゃないか。でも、天使は来ない。それを人は知っている。なんて、くだらない存在か。だから、水銀燈は天使のような存在が大っ嫌いだった。デザイナー水銀燈のトレードマークは、『逆十字』そんな私を、この娘は天使様と呼んだ。だから、なのか?「…明日、また来るわ。それまでは生きなさい。その後は、構わないから」「…うん」意外にもめぐは答えてくれた。少々驚いたが、まあ、答えた以上は問題ないだろう。時計を見たら、もうすぐ面会時間は終了だ。病室を出たところで休憩室のテレビが目に入った。「明日の蒼星石のお見舞い…どうしましょう…」特に、いい案は浮かばなかった。「やあ、水銀燈。今日も外はいい天気だね?」「あー!こら水銀燈!何暇持て余して蒼星石に媚び売ってるですかー!一体何が目的ですか!?」「………」今日は姉が居たか…だが、今日だけは助かった気もしないでもない。翠星石の怒っている姿は滑稽だ。蒼星石の笑っている姿が恐ろしい。いつかの真紅の放送の時並みに恐ろしい。笑っている。凄く笑っているのに。どうしてこう冷や汗が止まらない…?「えっとぉ…これ、お見舞い…」結局、昨日食べ物だったから今日は帆船がビンの中に入っている置物にしてみた。シチリアに行った時に手に入れなかなか気に入っていたのだが…まあ、致し方ない。「わあ、凄い。ありがとう水銀燈。大切にするよ」「え、ええ…」水銀燈の耳も、蒼星石の前では役立たずの形無しである。なのに、何故かヤバいと感じてしまう恐怖。「あ、そうだ姉さん。確か姉さんの車の中に使ってないガラスケースがあったよね?これにちょうど良さそうだから悪いんだけど取ってきてくれない?」いきなり人払い。そして退室してしまう姉。なんて使えない!いや、そもそも何故ガラスケースなどが車にある?まさか、私の見舞い品を予想して…?いやいや、これは今朝まで判断を決めかねていたものだから「水銀燈~」「ひゃい!?」 にっこり笑う蒼星石。これほど笑顔の似合う女も他にいまい。雛苺とは別の笑顔だが。「どう?首尾の方は」「ええ…まあ、そこそこねぇ。最後は…あの子次第だけれど」「ふうん?今日も行くんだ?」「え、ええ…」目が据わった。来る!「でもさ、水銀燈がここまで他人に興味を持つなんて珍しいね。いや、違うか…気にかける?惹かれる?それとも、同情か何かかな?」「…ねえ、蒼星石。私、何か気にさわる事したかしらぁ…?」本音が出たせいか、蒼星石がようやく笑ってくれた。いや、今までずっと笑っていたのだが、矛盾してないと感じてしまうのが恐ろしい。「ごめん、ごめん。どうもこうして病室に引きこもってるとストレスが溜まっちゃって。連日のお見舞い、感謝してるよ?」もう、身構える気も失せた。「でも、今日で終わりかもねぇ。何にせよ、区切りはつけるつもりだし」「へぇ、その余命いくばくの少女を水銀燈はどうしちゃうのかな?」突っ込む気は無い。知ってるならそれまでのこと。だから、正しく答えてあげた。「食べちゃうのよ」「そりゃ恐い」くすくす、と蒼星石は笑った。「は~い、めぐぅ。こんにちはぁ。まだ生きてるぅ~?」ずばん!と病室のドアを開け放つ。周りが見ているが気にしない。昨日とは打って変わって気が楽でいい。昨日は壊したついでにショック死されたらとヒヤヒヤものだった。名前が売れている以上、警察沙汰は勘弁願いだいのだ。「いらっしゃい、水銀燈」「あら、ちゃんと生きてるじゃなぁい。感心、感心」それが今にも消えてしまいそうな、儚げな姿だとしても。むしろ好都合だ。「うん…水銀燈が、今日は生きてろって言ったから」めぐが笑った。綺麗な笑顔だった。「そ。それじゃあ、そうね。一応お見舞いに来たワケだしぃ…何かあげないとねぇ。めぐは何が欲しい?」「え…?」 「え…?」私の、欲しいもの。私の、欲しい私の、私………「天使には翼をお願いしたみたいだけど、アナタが呼んだ私は悪魔みたいだったからねぇ。翼は無理よぉ?コウモリみたいな羽になっちゃうもの」人間が付けたらさぞや奇怪だろう。いっそモモンガに転職を勧めたい。「………」「何か無いのぉ?悪魔にお願いしたいもの。ああ、堕天使でもいいわねぇ。そっちの方が私好みだわ」神に仇なす逆十字の代名詞。己から始まり己で終える者達。「堕天使はいいわよぉ?ぜえんぶ自分のままに出来るから。この世の全てが自分のモノ。世界は私を中心として動くのよ。そんなワタクシに、迷える瀕死の子羊は何をお望み?」 「………」めぐが顔を上げて、水銀燈を見る。水銀燈も、それを受ける。「臆病者のアナタは、何が恐いの?」「!」恐れるから、求める。彼女は翼を求めた。ここから飛び立つための翼。では、恐れたのは。「………欲し、い」肩を震わせながら、絞り出すように呟く。「意味が、欲しい…」「何の意味?」そこで堤防が、決壊した。「私の、生きた、意味が…私の死ぬ意味が欲しいの…!このまま、このまま翼も貰えずに死んで、焼かれて、埋められて…!そんなのイヤッ!そんなのイヤなのッ!まだ何もして無いのに!何も残せないままで…私、死にたくないッ!!」 そこからはもう、勢い任せだった。溜めた分の水圧は、少女の細い体には強すぎた。「イヤ、イヤイヤイヤイヤッ!!死にたくない!!死にたくないッ!!でももう死んじゃう!!私死んじゃう!!飛んでいけずにここで死んじゃうッ!!焼かれて、埋められて!!イヤッ、熱いのヤダ…暗いのヤダよ…!助けてパパ!!助けてママァ!!」 スパァン!水銀燈の手のひらがめぐの頬を打ち抜いた。声は止んだが、流す涙の量は増えた。「弱いわねぇ…アナタ」私と同じで。「意味がなくちゃ生きる事も、まして死ぬことも出来ないなんて」私と同じに。「きっとアナタみたいなのが死ぬと幽霊とかになるのねぇ。私は祟られたくないし、だからアナタに欲しいモノをあげることにするわ」私と同じく。「私が、アナタの『意味』になってあげる」水銀燈は昨日と同じく、昨日より一際大きいバックに手を入れた。出されたのは、ペンや鉛筆などの筆記用具に始まり、大量の白紙、キャンパス、絵の具、はたまた地図帳やイミダスまで。「それ、は…?」かすれた声でめぐが尋ねる。「いいこと?これからアナタの今までの人生全て、私に捧げなさい。した事、された事、感じた事、考えた事、全て私に聞かせなさい」「………」「私がデザイナーだと前に言ったわね。デザイナーにとって感性は武器であり命。アナタの感性は稀有なモノがあるわ。だから私が貰ってあげる。アナタを全て、私の血と肉にしてあげる」 それはまるで、人一人食らうがごとく。「アナタの血の一滴、髪の一本まで、私の糧にしてあげる。そしてアナタの残された時間も、死も、全て私に捧げなさい。これからは私のために生きて、」そして。「私のために死になさい」それは死の宣告。甘く優しい、堕天使の囁き。一瞬の間。それだけを挟んで。「う…うわぁあああああああああああ!!」その娘は、水銀燈の腕の中で泣いた。その時、水銀燈は思い出していた。(そう言えば…結局真紅の胸で泣く機会は無かったわねぇ…)一度くらいしておけば良かったかもしれない。そうすれば、今彼女がして欲しい事がわかったかもしれないのに…そして、「ふつつか者ですが」「まったく…とんだふつつか者よぉ!」その後、めぐは泣いた。ずっと泣いた。とにかく泣いた。体の水分が疑われるくらい泣いた。具体的には、ドクターストップがかかり鎮静剤をしこたま打ち込まれるまで泣いた。その後は寝た。 めぐが水銀燈にすがりついて泣く間に、めぐの両親がお見舞いに来てしまった。両親の戸惑いもさることながら、水銀燈も現状打破のため引き離しにかかるも、それに敏感に反応しためぐが今度は水銀燈に抱き付いた。ますます怪訝な顔をする両親。ちょっとウザったくなった水銀燈が振り払うために立ち上がろうとしたところ、それを拒絶しためぐに抱き合ったまま押し倒された。水銀燈の記憶は、一旦ここで途切れる。翌日、とある個室の病室に、二つ目のベッドが運び込まれた。広い部屋だったので特に問題はなかった。二人の意識が戻った後、めぐは水銀燈を紹介し、一応両親の誤解(?)も溶け、晴れて同居人として許可が下りた。一段落して両親が帰り際に『今度のお見舞いは何がいい?』と聞くと、『水銀燈は何か欲しいモノある?』『とらやの羊羹が食べたいわねぇ』『じゃあそれ。お茶もよろしく』両親は苦笑いだったが、堕天使に魂を売り渡したワガママ娘には屁の河童だった。「やあ、水銀燈。面白い事になってるね」「あら水銀燈。その頭の包帯は新しいデザインかしら。良く似合ってるのだわ」また、水銀燈は一番来て欲しくない人に真っ先に見舞いにこられ、たまたま同じベッドで吐息を漏らして寝ていためぐについて断腸の思いで説得を試みるハメになった。無駄に終わった。それから数ヶ月。余命宣告の時をかなりオーバーして大物デザイナーの水銀燈のスケジュールを大混乱に導いたおりの、とある日の会話。『ねえめぐ。アナタ死後の世界は信じる?』『うーん、微妙なとこね。でも、水銀燈が行けって言うなら行ってやるわ』『迷惑かかりそうね…じゃあせめて、浮遊霊とか呪縛霊にしときましょうか』『わかったわ。死んだら、閻魔様に直談判する』『挨拶はしなさいよ…で、そうね。ただ浮かんでるだけじゃ意味無いから…』『誰かに取り憑く?』『止めなさい。そう、あのね?弱いくせに強がって苦しんでるバカを見かけたら、ぶん殴ってやりなさい』『あの時みたいに?』『あの時みたいに。男なら二三発入れてやりなさい。で、出来ることなら…』『…うん、わかったわ。約束ね』『ええ。約束よ』『じゃあ、はい。約束のちゅーして?』『は!?バ、バカじゃないの!?』『ひっぐ…うっく…水銀燈に嫌われた…もう、私…』『ああもう!ほっぺ!ほっぺでどう!?』『わーい♪』『やっぱり嘘泣き…!めぐぅー!!』 つまりこれは、水銀燈という女性が学び、そしてそれを伝えた―ただ、それだけのお話し。
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