千年恋愛
「間もなく、新栃木、新栃木。東武日光、鬼怒川温泉方面をご利用の方は……」
いつものように流れてくるアナウンスが耳に入り、読みかけの本を閉じる。毎朝通学に利用しているこのローカル線の案内を、もう三年近く聞き続けた。でも、この独特のイントネーションの案内は、いつまで経っても慣れない。そのおかげか、読書をしていても居眠りをしていても、この駅に着くと反応できる。心理学的に言えば、条件反射。かの有名なパブロフの犬になった気分になる。
今日は、少し遅めに電車に乗った。もうすぐ進学なので、その件に関する登校だった。履歴書と、自己紹介文を進学事務の担当に渡すためだ。正直言って、僕はあまり進学に対して意欲的ではなかった。別にニートになりたいというワケでもないが、どうしても、今の生活を大事にしていきたかった。前に一度、担任教師にそう零したコトがある。
「そんな心構えじゃ、何時まで経っても社会に出られないし、出たとしてもすぐにダメになる」
当たり前の返答しか返ってこなかった。別にそれがイヤというワケではないんだけど、なぜか耳に残った。後からそれを実感したのだが、それは僕の小さな反抗だったように思う。何も行動するワケでもないのだが、なんとなく反感を持ったのを覚えてる。
適当に書類処理を終わらせ、早々に家路に着く。学校の滞在時間よりも通学時間のほうが長いのが、少し面倒くさい。未だに、僕はもうすぐ卒業だというコトに実感が持てないでいた。
「間もなく、一番線に東武宇都宮行きの電車が参ります」
改札口を抜け、跨線橋を横目に一番線のプラットホームを歩いていると、アナウンスが流れた。途中に自販機がふたつあったが、特に喉は渇いていなかったので無視する。ボックスタイプの座席しかない電車が来たときは、思わず嬉しくなった。ローカル線のくせして、この駅には結構な種類の電車が走る。僕は、ボックスタイプの座席が好きだった。この時間なら乗車客は少ないので、自分の空間を大きく取れるからだ。排気音とともにドアが開き、急いで乗り込む。サッサと空いている席を見つけ、左肩に下げていた大きめのバッグを向かいの座席に放った。ドスッと腰を下ろし、靴を脱いでだらしなく両足をバッグの上に置いた。これからの40分間は、のんびりと出来る。今朝と同じように、読みかけの本をバッグから取り出した。今日はしおりを忘れていたので、ページを思い出しながらペラペラとめくっていく。目的の箇所を開いたとき、なんとなく窓の外の景色を眺めた。
冬の青空には、大きな月がうっすらと浮かんでいた。パッと見、直径1mはありそうな巨大な月。いつ頃からかは知らないが、月はどんどん地球に近づいてきているらしい。だからといって、僕たちの生活には特に影響はない。電波障害でケータイが使えなくなったらどうしようとか、そんな考えしか浮かんでこなかった。
「こんにちは。ヒドイよ、呼んでたのに先行っちゃうんだもの」
突然、上から高い声が降ってきた。漆黒の髪を肩程度にまで伸ばして、竹刀込みの荷物を肩から提げた女の子。片手を腰に当て、もう片方の手はだらっと降ろしている。そして眉を逆ハの字にして見下ろしている。彼女は返答を待たずに、僕の正面に座った。僕のバッグは足元に追いやられる。仕方なく、放りだしていた足を靴に収めなおす。これが、大体のいつものやり取りだ。
「桜田君ってさ、いっつも本ばっかり読んでるよね。楽しい?」
それには答えず、僕は足の下にあるバッグを手に取った。ゴソゴソと中に手を突っ込んで、目的の物を取り出す。そして、無造作に彼女に放り投げた。
「わっ。何これ、くれるの?」
「良いからそれ食っておとなしくしてろよ」
学校のロビーにある自販機で買った菓子。片道だけで一時間近く使う上に、今日は昼くらいの時間で帰路についている。そんなワケで、多少の腹ごなしに買ったものだった。
「ふふ、ありがとう。頂きます」
何が嬉しいのか、にこにこと笑顔を顔に張り付けながら放った菓子を食べ始める。ただのクラスメートで、しかも普段は大して会話もない。たまに帰りの電車が一緒になって、ダチがお互いにいない時にはこうなる。僕は厚めの小説を読んでいるし、コイツは菓子を食って茶を飲んで、あとはiPodで音楽を聴いているだけ。会話はない。特に互いに話題がない。それが普通だし、これからも変化はないし、なんせお互いそろそろ大学デビューだ。この三年間で幾度かこんな時間があった。これからもこうだろう。それも残り数か月。ネットに多々あるショートストーリーなら、ここでどちらかが告白でもするんだろうか。幼馴染とか、実は幼い頃に会ったことがあるだとか、そんな綺麗な過去はない。いや、幼馴染ではあるけどさ。なんせ高校入学までほとんど会話しなかったんだし。共有した過去を、それほど多く持ち合わせているワケでもない。こんなタイミングで、そんな浮いた話が出るのは勘弁してほしい。つーか、こいつ彼氏いるとか言ってたよな。なおさら意味ねえわ。
「ね、どんな本を読んでるの?」
「……これ」
適当にキリのいい場所まで読んで、本を持ち上げタイトルを見せる。ちょっと覗けば分かるかもしれないと思ったのだが、僕は購入時にブックカバーを付けてもらう。そしてそのまんまで読むので、題名は誰も分からない。つーワケで、奥付けを見せる。どんな本でも、作品名はそこに記載されているからだ、たぶん。
「ふーん、知らないや」
そりゃそうだろうとも。僕らくらいの年頃の人間にとって、小説自体がまずマイナーな気がする。それだけを零して、僕の真正面に座っている彼女は、窓の外へと視線を投げる。興味がなくなったのか、駅に着くまで喋ることはなかった。この車両に他の乗客はいないのか、静かなもんだった。わずかな暖かさを感じさせる日の光と、流れる外の景色と、走行する電車の音だけしか残っていない。本当に静かなもんだった。
さて、どれくらい時間が経ったのだろうか。僕は本に夢中になっていて、今ドコを走っているのかもわからない。ふと気になって正面に視線を移すと、彼女は寝ていた。疲れていたんだろうか。僕といて気疲れするなら、別に一緒の席になることはないのに。まぁ、いい。別にそれは僕が気にすることじゃあないし。さて、続きを読もう。勝手に結論付けて、僕は再び視線を本に落とす。
──違和感を感じた。
薄暗い。字が読みにくいと思ってから、一秒ほど時間を使ってそれに気付く。雲でも出てきて、太陽を隠したんだろう。気になったものに対し、反射的にそれを見て確認するという癖が僕にはある。自覚はしているんだが、別に誰かに害を与えるものでなし、治すつもりはない。だが、今回のこの時ばかりは、さすがに見ないほうが良かったかもしれん。現実は厳しい。誰もが何時でも繰り返している言葉だった。
「なんだ……?」
窓の外が、真っ暗だった。トンネルに入ったわけではないと断言する。このローカル線には、トンネルなんてもんはないからだ。三年間もこの路線の世話になってるんだぜ。自信アリだ。携帯電話を開き、今の時間を確認する。我ながら冷静な行動だ。時間は十三時三十一分。国谷駅を過ぎた程度か、あるいはおもちゃのまち駅直前くらいの時間だろう。しかも時間を見る限り、今は昼間であって深夜ではないはずだ。なのに、窓の外には何もなかった。ただ、黒という色しかなかった。
「すー、すー」
コイツ、まだ寝てやがる。いや、仕方ないか。僕だって、いつの間に外がこうなったのか分からなかったんだ。起きていても分からないのに、寝ているコイツが分かるはずがない。くそ、起こすに起こせない。起こしたら、絶対に大声で騒ぎだすだろうし。そんなことになったら、うるさくて敵わん。だったら、少なくとも僕自身が落ち着くまで……
「音が無い、のか?」
自分で言って気がついた。電車の走行音はおろか、回っている換気扇の音や、走行中の振動すらなかった。まるで、大気が震えることを忘れたみたいに。無の音量を最大まで上げて他の音をかき消したみたいな気すらしてきた。確かに、電車は動いているし、室内灯も着いている。どこへ向かっているのかは知らんが、まだ走行中であるのは間違いないようだ。勘弁してくれよな。これからオリオン通りで買おうと思ってた本がいくつかあるのにさ。いや、待て待て。現実逃避はいかん。しかし、これが現実だってならさすがに逃避したいぞ。それに、気になることもある。
「一体、どこへ向かってんだ……?」
電車は暗闇の中を走っている。僕の目前に座っている彼女は、一向に目を覚ます気配がない。無音、無振動、無干渉の世界。ただひとり、僕だけが自覚しているなか、電車は止まらず走っている。
「夢じゃないよなぁ」
これが夢ならどれほどマシか。時計の針は動かない。それを確認したとき、ああこれは夢なんだと思えたのに。体感的に、すでに一時間はこの状態だ。今までの人生で、この瞬間に匹敵するほどハッキリと自我を持った夢をみたことはない。少し前に、どっかのチャンネルでやっていた特集を思い出す。人によっては、自分は今夢を見ているのだと自覚し、その中で自由に行動できる人がいると。しかし、僕はこれは夢ではないと断言する。なぜなら、この世界が夢だとはどうにも思えない。さらに、これは夢ではないと、僕の中の誰かがハッキリ告げる。既に半分ほど諦めていた僕は、頬づえをつきながら外を眺めていた。黒一色の世界は、僕には何も語らなかった。それがなぜか寂しく思え、次の瞬間に苦笑した。
「本の読みすぎかね……」
ファンタスティックな本や、神話や民話を取り扱った本が主体だからな。本当はこれは夢で、その影響かもしれない。さて、この考えを頭によぎらせたのは四回目だ。いい加減に馬鹿らしくも思えてきたが、そう思いたくなるのは当然と思う。現実に突如として非現実が頭をもたげて、それを理解するのに時間がかかる。加えて、唯一の会話ができる人間は、今もこくこくと眠っている。一度だけ起こそうとして、起こして、起きなかった。なんだか虚しくなって、僕はひとりでいることにしたのだ。独り言が多くなってしまっても、誰も咎めないから止まらない。やはり虚しさが大きくなる一方だった。
「ん……?」
突然、黒の向こうに白点が出来た。光、と言い換えた方がいいかもしれない。今まで一瞬すら出てこなかった変化が、窓を隔てた黒のはるか彼方に浮かびあがる。驚きはしなかった。なぜか、驚くまでもなかったからさ。普通なら違和感を感じるか歓喜する場面だろうが、僕はそれをただ見ていただけだった。どうしてかは、分からない。
「…………! …………」
ボヤけた輪郭の光の円の中に、中年の男と女がいた。何を言っているのかは分からないが、どうも口論しているようだった。草をまとった小高い丘の上の小さな家の前。なんとなく古代ローマを思い浮かばせる服装の男女。男が出て行こうとする。女が止めようとする。涙を振り払って、男は道の彼方を目指していった。男が歩いて行く速度に合わせるように、光も徐々に小さくなり、消える。
「…………」
僕は、沈黙を守りながら、まるで自分を見たような感覚でそれを見ていた。なんて言えばいいだろうか。幽体離脱をして、天井から自分を眺めていたという感覚に近い。あれは僕であり、それを他人事のように見ている自分。そんな名残が、僕の体に纏わりついていた。そうだな、レイトショーを見た直後の気分だ。
次にそれを見たのは、一、二分ほど経ったころだろうか。またも遥かの場所に、小さな光が灯しびだす。同じようにボヤけた輪郭を持ったその中に、同じように男女がいた。しかし、今度のは違う。どこかの建物の中というのは間違いない。違っていたのは、様子だった。明らかにすぎるほどの和風建築。最初に連想したのは、厳島神社だった。絢爛豪華な衣装に身を任せた女性。刀や矢から身を守るために造られた鎧をまとう男性。二人は、火の海をひたすらに走っていた。
「早く! 急げばまだ……!」
「もはや無理でございましょう。御覧なさい。火の手が私を掴んでしまいました」
女性の服の裾には、大きめの炎が確かにあった。十重二十重の衣を脱ぐには、あまりに時間が無さすぎた。
「せめて、あなた様だけでも……」
「なりませぬ!」
女性の言葉を遮る男性。その目は、死が目前に迫ってきているにも関わらず、力強く光っていた。突然、火に染められた瓦礫の欠片が、二人を隠すように降り注ぐ。火はさらに大きくなり、何もかもを燃やして消した。そしてそれは消えていく。今度は光景を残したまま縮んでいき、最後に弾けてそのまま消えた。僕には、それを見届けることしか出来なかった。
あれから数十分。既にもう三つほどの不思議な男女の世界を見た。どれもこれもが、男女の恋愛の終わりを見せる。今生の別れ、悲哀の最期、切ないまでのすれ違い。追うごとに世界が変わり、国も変わっていた。そして、ひとつ分かったことがある。どんどん時代が近づいてきていた。最初に見たのは、明らかに古代の世界。最後に見たのは、明らかに最近の世界。国はどこかよく思い出せなかったが、おそらく明治くらいの時代だったろう。それもやはり、男女の悲しい離別で終わっていたが。そして、僕は一度も違和感を感じることは無かった。まるで自分を見ているような気がしたからだ。理由は分からないし、きっとこれからも分かることはないと思う。そんな結論を出した時、僕はようやく、周囲の小さな異変に気づいた。
「あれ?」
ほとんど見えなくなっていた。こんな暗闇のなかでも、電車の中だけはハッキリと見えていたのに。結局、一度も目を覚ますことのなかった彼女の姿も、今はもうよく見えない。僕の視力が失われそうになったわけじゃない。パチパチと明滅を繰り返し、室内灯が消えかかっていた。今度は音が聞こえるのに、僕はまた気付かなかった。ふっと思わず笑みを零す。自嘲気味に笑ったのが気に食わなかったのか、電気は次の瞬間にはどこかへ去った。
「おはよう」
周囲が本当に真っ暗になって数秒、突然どこからか掛けられたセリフは、そんなものだった。おはよう? いったい何が?僕はずっと起きていたんだぞ。未だに僕の視界は真っ暗だし、そもそも、朝の挨拶を交わすような時間じゃない。
「ねえ、もうすぐ着くよ?」
ゆさゆさと体を揺さぶられる。一体なんなんだ。
『間もなく、終点、東武宇都宮です。お忘れ物の無いよう……』
陳腐なアナウンスが鼓膜を叩く。音が聴こえる。じゃあ、もうすぐこの変な時間も終わ……
「わっ!?」
ガバッと跳ね起きる、という漫画みたいなことを自分でやるとは思わなかった。僕は一気に周囲を見渡す。視界に飛び込んできた風景は、三年間いつも見続けてきた地元のそれだった。教会と幼稚園が一緒になったような施設、ずいぶん昔からある東武デパート。その向こうには、シャッター街と成り果てそうなオリオン通りの天蓋。片田舎にしちゃあ、不似合いな都会の光景。あぁ、間違い無い。現実だ。
「……どうしたの?」
「いや……」
そうとしか答えられなかった。あんなオカシイ世界に行ってましたなんぞ、言って誰がそれを信じる?せいぜい、夢でも見ていたんだろうと答えられるのがオチだ。自分だったらそう言う、絶対に。
「ヘンなの」
人差し指を唇に当てながら、くすくすと笑う。さっきまでその世界に一緒にいて、ずっと寝ていた彼女の仕草。たまに見るそれを、なぜか僕は強く意識した。アカン、落ち着け僕。こいつには彼氏がいるってのは周知の事実じゃねえか。
それからコイツは、なぜか僕の後ろをちょこまかと着いてきた。オリオン通りの落合書店で本を買った時、目をパチクリさせていたな。なんせ、十冊ほど一気に買ったのだから。それから西武側に向かって一分ほど歩いた先にあるマクドナルドで昼食をとる。なぜか一緒に。
「寝顔、可愛かったよ?」
紙コップの中のコーラが暴発する。何言ってんだコイツは。またも同じ仕草で笑われて、僕はそのまま黙りこんでしまった。
それから、少し散歩をした。車の免許を取ってから来なくなって久しい神社。受験勉強に本腰を入れる前までは、友人とよくここでダベッていたもんだ。なんでも、就職先はウチの近所らしい。つくづく腐れ縁だな、まったく。自販機でポップコーンを買って、適当に頬張りながら平和の象徴にもくれてやる。くそ、腕に乗ってくるなよ。
「あのね」
しばらく無言を互いに徹していたのだが、突然コイツは口を開いた。
「私の好きな人ってね、ぜーんぜん私にかまってくれないの」
何を突然。痴話喧嘩でもしたのか?
「だからさぁ、しばらく、好きでいてやるの、やめてやるんだ」
僕に言うなよ。陳腐な言葉すらかけてやれない凡人なんだぞ。お前が話しかけているヤツは。
「嫌いになったワケじゃないよ? でもね、少し疲れちゃった……」
いつの間にか立ち上がり、数歩先にいるコイツは、突然僕に振り向く。西日が陰になって、今はどんな顔をしているのか分からない。別れ話の相談だろうか。やめてくれよな、恋愛沙汰は得意じゃないんだ。
「卒業したら、ちょっと遠くに行く。そしたら、寂しくなってくれるかな」
そしたら、の時にコイツは太陽に視線を向ける。僕は黙っていた。最初から最後まで。何を言ったらいいのか分からなくなって、コイツの最後の言葉にも返事が出来なかった。
「だから、バイバイ。きっと逢おうね」
軽い足取りで、アイツは少し長い階段を下って行った。右手から夕陽に照らされたアイツは、綺麗だったな。うん、今更ながらに、そう思った。
三年が経った。あの不思議な体験はあれ以来一度も訪れることはなかった。僕は普通に進学して、普通に大学に行って普通に暮らしていた。けど、あの日を忘れたことはなくって、あの日のことがきっかけで思い出すことがあった。本当に数少ない、アイツとの思い出だ。何を考えてるか分からないヤツ、そう僕の中でカテゴライズされた、決定的なあの会話。すっかり忘れていたのに、つい先日、なぜかハッキリ思い出したんだ。
『夢ってさぁ、嘘だよね』
『たまに思うんだ。夢が叶ったーって思っている瞬間こそ、実は本当に夢だったり』
『まぁ実際は現実なんだけどね。努力の結果とか』
『でもね、ずーっと覚えてる夢とか、叶えたい夢って、ひとつくらいあるでしょ?』
『私はあるよ。それも、毎日のように見る』
『起きてても見るし、寝ていても見る夢』
『私がいてね、ある人がいるの』
『時代や場所が変わって、その人自身が変わっても、絶対にその人だってわかるの』
『今も見るよ。素敵な夢。それでね、最近になってわかったんだ』
『それは、私の千年間。何度も生まれ変わって、何度も違う人になって』
『でも私は絶対女の子で、その人は絶対男の人』
『で、何度も何度も、その人を好きになるの』
『私は、一度も愛されたことはないけどね』
『でも、結局は夢の話』
『空想よ空想。そんな可哀想な人を見る目で見ないでよ』
『そう、ただの空想話。昔読んでもらった絵本か何かの影響かな』
『もし、私の夢を誰かに見せるコトが出来るのなら』
『そうだな。桜田君にだけ見せちゃうかも』
『そしたらきっと、私がどんな気持ちでこんなコト話しているのか、分かってくれるでしょ?』
『もし私の夢を見てくれたなら、君はどうするんだろう』
『優しいから、きっと来てくれるかな』
『千年も待たされたんだもの。それくらい良いよね?』
確か、入学して一番最初に、ふたりだけで電車で帰った時の会話だったと思う。何を言っているのか全然分からなかった。だって僕は夢の中に出てくる男ではない。それに、千年も女性を待たせるような人間でもないと思う。まず、人として死んでおこうぜ。千年も生きた人間なんて知らない。あぁ、メトってのはどうだか知らんけど。とりあえず、その時に抱いた感想はこうだ。
空想好きなヤツだ。
それで終わり。それ以外は別に普通の、そこいらにいるような女の子だった。クラスの女子と一緒に弁当を食って、一緒にどこかに遊びに行く。最新ファッションに目ざとくて、でも自分を壊さないセンスで服を着て。ケータイを弄るのが好きで、通話よりももっぱらメール。文章は長くて、しかも絵文字をかなり使う。鉛筆を走らせて作られた文字は、女の子特有のまるっこい文字。そんな文字で綴られた、ひとつの手紙を僕は握っていた。教科書を整理していたときに、間からポトリと落ちたそれ。一体いつの間に忍び込ませたのかは知らない。なんとなく"それ"に目を走らせ、次の瞬間、僕は車を走らせていた。助手席のシートに無造作にそれを放り投げたまま、僕は心当たりを走っていく。
在学中の三年間、アイツに片思いをしていたことに今更気づいた昔の僕を謝らせるために。ことのついでだ。少なくとも三年間、あんな思いをさせてしまった今の僕も謝りに行こう。埋められるかなんて知らない。だけど、どうしても僕は逢いたくて仕方無かったんだ。ああ、ハッキリ言うぞ。白状してやる。
アイツがいなくなってから、寂しかったさ。きっと逢おうねとアイツは言った。冗談じゃない。絶対に、お前に逢いに行くさ。だから、覚悟しておけよ。
手紙の最後にあったお前の夢、僕が相手で不服でなけりゃ、意地でも絶対叶えてやるさ。
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