Entichers
まだ見続ける悪夢。甘い甘い悪夢。戻せない過去。セピアに染まった記憶の中、誰の顔も出てこない。夢の終わり。意識は加速してゆく。未だ夜明けは見えずとも。DUNE第四話「Entichers」眩しすぎる光が照らしてきた。これは何の比喩でもない。何度目だろうか。この質問も。「お前の名前は?」「……」イライラしているようで、相手のしている貧乏ゆすりが私にも不快感を与えてきた。それに加え、どろりとした殺意が絡みついてくる。「いい加減に何か言えッ!!」「……」それでも私は何も言わない。何かを言ってしまえば、それが私を不利にさせてしまうかも、なんていう漠然とした不安からではなく、ただ単に、声を発するのが億劫なだけだった。犯行理由、他の事件との関連、それらが主な質問事項だった。たまに全く関係の無いことも聞いてはきたが。「ったく。どうして同じ日に二つも強盗事件が起こるかな・・・」ぼそっと、二人いる刑事のうち、年上の尋問に参加していなかった方が、うっかりという風に漏らした。「……。犯人は捕まったの?」やっと重い口を開いた私に、その刑事は、「ん?あぁ、捕まったよ。一人だけ。あとはお前とほとんど同じ状況だ」「ちょっと!いいんですか?そんなこと言っちゃって!」「別にかまわんだろ。このくらい。どうせすぐにマスコミが取り上げる。それに管轄外だ」この不思議な一致に私は少しだけ驚かされた。あくまでも少しだけなのだが。「そっちの処分は?」「さぁな、わからん。まだまだこれからだろ」「多分お前と同じようなことになるだろ」同じようなこと……。私が禁固刑なら、向こうも禁固刑。向こうが死刑なら、私も死刑ということか……。まぁいい。……疲れた……。ふと、絡みつく殺意が感じられなくなったのに気づいた。顔をあげて前を見る。そうだったのか。あの殺気は静かにしていた方のだったか……。正体のわからないものへの恐れ、それが相手の正体が分かったような気がしたからか……。なぜ、今こんなに感覚が鋭くなっている?私の意志とは関係なしに二人の表面上の感情が流れ込んで来る……。頭が……、痛い……。その、朦朧とした意識の中で、私は何をしゃべったのだろうか。いつの間にか、人が変わり、何人目かの刑事が来た頃、硬い地面が目前に迫っているのが見えた。目を覚ますと、硬いベットの上に横になっていた。ゆっくりと体を起こす。ここは?外界との接触を断つためなのか、細く、重く光を放つ金属の棒があった。少ししてから気づく。ああ、ここは牢屋か。あとは、いつ来るか分からない死の宣告を待つだけか……。今、自分自身の人生について振り返ってみる。何かいいことがあったわけではない。大抵悪いことへ転がって行った。私が何をしたでもない、こうするしかなかった。最悪の選択をしたわけではない、残された選択肢に最高があったわけでもない。最悪から二番目の選択をしただけだった。気がつけば、大きな殺意を感じていた。どこから?私の中からだ。さまざまな思い、今まで抱いたことのないほどの量の感情が体を駆け巡る。だが、今はそれが心地よかった。しかし……。何も出来やしないというのに……。そう思った途端、急激にそれがしぼんでゆくのを感じた。そういえば、私が撃ったあの警官はどうなったのだろう?多分死んだんだろうな。あの時、人を殺したという感覚なんてなかった。ただ、引き金を引いただけ。今でも変わらない。ただ、それだけ。それだけのことだった。どれほどの時がたったのだろう。コツコツと重く響く靴音が耳に入った。これで最後か……。「おはよう。起きたかい?留置場での目覚めはどう?」目の前には、にこやかな笑みを浮かべた背の高い男が立っていた。「まぁ、おはようって言っても、時間は教えられないんだけどね」と、どうでもいいことを続ける。私は、この男が怖かった。この男には、何もない。怒りも、悲しみも、喜びも。何も……。何かを話しているが、聞いてなんかいない。この男に警戒をしていると、「ねぇ、取引しないかい?」という言葉が流れ込んできた。一歩、檻へと近付く。「ここから出してあげる」また一歩檻へと近付く。「このまま、君は死ぬか」もう一歩檻へと近付き、音を立てず、鉄棒に手をかけた。「僕と来て、仕事を手に入れて生きるか」私は、気がつくと、差しのべられた手を握っていた。「僕の名前は白崎。よろしくね」「……ウサギみたい」思いついたままに口にする。「じゃあ、ウサギが導くものと言えばアリスだ。君のことをアリスと呼ぶことにしよう」こうして、私は名前を与えられ、今までの私自身のすべてを殺した。それは13歳を迎えた年の冬。生まれ変わった年の冬。6年。私は育てられた。何として?人殺しとしてだ。おそらく、私に教育を施した人のほとんどは、私が何者なのか知らないだろう。人体構造、乗り物の運転方法、銃器等の扱い方だけではなく、簡単な医療技術、パソコンへの知識、一般教養、特殊な指示もたまにあるらしく、スキーやフリークライミング、インラインスケートなども叩き込まれた。確かにきついものであった。だが、これだけが私を生かす。また、人の感情を読み取る感覚もコントロールする術も自然と身につけていた。“学費”は膨大なものになったであろう。だがそれ以上の利益があるからか。ここまでするのは。教えられるものによっては、ビデオ講習もあった。そのビデオを私以外の何人が見ているかは知らない。どれだけの数の“私”みたいなものがいるかなんて。そして、初めての実戦。気がつけば目の前に男が倒れていた。床を赤く染め上げて。切り裂かれた喉からは、こぽこぽと、空気の溢れ出る音がしていた。ただ、“それ”を何の感情もなく見ている私。その頭の中は、次の手順だけを考えていた。何の抜かりもなく終えた初の仕事。そのあとはどこかの喫茶店へ、白崎に呼び出された。「仕事、うまくいったみたいだね」その言葉のすぐあとに、仰々しいコーティングがされた小さな箱を渡された。「……開けていいの?」白崎は頷く。正直、何なのか期待はしていた。何かのプレゼントなのかもしれないって。だが、その期待はあっけなく裏切られた。中に入っていたのは、身分証明証。与えられたのは、新しい名前、住所、誕生日、つまり、新しい自分自身だった。「誕生日おめでとう。 。これからは、どこかに赴任してもらって仕事することになるよ。 これからは、不定期だけど仕事が入ることになる。一応肩書としては、IT関連の中小企業勤務ということになる。 仕事が入ってない日は基本的に自由だから。とにかく、いつでも連絡が取れるようにしてくれたならいいや。 これが、引っ越してもらう先の住所ね」と、1枚の小さな紙を渡された。そこには、名前だけは知っている町の名前が書かれていた。もちろん、私の生まれ育った所よりかはるかに遠い。そしてこの時、どの名前を呼ばれたのかは覚えてない。“アリス”かもしれないし、“雛苺”かもしれないし、本当の名前だったのかもしれないし、他の知らない誰かのだったのかもしれない。ただ、確かに言えるのは、その名前は殺人者の名前ということだけだった。白崎が、勘定を払い、席を立つ。そして思い出したようにこう言った。「あ、そうそう。そこでの上司は僕だからね」時は廻り、3度目の同じ季節が彩られたころ、私はここへ来た。前の街と、何も変わらない。そう思っていた。「クシュン!」この街での初めての仕事を終えたあと、私は公園にある屋根の下で途方に暮れていた。「クシュン!」もう一度くしゃみをする。止めたくても止められない。はぁ。失敗した。いや、仕事のことではなく、そのあとのことでだ。雨がザァザァ降り、服は濡れ、このままでは風邪を引いてしまいそうだ。確かに、今日雨が降ることは知っていた。だから、傘もちゃんと持っていたはずだった。なのに、なんで今手元にないのだろうか。答えは単純、間違えて“鞄”と一緒に捨ててしまったからだろう。家まで近いのなら、走って帰る。だが、そうするには、あまりに遠すぎた。財布もあることはあるが、近くにコンビニはないし、タクシーを呼ぶには、車の往来が少なすぎる。どうしようか……。ふと、誰かの気配が近づいてきたのを感じた。戸惑っているようで、たまに止まったりしている。それを感じながらも、私は気付かないふりをし続けた。他人とはいえ、やはりこんな痴態を見られるのは恥ずかしかった。そして、意を決したように、声をかけてきた。「迷子か?」へ?頭の中をたくさんのハテナマークが飛び交う。驚いて振り向き、その声の主の顔を見る。「もしかして家出?」更なる言葉が掛けられる。あれ?この顔、どこかで・・・。誰かに似てる?とぼけた言葉の中、私はそんなことを思っていた。枯れ葉散り、冬の足跡が近づく日、一生忘れることのないであろう青年と出会ってしまった。DUNE 第四話「Entichers」了
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