Scene14:フラヒヤ山脈―洞穴南西部―・その3
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フラヒヤ山脈、洞穴南西部。フルフルがここを去り、『こやし玉』の不快な残り香が消えたのち、この中に響く音はごく僅かに限定されていた。ジュンが翠星石の『ゲネポスレギンス』を取り外す際の、鎧と鱗の打ち合う音。砕けた左膝を処置され、添え木を整えられる際の痛みに耐える、翠星石の呻き声。その傍らで、今まで自身らの身に起こったことの顛末を訥々と語る蒼星石の声。そして、真紅が蒼星石の話を聞きながら時おり打つ、相槌の声。だが、これらの緊張感に満ちた音や声は、そろそろ止もうかという時間に差し掛かる。蒼星石の放つ、結びの句がそれを告げる。「……というわけなんだ。一部、僕の推測を交えて話をさせてもらったけれども、おそらくそう外れてはいないと思う」「そうね、私も同感なのだわ」蒼星石が話を締めくくり、真紅は納得がいった呟く。「言いたいことは多々あるけど、まず一つ。半年前の一件といい今回といい、つくづくボク達は、仲間の窮地を救う巡り合せにあるみたいだな」蒼星石の話を聞きながら、ジュンは小さくその言葉を漏らす。「そういう巡り合せにあると分っているなら、もう少し傷の治し方を練習しやがれですぅ、チビメガネ」「……あのなあ、あわやフルフルに食われかけるところを助けてくれた命の恩人……しかもほとんど初対面の人間に対して、治療まで施してもらった挙句に、かける言葉がそれか?」ジュンは包帯を両手に握りながら、こめかみの辺りをひくひくと小刻みに震わせていた。体内で血管の数本は余裕で切れているであろう形相で、ジュンは怒声を浴びせたい衝動を必死で抑え込む。「そんなに『回復薬』やら『回復薬グレート』やらを満載して助けに来たなら、折れた骨くらいつなげやがれで……」「無茶苦茶を言うな!!」ジュンの怒りの声が、洞穴の空気を強く打ち据えた。蒼星石と真紅は、ジュンの強い口調に驚き、思わず息を呑んでジュンを見やる。翠星石は、ひっ、と喉を鳴らして呼吸が一瞬停止する。それにつられて左膝に走った痛みが、全身を走った。とうとうジュンはこめかみに青筋すら浮かべ、翠星石が傷病人であることなどお構いなし、といった様相で、翠星石を睨みつける。翠星石は、たちどころにその表情から血の気を引かせ、自身を睨みつけるジュンの瞳に震え上がる。「……ボクに出来る処置は、この時点で全て施した。『回復薬グレート』だって、患部に塗るだけじゃなくて直接注射したんだぞ?」ジュンは一度怒りを翠星石に叩きつけ、落ち着きを取り戻したかのようにも見える。今度翠星石に送る言葉は、彼女の考えの足りない発言を罵るというよりは、諭すような意味合いが多分に滲んでいる。「『回復薬グレート』は、大体三服分使えばどんな傷でも治すことが出来る。ふつうなら、二服分も使えば十分過ぎるぐらいだ。もちろんボクは、『回復薬グレート』を三服分使って処置を試みてみた。それで、その左膝の骨折は治ったのか?」ジュンの質問への解答、それは怪我を負った翠星石本人が一番良く分かっている。「…………」上体のみを起こし、両脚を投げ出す体勢で凍りついた地面に座り込む翠星石は、伏し目がちにその視線を下げたことで、ジュンの質問に無言のまま答えていた。ジュンは、眼鏡の枠を人差し指と親指でつまみ上げ、そのずれを直しながら口を開く。「『回復薬』や『回復薬グレート』の薬効は確かに強力だ。ちょっとした捻挫くらいなら、あっという間に狩りに支障がない程度の処置は出来るし、程度が軽ければ、外れたり折れたりした骨すら、くっつけられる事だってある。狩りから帰った後ちゃんと処置を受ければ、後遺症もなく短期間で完治だってするだろうさ。……それを三服分使っても駄目だったって事は、もう分かるな?」「――はい……ですぅ……」下唇を噛む翠星石は、辛うじて声を絞り出した。『回復薬グレート』を三服使っても治らないという事態は、すなわち次のいずれかを意味する。そのハンターは、それ以上の狩りを続行することが出来ないほどの、大怪我を負った可能性。さもなくば最悪の事態……すなわちもう処置をいくら施そうとも、死から免れられない致命傷を負った可能性。言うまでもなく、今の翠星石は前者に該当する。それほどの重傷を負った翠星石の耳に、ジュンは静かに声を届けた。「翠星石、って言ったよな?そもそもお前はフルフルの電撃を浴びた上で、その水銀燈とか言う奴に『毒投げナイフ』で追い打ちを食らったんだ。『ゲネポスシリーズ』の強力な防電性と、お前の妹の処置に助けられたとは言え、たかが『回復薬グレート』三服分で、こうして意識を取り戻すまで持ち直したなら、それだけでもかなり運のいい部類に入るぞ、お前は。……さもなきゃ、よっぽど命に関しては意地汚い性格か」ジュンは眼鏡の下の黒瞳を静かに閉じ、深く息をついた。誰も、そんなジュンに対し発言を試みようとはしなかった。「結論から言う。お前は今すぐアイルー車を使ってポッケ村に帰れ。ここでこうしていても、左膝の容態がこれ以上好転するわけでもないし、ならお前はもう足手まといだ。ランペの救助は、その水銀燈とか言う奴が仕組んだ狂言だったって分かった以上、遂行する義務はもうない。残るフルフルは残りの3人……最悪の場合、ボク1人ででも始末をつける」「そんな……!」絶句する翠星石。今まで口を噤んでいた真紅も、ジュンの発言を機に会話に参加する。「ジュン……『足手まとい』なんてあけすけな表現を、初体面も同然の人間にぶつけるのはどうなのかしら?」真紅も翠星石を説き伏せる助けになってくれるのかと思いきや、ぶつけられたのは己の発言への批判……それを聞いたジュンは口を尖らせ、閉口する。「けれどもね、翠星石」だがジュンが次の言葉を放つよりも先に、真紅は翠星石に視線を移し再度ものを言う方が若干早い。「ジュンの言っていることは確かなのだわ。あなたはもうフルフルの攻撃に耐え、水銀燈の『毒投げナイフ』を受けて、ボロボロのはずよ。ジュンは口の利き方がなっていないのは事実だけれども、応急処置の腕は確か……そんなジュンがこれ以上は無理と言うなら、狩りを続行するべきではないわ」「『口の利き方がなっていない』なんて、お前にだけは言われたくないけどな、真紅」翠星石に言い聞かせる真紅。それにいちいち突っかかるジュンは、面白くなさそうに鼻を鳴らす。真紅に援護射撃をせんとしてか、ついに最後まで静観していた蒼星石も、そっと実姉に話しかける。「翠星石はもう十分頑張ってくれたよ。フルフルにあれだけ『貫通弾』を浴びせてくれたし、注意を引きつけてくれたお陰で、僕だって安全にフルフルに攻撃が出来た。もう休んでくれたって……ね?」蒼星石は、光が静かに揺れる翠星石の瞳を見つめ、半ば頼み込むようにして言った。翠星石は、そんな妹の瞳を同じく見つめ返し、何とも形容のしがたい空気が流れる。たっぷり時間をとって、翠星石が出した結論……それは――。翠星石は、その顔をさも苦しげに、切なげに、くしゃりと歪めて、俯きながら言う。「……イヤ……」目の中に溜まりに溜まる光は、今にも溢れんばかりにたゆたう。「そんなの……イヤですぅ……!」翠星石の目尻から涙がちぎれ、流れた。「フルフルと戦ってる時に油断して、蒼星石に大変な思いをしてまでここに運び込んでもらって……そこでヘトヘトになった蒼星石が、水銀燈に『毒投げナイフ』を投げられる時、何にも出来ずにそのまま倒れて……。このまま帰ったら、翠星石はただのヘタレですぅ……!」翠星石は歯を強く噛み、流れてくる涙を必死に押し留めようとするが、それは空しい努力に過ぎない。「翠星石……」蒼星石は、肩を震わせる翠星石の忸怩たる思いを汲み取ってか、次なる言葉に詰まる。翠星石は、この洞穴の冷気で氷のようになった『ゲネポスガード』の前腕部で、無理やりに顔を拭う。『ゲネポスガード』の突起が己の顔を引っかき赤い痕を刻むが、翠星石はそれを意に介するような事はない。「絶対あのセクハラ飛竜をぶっ飛ばして、水銀燈にも落とし前をつけさせてやるですぅ!蒼星石をひどい目に遭わせやがったフルフルと水銀燈には、痛い目見せねぇと気が済まねぇですぅ!」語調も荒く、翠星石は言う。「……結局、それが本音ということね」真紅はため息をついて、翠星石の想いを受け止めた。そこにあったのは、けれども翠星石の愚直なまでの一念を突き放そうという意図ではあり得ない。真紅は『イーオスシリーズ』にちりばめられた『イーオスの鱗』を鳴らして、ジュンに振り返った。「ジュン、この状態の翠星石をチームに迎え入れて、フルフルを倒すための作戦を考えて頂戴」「はぁ!?」ジュンは、真紅の藪から棒な依頼に、かくんと顎を落とす羽目になる。目が点になり、開いた口が塞がらないその表情は、傍目に見れば滑稽に映るかも知れないが、言った真紅も聞かされたジュンも、冗談交じりのやり取りをしているつもりは微塵もない。ジュンが真紅の発言が、ようやく聞き間違えではないと自ら得心するまでに時間は必要となったが、それが終われば再びその顔に怒りの朱が散る。「真紅も真紅で無茶苦茶を言うな! 第一、その手の平の返しっぷりは何なんだよ!?さっきまで翠星石にはさっさと帰れって言い聞かせていたくせに――」「残念だけれど、こうなってしまった翠星石は私でも止められないのだわ」真紅は、本音ではジュンの方の意見に共感したいが、実際のところそうも行かない、という様子を滲ませ、今度は諦念の混じったため息を漏らした。「この子は……翠星石はね、蒼星石のことが絡むと、いつもこうなのよ。昔、私達がお父様の屋敷で暮らしていた頃、蒼星石がその……ちょっと失敗をしたことがあったのだけれど、翠星石はそれを庇って、お父様や私達の前で、蒼星石の体面を必死で守ろうとしたこともあるの。蒼星石がその失敗でお父様に叱られたり、私達から笑われたされるのは我慢がならない、って考えてのことだったようね。……そうでしょう、翠星石?」真紅は翠星石を見つめ、その視線に言外のメッセージを込める。翠星石も真紅が何を言わんとしているのかを察したらしく、一度限り静かに首を縦に振った。蒼星石は、その2人のやり取りを眺めて、ばつが悪そうに視線を外すが、それを見逃すほどジュンは甘くはない。「ふーん。で、その『失敗』って、具体的には何をやらかしたんだ?」ぎくり、とジュンの鋭い質問に、肩を揺らせる蒼星石。「え……ええと……それは……」そこに助け舟を出すことにしたのは、無論真紅。「ジュン、レディの秘密を聞き出そうとするなんて無粋な真似は止めなさい」「……はい?」突然硬化した真紅の弁に、ジュンは鼻にかかった眼鏡をずり落としそうになる。「そうですそうですぅ、このヘンタイデバガメチビメガネ!」変態、出歯亀、チビ、眼鏡、の4つの単語が、あたかも一つの単語であるかのように一気に発音する翠星石。ジュンは彼女らの態度に、怒りよりもむしろ困惑を覚えるが、それ以上の余計な詮索は命惜しさゆえに打ち切る。真紅の左手が、腰の後ろに差さった『ハイドラバイト』の柄にかかっていたのを見て、一瞬で生命の危機を感じ取ったがために成しえた、実に本能に忠実な芸当と言えよう。表情を引きつらせるジュンを見て、蒼星石は申し訳なさそうに苦笑を浮かべ、その頬を掻いた。「ま……まあその……とにかく、僕が弱虫だったからやっちゃった失敗を姉さ……翠星石が庇いだてしてくれた、そういう事だって理解してくれれば……。と、とにかく悪い事をしたわけじゃないから、あんまり気にしないで……」実姉に対し「姉さん」と呼びかけるのに何となくためらいを感じ、「翠星石」と呼び直す蒼星石。ジュンは彼女ら3人に秘密を共有され、何とも言えない疎外感を覚えて正直愉快ではなかったが、今はそんな瑣末なことに構っている場合ではないと、理解できないほど愚かではない。ジュンはこの場を仕切り直して、今後の方針をもう一度練り直すべく発言をしようとして、しかしそれは遮られる。『ハイドラバイト』の柄を握った左手をほぐし去り、蒼星石を見つめ直す真紅により。「けれども、覚えているわよね、蒼星石。お父様が昔私達にしてくれた、あの話のことを」「うん。勇敢なハンターと臆病なハンターの……あの話だよね?」蒼星石は、真紅の口にした『あの話』という単語だけで、父の聞かせてくれた訓話を思い出すには十二分だった。「……また内輪の秘密の話か?」眼鏡の下の黒目を半眼にするジュンは、またも3人に疎外されるのかという予感を感じ取り、不満げに呟いた。蒼星石はそんなジュンの不満を感じ取ってか、先ほどと同じく苦笑を顔に張り付かせる。けれども今度は先ほどと違って、その話の内容は秘密などではなかった。「いや……別にそんなことはないよ。ジュン君……だったよね? 君にも別に、話せない内容じゃないよ。昔お父様が僕達にしてくれた話に、こういうものがあったんだ。『勇敢なハンターと臆病なハンター……生きて一流のハンターになったのはどちらか?』、っていうなぞなぞだよ」「ふーん、で?」先を急かすジュンに、次に応じたのは翠星石。すぐ近くに置かれていた『インジェクションガン』を引きずる音が、翠星石の述懐に混じり込む。「お父様が言うには、一流のハンターになれるのはどちらかと言うと臆病なハンター、って事らしいですぅ。真紅はそれを思い出して、この話を振ったんだと思うですぅ。……ですよねぇ、真紅?」「ええ、その通りよ」真紅のその返答の声には、『インジェクションガン』の肩掛け式のバンドが、翠星石の胴の『ゲネポスレジスト』を締め付けるタイトな音が被さり、洞穴内に響く。それがかき消えるのとほとんど同時くらいに、真紅は二の句を継ぎ、放っていた。「翠星石、今回はあなたがお父様のこの話を忘れていたからこそ、フルフルに膝を砕かれたとも言えるわね。怒り出したフルフルに対して、あなたが覚えたのは油断。まさか高台を取った自分に、フルフルの攻撃は届くまいと決め付けていたからこそ、フルフルからあの咆哮を浴びる前になら出来た対策を、自ら放棄してしまった形になったのだわ。そこで少しでも怯えを感じていれば……『万一フルフルの攻撃が届いたらどうしよう』、という想像が出来ていれば、こうして今、左膝を持っていかれることもなかったかも知れないわね」翠星石は真紅の淡々とした語らいに、けれども怒声混じりに叱責されるに等しい重みを感じ取ったのか、悔しげにその整った眉を歪める。「ごめんなさいですぅ……真紅」気丈な翠星石にしては珍しく、素直に謝意を示す。詫びの言葉を受け止めた真紅は、しかしそれをさらりと流し去るのだが。「別に、私には謝られる理由はないわ。ハンターはこうして狩りに出たなら、自分の命に責任を持てる限り、どんな狩りを行っても構わないわけだもの。それで命を落とすことになる覚悟があるなら、どれほど危険で無謀なスタイルを貫き通すのも、あなたの勝手よ」「…………」翠星石は、真紅の切り返しにいたたまれなくなって、思わず青白く凍った地面にその視線を落とす。氷の蒼白と、雪の純白が斑になって存在する地面。そこに視線をさまよわせる翠星石に、次に言葉をかけたのはジュン。「翠星石。お前がもし謝らなくちゃいけないとしたら、蒼星石だ。水銀燈とかいう奴に『毒投げナイフ』を食らって、意識を失ったのは不可抗力だったとしても、蒼星石の警告の声を素直に聞いていれば、こうして蒼星石のお荷物になるような事態は、避けられたかも知れない。ボク達ハンターは一度狩りに出たら、自分の命に責任を持つのは当然のこととして、仲間と狩りに出かけるなら、その仲間の命にも、連帯して責任を負わなきゃならないんだ。残念だけれど、お前は大事な妹の命を危険に晒したのは事実だし、ボクが『こやし玉』を投げ込むのがあともう数十秒遅れていたら、今頃お前は蒼星石と一緒に――」「それ以上、言う必要はないよ」ジュンは、横合いから浴びせられた制止に、はたとその首を向けることになる。その制止をかけたのは、いうまでもなく蒼星石。蒼星石はずい、とジュンの前に出て、まるで己の実姉を庇うような位置取りにまで移動する。蒼星石の表情は柔らかではあるものの、その下には『マカライト鉱石』よりも固い意志が忍ばされていることが、ありありと伺える。「ジュン君……僕だって、決して翠星石に謝ってもらう必要はないと思う。謝ってほしいとも思わない。翠星石は……姉さんは、僕がハンターをするために一番必要なものを、いつも僕にくれているんだから。だから僕はこのくらいのこと、迷惑だなんて思わない」蒼星石は、今度はその表情を芯まで柔らかく変え、首だけその場を振り向かせ、肩越しに見つめる。地面に座り込んだまま、蒼星石を見つめる翠星石を。「姉さんは、いつも僕に勇気をくれる。時にはそれが行き過ぎて、今回みたいに無謀さになっちゃう時もあるけど、でも僕が新しいモンスターを狩る段になって、尻込みしたときなんか、姉さんがいつも僕の背中を押してくれるんだ」「蒼星石……」翠星石は胸の前で、『ゲネポスガード』の手首部分を重ね、そのオッドアイで蒼星石を見つめ返していた。蒼星石は、この地方では滅多に咲かない、『ドスビスカス』の花のように可憐な表情で、姉に微笑みかける。その笑顔から可憐さはすぐに消え、代わって凛々しさを湛えてジュンに向けられる。「僕は姉さんから勇気をもらう。代わりに、僕は姉さんの背中を預かる。僕達はそうして、今日まで2人で生きてきたんだ。もちろん、ハンターとしてね。今回は、僕が姉さんの背中をちゃんと預かり切れなかったから、こんなことになっちゃったけれども……」赤と緑の瞳を細めた蒼星石。だが、蒼星石の背後から浴びせられた声が、その間を与えない。「違うですぅ! 蒼星石には何一つ悪いとこなんて――」「もういい、その辺で止めてくれて構わない」ジュンは、2人の会話をそこで止めさせた。ぽかんとジュンの顔を見つめる双子。ジュンはまるで、突発的な偏頭痛にでも襲われたように、思い切り辛そうな表情を浮かべながら、右手で頭を抱えていた。「……つくづくお前達は仲良し姉妹だな。話を聞いてるこっちが、色々な意味でキツくなってくる」ジュンは、今感じているこの偏頭痛が幻の痛みでなく、本当の痛みになる前に消えてくれ、と内心祈りつつ、呻くようにして言った。翠星石と蒼星石は、互いの顔をもう一度見合わせ、一瞬呆けたようになる。けれどもそれが過ぎれば、ジュンには結果的にお互いの絆を披露した形となる気恥ずかしさと、わずかばかりにジュンに覚える、「してやったり」という感情で、一つ苦笑。その苦笑が本物の笑いにまで育つのに、それほどの時間を必要とはしなかった。今は命のやり取りであるはずの、狩猟の真っ最中であることを疑いたくなるほどの、2人の静かながらに朗らかな笑い声が、洞穴の中に嬉しそうに跳ね回る。「……なあ、真紅」ジュンは、そんな2人を傍目に見ながら、声を潜めて真紅に尋ねる。「何かしら、ジュン?」「あの2人って、昔からああなのか?」「ええ……しばらく会わない内に、少し仲の良さがエスカレートし過ぎたようだけれどもね」血が繋がっていないとは言え、一応は翠星石と蒼星石の妹である真紅ですら、さすがに辟易した様子を隠しきれないように、ため息をついた。やがて双子の笑い声が、午前の陽光の溢れるこの洞穴の中にフェードアウトする。「ところで、翠星石」と、その直後に話を切り出したのは蒼星石。「こうなったら、僕は『あれ』を使おうと思う。いいよね?」「『あれ』を……ですかぁ?」蒼星石が求めた許可……というよりは同意の要請に、先ほどまで満ちていた翠星石の笑顔は、一気に曇り出す。渋そうな応答を行う翠星石に、それでも蒼星石は一度求めた許可を取り消すような様子は見られない。「僕が『あれ』を使ったからこそ、こないだの狩りで僕らはイャンクックを倒すことに成功したこと……忘れてはいないよね?」「けれども、『あれ』を使ったら、蒼星石の体にかかる負担がハンパじゃねえですぅ……!『あれ』を使わないで、フルフルをどうにかすることは出来ねえですかぁ?」「もし今それが出来たとしても――」翠星石が眉を歪めるも、蒼星石は翠星石の元に歩み寄り、そっとかがみ込む。「――いつか必ず、僕達がより強いモンスターと戦うようになるうちに、使わなくちゃならない日が必ず来るよ。僕は、今日こそが使うべき日なんだと思う」蒼星石は、『ランポスアーム』の金属部分が当たらないように気を付けて、翠星石の頬に指を伸ばす。この雪山に咲く『タンポポポ』の綿毛のように軽やかに、そして優しく、蒼星石は翠星石の頬を撫でた。「……今は、こんな状態の私が足手まといだから、それを補うために無茶をするですかぁ?」翠星石は、再びその瞳を揺らして、妹の慈しむような表情を目にする。「違うよ」蒼星石は穏やかな声の中に、強さを込めてそう言い切る。「姉さんがいてくれたから、僕は水銀燈を前にしたって逃げ出さずにいられた。姉さんがいてくれたから、僕はジュン君達が来てくれるまで、水銀燈に見苦しく命乞いをしないで済んだ。姉さんは、いるだけで僕に勇気をくれる。今こうして『あれ』を使う決意を固めさせてくれたのは、姉さんが僕にくれた勇気だよ」蒼星石は、もう一度肩越しに振り向き、首だけを真紅とジュンに向けて笑顔を咲かせる。「もちろん、真紅やジュン君だって助けてくれた。真紅はともかくジュン君とはほとんど初体面だけど、それでも姉さん以外の仲間がいてくれるのは、こんなにも心強いんだね」「……本当に心強いかどうかは、実際に一緒に狩りをしてから決めて欲しいもんだけどな。実力も見せてないのに、そう言われるのは何だか居心地が悪い」ジュンは、蒼星石の笑顔が眩しかったかのように目を反らし、眼鏡の位置を調整しながら間を持たせる。真紅はそんなジュンの行いを、奇妙なものでも見るかのようにしていぶかった。一旦は反らした己の顔を、徐々に戻しながらジュンは呟く。「まあ今の話の内容で、蒼星石がどうして双剣使いなのに小ぎれいななりをしているのか、納得がいったな。ちょっとフルフルと小競り合いをしただけだった、って可能性も考えてたけど、『あれ』を使わないで挑んでたんなら、当たり前の話だな」ジュンは言いながら、己のアイテムポーチをごそごそとまさぐり、目当ての薬が入った瓶を掴み取る。「蒼星石、ここに来る道中調合しておいたこれを使うといい。これがあれば、大分体にかかる負担が楽になるぞ」ジュンは、『ハチミツ』のような色合いの黄色い液体が満たされた、小ぶりの瓶を取り出した。「『生焼け肉』と『増強剤』を調合した『強走薬』だ。フルフルと戦う時にはこれを飲むといい」ジュンは言いながら、蒼星石にその瓶を差し出す。中の黄色い液体が揺れるのを見ながら、蒼星石は『強走薬』入りの瓶を受け取った。「それから、これも渡しておく。『ランポスシリーズ』の装備を身に着けてるってことは、蒼星石も調合はそれなりに出来るだろう?」「うん、ありがとう」蒼星石は言い、ジュンが次に取り出した二つのアイテムを続いて受け取る。ジュンが『強走薬』を調合する際に使った、陶器の瓶入りの『増強剤』……そして血潮のように赤い『怪力の種』を。「それから翠星石、お前にはこれだ」「え……?」突然に話を振られた翠星石は、間抜けな声を上げる羽目になる。ジュンはその翠星石の様子を見て、口元を歪めた。「あのなあ……怪我を承知で狩りをやらせろ、って頼んだ馬鹿はどこのどいつだ?まさか今更になって怖気づいたとでも……」「言うはずねえですぅ! さっさと翠星石にもそのアイテムをよこしやがれですぅ!」言うが早いか、翠星石の傍らに二つの袋が投げ落とされた。蒼星石にアイテムを渡す時とは違う無作法なやり方に、翠星石は一瞬ばかり苛立ちを覚えたが、その中身を改めることを先決とし、ひとまず手を伸ばす。「その中身は、『火炎弾』60発と『徹甲榴弾』が4発だ。両方とも、お前の持ってる『インジェクションガン』で発射できるよう、口径を調整しておいた。……ところで翠星石、お前は射撃の正確さには自信があるか?」「当たり前ですぅ! 翠星石は狩りを始めてこの方、蒼星石を誤射したことは一度も……」「最初に装填するのは『火炎弾』の方じゃない! 『徹甲榴弾』だ!」翠星石が喜び勇んで、ジュンの渡してくれた『火炎弾』入りの袋に、手を伸ばそうとしたのを制した。面白くないといった様子で翠星石は表情を歪めるが、ジュンは翠星石の口から文句その他諸々が噴出する前に、次なる言葉を先制して口に出すことにする。「――で、話を戻して、もう少し具体的に聞くぞ。お前はフルフルの頭部を狙い撃ちに出来る自信はあるか?」「あの頭を……ですかぁ?」フルフルの頭部を思い出した翠星石は、ジュンの出した要求より、フルフルの頭部の形状ゆえに言葉を詰まらせる。「出来るのか? 出来ないのか?」「……で、出来るに決まってるですぅ!イャンクックの頭だけを狙って、蜂の巣にしてやった翠星石の射撃テクをナメるなですぅ!」いきり立つ翠星石。ジュンはそれを聞いて、ようやく首を縦に振り、若干柔らかくなった声を放つ。「分かった。なら、当初ボクが組み立ててた作戦は、ちょっとアレンジするだけで大丈夫そうだな?」「ジュン、その作戦って――」今までしばらく黙っていた真紅が、ようやくのこと口を開く。ジュンは会話に入り込んで来た真紅に、淡々と切り返した。「『この状態の翠星石をチームに迎え入れて、フルフルを倒すための作戦を考えて頂戴』……だろ?どうせ帰れって言って聞き入れるつもりがないなら、やれるだけやってやるさ」真紅はそのジュンの宣言に、たちまち両の瞳を輝かせる。それでも、口にする思いは瞳の輝きを何分の一にも割り引いたような、控えめなものに留まるのだが。「さすがね、私が家来と認めただけのことはあるわ、ジュン」「だからボクはお前の家来になんて――!ああもうまだるっこしい! 今からボクの考えた作戦を説明するから、全員最後まで黙って聞け!質問意見その他の発言は、ボクが全部話し終わるまで禁止だ!!」とうとうジュンは我慢が限界に達し、ヒステリックにわめき散らすことを禁じえなくなった。
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