Scene10:フラヒヤ山脈―洞穴南西部―
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フラヒヤ山脈、洞穴南西部。このフラヒヤ山脈は、氷河によって削り取られた極めて急峻な山地である。よって山麓西部からのロッククライミングが出来ないのであれば、もはや人間には登頂出来るような山ではない。しかしロッククライミングを出来ない場合でも、山脈頂上に向かう道はあと一つだけある。それが、この洞穴。フラヒヤ山脈内の洞穴は南西部、南東部、北部の三つのゾーンに大別され、伸びている。蒼星石がこうして息せき切って逃げ込んできたのは、そのうち洞穴南西部であった。「……ぁ……はあ……はぁ…………」先ほど慌てて背のホルダーに戻した『ツインダガー改』の双刃すら、重たく感じる。その強度の割には驚くほど軽い『ランポスシリーズ』の防具さえ、今の彼女には辛い枷。それもそのはず。蒼星石は、その両腕で翠星石と翠星石の武器『インジェクションガン』を抱えて、ここまで引きずってきたのだから。いくらハンターの中でも、前線でモンスターと戦う役目を負う剣士であったとしても、雛苺ばりの怪力を持たない蒼星石にとって、鎧とアイテムで完全武装の人間1人とヘビィボウガン一丁の重さは、さすがに軽々と運べるものではない。せめてもの救いは、ここが比較的荷物を引きずりやすい雪山であったことだろうか。もしそうでなければ、こうしてフルフルから逃げ出す際にもたついて、その背後から襲いかかられてひとたまりもなく命を落としていただろう。むしろ、こうしてフルフルの追撃を受けることなく逃げ切れただけでも、奇跡に等しい僥倖である。蒼星石は、緊張の糸がぷっつりと切れてしまったように、その場に座り込んでしまった。蒼星石の後頭部が、こつんと凍りついた洞穴の壁に当たる。そこで、蒼星石はようやくこの洞穴南西部の全景を眺めるだけの余裕を取り戻す。この洞穴は、一言で言えば底の深いすり鉢のような作りになっている、と表現だろう。まず最外縁部は、人間が辛うじて1人走りながら通れるかどうかというほどの通路で縁取られ、その内側は切り立った氷の絶壁となっている。今蒼星石が座り込んでいるこの場所は、その絶壁に囲まれたすり鉢の底とでも言うべき場所。そのすり鉢の底の東部には、一段と高くなった幅広の岩棚があり、そこの上に存在するものは――。(――巣!?)蒼星石は岩棚の上にあったものを見て、顔から血が引くのを感じた。岩棚の中央部には、泥のようなものがうず高く積まれ、この洞穴の冷気で凍結している。蒼星石は、かつてテロス密林での狩猟の際、似たものを見かけた経験がある。雌の飛竜が自身の産み落とした卵を安置しておくための、巣。そんなものがここに存在することが、何を意味するのか分からないほどに蒼星石は愚かではない。蒼星石の全身が、がくがくと震え始める。先ほどは夢中でここまで逃げてきたが、よりにもよってその逃げ込んだ先が飛竜の巣であったとは。「――う……んん……」蒼星石の近くで、仰向けに倒れこんだままの翠星石が、苦しげな吐息を漏らす。蒼星石は、ようやく疲労感の去りつつある体を捻って、そちらを向いた。「翠星石……!? 目が覚めたの!? 怪我は大丈夫!!?」自分達のおかれた状況と実姉の覚醒とで、ともすればパニックになりそうな頭を必死に整理し、蒼星石は問う。声を上ずらせる蒼星石に、翠星石はただ弱々しくしか返答を行えずにいた。「……う……脚……が…………」それが、浅い呼吸であえぐしか出来ない彼女に出来た、辛うじての応答。蒼星石は、その言葉を聞いた瞬間に視線を一気に走らせる。「脚――!? もしかして……!」蒼星石は、言い終えるのとほぼ同時くらいに翠星石の左脚膝で視線を釘付けにされた。翠星石の装備するガンナー用脚防具『ゲネポスレギンス』の膝当てが、異常な捻じ曲がり方を見せている。よく見ればその膝当てに合わせるようにして、翠星石の左脚下部は、本来あるべき方向から外側に曲がり、その怪我の状況を訴えていた。「脚が……折れてる!」動転していた心がようやく落ち着きつつある蒼星石は、声になりきれない吐息を混じらせ、呻いた。翠星石の左膝は、砕けていた。おそらくは先ほどのフルフルの飛びかかりの際、フルフルの足にでも蹴飛ばされて強打されたのだろう。せめてもの救いは、翠星石が装備していた防具が『ゲネポスシリーズ』であったことだろうか。『ゲネポスシリーズ』に使われている『ゲネポスの鱗』は、比較的高い防電性を持っている。それが、フルフルの電撃によるダメージを軽減してくれた事はありがたい。また怒りの余り、フルフルの飛びかかりの狙いそのものが、正確さを失っていたのも大きい。もしあのフルフルの飛びかかりで、左膝を軽く蹴り飛ばされるどころの話ではなく、全体重の乗り切ったクリーンヒットをもらっていたなら、こうして今翠星石が命を落とさずにいる事は、できていたかどうか。何にせよ、あの一撃で平らにのめされた黒焦げの死体にならなかっただけ、翠星石は幸運な部類と言えよう。「……く、翠星石も下手こいたもんですぅ……」翠星石は、己の下した迂闊な判断に思わず歯噛みする。「翠星石……」蒼星石は翠星石の名を呼びながら、アイテムポーチから支給品の『応急薬』を取り出し、翠星石の左膝に注ぐ。液状の『応急薬』は鎧の隙間から翠星石の体に到達し、そのまま患部に染み渡る。険しかった翠星石の表情が、若干ながら和らいだ。「本当に……申し訳ねぇですぅ……」けれども、翠星石の表情は痛みを取り払われても、完全にほころびる事はない。翠星石は、一旦閉じたまぶたの向こう側で、妹とは左右対称のオッドアイを揺らしていた。蒼星石は首を横に振りながら、そんな姉をねぎらうようにして提案。「大丈夫。依頼自体は僕だけで続行する。翠星石は早くアイルー車を呼んで、ポッケ村でその脚を手当てしないと」「でも……!」翠星石は蒼星石の提案を素直に呑むことは出来ずにいた。ここで蒼星石の口にしたアイルー車とは、ハンターズギルドが狩猟を行うハンターに施している支援の一つである。ハンターがモンスターとの戦いで重傷を負い、自力での逃亡が不可能になった場合や、意識を失いそもそも逃亡そのものが出来なくなった際、同じく狩場に控えているアイルー達が、ハンターを即座に回収して、最低限の治療を施しながらベースキャンプにまで運び戻してくれるのだ。このシステムでハンターを運ぶのがアイルー車であり、この制度が確立されてから、ハンター達の生存率は飛躍的に向上したという。そのアイルー車を呼ぶことをためらう翠星石を見ているうちに、落ち着きを取り戻したのか、蒼星石の口調は徐々にいつもの穏やかなものに戻りつつある。「大丈夫。報酬のことなら気にしなくてもいいよ。それより、翠星石が生きてこの狩猟を成功させることの方が大切だからね」翠星石がアイルー車を使うのをためらう理由は、蒼星石には察しがついている。アイルー車を利用できるのは、一回の狩猟につき、実質上二回という制限が存在するためである。アイルー車によりハンターが回収された場合、その際ハンターにかかる治療費や手間賃として、依頼にかけられた報酬の三分の一が天引きされる。すなわち二回までミスは許されるが、三回倒れれば報酬は0。その依頼は失敗となる。ハンターの命という観点からも報酬という観点からも、可能な限りアイルー車を使う事態は回避せねばならないのだ。翠星石は砕けた左膝の痛みと己の迂闊さと、そして何より妹に迷惑をかけてしまったという思いで、瞳を潤ませる。「本当に……申し訳ねぇですぅ、翠星石……!」「構わないって、翠星石。最悪フルフルを狩ることができなくても、せめてランペさんだけは救助して僕は村に戻――」「その必要はないわぁ」蒼星石と翠星石の背後から、女の声。蒼星石は予想外の事態に一瞬背を震わせるが、それが終われば弾かれるように立ち上がり、振り向く。「もしかして、ランペさん!?」蒼星石はその声の正体をそう推理したが、「……違うですぅ……。この声は……」翠星石の弱い語調が否定する。いつの間にか蒼星石と翠星石の目の前に立っていた女――彼女は『ガルルガシリーズ』の黒紫の装甲で全身を守り、その背に大剣『セイリュウトウ【烏】』を負う。彼女の右隣に控えているのは、『ガルルガシリーズ』の黒紫色によく似た、禍々しい紫色に毛を染めたアイルー。『ガルルガシリーズ』をまとう女は、頭部の『ガルルガフェイク』を脱ぎ去った。銀髪赤瞳の、女に移り行こうとする十代後半の少女の顔が、そこに現れる。「水銀燈!」蒼星石は、黒紫の鎧を着る少女の名を叫ぶ。「どうして、テメーがここにいやがるですぅ!?」翠星石のその声は、明らかな刺々しさを帯びて叩きつけられる。『ガルルガシリーズ』で身を守る水銀燈は、一つ鼻で笑いながら、肩をすくめて見せる。「久しぶりねぇ、2人とも。こんなところで出会うなんて、奇遇だわぁ」水銀燈の目が妖しく微笑み、皮肉をたっぷりと込めた笑い声が漏れる。「さすが水銀燈、上手い事罠にハメるもんだね」水銀燈のオトモアイルー、メイメイは嘲る。ずい、と一歩前に出る水銀燈を前に、蒼星石は反射的に『ツインダガー改』を抜刀しそうになるが、こらえる。この背に負った武器は、モンスターを斬るためのもの。それを人に向けるなど、許されはしない。ぎり、と蒼星石は奥歯を軋らせた。ようやく収まってきた左胸の激しい鼓動が、再び蘇ろうとしている。「一体何を考えているんだ、水銀燈……!? そもそも、どうして水銀燈がここにいる!?」答えをはぐらかした水銀燈に、翠星石と同じ問いかけをする蒼星石。水銀燈は、剣士用の腕防具『ガルルガアーム』に包まれた右手の指先を妖艶に蠢かせ、答えた。「さあね? 少し頭を使えば分かるんじゃないかしらぁ?」「この問題は、ノーヒント。当てられたら拍手喝采、ってとこだね」メイメイが、底意地の悪そうな声で水銀燈に追従した。蒼星石は、この状況が意味するものの可能性を、即座にその頭の中で片っ端から想像してみる。そしてその中で一つの可能性を、掴み取る。蒼星石は、ぎょっとしたように叫んだ。「――まさか!?」蒼星石は、頭を稲妻で打たれるような衝撃で唖然となる。水銀燈は、実にご満悦、といった様子で酷薄に笑んだ。「そう、『ランペ』は私のことよぉ。フルフルの巣食うフラヒヤ山脈へようこそ、ってところかしらぁ?」鈴を鳴らすかのごとき、水銀燈の笑い声。翠星石は砕けた左膝を庇いながら、必死に地面に貼り付いていた上半身を起こす。折れた骨が神経をこする、寒気がするような痛みをこらえ、翠星石は言葉を絞り出した。「あのフルフルも、テメーが翠星石達をこの山に呼び寄せるために用意したってわけですかぁ……!」翠星石の吐いた声を、しかしメイメイは尻尾を揺らせながら否定する。「ちょっとばかし違うね。あたいらがこうしてポッケ村の近くまで来てみたら、たまたまこの山にフルフルのヤツも来ていた。その『たまたま』を利用して、水銀燈はあんたらをハメてやった、ってわけさ」その言葉を皮切りとして、メイメイと水銀燈の両手で甲高い金属音。彼女らの腕の中には、毒々しい紫色の粘液を塗りたくられた、投射用のナイフが現れる。「……『毒投げナイフ』!?」蒼星石は呻き、どう考えても友好的とは思えない2人の態度に、一筋の汗を流した。『ホットドリンク』の作用で高められた体温ゆえに、このような低温の洞穴でも、汗は凍り付く事はない。それを蒼星石自身がうっとうしいと感じる前に、水銀燈は話を切り出す。「さて、そろそろ本題に入りましょうか?単刀直入に言うわ……あなた達の持っているローザミスティカ、私に譲ってくれないかしらぁ?」その言葉遣いは決して強いものではないが、その中に込められた意味を勘違いできる余地など、双子には存在しない。「やっぱり、狙いはローザミスティカか!」蒼星石の表情には、すでに緊張が溢れんばかりに満ち満ちている。「翠星石達にこの依頼が回るように仕組むなんて、ヒレツなヤローですぅ!」翠星石は吐き捨て、水銀燈を睨み付けた。「別に、あなた達を狙ってやったつもりはないわぁ。試しに網を投げてみたら、その結果かかったのはあなた達二人だった……それだけのことよぉ」水銀燈の赤い瞳が、三日月のように吊り上がる。「で、どうするんだい? ローザミスティカを渡すのかどうか、答えてもらおうか?」手の中で『毒投げナイフ』を弄り回すメイメイは、論点がずれ始める前に確認するように双子に問う。翠星石と蒼星石……二組分のオッドアイが、水銀燈とメイメイを刺し貫かんばかりの視線を向けた。「そんなの渡せるはずがねえですぅ! 寝言は寝てから言いやがれですぅ!」「お父様が僕らに残してくれた宝物……そう簡単に渡せるものか!」2人の答えは、当然のごとくに一致していた。仮に双子の絆などなかったとしても、2人は口を「否」と言っていただろう。鎧の下……胸にかけられた赤の結晶の持つ意味は、それほどまでに重大なのだ。水銀燈は頑なな二者の返答を聞いて、呆れたようにため息を漏らす。だがその赤い瞳に焦りはなく、このくらいならば想定して当然という思いもまた伺うことが出来る。水銀燈は再び口を開き、更なる交渉に取り掛かることとなる。「あーら? あなた達も、今おかれた状況が理解できるわけではないでしょう?このままここにいればどうなるか、って事くらいねぇ?」「……!!」その言葉に、蒼星石は揺れた。水銀燈はそこに畳み掛けんとして、矢継ぎ早に言葉を放つ。「あなた達が逃げ込んできたこの場所は、飛竜が巣として使うにはちょうどいい場所よねぇ?さっきあなた達はフルフル相手に戦っていたみたいだけれど、そろそろフルフルも傷を癒すために、ここに戻ってくるんじゃないかしらぁ?」翠星石は水銀燈のその言葉を聞いて、今更のように首を周囲に巡らせる。そして岩棚の上にある、うずたかく積まれたまま凍りついた泥を見て、唖然となった。「げ……マジですかぁ!?」その事実に、蒼星石に続き翠星石もまた気付かされる羽目になる。岩棚の方を振り向いたまま唖然となる翠星石の耳に、じゃきり、という刃の鳴る音が届いた。水銀燈は、その背に負った『セイリュウトウ【烏】』の刀身を軽く叩き、その存在をアピールしたのだ。「ローザミスティカを渡しさえしてくれれば、あなた達に代わって私があの子を狩ってもいいわぁ。ギルドの側には、あなた達2人だけでフルフルを狩ったと報告しておけば、報酬の心配も要らないわよぉ。私はフルフルくらい軽くあしらえる自信があるし、何よりフルフルを狩ったくらいで得られる二束三文の報酬になんて、興味はないもの。どう? 身の安全も確保できるし、報酬も楽にもらえる……決して悪い取り引きじゃないはずよぉ」水銀燈はそう切り出し、2人の反応を伺う。水銀燈の「フルフルくらい軽くあしらえる」という言葉は、まず虚言ではないだろう。水銀燈がまとう『ガルルガシリーズ』は、フルフル以上の強敵である「黒狼鳥」イャンガルルガを狩れた者のみに、まとうことを許される。水銀燈のハンターとしての実力は、少なくとも頭二つ以上は確実に双子を上回っているくらい、それなりの時間をハンターとして生きてきた者になら、誰にでも推察することができる。この取り引き、乗れば確実に安全と報酬を同時に買えるだろう。しかし、当然のごとく翠星石と蒼星石の結論は変わらない。変えられない。「悪いけれども、このローザミスティカはそれくらいで譲れるほど安いものじゃないよ、水銀燈!」「そんなしょうもねー口車に、翠星石達が乗ると思うなですぅ!」水銀燈の、ある意味詐欺師じみた物言いに引っかかるほどに、2人はローザミスティカを軽んじてはいない。だがその2人の反論に、明らかに馬鹿にしたかのようなニュアンスを込めて、鼻を鳴らせるものも1人。メイメイは2人を嘲るようにして、水銀燈に代わり二の矢を継ぐ。「……ふん、あんたらも馬鹿だねぇ。そもそもこの状況に陥った時点で、あんたらに選択肢は残っていないんだよ」「何をほざきやがるですかこのインケンアイルー……!」「――ところで、あなた達はフルフルの詳しい生態を知ってるかしら?」メイメイの挑発に乗った翠星石の声は、その全てが放たれることはなかった。水銀燈は突然に蒼星石と翠星石から視線を外し、『光蟲』のランタンが照らす、この洞穴の天井を眺める。もちろん、それは突如として天井を眺めたい衝動に駆られたから、などというわけではありえない。それはさながら、水銀燈の独り言。聞き流すには余りに恐ろしい内容を含んだ、独り言。「フルフルは飛竜種の中でも、随分と特殊な生殖方法を行うことで知られているのよぉ。つまりハエみたいにして、その卵を獲物の体に産み付ける……王立学術院の資料にはそうあったわぁ」「それが翠星石達に何の関係があるんですか!?」翠星石は骨折した左膝に響くのもいとわずに、水銀燈に啖呵を切ってみせる。その啖呵を聞いた水銀燈本人は逆に吹き出すという、翠星石には酷く不本意な結果に終わったのだが。「まぁ、もう少し話を聞きなさぁい。ここから先が面白いところなんだから」「面白過ぎて、ションベンチビりそうになる事請け合いだね」メイメイが品位に欠けた物言いをする中、水銀燈は次なる言葉を放つ。「フルフルが卵を産み付ける対象は、この地方ならポポあたりが妥当かしらねぇ。けれども、人間に卵を産みつける例がないわけではないわぁ」水銀燈はその両腕を、『ガルルガメイル』に守られた胸の前でがっぷりと組む。「体内に産み付けられた卵はやがて孵(かえ)り、体内にはフルフルの幼体である『フルフルベビー』が生まれる。『フルフルベビー』は卵を産み付けられた獲物の、その内臓を食って成長し、内臓を食い尽くすと獲物の体表を食い破って、体外に脱出するわけよぉ」蒼星石の腹の中に、山盛りの『氷結晶』が詰め込まれたような感覚が走る。翠星石は水銀燈の言わんとすることを徐々に理解し始め、顔から血色を失い始める。「……結論を言うわ。このまま行くと、あなた達はほぼ間違いなく、ウジ虫に食われたときよりも悲惨な死体になるでしょうねぇ。男に乱暴されたままの格好で殺されるのと、どっちがましかしら?」「そもそも卵を産み付けられる前に、フルフルに一呑みにされちまう可能性だってあるだろうね。どの道、最高に悲惨な死に方が出来るだろうさ」水銀燈はそんな恐るべき光景を描くことに、ある種の快楽を得ているかのように笑みを浮かべる。メイメイの瞳には、本来アイルーが備えているべき愛らしさは、欠片ほども宿っていなかった。水銀燈は再び組んだ腕をほどき、その中に握られたままだった『毒投げナイフ』を威圧的に鳴らす。死刑執行人のような冷酷さを伴い、水銀燈は宣告を下す。「あなた達がフルフルに食べられてしまったなら、その後フルフルの腹をかっさばいて、消化されかけのあなた達の死体からローザミスティカを回収する。あなた達の体にフルフルが卵を産みつけたなら、穴ボコだらけになったあなた達の死体から、やっぱりローザミスティカを回収する。どっちに転んでも、ローザミスティカはもう私の手の中ってことは確定ねぇ」「決め付けるな! 僕らにはまだアイルー車って手がある!」緊張で表情を強張らせた蒼星石は、即座にアイテムポーチから小型の笛を取り出した。これが、アイルー車を呼ぶためのアイテム。これを吹けば、即座にアイルー達が迎えに来る。蒼星石は、大きく息を吸い込んだ。すかさず、アイルー車を呼ぶ笛にあらん限りの呼気を込めようとして――。その笛を握る右手手首に、紫色のナイフが突き立っていた。ナイフの刀身に塗られた毒が、蒼星石の傷口を侵す。「うああああああああっ!!」その激痛の余り、蒼星石は思わず笛を取り落とし、膝から地面にくずおれた。たとえ『ランポスアーム』で腕が覆われていようと、その関節部である手首部分に『毒投げナイフ』を食らえば、その装甲など意味を成さない。もう少し上質な鎧であれば、この一撃も防ぎえたかも知れないが、そんな話をしたところで詮無い話である。ぱきゃ、という音を立てて、水銀燈の履く『ガルルガグリーヴ』が地面に落ちた笛を踏み砕いた。「せっかく姉妹で水入らずの時間なのに、部外者を今更呼び寄せるなんて野暮じゃなぁい?」「く……この……ッ!!」右手手首に突き刺さった『毒投げナイフ』に手をかけた蒼星石は、奥歯そのものを噛み砕かんばかりの形相を浮かべ、その柄を一気に引き上げる。その時に右腕を駆け抜ける再度の激痛で、蒼星石は悲鳴を上げた。吐き気とめまいを覚えるほどの患部の灼熱感で、蒼星石は危うく意識を手放しそうになる。『毒投げナイフ』を引き抜き、それを忌々しげに投げ捨てた後でも、骨を削られるような痛みはいつまでも残る。鎧の下から溢れ出る血を、『毒投げナイフ』に塗りたくられた毒を洗い流す目的で、あえて止血しない蒼星石。彼女の右手首の下で広がる血の池を見て、翠星石は反吐が出そうなほどの怒りに駆られる。「『毒投げナイフ』を……モンスターを狩るための道具を人に向けやがるなんて!見下げ果てたゲス野郎ですぅ!」だが、そう叫ぶ翠星石の叫びは決して不可解なものではない。ハンター達の持つ武器は、人間の数十倍もの巨躯を誇るモンスターすら屠りうる、強力な武器である。けれどもそれを人に向けないように心がけることは、多くのハンター達にとっては、ほとんど無意識のレベルに刷り込まれた常識。木こりは木を切るための道具である斧で、人の首を切り落とそうとは考えない。鍛冶屋はその槌で武器を鍛えることはあっても、人の頭を叩き割ろうなどと、考えたことすらない者も多いだろう。ハンターが対モンスター用に作られた武器を人間に向けるということは、それらと同レベルの常識を持たないことを、自ら告白するも同然の行為なのだ。『ランポスアーム』を取り外し、患部から血液を絞り出す蒼星石。患部から無理やりに血を絞り出す苦痛に耐えるため、彼女は顔を歪めて歯を食いしばる。翠星石はそんな蒼星石に駆け寄りたいと願いながらも、砕けた左膝がそれを許してくれない。「蒼星石……耐えるですぅ!」半ば祈るような、切ない声で翠星石は言う。そこに、ずいと紫色の影が近付く。「――なんて、余裕の台詞をいつまでも吐いていられるとは思わない方がいいね、翠星石」「な……?」翠星石は、最初メイメイが何をしたのか理解できなかった。自身の右太ももに『毒投げナイフ』を突き立てられていた、その光景を見るまでは。メイメイは翠星石に近寄りざまに、『毒投げナイフ』を投げつけることなく、直接右太ももに突き刺したのだ。「!?」『毒投げナイフ』を突き立てられた右太ももを中心に、まるで体が内側から溶かされるような熱が広がる。翠星石は体をわなわなと震わせて、メイメイを虚ろに見つめていた。それが終われば、たちまち脱力。瞳から焦点が失われ、糸が切れたようにその場に倒れ込む。がしゃん、と翠星石を守る『ゲネポスシリーズ』の鎧が凍て付いた地面を叩いた。「――翠星石!?」右手首の傷口が紫色に変色し、平衡感覚が失われゆく中、蒼星石は叫ぶ。メイメイはそんな蒼星石の悲痛な声など聞こえぬとばかり、翠星石の懐からアイルー車を呼ぶための笛を抜き出す。その笛をメイメイから投げてよこされた水銀燈は、やはりその手の中で笛を砕いた。非人間的なまでにいびつな笑みで、水銀燈の顔が彩られる。「あらあら……。もともと怪我をしていた上に、ナイフを引き抜く力が残されていなかった翠星石の方が、毒の回りが早かったみたいねぇ」そううそぶく水銀燈の声には、いくら血の繋がりがないとは言え、妹に向けて当然の情けや容赦は一片たりとて含まれていないかのように、蒼星石には思えた。ぞわ、と蒼星石は全身に鳥肌を立てる。心の奥底に秘めていた、フラヒヤ山脈の万年雪よりも冷たいものが、一気にせり上がってくる。水銀燈は、手元に残っていた『毒投げナイフ』を、彼女のアイテムポーチの中にしまい込む。「さあ――、これであなた達に逃げ場はなし。『モドリ玉』もないなら、脚が砕けた上に毒が全身に回った翠星石を抱えて、この巣を抜け出すのは一苦労ねぇ?」蒼星石に冷酷に言い放った水銀燈は、2人に対して踵を返す。歩き出す水銀燈。メイメイは水銀燈に付き従いながら、必死に毒に抗う蒼星石に言い残した。「それじゃあ、あたいらはここであんたらがフルフルの朝メシになるところを、とっくり見させてもらおうか。その後死体を漁るなり、あんたらを食ったフルフルの腹をかっさばくなりすりゃ、ローザミスティカはめでたくあたいらの物、って寸法だね」メイメイは、けれどもその自身の言葉が蒼星石に通じているかどうか、確証はなかった。蒼星石のオッドアイは虚ろに濁り、ただれ始めた右手手首を押さえながら、荒い呼吸をこぼしている。苦痛に耐えるので精一杯の蒼星石に、人の話を聞けというのもまた酷な話だろう。メイメイに追随するように、水銀燈は一瞬だけ振り向き、肩越しに蒼星石と翠星石をその赤い瞳に映し込む。「……そうそう、やっぱり気が変わって私に助けを求める気になったなら、遠慮なく泣き叫びなさい。これから遠くに行く私にも、よく聞こえるくらいの大きな声でねぇ。今日の私は気分もいいし、あなた達がフルフルの餌になるまでなら、待っててあげてもいいわよぉ。今なら、『解毒薬』もサービスしようかしら?」水銀燈はその銀髪を、再び鎧の中にしまい込む。一旦は外していた『ガルルガフェイク』を、再び頭に持ってゆく。頭部で金属音を鳴らす水銀燈に、メイメイは盛大に肩をすくめて見せた。「よしなよ、水銀燈。どうせンなこと言ったって、2人には聞こえちゃいないさ」「あら……それもそうねぇ。私もちょっと考えが足りなかったかしらぁ?」水銀燈は『ガルルガフェイク』の中から自省の言葉を放つ。だが、その言葉の中に本当に自省の意がこもっているなどと考えるのは、余りにも浅はかとしか言いようがあるまい。メイメイは紫色の尻尾を振りながら、この飛竜の巣を退出する水銀燈に駆け寄った。「それに『毒投げナイフ』の毒で参っちまう方が先、って可能性だってある。ま、フルフルにしてみりゃ生きてようが死んでいようが、大した違いはないだろうけどさ」「そうならないように、少し毒の濃さは調節してみたつもりよぉ。あの子達をうっかり殺しちゃったりしたら、泣き叫びながら私にすがりつくところが見られなくなっちゃうじゃない」くすくす、と水銀燈は笑い声を漏らす。水銀燈とメイメイの背後では、地面に這いつくばった蒼星石が、ぴりぴりとひきつけを起こし悶絶しながら、それでも水銀燈とメイメイをにらみ付ける事だけは忘れてはいなかった。翠星石の顔面はすでに真っ青を通り越し、どちらかと言えば土気色に近くなっていた。水銀燈とメイメイがこの飛竜の巣を抜け出し、去った後。そこに残るのは、ただ不気味過ぎるほどに重くて痛い、静寂な空間のみだった。
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