お嫁さんの学校~第二幕~
第二幕1「はぁ……疲れた」蒼星石はソファーにどっとすわりこんで、壁にかかってカチカチなっているアナログ時計を見た。五時半。「……疲れた」もう一度呟いた。目を閉じて、体重のすべてを、柔らかい革の感触に沈み込ませる。このまま眠ってしまおうかと思ったけれど、もうすぐ夕飯の支度をしなければならない。たしか、今日は自分がご飯を作る当番の日だ。料理は好きだけれど、今は気分がのらない。億劫だ。なにも食べなくったっていいくらいだ。お腹が空いてないというか、何も感じない。もしかして、お腹なんてないのかもしれない。さっき落としてきたのかも。それなら、このなんとなく落ち着かない気分も納得だ。あるべきものがないのだから。そんな突拍子のないことを考えていると、いつの間に部屋に入ったのか、翠星石がエプロンを着けていた。「おかえりです、起きたですか」「ただいま。別に寝てたわけじゃないよ。……それより、今日の晩御飯は、僕がやることになってたと思うんだけど…」「蒼星石はお疲れみたいですから、翠星石がやってやるですよ」「…そう?それじゃあ、お願いするよ」「ええ、任せとけですぅ!」翠星石が握りこぶしでトンと胸を打つ様子を見ながら、蒼星石は、さっき雪華綺晶にあったことを言うべきか考えていた。――私ね、そのデートで、ジュンがどこに行くのか知ってる。水族館に行くそうよ。 彼女の言葉を思い出す。どうしてそんなことを知ってるのかといえば、ジュンのデートの相手が雪華綺晶だから、に他ならないだろう。雪華綺晶が、翠星石の地団駄踏む様子を聞いて嬉しそうに微笑んだのを思い返して、蒼星石はいまさらながら、ついさっきなくなったと思ったお腹の底から怒りがこみ上がってくるのを感じた。「性格悪いよ、ほんと」なるほど、翠星石が”あんなやつ”と言うはずだ。だが、ジュンは彼女とデートするという。「蒼星石?なにか考え事ですか?」翠星石が心配そうに言った。トントンと、包丁がまな板を打つ音が断続的に聞こえる。翠星石も料理が好きだ。きっと、苛立ちを料理で誤魔化そうとしてるんだろうと蒼星石は思った。「さっきね、雪華綺晶と会ったよ」音がぴたっと止まった。が、それもほんの2,3秒で、すぐにまた包丁の音が響く。「ジュンくんが今度でかける相手っていうのは、雪華綺晶だったんだね」「……ですぅ」「知らなかったな、あの二人がそんなに親しかったなんて」「二人で親しそうに話してるのを、何度か見たことがあるですよ」「へぇ」会話が止まる。蒼星石はため息をついた。 「それにしても、雪華綺晶か……」「……いけ好かないやつですよ」「従姉妹を悪く言うもんじゃない…といいたいところだけど、正直な話、同感だ。 ジュンくんはどうして、彼女と一緒に出かける気になったんだろう?」「ふん…。あの女、顔だけはいいですからね。 ジュンみたいなすけべぇは…ひっかかるんじゃないですか!」トン!とひときわ大きな音が蒼星石の耳を打った。どうやら、翠星石の包丁を握る手にずいぶんと力がこめられていたらしい。「ちょ、ちょっと…指を切ったりしないでよ…?」「指を切るな?私が何年料理してると思ってるんですか!」翠星石の声が大きい。明らかに苛立っている。蒼星石は、もうこの話はやめようと思った。それは翠星石も同じだったらしい。実際、それっきり、ご飯ができあがるまで二人はなにも話さなかった。2雪華綺晶は自室のベッドに横たわって、じっと白い天井を見ていた。「デート、ですか」ぽつりとつぶやく。どうやら自分がジュンとしようとしていることは、人からみるとデートとやらに見えるらしいことを、雪華綺晶はこれまであまり意識していなかった。少なくとも、デートだとはっきり考えたことはなかった。 「…デート、ですか」もう一度つぶやく。雪華綺晶は立ち上がると、クローゼットを開けた。中には、白を基調とした服がずらりと並んでいる。小学生がピアノの鍵盤で遊ぶように、右から左へ、左から右へ、雪華綺晶はぺらぺらと服を触れ回った。そんなことを一分ばかり続け、雪華綺晶は思った。「デートの前に、服を買おう」3晩御飯の後も、蒼星石はジュンと雪華綺晶のことばかり考えていた。同室で、翠星石が「ねぇ蒼星石、この漫画傑作ですよ」とか、「今やってた映画みましたか?私はもう感動しまくりですよ」とかいろいろ話しかけていたけれど、蒼星石は「ああ」だの「うん」だの上の空で、なにを言ってもそんな調子だったから、翠星石も”持病”がでたんだなと、話しかけるのをやめ、つまらなさそうに本を読み出す始末だった。「…二人がデートするにしても、いったいどうして、 雪華綺晶は僕に行き先を教えたりなんてしたんだろう?」ひとつは、デートの相手が自分であることを遠まきに言ってるのだろうと思ったが、なぜわざわざそんなことをするのかわからなかった。 「……僕たちを、誘ってるのかな。…なんのために? ジュンくんと二人っきりでいるところを、僕らに見せ付けるため?」いくら考えてもわからない。自分たちを挑発していることは、間違いないのだろうが…。――翠星石、翠星石って……あなたはどうなの?蒼星石。ふと、雪華綺晶の言葉が思い出された。それと同時に思い出したのは、あの透明な瞳、その中に映っていただろう自分の顔。「僕……か。……うん、僕も、きっと、ショックを受けていたんだ。 僕だって、ね……やっぱり、してみたいさ。ジュンくんとね。 別に好きだとかそんなんじゃない……けど。 ああ…でも、もしもジュンくんが僕のことを…ありえないけど、もしも……」∴「ジュンくん、待ったかい?」「いや、今来たところさ」僕が駅前の約束していた噴水に着くと、ジュンくんは手を振って迎えてくれた。でも、今来たなんて嘘。だって、僕はずっと見てたんだ。実をいうと、約束の30分も前に、僕はここに来ていた。こんなはやくに来るなんて、バカだと思う。けど、初デートの緊張を、待ってる間にほぐそうと思ってたのさ。それができなかったのは、目的の場所についたとき、もう既にジュンくんがいたから。僕は嬉しくて、心臓が飛び上がりそうになった。すぐにでも駆け寄って抱きしめてもらいたかったけれど、それをぐっとこらえてね、様子をみることにしたんだ。ふふ、趣味悪いよね。でも、それは楽しかった。ひっきりなしに時計を見る彼の姿が、とても愛おしくて。「蒼星石?」「…あ、ごめん」ジュンくんが不思議そうにしている。しまったな、妄想癖は翠星石の専売特許なのに。いけないいけない、今は目の前にいるジュンくんに集中しないとね。そう思ってジュンくんの顔を改めて見ると、彼の目がずっと僕を捉えていることに気づいた。「……え」みるみるうちに、紅潮していく自分がわかる。なんだか恥ずかしくなって、僕は隣できらきらと光を照り返している噴水を指差した。「ねぇ見て、ここの噴水、いつ見ても綺麗だよね」「綺麗?いや……こんなもの、君の美しさの前ではかすんでしまうさ」「……へ!?」「そのスカートも、すごくよく似合ってるよ……」 ∴「あーーー!!!!」「そそ、蒼星石!?どうしたですか!?なにかあったですぅ!?」「…あれ?翠星石?どうしてここに?」「どうしてって……翠星石が家にたら悪いですか」「……ああ」蒼星石はいつのまにか妄想モードに入り、しかも興奮のあまり大声を出したことに気づくと、妄想の中の自分よりも恐らく何倍も真っ赤に縮こまってしまった。「……まぁ…何を考えてやがったのかは、聞かないでおくです…」「う、うん」蒼星石はうなずくと、少し躊躇ってから、言った。「…ねぇ、雪華綺晶は、ジュンくんのこと、好きなのかな」「……いきなり、なんです?」こんな話を切り出したのは、一つには話を変えたかったからだが、やはりなんといっても、ジュンと雪華綺晶の関係が、蒼星石にはずっとひっかかっていた。あの底意地の見えない少女は、なんのつもりでジュンに近寄ったのだろう?――恋?まさか。蒼星石には、雪華綺晶にそんな感情があるなんてことは考えられなかった。というより、おおよそ人間らしい一切の感情を有していると思えなかった。けれど、そんな彼女とジュンは、自分もしたことがないデートを、ジュンとやろうとしている!「……雪華綺晶のことなんて、翠星石には関係ないですよ」「ほんとに?ほんとにそう?」「…どういう意味です」「ジュンくんと雪華綺晶が、付き合っても?」「……!」 翠星石に、明らかな狼狽が見て取れた。そんなことは想像したくもないとでもいいたげに、しかめっ面をしている。「ふん、お互いが好きあってるなら、どうとでもなりやがれですっ!関係ねぇですよ!!」「ふぅん……翠星石は、ジュンくんのこと好き?」「は、はぁ!?蒼星石、さっきからなんなんです、なんだかおかしいですよ」蒼星石はまっすぐに、戸惑う翠星石を見据えて、「今日、雪華綺晶と会ったことは言ったよね」「ええ、聞いたですよ」「彼女、なんていってたと思う?」「…?さぁ……」「誘いを断られた君のことを、ひどく嘲笑っていたよ。とても楽しそうにね」「……!!」「僕は、彼女がジュンくんのことを好きだとはどうしても思えない。 ジュンくんのことを弄ぶつもりじゃないかとすら思うんだ」「い、いくらなんでも、そんなことは…」「ないといえるかい?」翠星石は黙りこくって、床に目を落とした。「……彼女は、綺麗だから。見た目だけはね。ジュンくんが騙されないとも限らない。 …僕は、そんなことには到底耐え切れそうもない。…友達、そう、友達が、そんな目にあうなんて」「蒼星石……」「だからね、僕は思うんだ。……翠星石が、ジュンくんの恋人になったらいいんじゃないかって」「…………え?」「聞こえなかった?翠星石が、ジュンくんの恋人になったら…」「ほ…ほあーっ!?」 苦情がきそうな叫び声で蒼星石の言葉をかきけすと、翠星石は首をぶんぶん横に振りながら、やはり大きく、そのうえにキンキンと甲高い声をあげた。「すすす、翠星石があんなチビのこここ恋人だなんて…!」「ジュンくんのこと、嫌いかい?」「き、嫌いじゃあねぇですけど…」「雪華綺晶に、ジュンくんが遊ばれてもいいの?」「そういうわけじゃ……」「そのほうが、きっとジュンくんのためなんだよ」「ジュンの……ため」「そう、ジュンくんのため」両手で頬をおさえ、翠星石は目をきょろきょろとさせながら、ジュンのため、ジュンのため、とぶつぶつ呟いた。「そのために、僕も協力するよ」「協力…?」「君とジュンくんが恋人どうしになれるようにさ。ジュンくんのためだよ」「そ…そうですね、翠星石と恋人になれるなんて、あの野郎にとってはこれ以上ないくらいの幸せです! ま、まぁ…このままほっといて雪華綺晶なんかのおもちゃにされるのは、 その、翠星石としても可哀想に思わなくもないですから……ええ!」「うん、その調子。僕も、できるだけのことはするから」「……ジュンのためです!」握りこぶしをつくって、恋に燃える姉を見ながら、蒼星石は不思議と冷めた己を見て、これでいいんだ、と思った。「……さて、そうと決まれば、明日からがんばらないとね。…あれ、翠星石?」「恋人…ジュンと、恋人……」「ねぇ翠星石…おーい…」「恋人……」 ∴「ジュン、待ったですか」「いや、今来たところさ」私が駅前の約束していた噴水に着くと、ジュンは手を振って迎えてくれた。でも、今来たなんて嘘。だって、私はずっと見てた。こんなことは絶対ジュンには言えないけれど、約束の30分も前に、私はここに来ていて。こんなはやくに来るなんて、バカだと思う。けど、デートに遅れて、だらしのないやつだって思われたらしゃく。どうせ眠れなかったし、はやくいくことにした。それなのにこうしてるのは、目的の場所についたとき、もう既にジュンがいたから。私はびっくりして、心臓が飛び上がりそうになった。すぐにでも駆け寄って……飛び蹴りでもくらわしてやろうかと思ったけど、それをぐっとこらえて、様子をみることにした。われながら、趣味が悪いかもしれない。でも、それは楽しかった。ひっきりなしに時計を見るジュンの姿が、とても愛おしくて。「翠星石?」「…ほぇ?」ジュンが不思議そうにしている。しまった、妹の妄想癖がうつってしまったのだろうか。いけないいけない、今は目の前にいるジュンだけを見ればいいんだ。そう思ってジュンの顔を改めて見ると、その目がずっと私を捉えていることに気づいた。「……え」みるみるうちに、紅潮していく自分がわかる。なんだか恥ずかしくなって、私は隣できらきらと光を照り返している噴水を指差した。「じゅ、ジュン、どうでもいいですが、ここの噴水、いつ見ても綺麗ですねぇ」「綺麗?いや……こんなもの、君の美しさの前ではかすんでしまうさ」「……ほぇ!?」「その服も、すごくよく似合ってるよ……」 ∴「ほぁーーっ!!!!」「すす、翠星石!?どうしたの!?なにかあったの!?」「…あれ?蒼星石?どうしてここに?」「どうしてって……僕が家にいるのは当たり前じゃないか」「……あ……わ、わかってるですよ!ちょ、ちょっとした冗談です、あは、あはははは……」「そ、そう……ならいいんだけど……」両手をぶんぶん振って取り繕う翠星石を見ながら、蒼星石は、この表面上は似てない姉との血のつながりを色濃く感じるのであった。 第一幕 戻る 第三幕
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