「二人の庭師がいる国」
「ぶぇっくしょん!」ベッドの上でタオルを体に巻いた少年が盛大なくしゃみをする。その声に小鳥が驚いてバタバタと飛び立った。「う~…ズズ」鼻水をすする少年の横にはびしょ濡れのトレーナーとジャージのズボンが干されていた。そのまた横には帽子が洗濯バサミで吊されている。「ジュン…私はね、今、まさに怒髪天ってヤツだよ。髪なんか無いけどさ」「…ごめんなさい」雫の滴る帽子に説教され頭を下げる全裸にタオルの少年。端から見れば随分とシュールな光景ではあったが、「まあまあ、あの湖には結構落ちる輩がいるんだよ。あんまりにも綺麗だから覗いてるうちに入っちまうんだと」2人を助けてくれたおばちゃんは笑って言った。「でもまあ、あんな勢いよく飛び込んだ人は初めてだったねぇ。あっはっは」「・・・」「飛んだもんね。びゅーんと。私を吹き飛ばして。もらいモノも無くしたしね」「・・・」ジュンと呼ばれた少年は黙ってうつむく。「ま、ここでゆっくりするといいさね。旅の人なら風邪は御法度だろう?お金なんか取りゃしないしさ」「ホント、ありがとうございます。何から何まで…」帽子からする女の子の声におばちゃんがまた笑った。「なぁに、いいもの見せてもらったからねぇ。この国も景色はいいけど、あんなアクロバティックはなかなかお目にかからないからさあ!」「・・・」度重なる攻撃に打ちのめされるジュンをよそに、帽子のアリスはうっとりと呟く。「ですね…本当に綺麗な景色です」ベッドの上にある窓からは、辺り一面に咲く色とりどりの花がそよ風に揺れてその色彩を瞬かせていた。 第三歩「二人の庭師がいる国」―さて、一人旅では何かと心配があるだろう。特に君なんかは…わからない―おっと、今の君だからこそ心配などしないのか。…たが、それでもいいのかもしれないはあ―そんな君に同行する者を紹介する。二人で旅をして、色々と見てくるといい。その後の事は、君自身が自ずと決めることになるだろうがね…はあ二人が金糸雀からのプレゼントを開けだのは、城を訪れた翌日、出発の朝だった。『…なんだろ?靴に車輪と変なパネルがついてる』『ローラースケートじゃない?コロコロ~って滑るヤツ』『あ、待って。説明書が…』ジュンが読解に挑戦し、程なく断念。少し得意気なアリスが読み上げたところによると、太陽光発電の自動ローラースケートといったものだった。このソーラーウォーカー(注・自動小車輪靴。空を飛ばないものだけを指す)は太陽光をパネルに当てて充電すれば、靴から伸びるコントローラーを使い楽に坂道なども登ることができるようだ。 『へー!あの子が作ったのね。いいものもらったじゃないの』『うん。次の国は山の向こうって聞いてたから助かるよ』ジュンが嬉しそうにその靴を持ち上げると、そこには“エルメス”という名が刻まれていた。出国したジュンは早速装着し、期待を胸に目の前の山道を見る。『よし、いくよエルメス!』『いけージュンー!』勢い良く手元のアクセルを握りしめる。何も起きなかった。『…どうしたの?』アリスが聞く。『多分…充電されてないんじゃないかな…』『…歩きなさい。親からもらった足で』『…はい』その後もこのエルメスは、少ない平地で走らせていると坂道の直前でバッテリーが切れたり、やっと充電し終わったと思ったら坂道が終わったりで効率的に働いてはくれなかった。 そして、『あ!ジュン!やっと見えてきたよ』平地をエルメスで走るジュンの頭の上で、紐で飛ばされないよう縛ってあるアリスが声を上げる。『うん、ようやくだ。アリス、目の前に湖もあるよ』『わっ!キレイ!』アリスが言った後、『ねぇ、そろそろ曲がった方がいいんじゃない?』『・・・』ジュンが黙る。それをいぶかしんでいたアリスだったが、『曲がり方…覚えてない…』『へ?』次の瞬間にジュンと仲良く2メートルの高台からすっ飛び、アクロバティックな入水を決めた。それからおばちゃんに助けられるまでにジュンはエルメスを湖に沈めてしまい、その性能を半分も出せなかった遺憾を胸に適当な石にこう綴った。すなわち、“エルメス、ここに眠る”アリスは乾いたがジュンの服がまだだったので、おばちゃんに旦那さんのお古を出してもらった。おばちゃんいわく、『うちの旦那の方若い頃の方がかっこいい』とのこと。 お礼を言ってから二人はアリスの要望でこの国の散策をすることにした。「わぁ…やっぱりお花だらけ…綺麗」この国は山々に囲まれ外敵の対策がいらなかったので、城壁の代わりに花壇を並べたのだという。その花に囲まれた国の中も優しい色合いの家が規則的に並び、農業が盛んな事もあって国が一つの庭を形成しているようだった。「ん、今度はちゃんと人が居るね。ジュン、随分遅くなったけどこれが一般的な国の在り方なの。まあ普通はこんなに華やかではないけどさ」「ふうん…何か眠くなる」「…ま、男の子だしね」「?」ジュンが花壇に沿って歩いていると、少し向こうで花の手入れをしている人が見えた。栗色の巻いた長髪が綺麗な女性だった。「ねぇジュン。行ってみようよ」「わかった」近付いてみると、その女性は大きな如雨露で水をやっているところだった。「すみませーん」「ん?何です…かぁあああああ!」アリスが呼びかけ、その女性が振り向いたと同時に叫び声をあげた。ジュンが首を傾げた時、「あ」靴が、足元の花壇に入った。そしてこの国に、再び叫び声と、鈍い衝突音が響いた。『私?そ。日本には小さい頃に来たの。お陰様で故郷の言葉は話せなくてね。すっかり日本人になっちゃった』『親は仕事よ。まあそれで日本に来たんだから当たり前だけどさ。家では大抵一人かな』『君、もしかして学校でいじめられてるクチかい?ふふっ…私も色々苦労してるの。転校も多いしね。見た目もこうだしさ』『さて、今度は君の事教えてよ。何でもいいから。え?そーだなー、まずは…』「ん、目ぇ覚めたですね」ジュンがベッドで目を開けると、先程の女性の顔があった。「先に言っときます。正直、やりすぎました。ごめんなさいです」「え?えっと…」状況把握が全くできないジュンにお腹の上に乗っかっていたアリスが説明する。「自分のおでこと、あの凹んだ如雨露から導き出されることは?ちなみに、君はまる1日以上寝てました。まあ疲れもあったんだろうけど」ジュンが恐る恐るおでこに手をやると、ぷっくりとした手触りの後に痛みが走った。「…ごめんなさい。えっと、」「翠星石です」「ごめんなさい、翠星石さん」ジュンが素直に謝ると、「もういいです。旅人に怪我させちまったですし…治療費なんかは持ってやるですよ。薄給の身ですがね」多少言葉に棘はあるが、許してもらえたらしい。「ジュン、この人はお城付きの庭師なんだよー」ジュンがやや驚いて目を向けると、翠星石は自嘲気味に笑った。「大したモンじゃねーですよ。この国にはもう一人お城付きは居ますし。それに…」待っても翠星石が話し出す様子が無いので、アリスが話題を降る。「そういえばお城付きでも道の花の世話をしてましたよね?」「ですよ。この国の半分の花は翠星石が管理してますから」「は…半分!?」アリスが呆然と叫んだが、翠星石は軽く受けた。「です。この国はシンメトリー、左右対称に設計されているのに気づきませんでしたか?その西側を受け持ってるんです。だからお給料もいい感じです」「・・・」まだ少し根に持っているようだ。言葉に詰まったジュンをよそに、翠星石は鞄をあさりだし、「お詫びと言ってもこの国にには大した物はねーですし、旅の邪魔かとも思ったですが…やっぱり翠星石は庭師なので」小さなバスケットに飾りつけられた花束を出した。「やるです。売ってお金に変えてもいいですよ」「うわー…綺麗…」「うん。これは凄い」そのバスケットは小さいながらも、花園と言えるくらいの色彩に溢れていた。「綺麗だと…思いますか?」「え?」二人が顔を上げると、翠星石は目線を合わせずにもう一度言った。「綺麗だと…思いますか?」「ええ、それはもう」「思うけど」二人はそう答えたが、翠星石はうつむいたまま立ち上がり、もう一度詫びてから部屋を出て行った。「どうしたんだろ。綺麗なのに」ジュンがバスケットをまじまじ見つめる。「うーん、まあ素人にはわからないビミョーなこだわりがあるんじゃないかな?私も綺麗だと思うけど」ジュンはバスケットをテーブルに戻しながらそんなもんかなと呟いた。「でさ、今日は安静にしとくとして、明日はどうする?」「うん…もう一人の庭師に会ってみようと思ってる」「翠星石さんが言ってた、二人目の城付きの?お城には行かなくていいの?」「お城に行けば会えるかもしれない」アリスが納得すると、ジュンが布団に潜り込む。「やっぱり…まだ痛いな。とりあえず寝るよ」「どーぞ。かぶってくれれば撫でてあげるけど?」「謹んで遠慮します」その日の会話はこれで終わった。翌朝、夕食を食べ損ねたジュンが二人前の朝食を平らげ、先ずは観光をしようという事になった。おばちゃんには既に連絡を入れていたので(国中の噂になってはいたが)問題なかった。 貰ったバスケットと一緒に荷物を預け、頭の包帯を簡単なものに変えてからアリスを手に持って外へ出た。「本当だ。気付かなかったけど、お城の時計台を中心に左右対称になってる」ぶらぶらとお店を回った後で、お城から伸びる道にある中央広場の階段を上がると国の全体を見渡すことができた。「ふむふむ、いわゆる一つのアートだね。…あ、見てジュン!お城の右側の花壇!」ジュンが言われた通りに視線をやると、翠星石とは違う人が作業をしているところだった。「ちょうどいいや。よし、じゃあ訪問するとしようか」「その包帯を見れば多分顔パスねぇきっと。説明が省けていいじゃないの」アリスは冗談半分に茶化したが、まさしくその通りになった。ついでにうちの者の非礼をお許しください。その代わり昼食は是非こちらでお取りくださいとも言われた。 「代金は翠星石さん持ちかな?」アリスがジュンにしか聞こえないように呟くと、ジュンも小声で返した。「財布はあったかそうだったから、この人達の御好意に甘えよう」食事中、さりげなく二人の庭師について聞いてみた。すると国王はいたく二人を気に入っているようで、国の宝だと熱弁を振るった。「いやいや、彼女達の父母君も素晴らしい庭師でしたが、彼女達はその上をゆくと確信しております。良い時期に王座につきました」「翠星石さんにはお会いしましたので、是非もう一方にもお目にかかりたいと思っているのですが」ジュンが言うと国王は大きく頷いて、「どうぞどうぞ。この国の誇りをご覧ください。丁度今この宮殿の庭の手入れに戻っているはずです。良ければ行かれてみてはいかがでしょう?」「では…失礼します」食後の紅茶を急いで飲み、案内されたベランダの庭園に向かった。「あ、ここだ」城の兵士に途中まで案内してもらい、あの突き当たりを右ですと言われた場所に立つと、右手ねガラスのドアから日の光に照らされ、その色を一層瞬かせる花達が見える。 そしてそこには、栗色のショートカットの庭師が大きめのハサミで草花の手入れをしているところだった。「やあ、こんにちは。ジュンさんですね?噂は耳にしています。僕は蒼星石。この城付きの庭師をやっている者です」ドアを開けると、待っていたかのように庭師が振り向いて挨拶をした。「私はアリスです。よろしくね」「その…ジュン、です。噂については自業自得ですけど…あはは。そ、それで蒼星石さんは庭師の仕事は長いんですか?」蒼星石はゆっくり頷いた。「はい。この国の庭師は…と言っても二人ですが、代々その技法を子供に受け継がせるという風習があるので生まれながらの庭師という事になりますかね」「凄いですねー。じゃあ翠星石さんも?」蒼星石が答えるまでに、数秒の沈黙があった。「…はい。彼女も…そうです」アリスがジュンの耳元で『話題を変えなさい!』と小声で叫けぶ。「あ…えと、お花、綺麗ですね?」「そう…思いますか?」「え…」ジュンは少し考えて、答える代わりに質問を返す。「思いませんか?」蒼星石はにっこりと笑って言った。「はい、僕も綺麗だと思いますよ。彼等はとても頑張って咲いてくれています。ただ…もっと美しく咲くこともできますけど」「今は、出来ないんですか?」蒼星石は花々を見つめたまま黙った。再びの沈黙にアリスが小声で怒鳴っていたが、しばらくして蒼星石は二人の方を向いた。「出来ます。僕はその方法も知ってますし、それは今すぐにでも可能な事です。そしてそれをすれば、西側も東側の花もより可憐に咲くことができるでしょう。でも…僕等はしてません」 蒼星石はハサミを片付け、作業用エプロンを脱いだ。「ジュンさん、アリスさん。立ち話も何ですから、僕の家に来ませんか?」王様に挨拶をして城を後にし、三人は東側にある蒼星石に家に行った。アリスが見覚えのある建物だと言ったので、ジュンが西側を指差す。中央通りを挟んだ反対には、翠星石の家があった。 「この国で採れるハーブで沸れたハーブティーです。アリスさんにも何かお出し出来ると良かったのですが…」「いえいえ、お構いなく。それで、私達を連れてきたって事は話しがあるって事でしょ?」蒼星石がジュンと反対のテーブルの席に座る。「…はい。僕等庭師の事についてです。もちろん、お二人に興味があればですけど」「聞かせてください」「私も興味あります」蒼星石は少し目を閉じた後、「わかりました。ただ、今から話す事はこの国の人達には言わないでいただきたいのです」二人はすぐに合意した。「…この国が左右対称の庭園をモチーフに設計された事はご存知だと思います。ですが昔は今のように東西で庭師が分かれている事はありませんでした。比べてみるとわかるのですが、同じ種類の花でも東側と西側では咲き方に違いがあるんです。それは、翠星石は養分や土質、僕は植え方や手入れに特化した技術を親から受け継いでいるからなんです」 「だったら…」アリスが呟くと蒼星石は頷いた。「僕等の親の世代までは僕の家と翠星石の家が協力して花を咲かせていました。僕も小さい頃にその花を見た記憶がありますが…本当に素晴らしかった…今の花よりも遥かに…」 そこで遠い眼差しと笑みを打ち切って、無表情に戻り二人に向き直った。「変化が起きたのは10年ほど前です。親は僕等が一人前になったからと言って他の国を巡る旅に出ました。きっと今もどこかで花を咲かせているでしょうね。…そしてその旅立ちと同時に、この国に咲いていた花々を僕等二人が全て植え替えたんです」「植え替えた?」「ええ。と言ってもただ場所を変えただけでしたが。それまでは様々な種類の花が無作為に咲き乱れていたのを、この国のシンメトリーに合わせて東西に同じ種類がくるようにしたんです」 アリスが部屋の窓から外を見る。「ああ~確かに。でも良いことじゃないの?それって」「…はい。王様も国民も皆さん喜んでくださいました。この国の歴史に残る偉業だと…。ですが、それをしたのは、ただの自分勝手で傲慢な理由からだったんです…」「と言うと?」蒼星石は目をつむった。「僕等は…どちらがより草花に感謝され、愛されているのかを知りたくなったんです」目を開ると自分のカップに紅茶をつぎ、ジュンにもおかわりを勧めた。ジュンは、どうも、とカップを差し出す。「この国にこんな言葉があります。“良い庭師とは、花を愛し花に愛される者だ”、と。あの頃はお互いに受け継いだ自分の技術に絶対の自信と誇りを持っていましたから…つまり、どちらがより綺麗な花を咲かせることが出来るのかを競ったんです。左右に自分達の領地を均等に分けて」 「それで、どうなりました?」ジュンが声を少し低くして聞く。「ゆっくりとした変化だったから…みんな気付かなかったんでしょう。ですが、僕等庭師にはすぐにわかりました。段々と元の美しさを失っていくのが」蒼星石は辛そうに首を振った。「あの時愕然としました…親が残した花を劣化させている事や、もしかしたら自分の受け継いだ技術翠星石のに比べは草花にそれほど必要とされていないんじゃないかという不安に。 ですが、その頃の翠星石の育てた花を見てようやく気付いたんです。間違っていたのは僕ではなく、“僕等”だったということに」「・・・」「恐らくは翠星石も気付いたでしょう。僕もまた協力して育てたいと思いましたから、向こうも思ったハズです。でも…」蒼星石は悲しげに微笑んだ。「ダメなんです…。愛して、愛して、自分の全てを注ぎ込んだ花達を見ていると…愛されたい、と思ってしまうんです。自分を、一番感謝して欲しくなるんです…」∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽小さな国にお姫様と二人の兵士がいました。ある日、城へ戻る途中の森で賊に襲われてしまいます。二人の兵士はお姫様を馬に乗せて逃がし、一人が賊の半数を殺し、もう一人が残りの全員を殺しました。森を抜けたお姫様は、後からやってきた兵士一人と無事に城へ帰る事ができたのです。その後二人は、身分の差はあれど幸せに暮らしたのでした。∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽「僕等は庭師失格なのかもしれないですね。花のために出来る事があるのに、傲慢な理由からそれをしないなんて…こんなに好きなのに…愛しているのに…。ダメなんだ…思うようには、昔のようには咲いてくれないんだ…」 ジュンが引き出しの上に写真立てがあるのを見つけた。二人の少女が笑って花畑に寝転がっている。「ああ…僕と、翠星石です。小さい頃はよく遊んだんですよ。今はもう…何年もロクに話してない気がします」同じように写真を眺めていた蒼星石が不意に立ち上がり、部屋の奥から包みを持ってきた。「お詫び…と言う程のものではありませんが、良かったら」渡された包みをジュンが開くと、小さなバスケットに花が飾られていた。「旅の方々へのプレゼントには向かないでしょうが…やっぱり僕は庭師なので」二人はお礼を言って席を立った。家を出る時に蒼星石が、何かご用意があればおっしゃってください、と笑顔で言った。「またお花もらっちゃったね。じゃあとりあえず、荷物持っておばちゃんのトコに行こうか?」「その前に…」ジュンが言った。「服を買おうかな」「へえ?どうして急に」アリスが聞く。「ん…いや、僕はあの服しか持って無いし…もっと旅に適した物があると思うし…あの服も随分とくたびれてきたし…」「ふぅん…ま、それには賛成かな。ジャージとトレーナーじゃ私の魅力が出せないしね。ここは一つビシッと決まるヤツを買いましょう!よし、私が責任を持って選んであげよう!」 「…怖いからいい。僕が決める」「なんでー!?」翌朝、ジュンは買ったものをリュックに詰めて支度をした。おばちゃんにはお世話になったお礼として翠星石からもらったバスケットを渡した。おばちゃんは『あら、旦那のプロポーズの方が情熱的だったねぇ』と笑った。 家から出たジュンはシャツの上に着ている黒いジャケットの襟を正す。腰にはベルトが巻かれ、ナイフの鞘がかけられていた。「よし、行こうか」歩き始めたジュンにアリスが声をかける。「ジュン、あれ見て」「ん?」ジュンが顔を向けた先には翠星石が立っていた。中央道路の真ん中で東側の、蒼星石の花を眺めている。「ん、…ああ、もう行くですか?」こちらが声をかける前に向こうが気付いた。「はい。頭の傷も見た目より酷くなかったみたいで」翠星石は笑って、「きっと、投げたヤツの腕が良かったんですね。…ところで、家の新しいカーペットの購入を来月まで待たなくちゃならんことになったんですが…あ、花瓶ならそこにありますですね。他にリクエストがあれば」 ジュンは丁重に断った。「ま、翠星石としてもこれ以上の出費は流石に勘弁ですぅ。それで…蒼星石には会ったですか?」「はい。色々話しを聞かせていただいて、このお花をもらいました」差し出されたバスケットを、翠星石はゆっくりと眺めた。「…また腕を上げたですね。前よりも葉の色がいいです」「でも、まだ足りない?」栗色の長髪の庭師は目をつむったあと、ゆっくりと頷いた。「翠星石さん。その…蒼星石さんと二人で育てていた時期はあったんですか?」「ですよ。修行中もそうでしたし、一人で世話できるようになってからもしばらくは。そりゃもう蒼星石と二人で夢中になって育ててやりましたよ。チビ花達もいい感じに咲いてくれました」 「…どうして?」アリスが耳元で何か言ったが、翠星石はそれを止めた。「別にどうという事もないんですけどね。ちょっとした事で気付いちまっただけですよ…自分達の気持ちに」翠星石は視線を上げ、花の咲き誇る国を見渡した。「愛情なんて…意識しないうちが華ですぅ」城の時計台から鐘の音が響き渡たり、国がにわかに活気だす。西側で布団を干す女性に、東側で店を開店させる男達。その皆が国中に咲き誇る花に目をやり、微笑んだ。 「難しい事はよくわかりませんけど、この国の花はいい花だと思います」ジュンが言うと、翠星石が笑う。「そりゃあ、あれだけ丹精込めて育ててるんですから。ちったぁ国の為になってもらわないと困るですよ」それから目を少し細めて、小さく呟いた。「ごめんなさいです。おチビ達…」出国手続きを終えたジュンは、教えてもらった道とは違う方角へ歩き始める。「え、ちょっと、どこに行くのさ?」「すぐ終わる」言った通り、ほどなくしてジュンはまた国の門の前に戻ってきた。「よし、じゃあ今度こそ行こうか?」アリスが言って、ジュンが頷く。「ああ。そうしよう」「さよーなら~。お花の国さん」そこから少し離れた湖のほとりに板状の石があった。文字を刻み込まれたその石の下には、小さな花畑が風に揺れながら咲いていた。一人の旅人がいました。背が高く、金髪の、器量の良い男です。そして、とある国を訪ねました。その国は花々が咲き乱れ、男はいたく感動し、その国の庭師に言います。「実に素晴らしい。どうやったらこんなに美しく咲くのかな?」尋ねられた二人の少女の庭師はそれぞれが、秘密があるんです、と笑みを浮かべます。それを聞いて、再び男が言いました。「出来るだけでいいから、僕にも教えてくれないかい?」すると二人は、それぞれが道具を持ってきて、教えてあげると言います。ですが男は言いました。「ありがたいけれど、そんなに荷物は持てないよ。どちらか片方にしたいのだけど、どっちがいいかな?」男はその日のうちに、その国を出てしまいました。その男の荷物は、その国を訪れた時と変わっていませんでした。
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