桜田は今日風邪で欠席との事だ
「……」 目が覚めたら、見知らぬ部屋でした。 ……なんてことはなく、ただ、僕の視界が曖昧なだけのこと。 いつもと同じような朝に違いない。さあ、起き上がって、冷えた空気で寝ぼけた頭を叩き起こせ―――「……あれ」 なかった。 立ち上がろうとした脚に力がほとんど入らず、そう言えば、なんとなく気だるいような。 額に掌。……熱。「……風邪、かなぁ?」 散り散りになっている思考でも、それぐらいはわかった。 しかしこのまま部屋でぼーっとしていることは出来ない。体温計はリビングにあるのだ。 現在の体調、体温、フィーリング。すべてと相談して進退を決せねばならない。 さあ立ち上がれマイバディ。「……やっぱ、駄目だ~」 「マイバディ」とか使った時点でもう駄目だと直感する。普段の僕ならそんな事は思わない。 風邪、そして熱恐るべし。 敵ながら天晴れと思ったところで、僕は床に思いっきり倒れ伏した。 その際結構な衝撃があった為か、僕の意識は軽くあっちの世界へとダイブしてしまった。
「……ンくん? どうかしたの?」 どれくらい意識は床と融合していただろうか。聞きなれた声で僕は覚醒する。 小さな、ドアを開ける音。結果オーライとはきっとこれだ。「ああっ、ジュン君っ!?」 そして悲鳴。予想できた結果。 果たして、姉の絶叫が部屋中に反響した。そして素早く抱きかかえられる。 この俊敏さを日常生活でも恒常的に生かしてほしいものだ。「ど、どどどどどどげんしたとねジュン君! 床で寝ちゃこの時期はとってもブリザード!」 言語中枢は脆くも崩壊したらしい。人はなんて儚いのだろう。「……風邪、かなぁ」 しかし僕は冷静に受け答えをする。正直、いちいち突っ込む余裕が無い。「か、かかかか風邪! 流行性感冒っ!? あああ、ど、どないすればええんや~!」「まずは、落ち着くべき、かなぁ……」 慌てまくる姉を落ち着くように宥めるものの、また意識がやばくなってくる。「ね、姉ちゃん……、学校に連絡、よろしく……がくっ」「ジュ、ジュンくーん! かんばーっく!」 「がくっ」を最後の力で言う辺り、やはり熱は頭をおかしくする。侮りがたし。
「えー、桜田は今日風邪で欠席との事だ」『!?』「ん? どうした」『い、いえ、なんでも』 驚くタイミング、セリフ、抑揚まで見事に一致した。 真紅と水銀燈は同時に互いを睨めつけて、見えない火花を散らす。 翠星石と蒼星石は日本代表にも成しえなかったアイコンタクトで意思疎通を行う。 薔薇水晶はシャボン玉を金糸雀に思い切り吹きかけながらも、ぎらぎらと瞳を光らせていた。「うう、なんだかすごいプレッシャーを感じるわ……」「トモエ、だいじょうぶ? ジュンと同じで、風邪引いちゃったの?」「う、ううん。大丈夫。教室の異次元的な雰囲気にあてられただけだから……」「いじげん?」 雛苺だけが彼女たちの狙いに気付いておらず、首を傾げる。(ああ、雛苺。あなたのその純粋な視線が、今は痛い……。) 幼馴染の柏葉巴も、もちろんジュンの容態が素直に気になった。 が、あまりにも真紅たちが放つ迫力が禍々しすぎて、精神的に後ずさり。(しかしここで退いては女が廃るってもんだわ。) 強靭なジュンへの想い(劣情)でなんとか跳ね除け、プラス思考で放課後に思いを馳せる事にした。「じゃあ授業を始めるぞー。笹塚は廊下に逆立ちで立ってろ」「!?」
「きりーつ、れい」 「い」が終わった後は、正に電光石火。疾風迅雷。 真紅と水銀燈はほぼ同時に床を蹴って、教室を出た。「ちょっと水銀燈、廊下を走るのは校則違反よ」「あらあらおばかさぁん。あなたこそ走っているじゃなぁい?」 互いに『ム』と唸って、徐々にスピードを緩めていく。「そんなに急いでどこへ行くのかしら」 まずは真紅が切り出す。「そういうあなたこそ、そんなに急いでどこへ行くのかしらねぇ?」「質問を質問で返さないで。テストで0点になるわよ」「あぁら、この前わたしに総合得点で負けたのはどこの誰かしらぁ~?」「ぐ」 下駄箱手前でぴーちくぱーちく言い合う二人。もはや目的は忘却の彼方かもしれない。「先行ってるですよー」「お先にー」 そこを徒歩で通過していく双子。「や、やめてかしらー」「……ぽんぽこたぬきさん」 そして、薔薇水晶に、彼女が持つ小型扇風機で微妙に髪型を崩されている金糸雀。 最初に教室を出た二人は、あっという間に最後尾になってしまった。「……」「……」「……みんなで行きましょうか」「……そうねぇ」
猛烈な「おかん」に襲われる夢を見た。 某日曜日夕方出演の主婦の髪型をしたおかんが猛烈な勢いで拳を振るう、なんとも恐ろしい夢だ。『疲れだよ、君ぃ』 そんな幻聴すらも聞こえてくる。朝に比べて少しは良くなったのは自覚できるが、本調子にはまだ遠い。「……熱、測るかぁ」 パジャマのボタンを第二まで外して、体温計を脇の下に差し込む。 何分かして、表示を確認。七度七分。うーむ。「もっと寝るか……」 体温計をケースに仕舞い、自分は布団をかぶって横になる。 瞼を下ろすと、すぐに眠気が一個師団でやってきた。 ああ、なんかきもちーなー……。 至福の時間の訪れだった。
「到着したのだわ」 真剣な表情の真紅がそう言って、生唾を飲み込む。まるで決戦に赴く戦士の如く。「うふふ、弱ってる今のジュンになら青い制服の公務員さんが黙っていないことを……」 一方の水銀燈はサクリファイス丸出しで、真紅とは正反対の様相を呈していた。ああ、水と油なり。「ま、まったく、自己管理も出来ないなんてチビ人間は駄目駄目ですぅ。仕方ないから翠星石が手厚く看病してやるですぅ」 口ではいつもの憎まれ口を叩いているものの、翠星石の目もぎらついていた。端から見ればとても危ない人である。「……寒くない? ジュン君。僕は弱っているジュン君を見て、とても心配になった。大丈夫だよ蒼星石、君がいるなら……」 翠星石のブレーキであるはずの蒼星石は脳内で一冊の本を完成させ朗読している。こっちの方が危ない。「うう、この異常な方々にカナは勝てるのかしらー」「……ぽんぽこたぬきさんF91」 金糸雀は圧倒的な戦闘力の差に震え、薔薇水晶は電波受信中なのか、意味不明の発言を繰り返していた。「……ぴんぽーん」 それぞれが各々の世界を形成している間に、薔薇水晶がインターフォンを押した。
「……ぅん?」 まどろんでいるところに、インターフォンの音。僕の意識は引き上げられた。 歩けるぐらいには回復しているので、上着を羽織り、階段を下りていく。 するともう一度、チャイムが鳴る。「はいはい、今出ますよー……」 回覧板か何かだろうか。まあ、開けてみなければわからないわけで。 ノブを握り、ドアをゆっくりと開ける。「……」 安らぎは翼を生やしてどこかへと飛び立ってしまったんだ―――。きっと東南アジアに。「ごきげんよう、ジュン。調子はどうかしら」「はぁいジュン、乳酸菌とってるぅ?」「チ、チビ人間! 不衛生してるだろうから、翠星石が面倒見に来てやったですぅ!」「やあジュン君。あとは君と僕が夕陽を背にキスするだけだよ」「げ、元気かしら~?」「……ぶえなすたるです、ジュン」 こんにちは地獄。さようなら僕の人生。
「あら、巴ちゃん」「あ、のりさん。こんばんはです」「こんばんは、なのー」 商店街で夕飯の材料を買い帰路に就いていたのりは、巴と雛苺のコンビに遭遇した。「買い物ですか?」「うん、夕飯とジュン君用の、消化にいい料理の材料をね」 微笑んで、ビニール袋を軽く上げた。「巴ちゃんたちはどうしたの?」「え、ええっと、ですね」 素直に「ジュン君へのおみやげです」と言えば良いものを、なぜか巴は言いよどんだ。「えっとね、ジュンへのお土産にうにゅーを買ったのー」 しかしそこは純真無垢一点張り本命一番の雛苺。あっさり吐露。「あら、ありがとう雛苺ちゃん。きっとジュン君喜ぶわ」「うにゅ~」 嬉しそうに破顔する雛苺。そんな彼女を見て、「ああ、わたしもこれくらい素直になれれば」と、少しだけ巴は落ち込んだ。
「ジュン、何かしてほしいことはあるかしら?」「ジュン、遠慮しないでいいのぉ。わたしを抱き枕にしてもいいのよぉ。もちろん性的な意味で」「ほ、ほら、お、お粥を作ってやったですぅ! 食いやがれですぅ!」「ジュン君。外を見てごらん。二人の新しい門出にはぴったりだと思わないかい?」(うう、カナは部屋の隅でガタガタ震えて命乞いをする準備はOKかしら~)「……うそだといってよー、ばーにぃー」 欲望全開の四人に、部屋の隅でガタガタ震えて命乞いをする準備はOKの金糸雀、テレビの画面に向かって一人熱演する薔薇水晶。「……頼む、頼むから寝かしてくれぇええええ」 ジュンの部屋は、もはや魑魅魍魎の巣食う魔界となってしまっていた。 出来ることは、布団を頭からかぶり、現実を直視しない事だけ。 気分はあかずきんを食らわんとする狼……の逆だった。
「ただいまー」「お、おじゃまします」「おっじゃまっしまーす、なのー!」 それから十数分後、三人が桜田家に到着した。「あら、靴がたくさん……?」「あ、たぶん真紅ちゃんたちです。桜田君が風邪って聞いてから、すごく落ち着いてませんでしたから」「あらあら」 ひどく微笑ましい光景をのりは想像したようだが、あいにくと今日の教室はそれを逆転したものだった。 邪気に影響された生徒はほとんどが早退し、廊下に立っていた笹塚だけが無事という皮肉。 ああ、女の戦いって怖いなぁ。巴は戦慄した。「それじゃあ中に入りましょう。お夕飯の準備をしなくちゃ。巴ちゃんと雛苺ちゃんは、ジュン君の様子を見てくれる?」「あ、はい。わかりました」「お安い御用なのー」 快諾した二人は階段を上り、ジュンの部屋に向かった。
「……」「……」 まずは言葉を失うことが基本中の基本であり、基本を制するものは応用を制す。リバウンドを制す者は以下略。「あ、あのー。真紅ちゃん?」 巴が名前を呼ぶと、「ギギギギギ」と効果音を自分で言いながら、真紅が反応した。「……なにかしら?」「あ、な、なんでもない、わ(こっ、怖っ!)」 普通お見舞いというのはもっと和やかに、病人を気遣った雰囲気で行われるべき行事である。 しかしこの部屋の様子はどうだろうか。 真紅と水銀燈は無言でガンの飛ばし合い。 翠星石はお粥を手に右往左往。蒼星石はタンスに向かって何かの呪文を紡いでいる。 金糸雀は金糸雀で部屋の隅で翳っているし、薔薇水晶はその耳元で何かを囁いている。(な、なんの儀式会場かしら、ここは)「あれー、ジュンー? どうしたのー?」 しかしやっぱりそこは雛苺。ベッドに近付いて、布団をつつく。「……そこにいる雛苺は、まともな雛苺ですか?」 もうこの時点で巴はジュンがやばいと悟った。あらゆる方面でやばいと。「桜田君、大丈夫? 具合、どう?」 巴も続いて声をかける。すると、「神は、神は死んでいなかったんだー!」「きゃっ!?」 し"ゅん の こうけ"き! し"ゅん は ともえ に た"きついた!「ちょ、ちょっとジュ……、桜田君!?」「わーい、ジュン元気ー。ヒナもヒナもー」 雛苺もジュンに倣い、巴に飛びついた。 少しだけ身をよじる巴だったが、想い人に抱きつかれているという現実が驚きを塗り潰す。 あっという間に現状に適応した。(ああ、幸せ……)
しかし。『ジュン? 何を、しているの?』 ああ、しかし。『ここからが本当の地獄だ……!』 現実を認識するということは、後ろで渦巻いている混沌も認めるということ。 階下ののりは、聞こえてくるどっすんばったんという音や轟音。 そして怒声を聞きながら、引きつった笑みを浮かべていた。「ああ、またご近所さんの評判が……」 ちゃんかちゃんか。
-あー、それからどした?-「結局あいつらは何しに来たんだろ……」 一人通学路を行きながら、昨日の出来事を思い返す。 が、トラウマになっているのか、少しだけ寒気がした。「……お見舞い、なのか、やっぱり」 そうとは思えない大騒動だった。 けど、まあ、そういうのは気持ちだし? 無理やり納得すると、ひとりでに笑みが漏れた。「えー、真紅、水銀燈、翠星石、蒼星石、金糸雀、薔薇水晶は風邪で休みだ」 ずっこけた。それはもう盛大に。精神的に。 ミイラ取りがミイラになる。体現されてしまった。(……しょーがない) お礼も兼ねて、お見舞いに行くとするかな。「柏葉に雛苺、お前たちも行くか?」 後ろの席の二人に聞いてみた。「……そだね、行こうか」「うにゅーをみんなで食べれば元気なのー」
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