Scene4:フラヒヤ山脈―洞穴北部―
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東回りルート、真紅・ジュン班。フラヒヤ山脈内部の洞穴北部に、2人はその歩を進めていた。洞穴とは言え、天井にところどころ開いた亀裂から太陽の光が差し込むため、中はそう暗くはない。ランタンのような照明器具なしでも、狩猟には全く問題ないほどの十分な明度である。洞穴内は地面も壁も天井も氷雪に覆われているが、洞穴内の低温で完全に凍り付いているがために、足を滑らせる心配もまずない。更には吹き荒れる吹雪もこの洞穴内まで吹き込むことはほとんどなく、よって寒さは外ほどではなく、ハンターにとっては比較的活動しやすいエリアと言えよう。それでも、身を噛むような冷気は対策なしで進むには危険過ぎるレベルではあるのだが。「はぁっ!!」その中で真紅は、裂帛の気合と共に右手の盾を目の前のギアノスに叩き付けた。強大な攻撃力を持つモンスターと渡り合うために、利き手に盾を持つのはハンターの独特な剣術であるが、つまりそれは盾による打撃力は侮れないレベルになるということ。たまらず意識が遠のいたギアノスは次の瞬間、己の身に何が起きたかも分からぬまま骸を晒す羽目になる。ぱんっ! と何かが破裂する音と共にギアノスの首の中ほどに血の大輪が咲き、その衝撃でギアノスは跳ね飛ばされる。洞穴の壁に叩き付けられたギアノスの首は半ば千切れかけ、そこから苦しげな声を漏らしてギアノスは息絶えた。「……くそ、やっぱり普段よりギアノスの数が多いな。このエリアのギアノスを全滅させるのに、こんなに手間取るなんて」ジュンは悪態をつきながら、腰だめに構えた茶色の細長い筒……『猟筒』に新しい弾丸を装填。給弾システムとして実装された弦を引き、いつでも次の射撃が出来るように備える。「やはり、ボーンククリではすぐに血糊で切れ味が駄目になってしまうわ。そろそろ刀身を研がないと」真紅はギアノスの血を啜ったボーンククリを見て、アイテムポーチから『携帯砥石』を取り出し使うことを即決した。「その前に、ギアノス達から剥ぎ取りだ。ギアノスは死んだらすぐに剥ぎ取らないと、あっという間に素材が劣化するからな」真紅が『携帯砥石』で『ボーンククリ』を研ぎ直すのを尻目に、ジュンは『猟筒』を収めてギアノスの遺体に取り付き、剥ぎ取りナイフを振りかざす。真紅が『ボーンククリ』を研いで、すっかり使い物にならなくなるまで『携帯砥石』をすり減らすのと、ジュンがギアノスの体から『ギアノスの鱗』を回収し終えるのはほとんど同時。ジュンは真紅に『ギアノスの鱗』を分け与え、真紅はそれを己のアイテムポーチにしまい込んだ。同時に真紅は懐から時計を……真紅のようなハンター見習いにしては珍しい、高価なぜんまい仕掛けのものを取り出し、現在時刻を確認する。「今は正午を多少回ったところのようね。ここに到着したのが大体朝の9時くらいだから、これで4時間が経過した事になるわ」「やれやれ……本当ならもう少し早くこの洞穴を抜けられるはずだったんだけどな」時間を無駄に食った原因であるギアノスは、雪山の冷気に当てられて早くも体が凍り付こうとしている。このまま洞穴を抜け、早く山岳の中腹部に出たいところではあるが、中腹部に出るということはつまり、ドスギアノスのテリトリーに侵入することでもある。準備を怠って進むことは厳に慎まねばならない。真紅はジュンから受け取った『ギアノスの鱗』が、しっかりアイテムポーチに収まったのを確認してから言葉を紡ぐ。「ところでジュン――」「分かってるよ、いつもの『ホットドリンクを入れて頂戴』だろ?」そしてそれに素早く切り返し、ジュンはさも気だるげに右手で頭を抱えた。「あら、よく分かってるじゃない。さすがは私の家来ね」「家来になった覚えはないって何度も言ってるだろ!」吐き捨てたジュンはその場でどっかと腰を下ろし、『マフモフジャケット』下のアイテムポーチをまさぐった。真紅もその場で腰を下ろし、『携帯食料』の封を開けた。ジュンが取り出したのは『携帯食料』のみならず、手の平に収まるほどの大きさながら十分な厚さを持つ一冊の書物。そして毒々しいほどに赤い『トウガラシ』と、手の平にちょうど収まるほどの大きさを持つ、腹の膨れた巨大な蟻のような虫、『にが虫』。ジュンは同時に携帯用のすり鉢を凍った地面に置き、そのすり鉢の中に『トウガラシ』と『にが虫』の腹を放り込む。ジュンは更にその横に燃料用の木屑と木片を用意し、火打石で木屑に点火。この洞穴の寒さですり鉢の中身が凍りつかないよう、定期的にすり鉢を暖めるための小さな焚き火である。『トウガラシ』と『にが虫』はすり潰され、時おりすり鉢ごと焚き火で暖められ、やがてその中で真っ赤な液体を形成した。ジュンはその間中、開いた書物のあるページとすり鉢の間でその視線を往復させながら、問題なく作業が進んでいることを確認しつつすりこぎをかき回す。こうして出来上がった真っ赤な液体を予備の瓶に注ぎ込めば、完成するのは『ホットドリンク』。「ほら真紅、出来たぞ」ジュンはその瓶を真紅に差し出し、受け取らせる。真紅は『携帯食料』の中の干した果実をつまみながら、その合間にちびりちびりと飲み、言う。「まあ、今回は合格点というところかしら。『トウガラシ』の辛さも和らいで飲みやすくなっているし。それから焚き火の熱のお陰で、ほんのり温かいのも評価できるわ。けれども『にが虫』の渋みが残っているのは少しいただけないわね」「……それはどうも」ジュンは真紅の横柄な物言いに不服な様子を見せるが、さすがに逆上することだけは自重した。この場で真紅に突っかかって、もう一発『ボーンククリ』の峰打ちを脛に食らうのはさすがに遠慮したいという、その一心のみで自制を利かせる。真紅がその小さな口の中に『ホットドリンク』を注ぎ込むのを、『携帯食料』をかじりながらぼんやり眺めるジュン。ジュンはそんな真紅を見て、ふと疑問が沸き立つのを感じる。「真紅」「? 何、ジュン?」「いつも思ってるんだけどさ、何でお前はいつもいつもボクに『ホットドリンク』を調合させるんだ?ボク達は今『マフモフシリーズ』を着ているから、そこまでこの山の寒さは恐ろしくない。この状態でわざわざ『ホットドリンク』を飲んだら、むしろ暑いくらいだぞ?」ジュンにはその一点が引っかかったのだ。『ホットドリンク』は、ハンターにとって単なる嗜好品などというわけではない。『トウガラシ』の成分により体の新陳代謝を活発にさせ、体温を上昇させるための「薬」である。『マフモフシリーズ』などのような保温性に優れた防具を着ないハンターにとって、寒冷地での狩猟をする際『ホットドリンク』は生命線となるのだ。真紅はジュンにぶつけられた疑問に、僅かにその目を反らせながら答えた。「別に、大した理由はないわ。市販のものや支給品に比べれば、ジュンの作る『ホットドリンク』の方がまだ飲める味だもの」「だからって言ってなあ……必要ないのにわざわざ飲むような味か、『ホットドリンク』は?」ジュンはおろか、よほど悪食なハンターですら『ホットドリンク』を「美味い」という者はいないだろう。『ホットドリンク』に入っている『トウガラシ』は、ハバネロやジョロキアなどといった食用の激辛品種すら越えるほどの、強烈な辛さを秘めている。宴会の座興に『トウガラシ』をそのまま食べた駆け出しハンターが、そのせいで医者に担ぎ込まれたなどという話は、そう珍しいものでもないのだ。そんな代物から作られた『ホットドリンク』を、仮に美味と感じたなら、味覚が狂っているとしか言いようがあるまい。「べ……別にいいじゃない……!とにかくジュンの作った『ホットドリンク』は、支給されたものよりずっとましな味だわ!それだけでいいでしょう!?」「一応言っておくけどな、『ホットドリンク』で体を温めておけば、寒さでトイレが近くなるのを抑えるなんて効果は無いか……!」ジュンの頬に、真紅の『マフモフフード』からこぼれた金髪が、鞭のように叩きつけられた。「ぶえ!」という情けない悲鳴を上げながら、ジュンは跳ね飛ばされる。「本当に、男は想像以上に下劣な生き物ね!」口の中で咀嚼していた干し肉を汚らしくぶちまけ、ジュンは白目をひん剥きかけながら倒れ込んだ。『ボーンククリ』の峰打ちも痛いが、これもこれでまた鞭で叩かれるのに匹敵するほど痛い。「てててて……だからって言ってボクをはたく事は……!」「!!」赤面する真紅のその表情から、たちまち恥じらいが消える。代わって真紅に浮かんだのは、険しい表情。迫り来る危険な存在を感じ取り、神経が昂ぶる獣のそれを思わせる。真紅は即座に、虚空に向けてその愛らしい小鼻をつんと向けた。乙女にはあまりに似合わない動作ではあるが、どこからともなく流れてくるこの匂いを嗅ぎ、その先を求めているのだ。「この匂いは……『ペイントボール』か!」地面から起き上がったジュンもまた、この独特の匂いに気付きその鼻をすんすんと鳴らせる。『ペイントボール』……それはハンターにとって必携とも言えるアイテムの一つ。独特の匂いと極彩色を兼ね備えた『ペイントの実』を、粘液で常に濡れた『ネンチャク草』で包んで出来る、モンスターの存在を追うための目印なのだ。『ペイントボール』により粘りついた粘液の匂いは、多少経験を積んだハンターならば、かなりの精度でその発生源を推測できる。すなわち、粘液を体にこびり付かせたモンスターの位置を。ここに地図を併用すれば、もはやどんなハンターでも場所の特定を誤ることはないと言っていい。ジュンは即座に『地図』を開き、即座にその場所に人指しを叩き付ける。「ここだ! 山脈中腹西部! そこに一頭目のドスギアノスがいる!」「雛苺達がドスギアノスに『ペイントボール』を当てたのね!」「ということは、もう一頭のドスギアノスは山脈中腹東部か、山頂部か!」ジュンは北側を向き、大きく光が漏れる洞穴の出口を睨む。ここで一旦休息を挟んだのは、結果的に幸運というべきだろう。ちょうど食事も済ませたし、真紅もジュンもその武器は用意万端。地図を畳み込んだジュンは、即座に動き出す。残る一頭のドスギアノスを中腹東部か山頂部で釘付けに出来れば、作戦通りに狩りは進む。そのためにも、もう一頭のドスギアノスを確実に制止させなければならない!「行くわよ、ジュン!」「ああ、任せて……!」「「!?」」駆け出した2人は、しかし次の瞬間気付いた。『ペイントボール』の臭気を、もう一度良く嗅ぎ分けてみる。この臭気は、ドスギアノスくらいの大きさの個体から放たれるものにしては強過ぎる事に、2人は同時に気付いた。『ペイントボール』で粘りつく粘液の量は、おおよそそのモンスターの大きさに比例する。よって『ペイントボール』による臭気の量で、『ペイントボール』を受けたモンスターの大きさもまた、ある程度推測ができるのだ。「一体、これはどういうことなんだ……?」「こんなに強い臭気……まさか!」真紅の内に、波紋のように広がる一抹の不安。真紅はもう一度その鼻を虚空で動かし、確かめる。そしてその不安は、瞬時に現実と化したことを、真紅の鼻は告げていた。大きな臭気の源が、二つ。「……馬鹿な……!」ジュンは顔を青ざめさせながら、膝が砕けそうになるほどのショックに肩を震わせた。「ボクの……作戦ミスだ!」中腹西部に、大きな臭気の源が、二つ。ドスギアノスが、二頭。「……どうやら、チームを分断したのが裏目に出てしまったようね」今や各個撃破される側に回ったのは、自分達ハンターの側であることは、明白過ぎる事実だった。
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