Scene3:フラヒヤ山脈―中腹西部―
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フラヒヤ山脈、中腹西部。かつてこの辺りに建てられたまま放棄されたキャンプの残骸がある以外は、まさに光景は雪山そのもの。どんよりと曇る空からは、緩急をつけて吹く寒風と共に雪が舞い散る。中腹東部とは高く急峻な断崖により分断され、東部に向かうための道はその断崖に一筋抉られた谷以外にはない。そのまま北進すれば、緩やかなスロープの向こう側に山頂を拝むことが出来るだろう。そして、そのスロープに達するまでの間、やや細長いながらに十分な大きさを持つ雪原が広がっている。さすがに『マフモフシリーズ』をまとっても、この雪原の冷気を完全に遮断することは出来ないが、それでも狩りを行うには全く問題ないレベルにまで、寒さは和らぐ。もし寒さを完全に振り払いたいなら、体を動かすのが最も手っ取り早く済むだろう。そしてハンターが体を動かすなら、それは狩りと相場は決まっている。「ギアノスがいるの!」雛苺は、地吹雪に煙る銀世界の向こうを指差し、トモエに知らせた。「全部で三頭ね……。雛苺、あなたはこちら側に固まっている二頭をお願い。私は、奥にいる一頭を相手にするわ」トモエは風の音に紛れるかのように、背の得物をかちゃりと鳴らせる。雪原の向こう側を歩き回る影は、今や2人の瞳に明瞭に映り込んでいる。ギアノス。人間ほどの大きさを持ち、二足歩行する白色の大蜥蜴と言えばおおよそ間違いはあるまい。この大陸に広く生息する鳥竜ランポスが寒冷地に適応し、このような姿に進化したと生態学者は説いている。ギアノスの黄色の目が、トモエと雛苺の姿を捉えた。攻撃的な鳴き声を上げ、侵入者の到来を告げる。残る二頭も、その声で2人の存在を察知し、威嚇の鳴き声に加勢した。雛苺とトモエは駆け出していた。「ヒナ、頑張るの!!」雛苺は、背から自身の体重に迫ろうかというほどの巨大な槌、『骨塊』を振り下ろした。間合いは十二分に詰まっている。一頭目のギアノスの頭が『骨塊』の槌頭に捉えられ、一気に地面に叩きつけられた。雪原とハンマーに挟まれぺしゃんこになったギアノスの頭部に、更に追い討ちの一撃。一頭目のギアノスは小さな血の池を雪原に残し、絶命した。負けじと二頭目のギアノスが雛苺に襲い掛かる。大の男を越えるほどの全長を活かし、初見の人間ならば確実に目を向くほどの大きな跳躍を見せた。これが当たれば、雛苺はギアノスの前足の爪に引き裂かれ、ただでは済まされない。だが逆に言えば、宙に舞ったギアノスはもう回避の手段を自ら放棄したも同然。雛苺はハンマーを雪原に叩き付けた反動を利用し、一気にハンマーを上段にかち上げた。「うにゅ~~っ!!!」力が抜けそうな気合の声だが、それでもハンマーの威力が削がれるわけではない。かち上げられたハンマーは、ちょうど飛びかってきたギアノスの胸部を強打し、その肋骨を数本破砕する。断末魔の悲鳴を上げたギアノスは、そのままハンマーの一撃で跳ね飛ばされ、左手に広がる切り立った谷底に転落した。氷霧で霞んで底が見えないほど深いこの谷……転落した二頭目のギアノスは、もはや助かるまい。三頭目のギアノスが怒りの咆哮を上げるが、それが雛苺にまで届くことはなかった。ギアノスの視界に広がるのは、トモエの姿。「あなたの相手は私よ!」雛苺同様、トモエは背中の太刀の柄を握った瞬間、それを直接目前の大蜥蜴に振り下ろす。蝶番状の止め具を着けられた鞘が二つに割れ、その中の『鉄刀』が閃光と化した。ばざん、という肉を切り裂く手応えと共に、ギアノスの白い鱗に赤いまだら模様が散る。大上段からの斬り下ろしの激痛に怯むギアノスに、更にもう一撃。地面にめり込んだ『鉄刀』を、雪原から引き剥がしつつ鋭く前方に突き込む。『鉄刀』の切っ先はギアノスの肋骨の隙間に突き刺さり、ギアノスの臓腑を深く抉る。トモエは切っ先を引き戻し、柄が頭部の右側に来る八相の構えを即座に作り上げた。「チェストォーーーーーッ!!!」赤い幻光をまとった太刀が、袈裟切りに振り抜かれる。その軌道上に存在したギアノスの首筋は、綺麗に両断されて宙を舞った。ギアノスの生首が雪原に落下し、首の断面を晒したギアノスの体は、血を噴水のように撒き散らしながら横倒しになる。トモエはギアノスの絶命を確かめた後、太刀を勢いよく振り抜きこびり付いた血糊を払う。雪の上に、ぱらぱらと血の霧が散り、凍りついた。念のため、周囲を見渡しこれ以上ギアノスがいないかを確認。(…どうやら、大丈夫みたいね)弱いながらも吹き抜ける吹雪の向こうに、動く影は見当たらない。「トモエ~! ヒナもギアノスをやっつけたの!」雛苺もギアノスの殲滅を確認してか、骨塊をもう一度背負い直して満面の笑みでトモエに近寄る。背のハンマーの槌頭には生々しい血痕が残されているが、トモエはそれを見たからといって別に不快感を覚えはしない。むしろ雛苺の得物の威力が、血糊で鈍らないかという心配の方が先に立つくらいである。トモエは小さく笑みを浮かべながら、雛苺に問うた。「ちゃんと剥ぎ取りはやったの?」「うん! 『ギアノスの皮』が取れたの!」トモエもまた雛苺の声を聞きながら、剥ぎ取り専用に使われる大振りのナイフを取り出し、その場にしゃがみ込む。今しがた己が屠ったギアノスの亡骸に、そのナイフを突き立てた。トモエは危なっかしくはないものの、まだ慣れない手つきでギアノスの解体作業に取り掛かる。最初の一太刀目でトモエの屠ったギアノスの皮は深く裂けているが、幸いにも鱗はほとんど割れていない。ほんの数分も経たずして、トモエは一まとまりの『ギアノスの鱗』を手に入れていた。こうして倒したモンスターの体から鱗や甲殻などを剥ぎ取れば、駆け出しのハンターにとってはありがたい小遣い稼ぎなるし、何よりそれらモンスターの体から剥ぎ取られた素材は、鍛冶屋の手に渡せばその「真価」を否応なく発揮してくれる。トモエはギアノスの亡骸に感謝の念を静かに捧げ、『ギアノスの鱗』の束を右胸のアイテムポーチにしまい込んだ。「これでしばらくギアノスは湧いてこないはず。出来ればこの状態でドスギアノスが来てくれればありがたいわね」呟くトモエに、雛苺は言葉を返そうとして――。そして口を大きく開けたまま、雛苺は喉の奥に言葉を張り付かせた。「……雛苺?」トモエの呼びかけに我を取り戻したのだろうか、雛苺ははたと我に返る。その次にすぐさま行ったことが、吹雪に煙る山頂へのスロープを指すことだった。「トモエ! あれ見て!」「あれ……?」トモエは吹雪に埋もれ行くギアノスの遺体から目を反らし、雛苺の指す先を視界に入れる。振り向き、白い雪のカーテンの向こうに現れた影を捉える。「!!」トモエは、言葉を失った。たしっ、たしっ、と雪面を踏みしだく音。ぎょろぎょろ、と辺りを警戒するように向けられる爬虫類の瞳。白一色に埋まりそうな雪の中でも、恐ろしいほど鮮やかに映える緑色の鶏冠(とさか)。人間で言えば中指に相当するであろう指からは、異常なまでに肥大化した鋭利な爪が生え、震える。今しがた倒し去ったギアノス達より、二周り以上巨大な体を持つ、白い大蜥蜴。氷のように冷厳な牙が、その鳥の嘴を思わせる突き出た口の間で光ったことを、2人が確認した刹那。大蜥蜴の主は、天に向かって吼え声を上げた。雛苺とトモエの背筋を、戦慄が駆け上がった。そこに立っていたのは、紛れもないギアノス……その中でも全長が約7mを越える巨体を持つに至った、最強級の個体。緑の鶏冠を王冠として戴くギアノスの王、ドスギアノスの巨体であった。
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