【 2years~翠星石~ 】
二年という言葉がとても大きくてつらかった。私にとっての二年はひとりぼっちの二年を意味していたから。双子の妹と引き離されてしまってから、一人っきりになってしまったと錯覚していたから。思い出す過去の記憶。両親が離婚をした二年前のこと。別々に引き取られて泣いて過ごした二年前のあの日々。そうだった。最初の一年はそれは惨めなものだった。半身を無くしたように私は虚ろな学生生活を送って。二人で入部していた陸上部も半分辞めたように大半をサボり、私はいつの間にかリレーのメンバーから外されていた。バトンをくれる妹がいなくなったのだ。私にはむしろ都合が良かった。一人の方が気が楽だと思えたから、私は孤独に自ら向かっていき…そして100メートルに転向したころ、私は完全に一人だった。誰も寄せ付けない走りは常に一番を独占し、中学二年にして私はスプリントクィーンと呼ばれるまでになる。 「二年連続で県大優勝間違い無しでしょ」「一年間無敗だもんね~」「さらにこの一年間に一度も笑ったことがない」「まさにクィーンだな」くだらない評価が私につきまとう。「頑張れよ!」「勝てよ!」「しっかりね!」他人事のような応援を受けて私は走る。いや、応援から逃げるように走っていた。いつだって私には聞こえていたのだ。「一人で頑張れよ!」「一人で勝てよ!」「一人でしっかりね!」そんな風に孤独を内包しているように聞こえていたのだ。双子であったことを知るものたちの声は私にとっていびつな声に聞こえていたのだ。そんな私に薔薇大附属高校に進学してくれないかという誘いがやってきた。私はチャンスとばかりに今すぐ編入したいと伝えて、そして居心地の悪い学校から逃げ出した。学校を変えたことで世界は簡単に変わった。私が双子であったことなど誰も知らない世界で孤独を満喫するつもりだったのだが…そんなもくろみなど霧散してしまうような出会い。それは私に専属でついたコーチとのもの。彼はスポーツなんてまるでダメな変な大学生。成り行きでコーチになっただけの冴えない大人の男の人。それでも私は自己紹介をした時に、確かな世界の変化を感じた。「桜田ジュンです。一緒に頑張ろう」誰も言ってくれなかった言葉がそこにある気がした。一人でなくてもいい。彼はいきなりそう言ってくれたような、そんな気がした。【 2years~翠星石~ 】「はぁはぁはぁ、どですか?はぁはぁはぁ」「えぇっと、ハァハァ、じゅうい、ハァハァ、ちびょう、」「ってなんでコーチまで息を切らしてるですか!」私は大きく腕を振り上げて威嚇するように凄む。「だって、ハァハァ、スタートの合図もしてたから…」彼はようやく息を整えることができそうだ。「結果ゴール地点にいなかったら正確なタイムがわからねーですよ!」「このアンポンタン!」私はグランドに座り込み毒を吐いた。「ごめん」隣に座って彼は謝った。本当はどこか嬉しかった。一緒になってスタートラインから走り出した彼に私は笑いをこらえきれず、にこにこと走ってしまっていたのだが、こんなのは妹と走っていらいだったから、どこか嬉しかった。「明日が大会だってわかってるですか?」「優勝できなかったらてめぇのせいです!」私はそうぼやきながら倒れ込むように彼の身体にもたれ掛かる。「お、おい」彼は急な接触に動揺しているようだ。「笑い疲れたましたよ。クッション性は悪いですが我慢してやるです…」 「ほんと似てるよな…」彼はつぶやくように言いながら私の髪を撫でる。そのあまりの気持ちよさについついトロンとした口調がもれる。「うにゃ…なんのことれふ?」彼はそれを聞いてクスクスと笑みを強める。「うちの妹にそっくり。素直じゃないところとか特に…」私は真っ赤になりながら「うるせーです」と起き上がる。「妹扱いするなです!…そりゃあ四つも年は離れてるですけど…」「それでも…妹扱いはごめんです!」私がまくし立てると彼は「わかったから」と苦笑い。「わかったらいいのです」そして私はまた彼に寄り掛かり撫でるのをせがむように身を擦り寄せる。「すぐ甘えてくるところが…やっぱ妹みたい」舌の根も乾かぬうちによくも言えたものだと思ったが。甘えてるのは事実なので黙って撫でられておくことにした。彼がたびたび語る妹に軽い嫉妬を覚えつつ…明日が大会だということもなにもかも忘れたように、私はゆっくりと眠りについた。 大会当日、思い出したように私をプレッシャーが襲う。二年連続で優勝間違い無しのスプリントクィーン。そんな私が注目されないはずはなかった。しかし怖いもの無しだった一年前とは違う。孤独に人一倍敏感な普通の少女と化してしまった私には、たった100メートルの距離であっても一人きりの世界に違いはなかった。ジュンというコーチと出会って、私は完全に取り戻してしまっていた。誰かとともにいたいという潜在的な欲求。一人で走るのが怖い!そんな小さな感情が生まれ、見事に身体全体に影響を与えていく。……予選はギリギリの通過となった。「どうしたんだ?翠星石」心配顔でコーチがタオルを手渡してくれる。「ちょっと…スタートで」「スタートは良かったぞ」「……」「…えと、体力温存です…」「そんな柄じゃないだろ…」「……」 私はもう言い訳を思い付かない。言うしかないのだろうか。ここから逃げ出したいと。「怖いのか?…走ること。」逡巡するうちにコーチが言葉を発した。「ずっと見てたから分かるよ」「翠星石が走ることに怯えていること…」「まるで、一人にしないで!って叫んでるような…」「そんな顔で走っているから。」私はタオルに顔を埋めて表情を隠す。「昨日だって、すっごく辛そうな顔してたんだぞ?」「思わず一緒に走ってやらなきゃって感じるくらい…」だからか…思い浮かべる昨日の出来事。それまでゴールラインからスタートの合図をしていたのに、最後の一本だけはスタートラインにやってきて…一緒に走ってくれた。…その意味をようやく理解する。「おまえは一人じゃない」「俺も一緒に走っているから」「最後に一回、笑ってこいよ。」昨日みたいにさ、とコーチは背中を叩いてくれた。 そこに何故か妹にバトンを渡された記憶がだぶる。強い力が私に沸き上がってくるような感覚とともに…私はようやく走りだすことが出来る。今までは逃げ出していただけだったのだと気付いて。初めて私は走り出すことができる!コーチに一度抱き着いて目を閉じる。「一緒に走れるように、コーチのパワーを全部吸い取ってやるです」悪戯な口調で私はささやいた。「残さず持っていけよ?こう見えて結構あるんだからな」冗談っぽくそう言って、強く抱きしめてくれる。「行ってくるです!」瞳を開くとそこには見たこともないようなまばゆい世界が広がるよう…耳には真剣に私を応援してくれる声がたくさん聞こえてくる…スタートの合図を待って深い深呼吸。走り出した私は…確かにもう一人じゃなかった。 あんなにあっという間にゴールラインを一番に駆け抜け、私はコーチのもとへ。。。「二年連続優勝、おめでとう」彼は半分泣きそうな顔で私にそういってくれる。「…まだ一年目です…」「え?」「去年は一人だったです…だけど今年は一人じゃない。」「一人じゃないのは今年が一年目です」だから私は彼にお願いをしなきゃならない。二年連続で優勝をするという目標を達成するために…「…来年もよろしくです。その後もずっと、ずっとよろしくです。」彼は満面の笑みで「あぁ、こちらこそよろしく」と言ってくれた。私は彼に抱きついてあふれてくるであろう涙を隠し、心の中でつぶやいてみる。「大好きですよ、コーチ」
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