12.どこまでも綺麗な世界で
「この荒廃した大地では、人類の繁栄は望めない。つまりそういう事だな、白崎…」車椅子の男が窓の外に広がる荒野を見ながら呟く。「…はい。ですが…どんな『技術屋(マエストロ)』でも、Aliceを起動させる事は出来ません…」白崎は壁に広がる巨大な機械を見ながら答える。「前時代の天才、ローゼン…。彼の最高傑作であるAlice…。例え今は完全でなくとも…それでも…やはりこれが我々の最後の希望である事は違いありません」車椅子の男は何も答えず…ただ静かに眼前に広がる荒野を眺めていた。その視線の先…地平線を遥かに越えた場所…荒野に佇む、一軒の屋敷…その門の前…耳が痛くなるような静けさのが止み ―――風が吹き始めた…。 12.どこまでも綺麗な世界で 「……きらきー…」目の前に立つ姉、雪華綺晶の名を…薔薇水晶は呆然としながら呼んだ。「ばらしーちゃん…」雪華綺晶が微笑み…だが、その目には深い悲しみを湛えたまま、小さく答える。まるで誘蛾灯に誘われるかのように…薔薇水晶がフラフラと覚束ない足取りで雪華綺晶に近づいてゆく…「薔薇水晶!」蒼星石が薔薇水晶に声をかけるも…その声は薔薇水晶の心には届かない…(…相手が雇ったチームが、よりによって彼女達…薔薇水晶のお姉さんとはね…)仕掛けるべきか、このまま様子を見るべきか…(…前に水銀燈が会った時の話では…油断はできないね…)いつでも切りかかれるよう鋏を握り締め…徐々に近づく二人を見続ける。ゆらゆらと…幽鬼のように揺れる足取りで、薔薇水晶が雪華綺晶の前に辿り着いた。「ばらしーちゃん…」雪華綺晶が慈愛に満ちた眼差しで薔薇水晶の頬を撫でる…そのまま、這わせるように、手を下に…頬から首へ、首から肩へ、肩から腕へ…そして、薔薇水晶が持つ、狙撃用ライフルの銃身に、その手が伸びた。片手で銃身を掴み…そしてもう片手で、薔薇水晶が銃を放さないように、彼女の腕を取る。その仕草が、やけにゆっくりしたものに見える。そして…雪華綺晶は薔薇水晶が持つライフルの銃口を…ピタリと自分の片目の薔薇飾りにあてがった…――きらきー…?何で…?今までどこにいたの…?やっと会えたんだよ…?何でこんな事するの…?薔薇水晶の胸に次から次に言葉が溢れてくる。体中から溢れる疑問、心を震わせる再会の気持ち。様々な感情が同時に湧き、パニックの予感が脳をよぎる。 無言で自分に銃を向けさせる、たった一人の姉…――何で…私がきらきーに銃をむけなくっちゃいけないの…?その意図が全く見えない。戸惑いを通り越し、思考が凍りつく。ほんの数秒の沈黙…だが、薔薇水晶にとっては、時計が止まったかのように感じる…薔薇水晶の手が震えだし…ライフルが地面に落ちる音だけが、静寂の中に響いた…二人の間に存在していた空間…銃身が隔てていた距離を、雪華綺晶が詰め寄る。そして…薔薇水晶をその両手で、包み込むように抱きしめた。「ばらしーちゃん…やっぱりあなたは優しい子ですわ…例え敵でも…それが私なら…あなたは撃てなかった…」「……うん…きら…きー…」いつ以来だろう、こんな温もりは。いつ以来だろう、こんなに胸が一杯になったのは…雪華綺晶の腕の中で、薔薇水晶は声もなく涙を流し続ける…「…私には無理でしたけど…やっぱり…ばらしーちゃんのように優しい子は…お父様の望みどおり、静かに暮らすべきですわ…」雪華綺晶のその言葉を聞いた瞬間 ――『お父様』という言葉が出た瞬間――薔薇水晶は弾かれたように顔を上げた。――お父様の望み…? ……きらきーは失踪の直前までお父様の書斎に居た…ひょっとして…私が知らない何かをきらきーは知ってる…? 「…お父様の…?」胸に浮かんだ疑問を雪華綺晶にぶつける。…そして気が付く。いつの間にか、雪華綺晶の腕に徐々に力が篭っている…「きら…きー…――――」ギリギリと万力のような力が全身を締め上げる。最後まで言葉を紡ぐ前に…意識が闇に溶け落ちていく。視界が閉じていく中―――雪華綺晶の優しい…それでいて、深い憂いを秘めた左目が見えた気がした…。姉妹が争う。蒼星石にとって、それは頭では理解できていたが…どこか現実味のない事でもあった。それ故に…完全に反応が遅れ、薔薇水晶を助けるタイミングを逃してしまった。しかも…(薔薇水晶は雪華綺晶の腕の中…今、行動したら…彼女が危ない…)鋏を構え、雪華綺晶を睨みつけるも…指一本動かせない状態が続いていた。そんな蒼星石には目もくれず、雪華綺晶は気を失っている薔薇水晶を抱き上げ…そして、門にもたれかからせるように、そっと地面に寝転ばせる。まるで母親のような優しい顔で、眠る薔薇水晶の顔をそっと撫で…振り向いた。「さて…お待たせしてしまいましたわね…ここからは…本来の予定通りにさせてもらいますわ」そう言い蒼星石に微笑みかける雪華綺晶。「ばらしーちゃんには…お友達は帰られたと、私から適当に説明させていただきますわ…」その眼光からは…先程まで見せていた優しい光は、完全に消えていた…。 雪華綺晶はその顔に微笑みを浮かべたまま…その白い手に手袋をつける。そして小さな小石を拾い上げ…それをポンと真上に投げ…重力に引かれて落ちてきた小石に裏拳を当てた。キンッと硬質な音が鳴り、その小石が弾丸のように蒼星石目掛けて襲い掛かってくる――だが、その小石も蒼星石の目の前で…その握った鋏により、粉々に散っていった…。蒼星石の反応に雪華綺晶は…心底楽しそうな笑みを浮かべた。「流石…といった所ですわ。最近では銃ばかりで、味気ないと思っていましたが…ふふ…面白くなりそうですわ…」そう言い、手に嵌めた手袋の甲をそっと撫でる。「この手袋には、鉄板が仕込まれてますわ…」蒼星石は、笑みを浮かべる雪華綺晶を見て思う。――笑いとは、本来攻撃的なもの…って言葉があったね…そして…いつの間にか笑みを浮かべている自分自身にも気が付く。「僕は…この鋏でお相手しよう…」そう言い、目の前に水平に鋏を構えた。ジリジリと太陽が二人を焼く。汗が流れるのは暑さのせいだけでは無い。そして…直後、二人同時に地面を蹴る――「いざ!―――」「尋常に!―――」―――今にも落ちてきそうな青い空の下で…闘いが始まった… ―※―※―※―※―蒼星石が鋏を水平に振り払う。雪華綺晶は屈んでそれを避け――同時に水面蹴りで蒼星石の足を薙ぎ払う。蒼星石がバランスを崩し――そこに追い撃つ形で雪華綺晶が後ろ回し蹴りを放ってくる――バランスを崩された蒼星石は…体勢を立て直そうとせず、あえて倒れ――片手で地面を叩き、その反動で大きく後ろに跳び、雪華綺晶の攻撃を回避した――。「…やるね…」数歩の距離で片膝を立てる蒼星石がそう言い、立ち上がる。「…あなたも…ふふ…なかなか素敵ですわ…」雪華綺晶は笑みを浮かべたまま…妖しく蠢く指先で、自分の唇をなぞる。今までに出会ったことの無い程の強敵。それも、銃が物を言う世界で、あえて時代遅れな手段で己を貫いて生きてきた相手。蒼星石は考える。何故だろう…ずっと、戦うのは嫌いだった。…嫌いだと思っていた。でも…何故だろう…不思議と…不思議な充実感がある…。きっと僕はどこかで…こんな風に、全力で戦いたのかもしれないね… 鋏の留め金を外し、両手に片刃の鋏を構え、雪華綺晶を見る。その隻眼は…どこか優しく…何かを楽しんでいるように見える…。そして今の僕の目も…きっと同じなのだろうね…「さて…続けようか…」歌うように告げる。二人が同時に跳び――その戦いを見るものは誰も居なかった。それでも…もし、そこに誰かが居たなら…こう言っただろう。夕日の中で二人の少女が舞っていた――と…二人の間合いが触れ――蒼星石は片手に握った鋏で貫くように突き出す。半身になってそれを避けた雪華綺晶に、もう片手に持った鋏を振り下ろす――雪華綺晶は避けた動作からそのまま体を回転させ、裏拳を蒼星石に放つ―― 白い拳がテンガロンハットを宙に飛ばし――片刃の鋏が薔薇飾りを数枚、風に散らせる――蒼星石にはその光景がやけにゆっくりとしたものに見えた…怒りも憎しみも、依頼の義務感も、何も無い…。何故か…とても穏やかな気持ち…。視界からは色が失われ…景色が失われ…音さえ失われる。全てが白い世界に覆われる…。真っ白な世界…。ミルクの海に紛れ込んだのかと錯覚しそうな程の白。僕の視界に見えるのは、果てしない純白と、その中で踊る雪華綺晶。(静かだ…)蒼星石はその光景に、心が震えた。(それに…とても綺麗だ…)何所までも広がる白い世界で、蒼星石は剣舞を舞い続ける―――果てしなく広がる純粋な世界で、雪華綺晶は四肢を舞わせる―――永遠にさえ続きそうな二人の闘い―――。永遠にさえ続けていたいと、二人は思った―――。 蒼星石が振り下ろした鋏を、雪華綺晶がブーツの踵で止める――そのまま上段蹴りを放つが、もう一つの鋏にそれを防がれる――その鋏が斬り上げるように煌き――雪華綺晶は宙返りしながら後ろに跳ぶ――鋏が宙を裂いた瞬間、再び雪華綺晶は蒼星石に迫る――雪華綺晶の手刀が、蒼星石の頬に一筋の赤を描く――蒼星石の鋏が雪華綺晶の髪を数本、幻想的に散らせる――どこまでも白い世界。――ここは僕と彼女と、純粋な闘いだけの世界。ここには何も…余計な物は存在しない…――生きている…その圧倒的な実感と共に、蒼星石はそう思う。――これは…闘ってるんじゃないんだ…互いに…生きてる事を伝えあってるんだ――これまでに無い死線の中で蒼星石は――これまでに無い程、静かな気持ちでいた…鋏が服を裂き、拳が皮膚を切る。拳が蒼星石を打ちつけ、鋏が雪華綺晶を斬る。雪華綺晶が蒼星石を蹴り上げ、蒼星石が雪華綺晶を地面に叩きつける。互いに流す血の赤は…それすら、白い世界に溶けて消えていく。体中が痛い。でも…それ以上に、この世界を堪能したい。きっと彼女も同じ気持ちなんだろう…。 蒼星石は鋏を逆手に持ち替え、そして雪華綺晶に斬りかかる。雪華綺晶は鉄板の仕込まれた手袋でそれを受け止める。二人の顔が、触れ合う程の近さで静止する。「―――――――」「―――――――」互いに言葉は無かった。…それでもそこには無言の会話が存在していた。雪華綺晶は鋏を止めていた手に力を込め…蒼星石は片手の鋏を諦め、手を放し、後ろに飛ぶ。雪華綺晶が掴んだ片刃の鋏を投げ捨てるのと同時に、蒼星石は再び地面を蹴る――楽しそうに片目を輝かせた雪華綺晶が、同時に駆ける――蒼星石の鋏が雪華綺晶の脇腹に迫り――雪華綺晶の拳が蒼星石に迫る――その瞬間――銃声が聞こえ、二人の間の地面が弾けた。同時に、世界に色と音が戻り、広がる―――白い世界が消え、空の青さが…大地の色が…風の音が、五感に蘇える―――だが、振り下ろされたその手は止まらず――互いの脇腹に鈍い一撃がめり込んだ―― ―※―※―※―※―色の戻った世界…痛みの戻った世界。そこは、荒野に佇む屋敷の門の前…。蒼星石と雪華綺晶は、二人に向けてライフルを構える薔薇水晶を見ていた。蒼星石は脇腹を押さえ…同じように脇腹を押さえる雪華綺晶に視線を戻す。ボロボロの体で、ふらつく足で大地を踏みしめる二人。しかしその目は…満足感で満ちていた。――良いところで…邪魔が入っちゃったね…――ええ…残念ですわ…。でも…おかげで…互いに致命傷には一歩及ばず、といった所ですわね…――お姉さんの身を心配してくれたんだよ…良い妹さんだね…――ふふふ…そんなに心配されてるなんて…姉としては複雑な心境になっちゃいますわ…二人は同時に口の端を持ち上げ、笑みを浮かべ…そして同時に、地面に崩れ落ちる…。
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