薔薇乙女家族 その六之五
薔薇乙女家族 その六之五 廊下は様々な部屋に繋がっていて、様々な人が行き交っていく。途中に誰かがいれば何となく声をかけたり、窓の向こうに何かがあればそれに気を取られたりするし、人がたむろしていたら何となくそれに加わったりしてみたりする。廊下は部屋と人を結ぶ通路である。 それは時として、十数年来の同級生との再会の場ともなる。人が何人も行き交う中、偶然出会った一人と一人はお互いの時を感じながらも一つの線で繋がった。しかしその繋がりは、必ずしも感動の再会などというドラマチックなものになるわけではない。 お互いに時が重ねられたからこそ、より複雑になってしまった心と心。それは皮肉な、女同士の再会だった。 「…桜田君、パパになったんだね」 「昔じゃ信じられないでしょぉ?今じゃ立派な七児のパパよぉ」 「信じられないと言えばあなたも…」 「…?」 「あなたが他人と結ばれるというのも…想像できなかった」 「…ふぅん…ま、そう思われても仕方ないけどぉ」 昔の水銀燈を知る者だからこその言葉だった。そもそも巴は当時クラス委員長をやっていて、水銀燈は不良集団の中心にいたという過去がある。二人は対極に位置していたのだ。それもあってお互いに関わりのしようがなかった。点と点を繋ぐ線ができなかった。 その直接の関わりが無くても同じ校舎の人間なのだから、お互いの容姿や性格の大体の把握はできる。それがあったからこそ、二人の間には小さな亀裂が入ったと言える。 亀裂が入ったのは存在しない線にではなく、二人の立つ地面にである。地面が二つに分かれると線の結び様がなくなる。すなわち、知り合う事なく点と点が離れ離れになってしまうという事である。 何事も無かったのならばその様になるはずだったのだが、ジュンの存在があった。ジュンという男が水銀燈と巴の皮肉な「出会い」をつくったのだった。 「…水銀燈」 「なぁに?」 「……どうして桜田君の事、好きになったの…?」 巴の質問に、水銀燈は眉をピクリと動かした。巴は相変わらずこちらをまっすぐ見つめていた。 「…そうねぇ…こんな事、人には話したくはないけどぉ…」 一区切り入れて続けた。 「あなたは…話しておこうかしらね…」 そうして水銀燈は、巴に場所を変えようと提案し、巴はそれに首を縦に振った。----- …それで…私が何でジュンを好きになったのか…だったわねぇ。 私はねぇ、昔はいじめられっ子だったのよぉ。幼稚園の頃からずいぶん長い間、毎日いじめられてたわぁ。 あんなに辛い時はそうそう無いわねぇ…毎日毎日誰かが私を見て笑うのよぉ。昨日とは違う奴が今日いじめに来て、その次の日にはまたこないだの奴が来て…いじめに歯止めが掛かった事なんてなかったわぁ。 …何よぉ、その驚き様。そんなに意外? まぁいいわぁ…でねぇ、私には友達がいなかったのよぉ。周りにはいじめっ子だらけ。私に関わって飛び火を受けるのを嫌がった子達からもいじめられた、先生は頼りなかった、どうしようもなかったわぁ。 そのうち私に、誕生日に買ってもらった「ぬいぐるみ」という友達ができた。普通幼稚園にそんなの持ってきたら先生に叱られるだろうけど、事情を知っていたからなのか、何も言わなかったわぁ。だからお遊びの時間で一緒に遊ぶ友達はいつもそのぬいぐるみだった。 だけどねぇ…私のそのぬいぐるみ、壊されちゃったのよぉ。いつも私をいじめる奴らの仕業だったわぁ。悲しかったし、悔しかった…一生忘れないわぁ…。 …だけどその時に、彼に会ったのよぉ。そう、ジュンよ…。ジュンは、壊れたぬいぐるみを抱いて泣いている私を見るに見かねたのか、声をかけてきたの。私がいじめられる原因になったこの銀髪に赤い眼を見ても彼は私をいじめなかった。嬉しかったけど、まず驚いたわぁ。 私は毎日誰かからいじめを受けていたから、私に優しくしてくれる子なんていないと頭から信じていたから。だから本当に驚いた。だけどもっと驚いたのは…今思えば笑っちゃうけど、可愛い銀髪の女の子って私を呼んだのよぉ。どこで覚えた口説き文句かしらねぇ。 そしたら彼は、私の抱いていたぬいぐるみを貸してほしいと言ってきた。一体どうするつもりなのかは分からなかったけど、私は何となく、彼は優しそうだと思ってぬいぐるみを渡したのよぉ。 彼は持ち合わせていたテープで包帯を巻く様にして、ちぎれていた腕を繋げてくれた。開いた傷口にも、テープを絆創膏の様にして貼ってくれたわぁ。まあその結果、ある意味余計痛々しい事になっちゃったんだけどねぇ。だけど嬉しかったわぁ…。 それでね、彼はこう言ったの。 「僕が大きくなった時、そのぬいぐるみを綺麗に直せるかも…」 彼はあまり考えもせずに言ったんでしょうけどね…それって、あなたと私が大きくなる時までずっと一緒って事じゃないのかと思って…ねぇ…。 …まぁ、そんな事があったのよ。それがきっかけ。 「……」 一通り聞いた巴は黙ったままだった。 「小学校の時は別々になって…それで中学校で再開して…私から告白したのよぉ。それから十何年と続いているの」 話を締めた。巴は口元に手をやって黙ったっきりになっている。 「………巴?」 「!…あ、ごめんなさい…」 「…少し簡潔ではあるけれど…話は終わりよぉ」 「…うん、ありがとう…」 巴が何を思ったのかは分からない。一体何を思っているのだろうか。 「…ごめんなさい、時間取らせたね…」 「………」 「………あ、ごめん…そろそろ戻らないと…」 「…分かったわぁ」 巴が私に背中を向けた。その背中は傷を負ったかの様に力無く見える。 「あ、そうだ…」 何かを思い出したかの様にこちらを振り返った。私は思わずびくっと身を跳ねらせた。 「この間、雛苺を自宅近くまで送った日の事だけど…」 「…?」 「あの日、彼女は気が付かなかったみたいだけど…変質者に狙われていたみたいなの。私がたまたま彼女に会ったから良かったけれど…」 「……え…」 声が出せなかった。 「最近はこの辺りも危なくなってきたから…本当に気をつけて。だけど学校にいる間は、私が彼女をしっかりと守るから…。」 私は返事の代わりに軽く頷いた。 胸が痛む。彼女に知られてはいないか、痛みが顔に出ていないかでまた不安になる。しかし出すわけにはいかないと、私はそれらを噛み殺そうとする。 巴はやがて、「それじゃ」と言って持ち場に戻って行った。私は結局何も言えずに、立ったまま見送ったのだった。 白銀の地面が目に痛かった。目に刺さる様だった。 サングラスを取り出して目元を隠し、そのまま私はしっかりしない足を引きずって学校を後にした。 ----- 「ただいま」 「おかえりなさ~い」 帰宅すると、すでに帰宅していた雛苺とその姉妹達が私を待っていた。ああ、考えてみればもう夕飯の時間か。 「ごめんなさいねぇ、お腹すいたでしょう?」 「お腹すいたの~…」 「ぺこぺこ…」 「お腹と背中が…くっつきそ…」 雛苺と薔薇水晶、雪華綺晶の幼子三姉妹が口々に急かしてくる。 「あ、おかえり」 「…ただいまぁ」 今日の出来事の渦中になってしまった彼…私の愛する夫が、奥から姿を見せた。 「子供達の事、ありがとうねぇ」 「ん、どういたしまして」 私はあらかじめ、自分は今日学校に行くので薔薇水晶と雪華綺晶の迎えをジュンに任せてあったが、どうやらおまけに空腹を訴える娘達におやつを用意して場を保たせようとしてくれていたみたいだ。 その件についても彼に礼を言った私は、娘達に急かされながら台所に立ったのだった。 ----- 夕食の時間を終えた私とジュンは、リビングでくつろぐ娘達から隠れる様に(私がそう促したのだが)部屋に入った。彼は私に何だ、どうした、といった顔をしながらも何も言わなかった。そのまま部屋のドアに鍵掛けて、ベッドに腰を落とす。 私は彼の瞳を見つめて言った。 「あなたは…巴の事、好きだったの?」 彼はその名を聞いた時、眼の色を変えた。何をいきなり、と言いたげな様子だったがそれを口にはしなかった。 「…いきなりごめんなさいねぇ…だけどお願い、答えて…」 彼は喉を鳴らした。しばらく黙った後に唇を動かした。 「彼女は…かけがえのない友人だった。それに違いは無いが…彼女を異性と意識して接した事は無かったと思う」 それに付け加えて、「…だが正直、今となっては…よく分からないけどな…」と言った。予想通りの答えだった。 「…だけど…何でだ?」 「…え?」 私は間抜けな声を出してしまった。そうだった、彼には私が巴と会った事を知るわけがないのだ。それどころか、巴が雛苺の通う学校にいる事自体、知られない様に仕向けたのは自分だったではないか。 「…いえ…ちょっと…昔を思い出してねぇ…。ほら、金糸雀の時の一件もあったし…」 私は頭に浮かんでいった一語一語を慌てて焼き繋げた。彼は訝しげな眼を向けたまま「…そうか」とだけ言った。 またごまかしてしまった。また彼に隠し事をしてしまった。私は頭の中がぐるぐる回る様な感覚を覚えて、たまらなくなった。どうしようどうしようと罪の意識に苛まれる。 そしたら、彼が私をじっと見つめてきた。何だか追い詰められる様に感じた。 …しかし考えてみれば、彼は巴とのしこりで悩み込んでいるのは事実。だから巴の事を表に出すのは彼を苛ませる事になると私は考えていたが、それは所詮言い訳に過ぎなかった。彼は巴が今どうしているのか、今も元気でいるのかどうかを非常に気にしているのも確かなのだ。 本当に彼の事を思うなら…伝えるべきなのであろうか…。 …………。 「ジュン…あのね…」 「…ん?」 「巴…なんだけど…」 「………??」 「実は…」巴は雛苺の通う学校にいる。それを伝えると、彼は一瞬目を見開いたが、予想した程の反応は見せなかった。ただ、そうか、そうかと静かに口にして頷いている。本当におとなしいものだった。「彼女は…元気だったか?」「…ええ、元気そうだったわぁ…」「…そうか」彼はまた、腕を組んで何回も頷いた。「元気だった…か。良かった…本当に良かった…」彼は少しだけだが…泣いているみたいだった。----- お腹の中に重りを架せられたみたいに重苦しい。 私は何も言えなかった。 思い知らされたのだ。 私は彼を好きだったが、私は彼の隣にいてはいけないのだという事を。 私は彼と彼女の間に入ってはならないのだ。 女として、ここは引かなければならない。 女として、見苦しい真似をするわけにはいかない。 女として、恋の為に「己」を捨てるわけにはいかないのだ。 私は教師だ。教師は学校において母であり、父である。数多くの子供達を守る「親」…その役に担うこの私が、私情に振り回されるなんてあってはならぬ事だ。 …そのはずなのに、やはり目頭が熱くなるのは…吹っ切れないという事なのだろうか…。 だが…この学校には彼と彼女の子供がいる。 私はその子を…彼女を…守っていかなければ。 愛する彼の愛しい子供…。 何があっても守り抜いていこう。 それが…彼への愛だと信じて。
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